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《久良木様》  作者: 天月瞳


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4/7

依代

「あの面は、一体……?」


稽古に励む村人たちが被っている面を指差し、私は好奇心に駆られて尋ねた。


「あれは、神様の『依代』ですよ」

村長は穏やかな表情で答えた。


依代――神が降臨するための媒介。

つまり、あのどす黒い面は、神そのものとみなされているのだ。


「ちょうどいい、成田さんにも一つ差し上げましょう。明日の大祭には、ぜひこれを持って参加してください」


私は一瞬、呆気に取られた。

研究資料としての価値は言うまでもなく、持ち帰ってコレクションにするにしても、これほど珍しい品はない。


「……では、お言葉に甘えて」


「さあ、こちらへ」


村長から手渡されたのは、一枚の面と神楽鈴だった。


私は手元の品をまじまじと観察した。

神楽鈴の構造は、一般的に見られるものと大差ない。木製の柄に、青・黄・赤・白・黒の五色の布が結ばれ、その上には三段の十字架に十五個の鈴が吊るされている。


軽く振ってみた。


シャラン……。


鈍く、重苦しい響きだ。

およそ鈴の音とは思えないほど、清涼感に欠けている。


私は無意識に眉をひそめた。




次に面を見る。

それは深褐色、あるいは黒に近い色をしていた。

表面は滑らかに磨き上げられているが、どこか不気味さを感じさせる、濁った光沢を放っている。


鼻を突く、刺すような苦味。

桐油の匂いだ。だが、あまりにも濃すぎる。


指を伸ばし、面に触れてみた。


想像以上に柔らかい。


指先に力を込めると、表面がごく僅かに沈み込み、そしてゆっくりと押し戻されるような弾力があった。

それはまるで……まだ「生きている」ものに触れているような感触。


私は反射的に手を引いた。


「そういえば、小森から聞きましたよ。村の記録を調べたいとか」


村長が思い出したように口を開いた。


「ええ、もし差し支えなければ」


「もちろんです。成田さんは、我々の村では珍しい来客ですから」

深い皺の刻まれた村長の顔に、意味深な笑みが浮かぶ。

彼は手招きした。


「こちらへ」


その時、小森さんが声を上げた。


「私は宿へ戻りますね。準備の続きがありますから」


「ありがとう。今日は助かりました」


私が会釈をすると、彼女も小さく頷き、参道の向こうへと消えていった。

その背中が見えなくなるのを見届けてから、私は村長の後を追った。

案内されたのは、村の中で最も巨大な建築物だった。


「ここです」


彼が扉を開けた瞬間、濃いカビ臭が押し寄せ、思わず咳き込んだ。


「見苦しくて失礼。ここは滅多に使いませんのでな」


室内は薄暗く、小さな窓から差し込む光だけが頼りだった。

壁際を埋め尽くす木製の書架には、黄ばんだ書物が山積みにされている。床には防湿用の木箱がいくつか置かれていた。

埃は無造作に積もっているのではなく、長い間、何者にも乱されなかったかのように、すべての物を均一に覆っている。


まるで、この空間が久しく「生きた人間」に使われていなかったかのように。


部屋の隅、光の入る窓辺に木製の机があった。


「ここにある資料は自由に見て構わん。何かあれば聞きなさい」


「では、まずは村の記録から拝見します」


「左の列にあるはずだ」


「感謝します」


私はリュックを下ろし、白い綿の手袋をはめた。

三脚とカメラをセットし、書架へ向かった。



書物は和紙で綴じられ、乾燥して端が丸まっている。

少しの不注意で粉々に砕けてしまいそうだ。私は細心の注意を払って、ページを捲った。


最初の一冊は、村の歴史を記した『村誌』だった。


私は迷わず、昭和初期の項を開いた。

目的は、久良木村の大火に関する記載を探すことだ。


だが、読み進めるうちに私は自分の目を疑った。

ある「真実」が浮かび上がってきたからだ。


こここそが、久良木村だ。

文献では、大火によって完全に滅びたとされる、あの村そのものなのだ。


私は指を止めた。


視線は紙面に釘付けになっているが、脳内は真っ白だった。


……あり得ない。


私は本能的に否定した。


彼らは確かに、目の前で生きている。

だとすれば、誤っているのは研究室の資料のほうだ。


私はすぐに村誌を閉じ、戸籍簿へと手を伸ばした。


一頁、また一頁。

出生、死亡、婚姻。

数字は平穏な推移を見せている。


だが、ある頁で指が止まった。


『百六十七名、死亡』


その頁は、びっしりと書き込まれた「死亡」の二文字で埋め尽くされていた。


私は喉の渇きを感じながら、さらに先を捲る。

続く数年間は空白。何も記されていない。


そして――。


何事もなかったかのように、記録は再開されていた。


私はその頁を凝視したまま、動けなかった。

数頁前に死亡したはずの名が、再び「出生欄」に記されている。


「村長……」


私の声は、自分でも驚くほど乾いていた。


「この村は、かつて大火に見舞われたのですか?」


入り口に佇む村長は、近づこうとはしなかった。

ただ、そこに立っていた。

私がその問いを発することを、最初から知っていたかのように。


「……確かに、あった」


彼の声は低く響いた。


「人も、確かに死にました」



一拍の間。


ゆっくりと、口角を吊り上げた。


「それでも、我らは存続する。永遠に」


断言だった。


まるで当然の摂理のような響き。




私は言葉を失う。


視線を落とし、資料を読むふりをする。

だが文字は、もう頭に入ってこない。



「……今日は、ここまでにします」


私は本を閉じ、立ち上がった。


「一度、資料を整理したいので。また日を改めて伺います」


「ええ、いつでも歓迎します」


村長は頷き、続けた。


「明日の大祭、ぜひご参加ください」


「……ええ」


平静を装い、私はその場を後にする。


敷居を跨いだ瞬間、ふと振り返った。


村長は微動だにせず、見送ることもなく、ただ静かに私を見つめていた。



小森さんが先に宿へ戻っていてくれたのは幸いだった。


人目を避けるように村を出て、足早に道標まで戻る。



地面を見れば、私が来た時に残した足跡だけが続いている。

少し安心したが、同時に不気味だった。



村人たちは……外に一歩も出ないのか?


車に乗り込み、鍵を回す。

エンジンは快調に始動した。


計器を確認する。


異常なし。


ほとんど無意識のまま、ハンドルを切る。


車体の向きを、来た方向へ。


出口へ向ける。


まだ起きてもいない「何か」に備えるように。

だが、ハンドルを握る指先は、白くなるほどに力んでいた。


どうか、

すべてが、杞憂であってほしい。


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