第102羽
「――捕まえろ!」
ん? なんで人の声が洞穴の中から聞こえてくるんだ?
「にゃあー!」
咄嗟のことに呆然としていた俺へ向けて、洞穴の中から走って出てきた子ネコが向かってくる。その後を少し遅れて聞こえてくるのは人間の足音。それもひとりではないようだ。
「先生はお下がりください」
すぐさま俺と子ネコをかばうようにティアが立ち位置を変える。
「生け捕りだぞ! 囲め!」
間を置かずに洞穴から複数の男が出てきた。
手には剣や斧などを持ち、ひとりをのぞいて皮鎧で身を包んでいた。全員が砂や泥をかぶって薄汚れた風貌に、一瞬野盗でも出たかと焦る。
男たちは俺とティアを見て一瞬不可解な表情を見せるが、こちらが無害な人間だと判断したようですぐに警戒を解いた。
真ん中に立つ男が俺たちを見て口を開く。
「なんだ、あんたらは?」
むしろそれはこっちのセリフだが、男たちにしてみても予期せぬ遭遇だったのだろう。訝しげな視線を向けて問いかけてくる。
「何って言っても……、ただの観光客なんだが」
俺はそう答えるしかない。
「観光客がこんなところに、しかもふたりきりで? ………………ちっ、リア充め」
なんだか誤解を受けているらしい。
まあ、確かに観光客がこんな浜辺から離れた森にノコノコやってくるということ自体がおかしな話だ。いくら人里近いとはいえ、明かりも灯らない森の中はネコのような猛獣も徘徊している。ただの観光客なら足は踏み入れないだろう。
加えてそれが『ろくな装備も持たない若い男女ふたり』となれば、導き出される結論がとあるところへたどり着くのも自然なことだ。
「このあたりは野生の獣が徘徊しているから危ないぞ。悪いことは言わんからすぐに引き返して帰れ」
ただひとりローブを羽織った長身の男が口を開く。
どうやら悪い人間ではなさそうだ。おそらくトレジャーハントや野獣狩りを生業とする探索者たちだろう。
汚れているのは野外をかけまわる以上仕方ないことだし、よく見ればヒゲもきちんと剃っていて身なりは整えているようだ。言葉はややぶっきらぼうだが、警告するくらいの気配りは出来るらしい。
「危ねえところに立ち入るな、って立て札あっただろうに。どうせ読みゃあしねえんだから意味ねえよな」
最初に誰何してきた男がぼやくように言い、あきれたような目で俺たちを見る。
確かにこんな危険な場所に武装も無しで、しかもたったふたりで踏み入るような無茶は探索者であればしないだろう。森の恐ろしさを知らない素人のバカップルが、危険な場所に入り込んでイチャイチャしている――ように思われても仕方ない。
「まあそれは別として、とりあえずそいつから離れな」
と、子ネコを指差す男。
親切心で言ってくれているのかもしれないが、一応確認だ。
「コイツをどうするつもりだ?」
「は? 生け捕りにして売っぱらうに決まってんだろうが。研究施設へ売るにせよ、好事家へ売るにせよ、野生の子ネコなんて普通は市場に出まわらねえからな。良い稼ぎになる。剥製にしても結構な値がつくだろうさ」
まあ……、そうだろうな。
探索者ってのは生活の糧を得るために遺跡を探索したりモンスターを退治したりするわけだから、何の利益もなければ子ネコは放っておくだろう。
だが――。
「あまり聞いていて楽しい話じゃないな」
彼らにすれば生きるために必要なことなのだろう。俺だって自分が知らないところでなら何も感じなかったかもしれない。しかし、さすがにこれだけ自分へ懐いている子ネコを、『生け捕りにして売る』とか『剥製にする』とか明言されればあまり良い気はしない。
「ああん? 別にお前が楽しくなる必要はねえんだよ。良いからさっさと回れ右してそこの姉ちゃんと帰んな。いつまでも邪魔するようならそれなりに痛い目見るぞ」
「ハハハ。まあそうピリピリするなよリーダー。せっかく俺たちにも運が巡ってきたんだ。数日経てば大金持ちだぜ? 『金持ちケンカせず』ってよく言うじゃねえか」
「そういうこと。死にたてのネコを一頭見つけただけでも幸運なのに、生きた子ネコまで向こうから舞い込んできたんだ。これはもう俺たちの時代が来たと言って良いだろ」
「ま、そういうわけで俺たちのリーダーがブチ切れないうちに早く帰った方が良い。乳繰り合うんなら浜辺か宿の中でやんな」
リーダーと呼ばれている男の威圧に続いて、ローブ以外の男三人が次々と口にする。
その間にも子ネコを逃がすまいとしてか、じわりじわりと立ち位置を調整しているあたり、決して無能な探索者たちではないのだろう。気がつけば俺たちを半包囲するような体勢を整えていた。
「どうする、ティア?」
「……お仕置きです」
「そうだな、お仕置き――って、何でそうなるの!?」
慌てて確認したティアの顔は上品な微笑みが浮かんでいた。
あ、やばい。これヤバイヤツだ。
「先ほどから黙って聞いていれば、先生に対する侮辱の数々……。舌打ちまでして……」
いや、あなたも結構似たようなこと普段から俺に言っていますよね?
「アレアレ? 彼女怒っちゃった? 愛されてるねー、彼氏」
いや、だからお前らも余計な事言ってあおるんじゃねえよ! 武装もしてねえし、見た目こんなだから分からないだろうけど、本気になるとドラゴンゴーレムとか作っちゃう規格外のチート娘なんだぞ!?
「万雪の地にむかぶす零精の息吹は白き玉垂れとなりて我が手に芽吹く――」
「なっ! 詠唱!?」
突然の詠唱を開始したティアに、ローブの男が驚きの声をあげる。
「アイスレイン!」
「早い!?」
またたく間に現れた無数の針が、男たちに向けて放たれた。
氷で出来たと思われるその鋭い切っ先は、突然のことで反応が遅れた男たちの足もとへまず突き刺さる。
もちろんそれだけで終わるはずがない。まるで初撃のそれが観測射撃であったかのように、足もとの針を起点としてヒザを、腰を、ワキを、肩を、こめかみを、当たらないスレスレの隙間のみ残して幾千幾万の針が突き抜けていく。
その圧倒的な密度に、探索者たちは誰ひとり立ちすくんだまま動けずにいた。
「あ……、ああ……」
危険地帯の警告も無視して男とイチャつくために森へ迷い込んできた見目だけは良い馬鹿女――。見るからに荒事と無縁そうなティアの外見で勝手な判断をしていただろう彼らは、自らへ降り注いだ恐怖に言葉を失っていた。
「この子は私たちが連れて行きます。何かご不満があれば伺いますが?」
ティアの問いかけに、男たちはこれ以上無いというほど全力で首を振っていた。よほど生きた心地がしなかったのだろう。俺も怖かった。
その後、ティアは怯える男たちを円筒形に形作った氷で囲む。
なんで身動き取れなくするんだ? と問う俺へ、「ただの感傷です」と言葉少なげに洞穴へ入り、親ネコの骸を土に埋めると、魔法で封印を施してさらに洞穴ごと崩し埋めてしまった。
なるほど。これでは後から親ネコを掘り出すことは難しいだろう。掘り出すだけならまだしも、ティアの封印があるのだ。ティア以上の魔法使いを連れてこない限り解除もままならない。
せっかくの幸運を台無しにされた探索者たちには悪いと思うが、これで親ネコの骸が剥製や素材として取引されることもない。やはり子ネコに情がうつってしまったようだ。もしも相手が見知らぬネコだったなら、こんな気持ちにもならないだろう。
ティアは口にこそしなかったが『感傷』の言葉通り俺と同じような気持ちだったのかもしれない。
ちなみに探索者たちを囲んでいる氷は六時間後に自動で溶けるようにしてあるとか。
「溶けた頃には私たちは列車で移動中です」
平然と言ってのける銀髪チートに抜け目はない。
上面は開いているので窒息することはないはずだが、氷自体も空気を含ませて不透明にしてある上、いつ溶けるか彼らには分からないのだ。きっと不安で仕方ないことだろう。
「彼らがネコの骸を回収したり、子ネコを捕獲しようとするのは探索者として当たり前の行為ですから、それについてどうこう言うつもりはありません――」
結局、『この森へ子ネコを放すのはまずいだろう』ということになった。
すでに子ネコを庇護する親ネコはいない。このまま子ネコを森へ帰したとして、ただでさえ生存の可能性が低いのに加えて、あの探索者たちの存在である。
彼らは親をなくした子ネコが森にいることを知っているのだ。親ネコの骸が手に入らなくなった以上、血眼になって子ネコを探し捕獲しようとするだろう。
さすがにそれが分かっていて、子ネコ一頭を森へ置き去りにするのは気が引ける。
別の場所へ放つ方が子ネコのためにも、俺たちの精神衛生上も良いだろうという結論に達し、ひとまずは保護することにした。
ティアにとっては頭の痛いことだろうが、ルイやラーラはきっと喜ぶに違いない。俺自身としても子ネコをこのまま放り出さずにすんで良かったと思っている。
まあ、あの探索者たちにとってはとんだ災難だっただろうけどな。彼らにしてみればネコの骸を売り払うのも、子ネコを捕獲してお金に換えるのもごく当たり前の判断だったわけだし。言うなれば俺たちは探索者たちの仕事を自分勝手な都合で邪魔したようなもんだ。
言葉遣いは悪かったが、ちゃんと俺たちに忠告もしてくれたことを考えると、決して悪人ではなかったのだろう。
だがまあ――。
「――ですが先生を侮辱したのは許しがたいことです。当然の報いとしか言いようがありません」
ティアを怒らせたのがそもそもの間違いだった、ってことだな。