第95羽
しばらく歓談で時間をつぶしていると、座敷に料理が運び込まれてくる。どうやら海の幸をふんだんに使った懐石のようだ。
細長い器に香木の枝と共に盛りつけられた三種の前菜に続き、白身の魚が浮かべられた吸い物、魚肉のすり身と思われる羮、新鮮な魚介類の素材を活かしたお造りが続く。
その他にも海鮮天ぷらや小鍋、茶碗蒸しが後詰めを果たす。魚介類だけではなく地鶏を使った照り焼きなども、ふたくち程度の少量ずつで次々と並べられていった。
締めは魚介のダシがしっかりと出た小鍋の汁で玉子雑炊。味付けも俺好みだったし、見た目にもお腹にも大満足の一席であったと言っておこう。
俺たちの大半が料理を食べ終えた頃、宿の従業員がさりげなく器を下げにやってくる。さすが和風建築の宿だけに、従業員の装いも仲居さん風だった。まあ、確かにこの建築様式でメイド服とか着て給仕されると違和感がありすぎて妙な気分になるからな。
ああ、でもメイド服と言えば、
「まあ、安心したわ」
「何がですか?」
「いや……、ティアが列車の中で宿の食事がどうのこうの言っていたから、下手すりゃ宿の厨房にエプロンドレスのまま入り込んで料理とか勝手にするんじゃないかと思って……。いやあ、ごめんなティア。いくらお前でも初めて来た旅館でそんなことするわけが無いよな」
「いえ、厨房にはちゃんとチェックに行きましたが?」
「ほんと、疑って悪かっ――――はああああ!?」
え!?
何してんのお前!?
冗談抜きでホントに厨房へ突撃しちゃったの!?
「ちょっ! 冗談じゃなかったのかよ!? っていうか、いつそんなことを……!?」
「こちらに到着してすぐにですが?」
はあ!?
宿に到着してすぐに厨房へ入り込んで、人様の職場をかき乱してたってのか!?
あ……、もしかして浜辺へ来るのが遅かった理由がそれか!?
「お前……、宿の迷惑を少しは考えてだな……」
「ご心配なく。ちゃんと仕込みのお手伝いもしっかりとやりましたし、フォルテイム家に代々伝わる秘伝のソースもお裾分けしましたので、逆にお礼を言われたくらいです」
おいおい、勝手に秘伝のソースとか外部に教えたらまずいんじゃねえの?
「現物だけですよ。レシピは公開していませんから。お渡しした量で数ヶ月分は使えるかもしれませんが、それ以降は料理人の皆さん次第です」
実際のソースそのものを味わって研究する分には構わないから、あとは宿の料理人たちでレシピを解明して見せろ、と?
っていうか人の心を読むんじゃねえ! ホントに俺のは見えていないんだろうな!? 最近その設定、かなり疑わしくなってきたんだが。
「ティアさんティアさん、そろそろアルメさんがこちらへ来る頃ではありませんか?」
いまいち納得しがたい表情を浮かべた俺をよそに、ラーラがティアへと話をふってくる。
そういえば、と思い出す。たしか露天風呂のためにアルメさんが来ることになっていたはずで、時間的にはそろそろというところだろう。食後のまったり感にひたっていた俺たちだったが、ラーラの言葉を引き金にしてそれぞれ腰を上げる。
実際、食後はゆっくりと露天風呂へ身をゆだねるつもりだったのだ。あまりのんびりしすぎて億劫となってしまう前に、動いてしまう方が良いだろう。
俺たちは思い思いに席を立つと、部屋で支度をととのえて湯殿へ足を向ける。
「ンー?」
カコーンと鹿威しの音が響きわたり、その物珍しさに我が家の希少種モンスターが首を傾げている。
ここは男湯。竹を割った柵で囲まれた露天風呂だ。
床には磨き上げられた拳大の石が平らに敷き詰められ、湯口のそばにはイス代わりとなる大きめの岩が置いてある。同じように大きな岩が湯船を囲むように配置され、大人三十人以上が足を伸ばせるであろうゆったりとした広さにたっぷりのお湯が満ちていた。
湯気で白く染まった視界の先、見上げれば満天の星が降り注ぐようにあふれ、柵の外から伸びてきている竹の枝葉が絶妙な風情を醸し出す。
そんな趣きをぶちこわしにするのは、反対側の柵を挟んだ向こう側からの声であった。
「ああ、なんという理不尽。どうしてルイは私のそばにいないんでしょうか? 忌々しきはやたらツルツルする植物を束ねたこの柵……。いっそ燃やしてしまった方が良いでしょうか?」
だれかあの魔女っ娘を黙らせろ。
せっかくゆっくりとお湯につかっている俺の眉間にシワがよる。そんな俺の表情に気がついたのか、ルイが心配そうに顔をのぞき込んできた。
この露天温泉は一般的な温泉がそうであるように男女別々に仕切られている。よって、俺と同行しているのはエンジ、クレスの男連中だ。
問題はこの正体不明の希少種モンスターである。年令不明なのはもちろん、性別も不明であることから、男女どちらの温泉に連れて行くかで少々もめた。――主に騒いだのは空色ツインテール娘だけだが。
この世界でも幼児であれば男湯だろうが女湯だろうが周りは気にしない。温泉や公衆浴場といった文化が日本人発案のものだからだろう。欧米からの転生者だったらそうはいかないだろうが、その場合はこんな露天風呂文化など興っていないと思う。執念ともいえるほどの風呂普及努力を貫き通したのは、きっと変態的な清潔感を持つ日本人だからこそであろう。
それはさておき、そういった慣習が根付いていることから、ルイの見た目であれば男湯女湯どちらに連れて入ってもおそらく問題は無い。
当然のごとくラーラは女湯へと連れ込むつもりだったようだが、当のルイが俺から離れようとしなかったため、仕方なく男湯へと連れてきたわけだ。「でしたら私もそちらへ」とか事も無げに言い放ち、そのまま男湯へ足を踏み入れようとしたあのちびっ子はそろそろ何とかした方が良いような気がするんだが、アンタどう思う?
まさかルイのためだけに本気で竹の柵を燃やしたりはしないと思うが……。……しないよな? いくらラーラでも自分たち女性陣が全裸で無防備になっているにも関わらず、男湯と隔てる柵を燃やしてまでルイに執着したりは……。あれ? なんだか普通にありそうな気がしてきた。
いやいや、さすがにアレでもちゃんとした成人女性だ。そこは分別というか、羞恥心というか、常識というか、持っているはず……だと思う。そう思いたい。きっとそうだ。そんな気がする。そうであって欲しい。そうじゃないかなあ?
考えれば考えるほど自信がなくなってくる俺の思考を中断させたのは、女湯から聞こえてくる叫び声だった。
「ちょっと! ラーラさん! ダメですよ!」
焦ったような声は窓の職員アルメさんだろう。
次の瞬間、男湯と女湯を仕切っている竹の柵が真っ白な霜に包まれた。周囲の温度が急激に低下し、湯船へつかっているにも関わらず身震いするほどの寒さに襲われる。
「助かりました、ティアさん」
「いいえ」
アルメさんの声に、短く答える銀髪チートアシスタントの声が続く。
推測するに、ラーラが炎の魔法を発動する直前、ティアが氷魔法でそれを押さえつけたのだろう。発動の早さでは学舎でも並ぶ者がいなかったラーラの魔法を、後から詠唱し始めて先に発動するとは……、相変わらず恐ろしいぶっ壊れ具合の少女である。
しかし大丈夫なんだろうか? 街中ではないとはいえ、こんなところで魔法ぶっ放したりしたら大事になっちまうんだが。
「兄ちゃん。これ、ちょっとまずくない?」
同じような心配をしたのだろう、長い金髪を濡らしたクレスが俺に近寄ってそう訊ねて来た。そのタイミングを見計らったかのように俺の端末がピロリーンと着信音を奏でる。
《大丈夫ですよ大家さん。いま露天風呂にいるのは私たちだけですから》
半分お湯につかった端末の画面に、黒を背景として白い文字が浮かび上がる。
日本人的感覚で言うと湯船に物を持ち込んでつけるというのはマナー違反なんだが、なんせこの個人端末というシロモノは身分証明や財布としての機能を持っている。普通は魔力の波形認証により他人が使用する事は出来ないため、あまり盗難の心配はする必要が無い。
だが魔力のない俺は話が別だ。魔力波形認証が出来ないため、セキュリティ機能はほとんど無いに等しい。そんなわけで肌身離さず持ち歩く必要があるのだ。
で、風呂場に持ち込むのは仕方ないにしても、さすがに湯船へつける必要など無いのだが……。
《大家さん、ずるい! 私だって露天風呂を堪能したいです!》
などとわけのわからないことを言い出した端末の中身に押し切られ、湯船へいっしょにつかっていたというわけだ。端末が完全防水で良かったよ、ホント。
ちなみにこの『端末の中身』であるローザは実体を持たない幽霊みたいなもので――というと怒るだろうが――周囲の気配を察知することに長けている。そのローザが言うのであれば、実際に露天風呂周辺で俺たち一行以外の人間はいないのだろう。
そんな事を考えていると、やがて竹の柵を覆っていた白い霜が湯気にさらされて溶け始める。きっとティアが魔力の供給を中断したのだろう。凍った部分はしばらく溶けるまで時間がかかるだろうが、季節が季節だけにすぐ元通りとなるはずだ。
「いや、ちょっとやめてくださいっ……!」
女湯の方からはラーラの弱々しい声が聞こえてくる。
なんだ?
ティアを怒らせてお仕置きでもくらっているのか?
「なあ、ローザ? ラーラのやつ、なんかお仕置きでもされているのか?」
《お仕置き……、なんですかねえ? あれって》
どういうことだ?
《もまれています》
「はい?」
《だからもまれているんです》
「誰が?」
《ラーラさんが》
「誰に?」
《ニナさんに》
「何を?」
《胸を》
「……なぜに? ちょっと状況説明を頼む」
《炎魔法を唱えたラーラさんにいち早く反応したのがティアさんでした。すぐさま氷壁で柵を守り、延焼を防ぎました》
「うん、そのへんはなんとなくわかった」
《次に動いたのがニナさんです。続けての魔法発動を防ぐため、ラーラさんを後ろから羽交い締めにしようとして――》
「しようとして?」
《手が滑ったのか、後ろから胸をわしづかみに》
…………。
《ビックリして小さく声を上げたラーラさんに気を良くしたニナさんが、そのまま両手でラーラさんの小さな胸をモミモミと……》
なにやっとんじゃ、あの妹は?
俺は片手で目を覆い隠して満天の夜空を仰ぐ。
「や、やめてくださいニナさん! あ……! ちょっと……!」
「にっしっし! 小ぶりながら張りの良いものをもっておるのおー。くるしゅうない! もめばきっと大きくなるぞなぁー!」
「いや、ちょっと! くすぐったいですニナさん!」
女湯から漏れ聞こえてくる声は、ラーラがもはや魔法でどうこうするどころの話ではないことを教えてくれる。
「あ、あの……ニナさん? そのへんでやめてあげたら……」
生き方は非常識でも考え方はいたって常識的な元奴隷少女が遠慮がちに制止しようとする。だがそれは失敗だ。ああ、パルノ。『飛んで火に入る夏の虫』っていう言葉を知っているか?
「にっしっし! そこに見ゆるはたわわに実った大ぶりのメロンと見た! いざ、勝負!」
「ひぇ! ややややや! ちょ……! もまないでくださいニナさん!」
今度はパルノがニナの毒牙にかかったらしい。
「なんとこれはすばらしい! プリップリでムッチムチだあ! 大きい! 大きいぞよ! 今年は大豊作じゃー!」
わけのわからない雄叫びをあげる残念な我が妹。本当にアレは俺の妹なんだろうか? 同じ両親から生まれた兄妹とはとても思えない今日この頃である。
となりを見れば額に指を立ててため息をつく我が常識的な弟がいた。
「姉ちゃん……」
お前も同じ思いか、クレス。
《あ、ターゲットが移ったようですよ》
「残る果実はあと四つ! いざ、尋常に勝負!」
続いて鳴り響くドンッという鈍い打撲音。そして大きな物体が水面を打ちつける音。
「いくら先生の妹さんでもお断りいたします」
セリフから考えるに、ニナがティアへ襲いかかって返り討ちにあったってところか?
静寂が訪れた露天風呂に、鹿威しの音が白々しく響く。
《なかなかやりますね、彼女……。あの一瞬でお湯を瞬時に凍らせ、拳大の氷で背後から一撃。しかも必要以上に周囲へ冷却効果を広げない制御の巧みさ。人間にしておくのは惜しいほどの腕前です》
ローザが一人で感心していた。
《ですが胸の大きさはまだまだ発展途上と言ったところでしょうか? 魔法の腕前と共にこれからの成長が楽しみですね》
「はあ?」
何を言っているんだ、こいつは?
《大きさだけなら翡翠色の髪をした方が群を抜いていますよ。次いでパルノさん。その次がティアさんとニナさんで同じくらいの大きさでしょうか? でもこの二人は今後の成長がまだまだ期待できます。ラーラさんは……、まあ……。大きさはともかく肌の張りで言うなら良い感じですね。そういう意味ではティアさんも張りは良さそうです》
いや、そんな詳細に解説してもらっても……。
《大きさは翡翠色の髪をした方。肌の張りはラーラさんとティアさん。将来性はティアさんとニナさん。総合評価ならやはり将来性も加味してティアさんといった感じですが、どう思います、大家さん?》
「俺にふるな!」
《あ、ちなみに大きさについてはティアさんもちょっと思うところがあるようですね。翡翠色の髪をした方が湯船に浮かべた胸を見て『私だってもう少しすれば……』なんてつぶやいています。ふふふ、可愛らしいこと》
誰もそんな事、訊いてねえ!
広いお風呂でゆったりとリラックスするつもりが逆に疲れるハメになってしまった。『俺の端末に棲みついている霊がとんだセクハラオヤジだった件について』とかスレ立てしたい気分でさっさと風呂をでることにした俺の気持ち、アンタならわかってくれるよな?
2016/05/22 誤字修正 始めて → 初めて
2016/05/22 誤字修正 起こって → 興って
2016/05/22 表記変更 ちょっとした騒ぎになった → 少々もめた
2019/09/07 誤字修正 給士 → 給仕