第97羽
子ネコの後を追い、俺は海岸の岩場を抜けると木々に囲まれた坂を登り始める。
すでに周囲の風景は、人の手が入っていない森へと姿を変えていた。野鳥が枝を揺らす音が妙に大きく響く。緑あふれる背景に子ネコの白い毛皮がやたらと映えていた。
森へ足を踏み入れてからおそらく十五分は経ったであろう。
いくら人里近いとはいえ、野生動物あふれる森の中をひとりで歩き回るのはさすがに軽率だっただろうか?
「おーい、どこまで連れて行く気だ?」
「にゃあ」
不安に駆られてついつい話しかけてしまう俺へ、まるで返事をするかのように振り向いて鳴く子ネコ。
その反応に引きずられてノコノコと森の奥へとやって来てしまったわけだが……。はて? ネコって人間の言葉を理解できたっけ? いや、そんな話は聞いたことがないんだが……。まあ、今さらそんな事考えても意味はないか。
「にゃ」
ぼんやりと考えごとをしているうちに、目的地へ到着したらしい。子ネコが立ち止まって短く鳴いた。
子ネコが立つその先に見えるのは、人がふたり並んで歩けるほど大きな口を開いた洞穴だ。
俺の反応を見届けた後、再び子ネコは足を動かし始める。やはりというか、その向く先は洞穴の中であった。俺の足は止まったままだったが、もはや道案内は不要と判断したのだろう。子ネコはこちらを振り向くことなくそのまま暗闇の中へと進んでいく。
「えーと……。この中に入って来い、と?」
さすがに真っ暗な洞穴の中へ突っ込んでいくのはためらってしまう。
入口周辺は外の光がかろうじて差し込んでいるが、奥へ行けば当然真っ暗闇に包まれるだろう。まさか潮干狩りに来て懐中電灯が必要になるとは思いもしなかった。入っていくのは良いが、明かりがないのはちょっと困る。
そんな風に入口でまごついていると、後方から聞き慣れた声が届く。
「レビさん!」
「ンー!」
声のする方を向いた俺にサラサラヘアーの希少種ゴブリンが突進してくる。
「おうわっと! ……ルイ!? ラーラとパルノまで!?」
俺の足には小さな体全体を使って抱きつきながらすりすりと頭をこすりつけてくるルイ。それに遅れてやって来たのは空色ツインテール娘のラーラと桃色ショートカット娘のパルノだった。
「あ、ホントに居ました……」
「さすがルイです」
パルノはむしろ逆に驚きを顔に表し、ラーラは小さくうなずきながらルイを賞賛していた。
「先に帰ってろって言っただろうに……。ラーラはともかくとしてお前は戦えないんだから危ないだろう」
「戦えないという意味ではレビさんも同じです。ひとりでこんなところまで来ているレビさんにはそれを言う資格がないのです」
パルノに説教しようとしたら逆にラーラから注意されてしまった。戦闘能力の欠如を指摘されると返す言葉がない。
うむ。ぐうの音も出ないとはこのことか。
「む……、まあ来てしまったものは仕方ない。ちょうど明かりがなくて困っていたところだしな。ラーラ、魔法で明かりを灯してくれるか?」
俺の長所でもある切り替えの早さを発揮し、これ以上ラーラからうるさく言われないうちに話題を変えた。
「こんな昼日中に明かりですか?」
「おう、この中に入ろうと思ってな」
そう言いつつ洞穴を指差すと、途端にラーラが顔をしかめる。
「危険ではありませんか?」
「あ、危ないですよお。早く帰りましょうよお」
「大丈夫、大丈夫」
「その根拠が無い自信はいったいどこから来るんでしょうか? 毎度のことながら不思議でなりません」
「こ、怖いからやめましょうよお」
「別にお前らまでついてくる必要はないんだぞ。ラーラがちょっとこいつにでも明かりを付与してくれればひとりで入るからさ」
そう言って俺は手に持っていた熊手を指し示す。
「そういうわけには…………。わかりました私もお供しましょう。パルノさんはどうしますか?」
「え? え? え? わ、わわわ私は……」
パルノがうろたえる。
そりゃそうだろう。このメンバーでまともな戦闘能力を持っているのはラーラだけだ。そのラーラが洞穴に同行するとなれば、この場所で待つにしろ宿へ戻るにしろ、パルノは自力で身を守らなければならない。だがそれが無理な話であることは当のパルノが一番よくわかっているはずだ。
「いっしょに……行きます」
つまりラーラが同行すると決めた時点でパルノに選択肢は無いということである。
俺とラーラが行動を共にする以上、連れて行くのが確定しているルイを加えて合計四人。結局全員で洞穴へと足を進めることになった。
ラーラが点した魔法の灯りを頼りに、俺、ラーラ、ルイ、パルノの順で奥へと歩いて行く。
それほど深い洞穴ではなかったようだ。一分もしないうちに突き当たりへと到着する。
そこに待ち受けていたのは俺をここまで手引きした子ネコ。そしてその傍らで寝そべる白い物体。
「にゃあ」
やっと来たか、といわんばかりに子ネコが鳴いた。
「おお、何というもふもふオーラ。ネコでさえなければ……」
可愛いものに目がないツインテール魔女が、いつの間にか俺のとなりへ進み出て喜色を浮かべていた。とりあえず空気を読まない魔女っ子はさておき、子ネコのそばにいる白い物体へと目を移す。
それは子ネコの体をそのまま大きくしたような、白い毛並みの四足獣だった。背中を丸めて輪っかのような状態で横になっている。縮尺さえ狂っていなければ、日本中のコタツで目にするようなその姿形。紛れもないネコの成体だ。
体長はおそらく二メートル以上。愛くるしいフォルムながらその圧倒的な大きさは恐怖を感じさせるに十分である。こんなのが本気で襲いかかってきたら、俺たちなどあっという間に叩き伏せられてしまうだろうことは容易に想像できる。
「ネ、ネ、ネネネ、ネコ、ネコネコネコネコ!」
うん、ネコはわかっているからちょっと落ち着こうな、パルノ。
「にゃあー」
子ネコが鳴く。
俺たちとネコたちの距離は約五メートル。野生の猛獣を前にして、安全とは言えない距離である。
だが子ネコも親ネコも動く気配がない。ただ俺たちに向かって子ネコが「にゃあ」と呼びかけるだけだ。
「そばに寄ってこい、……ってことか?」
大丈夫だろうか? 確かに危険な感じはしないが。
危険は無いと訴える直感と、いくら何でもまずいだろと訴える理性の狭間で逡巡する俺の横を、トタトタと駆け抜ける影。
「あ……! おい、ルイ!」
止める間もなくルイがネコたちの元へと駆け寄っていった。
緊張に体をこわばらせる俺たちをよそに、子ネコも親ネコも動じる気配は全くない。
「ンー」
「にゃー」
躊躇なく近づいたルイの体へ鼻をよせてネコたちが匂いを嗅いでいる。ピクピクと動くヒゲが愛くるしさを感じさせるが、親ネコはもちろんのこと子ネコにすらかじりつかれればルイなどひとたまりもないはずだ。……まあ、多分そんな事にはならないだろうけど。
「ああ! ルイが……ルイが食べられてしまいます!」
となりでラーラが悲痛な叫びをあげていた。
「レビさん! どうしましょう!? ルイが危険です! ここは代わりの生け贄を……って、何でこの肝心なときにあのモジャ男はいないのですか!?」
さらっとエンジを身代わりで差し出そうとするラーラ。相変わらずエンジの扱いがひどい。
「落ち着けラーラ。大丈夫だって」
「ですがレビさん!」
「向こうがその気ならとっくに襲われているだろうさ、多分……」
見ればルイは笑顔で子ネコの体をモフり始めていた。モフられている子ネコの方もまんざらではなさそうだ。
ラーラをなだめると、俺はネコたちの方へと足を踏み出す。
俺の動きを察知して親ネコの視線がこちらに向けられた。その大きな目が俺を射抜くように観察するが、体は地に横たえたままだ。襲いかかってくる気配はやはりない。
親ネコを刺激しないようゆっくりと歩き、たっぷりと時間をかけて近づく。
そばに寄ったところで子ネコが足にまとわりつき、ルイへやったのと同じように鼻をヒクつかせて匂いを嗅ぎ始める。子ネコを蹴らないよう慎重に足を進めて親ネコのそばまでたどり着くと、親ネコが重たそうに頭を起こして俺の匂いを嗅いできた。
いきなりガブリ、とか来ないよな……?
内心冷や汗をかきながらもジッと動かずにいると、やがて満足したのか、親ネコは目を細めてゆっくりとまばたきする。そして俺から鼻を離すと子ネコに視線を向ける。
「にゃ」
いくぶん子ネコのそれよりも低めの鳴き声。それまで俺の足もとにまとわりついていた子ネコが親ネコに近づくとお互いに鼻を寄せ合う。
その瞬間、洞穴を照らしていたラーラの魔法とは別の光が親ネコから浮かび上がる。
淡く青白いその光は親ネコの体全体を覆い、ほどなくして消えたかと思うと同じように子ネコが淡く光り始めた。
「これは……?」
後方から聞こえるラーラのつぶやきが静かな洞穴に響く。
ラーラにはわからないのだろうか? 今、親ネコが最後に残った自らの存在力を子ネコへと移譲したことを。
当然存在力が失われれば個体として世界に在り続けることも出来ない。物質であれば消失し、生物であればその生命は失われる。
親ネコが頭を垂れ、そのまぶたをゆっくりと閉じるとそのまま動かなくなった。最後の力をふりしぼって子ネコに自分の存在力を渡し終え、その生に幕を下ろしたのである。
…………ん?
存在力? なんだそれ? 聞いたことがないぞ?
いや、聞いたことはないんだが……知っているような……。
いやいやまてまて、聞いたことないけど知っているとか、我ながら支離滅裂だろ。
とにかく親ネコは死んだようだ。……死んだ? なんでそんな事が言い切れる?
あれ? 何かおかしいぞ? わけがわからなくなってきた。
俺は自分の思考に疑問を抱きながらも、親ネコの横たわった体へと手を伸ばそうとする。
「レバルトさん、危険ですよお!」
「大丈夫、もう死んでいるよ」
「な、何でそんな事がわかるんですかあ!?」
「いや……、なんとなく」
「意味がわかりません!」
理解しがたい、という感じでパルノがヒステリックに声をあげる。
まあそう言うなよ、俺だって理解しがたいのは同感だ。ただ、わかっちまうんだから仕方ないだろう。
無警戒にその体へと触れるが、親ネコはピクリともしない。まだ体は温かいが、やはりすでに息絶えているようだった。
「みぃ」
死んでしまったのを本能で理解したのか、子ネコは悲しそうに鳴きながら親ネコの顔をしきりに舐めている。
もはや動く気配もなくなった親ネコとその顔を悲しげに鳴きながら舐める子ネコ。そんな光景にいたたまれなくなり、俺たちは洞穴を後にした。
「あの子ネコ……、大丈夫でしょうか?」
お人好しのパルノが心配そうにそうつぶやく。
確かに野生の猛獣とはいえ体長五十センチメートルほどの子ネコである。まだまだ親ネコの保護下になければ生命の危険にさらされかねない。
だがだからといって俺たちに何が出来るのか? まさか家に連れ帰って飼うわけにもいかないだろう。人に懐いた地球の家猫とはわけが違うのだ。
「ネコでなければ……、ネコでさえなければ……」
となりではブツブツと念仏のように残念魔法少女ラーラが言い続けている。
「ンー……」
ラーラに手をつながれたルイが、名残惜しそうに洞穴の方角を見て眉尻を下げていた。どうやらルイはあの子ネコが気になるらしい。
そういえばコイツはネコたちを恐れることもなく、真っ先にかけだしてモフモフしていたな。人間と違ってモンスターの場合はネコと相性が良いのだろうか?
しかし、あのネコたちはいったい何がしたかったのだろう?
俺を呼び寄せたのは親ネコの指示だったのか、それとも子ネコの独断か。もしかしたら親ネコを癒してくれる存在を探していたのかもしれないが、残念ながら俺はもちろんこのメンバーで治癒魔法を使える者はいない。
まあ、治癒魔法を使える人間を連れて行ったとしても、すんなりと親ネコに癒しをかけるとも思えないしな。
普通は問答無用で討伐されても不思議ではない。連れて来られたのが俺たちだったから、無用な戦いが起こらずにすんだのだ。
……逆に言えば、だからこそそれを見抜いた親ネコは俺たちに害を及ぼさなかったのだろう。死を間際にして子を守るために必死であらがう猛獣の相手とか、シャレにもならん。
後ろ髪を引かれるようにして足が止まりがちとなるルイを促し、俺たちは三十分ほどかけて潮干狩りをしていた岩場へとたどり着く。
すでに日は天頂を過ぎている。網袋いっぱいのカヌラ貝という成果も得ていた俺たちは、ティアたちと合流するべく観光客用のビーチへと歩いて行った。
先ほど見た子ネコの姿を思い浮かべ、何とも言えぬ思いを胸に抱きながら。