31.気になる帰国(後編)
新しい年がやってくる。この休暇、アイリーンは自室にこもって絵を描いていた。とにかく部屋から出てこない。それを不安に思ったライオネルがアイリーンに尋ねると。
「課題があるので」
と答えた。ここで、アイリーンは何の課題かはあえて言っていない。
そして、プーランジェの学院には、休暇中の課題は無い。だから、アスカリッドの勉強が難しいのだろうか、とライオネルは考える。難しいのではなく、単純に言葉の壁のせいかもしれない、とも思っていた。
不安になって義父に尋ねると。
「ライには言ってなかったかな。リーンはね、アスカリッドの作家と共同で本を出版するらしいんだ。契約の話とかがあるから、詳しいことは言えないけれど」
つまり、アイリーンが言っていた課題とはその本の課題ということか。アスカリッドに行って、一体何をしているのか。
「義姉さん、少し休憩したらいかがですか?」
引きこもっているアイリーンを訪ねると、机の上だけでなく床にも紙が散らばっていた。床に落ちている紙を一枚拾うと、見たことの無い風景の絵が描かれていた。
「義姉さん」
声をかけると、アイリーンはくるりと振り返って、笑顔を向けてくれる。
「ああ、ライ。どうしたの?」
「少し、休憩したらいかがですか? 義母様が、美味しいお菓子があると言っていました」
「ありがとう」
そうやって言うときは、いつも笑顔だ。アイリーンはゆっくりと立ち上がる。
「義姉さん、これ」
ライオネルは手にしていた一枚の絵を差し出した。
「これは、アスカリッドですか?」
「そう。アスカリッドの学院の前にある噴水よ。友達と待ち合わせするときは、いつもここなの」
「友達、できたんですか?」
「ちょっと、何? 私には友達ができない、みたいな言い方は」
両手を腰に当て、ぷーっと頬を膨らませる。
「いえ。安心したんです。プーランジェからアスカリッドの留学だなんて、制度はあっても利用した人は少ないじゃないですか。あちらの国で義姉さんが受けいれてもらえるのかどうか、ちょっと不安だったので」
「あら。ご心配ありがとう」
言い、アイリーンは右手を差し出した。絵を渡して欲しい、ということのようだ。ライオネルは手にしていた絵をアイリーンの右手にのせた。だが、その絵を放さない。
「義姉さん。義父さまからアスカリッドで本を出版するという話を聞きました。それがこの絵と関係するのですか?」
鋭い義弟だ。
「昔から、義姉さんは絵を描くのが好きでしたよね」
「ええ。本のイメージの絵を描くことになったの」
「では、楽しみにしていますね」
そこでライオネルは絵を放した。だが、アイリーンの心の中は汗がダラダラと流れている。今はカラーで背景画の練習をしていたが、ここに人物を描いたとしたら。
多分、ライオネルには見せられない。そして、どんな本であるかも口にはできない。
ええ、とは返事をせず、笑顔で誤魔化した。
「義姉さん、下で義母さまが待っています」
ライオネルはアイリーンの左腕を掴んだ。思ったよりも力強く掴まれたため、アイリーンは驚いた。
「どうかしましたか?」
「いいえ」
そこでアイリーンは笑みを浮かべた。ライオネルはこの義姉の笑顔が好きだった。初めてこの家に来た時も、こうやって笑顔で迎え入れてくれたことを思い出す。
「やっと来たのね。もう待ちくたびれてしまったわ」
母親はすでにお茶を飲んでいた。
「お母様、お待たせしてしまってすいません」
「リーン、勉強熱心なのはいいけれど。適度にお休みしないとダメよ」
「はい」
返事をして母親の隣に座る。そして、その隣にライオネル。
「リーン。あなたが好きそうなお菓子を準備しておいたわ」
母親の口の両端が上がっている。笑みとは違うその表情は、アイリーンを心配していることがよくわかる。
「お母様、大好きです」
「ちょっとリーン。急にどうしたの?」
「本当に、どうしたんでしょう。帰ってきたら、安心してしまいました」
「やはり、向こうは大変なのではないの?」
母親は心配そうに言葉をかけた。
「はい。大変といえば大変ですが。モイラもいてくれますし。何よりも、友達ができました」
「まあ、友達ができたのね? よかったわ」
「お母様も私に友達ができないと思っていましたか?」
隣のライオネルを視線の端に捉えた後、母親を見る。
「いいえ。そうではないわ。心配をしていたのよ、心配よ。ね?」
最後のね、はライオネルに向けて。それに彼も頷く。
「でも、こちらにいたとしても心配の種は尽きなかったわよ。ね?」
母親は左手を頬に添えて、首を傾けた。そして、最後のね、はライオネルに向けて言っている。
「そうですね。ディミトリー殿下の婚約者候補でいろいろ揉めているらしいですからね」
ライオネルはカップに指をかけた。
「義姉さんの友達のカーナ嬢も大変だったと思いますよ」
「ええ、その話は聞いたわ。それで、ジェリアン様との婚約っていう話になっているのでしょう?」
「はい。こちらの学院はその話でもちきりですよ。そこに義姉さんがいたかと思うと、ちょっと居たたまれないですね」
そしてカップを口に運んだ。
「そういう意味では、アスカリッドに行っていてよかったのかしら」
「まあ、義姉さんがディミトリー殿下の婚約者候補から逃げたいっていうのはバレバレでしたけどね」
「え? バレてた?」
ライオネルは頷く。アイリーンが母親に顔を向けると彼女も頷く。
「もしかして、お父様にもバレていたのかしら?」
「それは大丈夫よ。あの人は鈍いから」
母親は菓子に手を伸ばした。
「それに、あの人もディミトリー殿下との婚約は反対派だから」
「え、そうだったんですか?」
「だって、手元にリーンを置いておきたい人ですもの」
「だから、私を秘書に、とか言っているんですね?」
「あの人、そんなことを言っているの?」
「はい」
「あら、呆れた。それではリーンが結婚できないじゃない」
「義母さま。これからは女性が活躍する時代ですよ。義姉さんが秘書として仕事をすることを認めてくれる方と結婚すればいいのです」
「そんな奇特な人、いるのかしら」
母親の呟きにアイリーンは、多分いないと思う、と心の中で呟いた。ライオネルは目を三日月の形にしながら、アイリーンを見ている。これは同情されているのだろうか。
母親とおしゃべりをしたら、気分が晴れた。アスカリッドで学ぶことは多いけれど、寂しさというものもあった。ノエルやヘレンや友達が近くにいてくれたけれど、やはり異国の地に一人、というのは寂しい。時折、何とも言えない孤独に襲われる。そんなときは、大好きな本を読んで、本の世界に入り込む。そうやって寂しさを紛らわせていた。
「義姉さん」
自室に戻る途中、ライオネルに声をかけられた。
「僕もアスカリッドに留学したい、と言ったらどうしますか?」
質問の意図がわからなかった。
「どうもしないわ。だって、私はライではないもの。それを決めるのはあなた自身。なぜアスカリッドに留学したいのか、自分でよく考えないと。それに、あなたはこの公爵家を継ぐ身。私ではなく、きちんとお父様に相談するべきだと思う」
「すいません、質問の仕方を間違えました。僕がアスカリッドに留学したら、義姉さんは嬉しいですか?」
またまた質問の意図がわからなかった。だが、嬉しいか嬉しくないかの二択で考えたら。
「ええ、嬉しいと思う。ライがアスカリッドに興味を持ってくれて。留学してわかったけれど、まだまだプーランジェへのよくない気持ちっていうのは強いと思うのね。まあ、本当にごく一部の人だけれど。だから私は、アスカリッドとプーランジェがもっと身近に交流が持てるようになって欲しいと思っている。でも、私一人では限界があるから、ライが手伝ってくれたら、それはとっても心強い」
だが、ビーでエルの布教活動は自粛しなければならない。そうなったら、甘美という分野で布教させればいいや、とも思っているアイリーンはただでは起きないタイプ。
「でも、本気で留学を考えているのであれば、きちんとお父様に相談してね」
言いながら部屋へ姿を消すアイリーンを見送るライオネルは、そういう意味じゃないんだけどな、と聞こえないように呟いた。
いつも読んでくださりありがとうございます。
ブクマ・評価もありがとうございます。本当に嬉しいです。
そして、もう少し続きますので最後までお付き合いいただければ、と思います。





