第103羽
その後、俺たちは何とか子ネコの存在をひた隠しにしつつ、自分たちの住む町へ帰ることができた。
いや、ホントに苦労したんだぞ?
子ネコは俺のカバン以外に入れようとしたら大暴れするし、ラーラはともかくとしてエンジやパルノは終始怯えているし。帰りの列車に揺られている間中、気が気じゃなかったよ。のんびりした往路の雰囲気とはえらい違いだった。
町に戻ってからも気は抜けない。なんせ子ネコと言っても野生の獣だ。万が一暴れて町の住人に怪我でも負わせたら大変だからな。まあ、終始ティアが同行していたので、例え子ネコが暴走してもすぐに取り押さえられただろうけど。
ようやく我が家に戻って一息ついたが、よく考えてみればネコなんて町で飼って良いものなんだろうか? というか町に連れ込むだけでも問題なんじゃあ?
そんな懸念を一蹴したのは、万事抜け目のない我が銀髪アシスタントである。
「出発前に調べてみましたが、法律的には問題無いようですよ。飼うにあたっては役所での手続きが必要みたいですけど。……それにしても今さらですか? そういうことは列車へ乗る前に気がついていただきたかったのですが」
と、あきれ顔を向けられる始末。
しょうがねえだろう。こっちは子ネコが暴れでもしないか、鳴いて周りに気付かれでもしないかが気になって、それどころじゃなかったんだよ。
しかし、ネコを町中で飼うのは問題無いのか。意外だな。
だってネコってそのへんのペットショップで売っているような動物じゃねえだろ? 役所に届ける必要があるといっても、そんなもん勝手に許していいのかよ?
「そもそもネコを飼おうなんて命知らずの人はそうそういないでしょうから」
「でも手続きうんぬんとかってことは、前例があるからそうなっているんだろ? もしくは事前に想定していたからとか」
「過去にはネコを飼っていた人もいたみたいですね」
前例があるのか。
「三百年前の勇者ヨシノリ・アベをはじめとして、魔道王トール・ササキ、剣聖シンイチ・タカダ、あとは伝説の探索者カオリ・オオイシとか――」
どいつもこいつも馬鹿みたいに強いという逸話が残っているヤツらばかりだろ! あと何気に日本人ばかりなのはもしかしてツッコミ待ちか!?
やっぱまともな現地人(異世界人)は猛獣を家で飼おうとか頭おかしいこと考えないってことか。地球で言えばアパートの庭でライオン飼うようなもんだしな。
翌日、役所の窓口が開いて早々に俺たちは子ネコを連れて登録に向かった。
向かったのだが……、連れていったのは小なりともいえど猛獣のネコ。俺たちが役所に入ったときのパニックといったらもう……。建物内にいた市民はこぞって逃げ出すし、非常ベルは鳴り響くし、窓口はシャッターがおりるし、どこから集まってきたのか屈強な警備員たちがわんさか出てきて囲んでくるし、本当に大変だった。
まあ、それでもティアの言う通り、ネコを飼うこと自体はなぜか禁止されていないらしく、登録さえして管理下に置いてあれば許可は下りるとのこと。保証人やら制約魔法の施術やらで色々と面倒くさい手続きは多かったが無事登録が終了し、ひとまず俺の家に置くことが許された。
それから約一週間――。
最初は落ち着かないそぶりを見せていた子ネコもようやく慣れてきたのだろう。最近はリビングのソファーを占有し溶けるように眠り続けるか、天気の良い日中には庭へ出てひなたぼっこに精を出す毎日である。
ネコが一日の大半を眠って過ごすのは、地球も異世界も同じのようだ。それは良いんだが、つい一週間前まで森で完全な野生生活をしていた猛獣にしては、順応が早過ぎはしないだろうか?
特にソファーの上で眠る警戒心皆無のだらけた姿は『プロの探索者でも森で出会えばただではすまない』という、ネコが本来持つ危険性をかけらも感じさせてくれない。ホント、お前の野生はどこ行った?
ラーラは今までにも増して俺の家へ入り浸るようになっていた。ルイに加えてモフモフの子ネコまでそろっているのだ。彼女にとって我が家はもはや癒しの館にしか見えないだろう。
「ティアさんティアさん、こんにちは。ルイはどこですか? モフモフはどこですか?」
「今は両方とも庭で遊んでいますよ。先生ならリビングで休んでらっしゃいますが」
「レビさんはどうでも良いので、庭にお邪魔しますね」
あいも変わらず家主に対して失礼なヤツだ。そのうち入場料でも徴収してやろうか。
ルイも子ネコと仲良くやってくれるので助かっている。まあ初めに会った時から気が合っていたみたいだしな。
あ、そうそう。以前うちの庭にチートイとリンシャンっていうニワトリ(みたいな生物)がいるって言ったよな。さすがにネコ科の肉食獣と同じ生活圏にいたら捕食されちまうかも、とか思っていたんだが……。どうやらそれは杞憂に終わった。予想外の結果で。
庭からリンシャンの鳴き声が響いてくる。相変わらずニワトリとは思えない奇妙な鳴き声だ。いつもよりもずいぶん興奮しているようだが、なんだ?
気になって窓からのぞいてみれば、まさにその瞬間、チートイのフェイントに体勢を崩した子ネコへリンシャンの前回転かかと落としが炸裂した瞬間だった。
「にゃぁぁぁ」
すかさず建物の中へと逃げ込んでくる子ネコ。
リビングに飛び込んでくると、俺の足を盾にして隠れようとする。
「いや……、お前さあ……。ニワトリ相手に返り討ちとか……、さすがに肉食獣としてそれはどうよ?」
「にゃぅぅぅ」
ダメだコイツ。
やっぱりこの子ネコ。このまま野に放ったら半日ともたずに命を落としそうで怖い。ティアはやがて野生に戻すつもりらしいが……、この調子だと無理じゃね?
「あら? 外で遊んでいたんじゃなかったのですか?」
何事かとキッチンから顔を出したティアが、怯える子ネコを見て口にする。
「チートイとリンシャンに手ひどくやられたらしい。ますますコイツの将来が心配になっていたところだ」
「ふふふ。まあ、相手がリンシャンたちでは分が悪かったのでしょうね」
確かにあいつらニワトリとは思えない動きを見せるからな。チートイの突進をフェイントにして、実はその隙にリンシャンが横から懐に潜り込んでくるとか、ニワトリとは思えない連携しやがるし。ホントにあいつらニワトリなんだろうか?
「レビさんレビさん、モフモフちゃんはこっちに来ていますか?」
やがて子ネコを追ってラーラとルイがリビングにやってくる。
「来ているのは来ているが……、あんまり構い過ぎるなよ? 嫌がる子ネコを無理になでようとしても逆効果だからな」
ラーラとしてはこの新参者と友好を結びたいと思っているのだろうが、子ネコの方はあまりラーラが好きではないらしい。
好きではないというか、あまり興味がないといった感じだろうか。敵とはみなしてはいないが、気が向かないときに構われると迷惑だ、とでも言いたそうに逃げることがある。正しくネコ的な反応を見せているだけなので、特別ラーラが嫌われているわけではないだろう。
むしろエンジの方が子ネコは気になっていたようだ。ことあるごとに子ネコの方から接触しようとしていたな。主に髪の毛へ。
子ネコからすると、あのモジャモジャが毛糸玉的な魅力に満ちあふれているのだろうか? 隙を見せると飛びかかってくる子ネコに恐怖を感じたらしく、もともと怯え気味だったエンジはここのところ我が家へ顔を出してこない。
エンジにとっては災難だっただろうが、子ネコとキャッキャウフフしたいラーラからしてみればむしろうらやましいくらいだったのだろう。
「なぜモジャ男ばかり……、納得できません」
とかふてくされていた。
俺としてもこれだけ懐かれていると子ネコに対する情も強くなってくる。うちの子が仲良くしようとアプローチするのにそれを避けたり、ましてや払いのけようとするなどけしからん。むしろモフモフ愛好家としては、喜んでその吶喊を受け止めてやるべきであろう。
「なのにどうしてお前は子ネコを避けようとする?」
「いや、オレ犬派っすから」
「モフモフには変わりねえだろ。目つぶってりゃ顔がネコか犬かなんて大した違いじゃねえし」
「いやいやいやいや! 大違いっす! 兄貴はあの『迫り来るネコパンチ』の恐怖を知らないから、そんなこと言えるんすよ! 猛獣の腕がしなりながら頭に向かって振り下ろされてくる絶望感はマジヤバイっすよ!」
という一連のやりとりがあったのは、まだエンジが我が家に顔を出していた五日前のことである。
エンジの件以外は特に普段と変わったこともなく、平穏な日常を送れている。
もちろん役所で登録して許可を得ているからといって、猛獣であるネコを人々が恐れるのはまた別の問題だ。立体映信ごしの映像でニヤニヤと愛でるのはともかく、実際のネコ相手に戯れようとかモフろうとかいうバ――、勇者はそうそういない。
そんな規格外のツインテールがホイホイ居てたまるか。知り合いにひとりいれば十分、もうお腹いっぱいである。
ここ数日やってくる郵便屋や飛び込み営業セールスマンは、子ネコの姿を見るなりひとりの例外もなく足をもつれさせて逃げていった。散歩の時に周囲の人間が悲鳴をあげて逃げていくのも慣れたものだ。子ネコの存在が知れ渡るまでは仕方ないだろうな。
飛び込み営業は別に二度と来なくて良いけど、郵便屋はそういうわけにもいかんだろう。どうもあれから再配達が来てないみたいなんだが……、いつになったら届くんだかね。ちゃんと仕事しろよ。
◇◇◇(終)第五章 海には夏が、温泉には浴衣美人がよく似合う ―――― 第六章へ続く