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にわにはにわにわとりが  作者: 高光晶
第五章 海には夏が、温泉には浴衣美人がよく似合う
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第99羽

 二日目の午後を思い思いに過ごした俺たちは、夕暮れを待って宿へと引き上げた。


 初日同様にいくばくかの時間を自室で過ごし、浴衣に着替えて夕食のため座敷へ移動。メニュー内容こそ前日と異なるものの、山海の幸をふんだんに使われた懐石料理は絶品だった。夕食前になぜか三十分ほど姿を消したティアの行動に、厨房の料理人たちへ何とも言えぬ申し訳なさを感じてしまうわけだが……。


 お腹もふくらみ、一日の疲れと汗を流そうと露天風呂へ向かう。俺たちは予定外の来客をそんなタイミングで迎えることになった。




「なあ、エンジ。いい加減諦めたらどうだ?」


「情けないっすよ、兄貴! それでも兄貴は男っすか!?」


「今現在、お前の姿も十分情けないけどな」


 俺は湯につかりながらあきれ半分で言う。

 視界の端に映るのは黒髪クセっ毛のエンジ。さっきからあちこちと移動を繰り返しては竹の柵を調べてまわっている。


「壁の向こうに理想郷があるとわかってて興味を持たないのは、女の子に対して失礼っすよ!」


 ご立派な講釈たれてっけど、そのセリフも全部向こうに筒抜けだからな。まあ、ラーラは聞いちゃいねえだろうが。


 夕食を終えて、俺たちは昨日と同じく露天風呂へとやって来た。昨日と違うのはルイが女湯へ行っていることだろう。さすがに昨日のような騒ぎはごめんだからな。ルイさえいれば、ラーラは大人しく女湯で湯につかっていることだろう。


 で、それと引き替えにごそごそと動き出したのが、この困った男だ。実は昨日も騒ぎのさなか、粛々(しゅくしゅく)とのぞきポイントを探し回っていた。もちろん、いまだエルドラドにはたどり着けていない。


 まったく。ラーラが大人しくなったと思ったら今度はエンジか? どうもこのメンツは風情(ふぜい)というものに縁がないらしい。


《あらまあ、エンジさんはまだ諦めていないんですね》


 半分温泉につかった端末へローザの言葉が表示される。


「まあ半分は遊び気分なんだろうけどな。ティアが本気で怒らないうちにやめりゃ良いんだが……」


《止めなくて良いんですか?》


 どうせのぞきスポットなんて宿の人間が事前にチェックしてつぶしているだろう。のぞきや盗撮は、こういう露天風呂を抱えた宿泊施設にとって見過ごせない問題だろうからな。素人が二、三時間探したところで見つかるようなら、とっくに塞がれているさ。


 そんな俺の推測を無にするのは端末へ表示されるローザの返答。


《いえ、完全に塞がれているわけではないですよ。二ヶ所ほどのぞけるポイントが残っていました》


 え? そうなの?


《もっとも、ティアさんがちゃんと対策をしているようですけど》


 ローザが言うには不透明の氷で塞いであるらしい。そんなところも抜かりがない、げに恐ろしきは銀髪チート少女なり。


「ってことは、あれは――」


 と、エンジを指差して言う。


「ただひたすら徒労(とろう)に終わるだけってことか」


《結果的にはそうなるかと》


 だったら問題ないか。害があるとしたらエンジの声が女湯にも筒抜けってことくらいだもんな。ちゃんとのぞきポイントは塞いであるし、エンジだってまさか女湯との仕切りになっている竹の柵を破壊してまでのぞこうとはするまい。


 柵は魔力によって補強されているわけではないらしいので、やろうと思えば簡単に壊せるだろう。しかし、それをやるとのぞきどころの騒ぎじゃなくなる。いくらあの男でもそこまで非常識ではないはずだ。ティアだってそれがわかっているから柵には何の対処もしていないんだろうから。


 若干約一名、柵を燃やそうとした大馬鹿者が昨日いたような気もするが、アレはある意味特殊な例であって、通常の枠に当てはめて考えるべきではないのだ。希少種モンスター並に異質な空色ツインテール魔女はこの際除外することにしよう。今日はルイのおかげで大人しいようだしな。


「放っておけばいいさ。俺たち以外の入浴者が来たらやめさせるから、その時は教えてくれよ、ローザ」


《わかりました、大家さん》


 安心して一息ついた俺は、ひときわ大きな岩を背にして夜空をあおぐ。澄んだ空気のおかげで満天の星空が手に届きそうなほど近く感じる。


 ルイのおかげでラーラは大人しい。エンジはひたすら無駄な努力を続けているが問題にはつながりそうにない。ニナは昨日の前科があるが、きつく叱っておいたから今日は騒ぎを起こさないだろう。


 おーるおっけー。もうまんたい。


 やっぱり露天風呂というのは、こうやってくつろぎながら体全体で味わうものだ「にゃあ」。

 昨日みたいにギャアギャア騒ぎながらじゃあ、このすばらしい湯加減を堪能することなどできない「にゃ」。

 だから昨日のことはさっさと忘れて今日この時をじっくり楽しむにゃ。


 にゃ……?


 にゃ、って何だ? 空耳だろうか? 何か聞き覚えのある鳴き声が混じっていたような気がするけど……。


「にゃー」


 ……いやいや、気のせい気のせい。昼間聞いた声が耳に残っているだけだよ、きっと。


「にゃあ」


 いやあ、ずいぶんとハッキリ聞こえる空耳だなあ……。

 ため息をつきたくなった俺にクレスが近寄ってくる。


「ねえ、兄ちゃん。何か聞こえない?」


「……さあ、俺には空耳しか聞こえないが」


「にゃう」


 空耳にしてはずいぶん明確に聞こえるけどな。


「いや、明らかに動物の鳴き声が聞こえるんだけど?」


「そうか、お前にも空耳が聞こえるか。奇遇だな」


「にゃん」


 とぼける俺の言葉を否定するかのように、絶妙のタイミングで鳴き声が聞こえた。


「二人して聞こえる空耳なんてないよ。確かに聞こえるって」


 そうか、空耳じゃないのか。空耳だったら……良かったなあ……。

 とうとう我慢していたため息が俺の口からもれてしまう。


 そのタイミングで招かれざる客が姿を現す。男湯への新たな入浴客だ。いや、料金を払っていないのだから客と称するのは誤りだろうな。


 その乱入者は四つ足でペタペタと濡れた湯殿の床を歩き、ふわふわの白毛を湯気で湿らせながら近寄ってくる。頭の上にはピンと立った三角形の両耳。棒状でありながらもこもこの毛に覆われた尻尾は空へ向けて一直線に伸びている。


「ネ、ネ……コ」


 その姿を見て、さすがのクレスも絶句する。

 武器も防具もない無防備な状態のところへ、子供でも知っているような野生の猛獣が現れたのだ。体長五十センチメートルほどと小さめとはいえ、その危険性を学舎の優等生である弟が知らないわけがない。


「なんで、こんなところでっ!」


 とっさに戦闘態勢を取ろうとする弟をすぐさま制止する。


「まて、クレス! 大丈夫、こいつは多分大丈夫だ!」


「何を言ってるんだ兄さん! ネコだよ!」


「どうしたんっすか兄貴……! ってネコおおおお!?」


「落ち着け、エンジ!」


 クレスの声に何事かとこちらを向いたエンジが、これまた恐怖にひきつった顔で叫ぶ。

 男湯の騒ぎを聞きつけて柵の向こうでもティアが反応する。


「先生! 何かありましたか!?」


「何でもねえ! ちょっとクレスたちが騒いでいるだけだ!」


「兄ちゃん!?」


「兄貴!?」


 ええーい! 何がどうなっている!? わけがわからん! わからんがとりあえずクレスとエンジを落ち着かせないと。


「いいから俺に任せろ! 手を出すなよ! 騒ぐなよ!」


 納得しがたいといった表情を見せるクレスたちだが、子ネコがいきなり襲いかかって来ないことに多少は警戒を緩めたのだろう。俺と子ネコから少し距離を取るように湯船から上がっていった。

 それを確認し、俺は子ネコに目を戻す。


「お前、昼間の子ネコだよな。何だってこんなところに?」


 街中にネコが出現などしたら、きっと大騒ぎになるだろう。この宿は浜辺から少し離れた場所にあるため人目は多くないかも知れないが、それでも発見される可能性は十分にある。

 そしていったん人間の生活圏で見つかってしまえば当然ながら即討伐対象。いくら猛獣とはいえまだ小さな子ネコだ。警邏(けいら)隊に集団で囲まれれば果たして逃げおおせるかどうか。


「にゃ、にゃ」


 そんな俺の心配をよそに、子ネコは湯船にその身を浸すと犬かきの要領で俺のそばまで泳いできた。


「っていうか、ネコってお湯とか平気なのか?」


「にゃあ?」


 地球の猫は水に濡れるのを嫌うが、異世界のネコは違うのだろうか? 地球でも風呂好きの猫動画をネットで見たことがあるから、全ての猫が水を嫌うわけではないだろうが、そんなのはごく少数の変わり者に違いない。この子ネコが同じように変わり者なのか、それとも異世界のネコはこれが当たり前なのだろうか?


 いや、今はそんな事どうでもいい。


 もはや至近距離と言えるほど近くまで寄ってきた子ネコは、俺の体に鼻先を近づけて匂いを嗅いでいる。

 汗を流し、今現在も湯につかっているためあまり強い体臭はしないと思うが、やはり人間の鼻とは性能が違うのだろう。やがて俺が昼間に会った人間だと確信できたようで、その頭を俺の肩にあずけ、だらりと体ごと寄りかかってきた。


 見ればその表情は平和そのもの。「あー、ええ湯やなー」とか聞こえてきそうなくらいのリラックスぶりである。


「いや、そのー、ずいぶんマッタリしているところ申し訳ないんだが」


 俺の言葉に反応して耳がピクリと動く。


「何しに来たんだよ、お前?」


「にゃー」


 俺の肩にアゴを乗せたまま子ネコが返事する。


「いや、わかんねえよ」


 っていうか、何だよその休日の朝に布団の中で生返事するオヤジみたいな雰囲気?


 とても猛獣として恐れられるネコとは思えない反応に、さすがの俺も困惑気味だ。

 お前の野生はどこ行った?


「こんなところにいたら人間に見つかって狩られちまうぞ。悪いことは言わねえから、早く住処に帰った方が良いぞ」


「にゃん」


 動物相手に諭そうとする俺も俺だが、それに対してまともに反応が返ってくるのもある意味不思議といえば不思議なものだ。子ネコは体を俺にあずけたまま頭だけを上げ、俺の顔をながめ始める。


「間違って観光客用の浜辺にでも迷い出た日には大騒ぎだからな」


「にゃ」


「わかってんのかよ……。いいか? お前はネコでここは人間の領域、わかるか?」


「にゃー」


「ここに居るのはお前にとって危険なんだ。わかるな?」


「にゃん!」


「暗いうちなら人に見つかりにくいし、夜のうちに自分の住処(すみか)に戻るんだ。いいな?」


「にゃあ!」


 うん、全然わかっとらんわ、コイツ。


 やっぱりネコ相手に説得とか試みた俺が馬鹿だった。でも何事もチャレンジは大事だもんな。やってみなきゃ出来るかどうかわかんないし。例え説得の結果返ってくるのが「にゃー」とか「にゃあ」とか「にゃん」とかの意味不明な鳴き声と、俺の顔をやたら舐めてくるザラザラの舌だけだとしてもな。


 一向に収拾する気配を見せないその状態で、柵の向こうから届くのは状況報告を求めるティアの声。


「先生! 何があったんですか!? さっきから聞こえる鳴き声は何ですか!?」


「だから何でもないって!」


「にゃあ!」


「何でもないって、じゃあその鳴き声は一体なんです!?」


 ちょ、事態がややこしくなるから鳴くんじゃねえよ。


「お前、しばらく大人しくしてくれるか?」


「にゃ!」


「いや、だから静かにしてくれねえかな?」


「にゃー!」


「全然伝わらねー!」


「にゃにゃー!」


 むしろ場の雰囲気を感じ取って声を張り上げる子ネコ。

 その鳴き声は当然ラーラたちの耳にも入ったようだ。


「はてさて……、あの鳴き声はどこかで……?」


「ンー?」


 ルイもこちらの状況が気にかかるのか、バシャバシャと水しぶきの立つ音が柵に近付いてくる。その音が止まると同時にいつもの鳴き声が聞こえてきた。


 その鳴き声へ真っ先に反応したのは子ネコである。俺と一緒にいたルイのことを思い出したのだろう。

 確かに初対面の時からルイとはずいぶん仲が良かったようだしな。具体的にはモフったりモフられたりのボディコミュニケーションがほとんどで、意思の疎通(そつう)が出来ていたかどうかは疑問だが。


「にゃん?」


「ンー?」


「にゃあ!」


「ンー!」


「にゃー!」


「ンンー!」


 モンスターと野獣。何かしら通じるものがあるのだろうか? 断続的に鳴き声のかけ合いが続いている。


「にゃあにゃあ!」


「ンー、ンンー!」


 あ、ちょっと待て、おい。どこ行くんだお前!? いや、そっちはまずいって!


 俺に寄りかかっていた体を起こし、犬かきで湯船を泳ぐと子ネコは仕切りである柵にたどり着く。

 柵の向こうからはルイの鳴き声が間断なく続いていた。声の大きさから考えるに、向こうは向こうでルイが柵のすぐそばにいるのだろう。


「にゃにゃーん!」


「ンンーーン!」


 まるで恋い焦がれる相手を求めるように柵に向かって前足でのし掛かる子ネコ。


 あ、おい。

 ちょっとまて、こら。

 そんなことしたら……。


 男湯と女湯を仕切る柵は竹を原材料とした風情あふれるデザインではある。だがその耐久性は言うまでもない。しょせんは竹である。

 そんな柵にのし掛かって揺らす子ネコ。


 柵は魔法で強度を上げてあるわけでもなく、やろうと思えば魔力がない俺でも壊せるだろう。衝撃をはじき返すのが役目ではなく、視線を(さまた)げるのが柵の役目だからだ。

 そんな柵にネコパンチを連打する子ネコ。


 さすがにのぞきは警戒しても、柵を正面から破壊するなどという非常識な手段を取る者は男湯にいないだろうという考えのもと、ティアも手を回していなかった柵。

 そんな柵に全力で体当たりをかます子ネコ。


 体長五十センチメートルの子ネコではあるが、そこはそれ、小さくとも野生の獣である。地球の家猫や小型犬だって本気を出したら見た目以上に力強かったりするだろ?

 本気の子ネコを前に、ただの柵がいつまでも耐えられるわけがなく――。


 まるでスローモーションを見ているように、きしみながらゆっくりと倒れて行った。


 柵が取りはらわれたその向こうに広がるのは、エンジが昨日から求め続けていた理想郷。男湯同様に湯煙で覆われたその空間に立ち尽くすのは、銀、金、翡翠、水色、桃色――色とりどりの濡れた髪。


 倒れた柵が水しぶきを上げた後、仕切りを失った湯殿の風向きが変わる。一気に二倍の広さととなった場内を、山から吹く涼しげな風が通りすぎ、視界をさえぎる湯気をさらっていく。


 誰もが瞬時に反応することが出来ない事態の中、何ひとつ隠すものもなく俺の視線にさらされるたわわな十個(うち二個は実る望み薄し)の果実。


「あ……」


 一体誰の口から漏れたものかは分からない。訪れた静寂を破ったのは、言葉にならない複数のうめき声だった。


 そのうめきを追いかけるようにして、露天風呂に鹿威(ししおど)しの音が甲高く鳴り響いた。


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