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その日、レイラが工房へ着くなり、マルタは開口一番言った。
「出ますよ」
「はい?」
「足りないものがあります」
「何が」
「色々です」
雑すぎる説明に眉をひそめる間もなく、マルタは作業台の上の紙へ必要品を書きつけていく。
魔鉱石用の細目研磨粉。
細工銀線。
冷却液用の薬草。
透明留め具の芯材。
魔鉱石削り用の小刀。
「思ったより消耗が激しいんです。あなたの足、妙に癖があるので」
「僕のせいみたいに言いますね」
「半分はそうです」
「失礼な」
マルタはさっさと上着を羽織る。
「留守番されても困るので一緒に来てください」
「一緒に?」
「助手でしょう」
「承諾した覚えはありませんが」
「知りません」
レイラはマルタに半ば引きずられるように工房を出た。
春の町は人が多い。
荷車が通り、露店から焼いた砂糖の匂いが流れ、通りの端では子どもが追いかけっこをしている。
レイラは思わず目を細めた。
見慣れた町並みのはずなのに、今日は何だか違って見える。
いつもは夫人や使用人に急かされ、頼まれたものだけ買ってすぐ戻る。
立ち止まれば叱られるし、余計なところを見る暇もない。
けれどマルタはまるで急がない。
工具屋の前で足を止めて小刀を一本一本見比べ、研磨粉の粒子を指で確かめ、店主と値段のことで真顔で言い合っている。
「高いです」
「高くねえよ、専用品だぞ」
「先月より銅貨二枚高い」
「よく覚えてるな」
「職人ですので」
「マルタちゃんの口癖だろ、それ」
思わず口元が緩む。
工具屋の親父がレイラを見てにやりと笑った。
「何だマルタちゃん、今日は助手付きか」
「勝手についてきただけです」
「攫ってきたんじゃなくてか?」
「連れてきました」
「がはは、正直だな」
親父の豪快な笑い声に、レイまでつられて笑う。
次の薬草屋でも、店のおばさんが「まあ可愛い助手さん」と勝手に菓子を一つ握らせてきた。
「どうしよう」
「食べてください」
マルタから無表情で差し出される小さな焼き菓子。
「子ども扱いですか」
「顔が欲しそうでした」
「そんな顔してない」
「してました」
押し問答の末に受け取る。
一口齧ると、蜂蜜の甘さが広がった。
「……美味しい」
「でしょうね」
なぜかマルタが少し得意そうで腹が立つ。
なおも通りを歩きながら、レイラはきょろきょろと周囲を見る。
市場の一角、色硝子を並べた店先が目に入った。いつも荷物を抱えて通り過ぎるだけの場所だ。陽に透けて、青や赤や金の小瓶がきらきら光っている。
レイラの足が、ほんの少し止まる。
マルタが振り返った。
「どうしました」
「……いや」
言いかけてやめる。
別に用があるわけじゃない。
ただ、昔から少し気になっていた。
中はどんなふうになっているのか、売っているものをゆっくり見たら綺麗だろうなと。
そんなことを口にする年でも立場でもない。
レイラは首を振ろうとして─
「……あそこ、いつも前を通るだけなんです」
ぽろりと零れた。
自分でも驚くほど素直な声だった。
「中、少し気になって」
しまった、と思う。
こんなの、子どものわがままだ。
だがマルタは特に笑いもせず、当たり前のように店先を見た。
「硝子細工屋ですね」
「……ええ」
「寄ります?」
「え」
「時間はまだあります」
拍子抜けするほどあっさり言われて、レイラは目を瞬いた。
「いいんですか」
「助手が使い物にならなくなると困るので」
「言い方…」
「行くんですか、行かないんですか」
急かされて、レイは慌ててその後を追う。
店の中は外から見たよりずっと広く、棚いっぱいに色硝子の器や小鳥の置物、小瓶が並んでいた。
陽射しが差し込むたびに、壁へ淡い色が揺れる。
「……すごい」
思わず漏れる。
こんなふうにゆっくり物を見るのはいつぶりだろう。
レイラは棚へ顔を寄せ、小さな硝子の靴の置物を見つけて思わず笑った。
「見てください、これ。まさにあなたの─」
振り向く。
マルタは数歩後ろで、じっとこちらを見ていた。
「……何か?」
「いえ」
硝子越しの光を浴びて笑うレイラの横顔に、マルタは息を呑んでいた。こんなふうに笑うのか、と場違いな感想が浮かぶ。
屋敷で見る無表情とも、工房での仏頂面とも違う。
子どものように目を輝かせる顔。
─連れ出してよかった。
思った瞬間、自分でぎょっとする。
何を考えている、ただの客だ。舞踏会用の靴を作っているだけの。
なのにこのまま、もう少しだけ帰り道が長ければいいと思ってしまった。
少し考えて、マルタは口を開いた。
「ちゃんと笑うんですね」
「え?」
「屋敷ではそんな顔しないでしょう」
「……無理言わないでください」
思わずでたといった苦笑いも目新しく。
店を出たあともしばらく、マルタは胸のあたりがそわそわした。
ただ買い物に連れ出しただけのはずなのに。
なのに今日の町は、いつもより少し明るく見える。




