22.気になる作家(後編)
「リーン、聞いてる? 聞いてた?」
隣のノエルに声をかけられ、アイリーンは我に返る。
「え、うん。なんとなく」
「ちょっと、一回、お茶を飲もうか」
ノエルからカップを渡されて、アイリーンは一口お茶を飲む。
「はい、深呼吸」
さらに深く息を吸って、吐く。
「落ち着いた?」
ノエルの言葉に、なんとか頷く。
「アディ、もう一度言ってあげて」
挙動が不審になっているアイリーンを心配そうに見つめていたアデライードはもう一度口を開いた。
「リーンちゃんに月雲シリーズの新装版の表紙を描いてもらえないかしら?」
心臓が口から飛び出そうなくらい、大きく音を立てている。なんと言ったらいいかわからず、口をパクパクとさせているのは、水槽の中でエサを求めている金魚のよう。
「急な話でびっくりしたでしょう? 月雲シリーズがね、おかげさまで売れて売れて。ただ増刷するよりは、表紙を変えようかっていう話が出ていて。表紙にタイトルだけじゃ味気ないでしょう? 案はいろいろ出ていたんだけれど。そのときに、アイリーンちゃんのロイドを見て一目ぼれ。自分で生み出したキャラなのに一目ぼれっていうのもおかしいけれど」
アデライードは笑っている。
「リーン、大丈夫? あなたが黙っているなら、これもアディに見せてしまうからね」
そう言ってノエルが取り出したのは、あの月雲のまとめ本。ノエルがプーランジェ語の勉強のために持ち歩いているコピー本。
「エル」
「あ、やっと喋った」
「ちょっと、それ何?」
アイリーンがコピー本を取り返すより先に、アデライードの長い腕が伸びてきて、その本をさっと手にした。
「それね。私のプーランジェ語の勉強本」
「そうは見えないけど?」
アデライードは笑いながら、コピー本をめくっていく。
アイリーンの心臓と脳みそはもたない。心臓は激しく鳴っていて、そのまま爆発するんじゃないかと思うし。脳内では、後悔と後悔と後悔が激しく戦っていた。
ページをめくっていくアデライードの表情からは笑みが消える。その彼をじっと見ているアイリーン。コチコチと時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
「リーンちゃん」
アデライードの低い声が響いた。
「あなた、これ」
「ごめんなさい、ごめんなさい。勝手に描いてごめんなさい」
アイリーンは顔を下に向ける。
「なんで、謝るの? これ、素晴らしいわ。今、私の中にアイデアが閃いた。せっかく新装版にするのであれば、キャラ紹介とかもいれたいわ。そのときにこうやって絵があるとわかりやすいわよね。それから、お話の途中に絵もあるといいかも」
それが挿絵です。とアイリーンは思うが、この世界の本は絵本以外絵が無いのが普通。
「リーンちゃん。月雲の新装版のために絵を描いてください。お願いします」
アデライードが頭を下げた。
「あの、アディ先生」
「アディって呼んで」
「でも、月雲のお話として受けるのであればアディ先生です」
アイリーンも負けていない。そして、アデライードは仕事の話をしている。
アデライードはやんわりと微笑んで言った。
「そうね。リーンちゃんの意見も尊重しないと。こちらは無理なお願いをしているわけだから」
ノエルは心配そうにアイリーンの顔を覗き込む。でもその心配は杞憂に終わる。アイリーンの目が力強く光っている。
「私でよければ、是非とも描かせてください」
「リーンちゃんが良いの」
「アディ先生。その変わりと言ってはなんですが。一つ、許可をいただきたいことがあるのです」
「いいわよ、言ってみて」
「あの。月雲シリーズで二次創作する許可をください」
「にじそうさく?」
アデライードが聞き返した。
「月雲を元にして、別なお話を創作することです」
「あ、もしかして、このノートの最後のお話のことかしら?」
頷く。
「ロイドとティム以外はね、カップリング作っていないから読者に自由に想像してもらいたいの。でもロイドとティムはダメよ。この物語の軸なんだから」
「はい」
「このノートの最後のお話ね。二人の日常よね。本当はこういう文章もいれたいんだけど、どうしても本編からずれてしまうのよね。そうか、そっかー。それに、この絵だけでお話が進むのもすごく面白いしわかりやすい。文章が読むのが苦手な人でも、これなら読めるんじゃないかなって思った」
ノエルに貸したノート。実は最後のページにアイリーンの二次創作的漫画が収録されている。
「やだー、どうしよう。リーンちゃんのこれを見たら、アイデアが広がるわー。とりあえず、リーンちゃんの言う『にじそうさく』はオッケーよ。ロイティさえ守ってくれれば。だけどね、もう一つお願い」
アデライードはそこで左手の人差し指を立てた。
「リーンちゃんが描いたものは、私にも見せて」
「えっと。二次創作は私個人で楽しもうと思っていたのですが」
「ダメよ。私に許可をとったんだから、私にも見せないと」
「え。私も読みたい」
ノエルが口を挟む。
「あら、私だって見たいわ」
そこで今まで黙っていたシエラも口を開く。
なんだろう。同人誌作りたいです、と許可をもとめたまでは良かったが。その後の同人誌まで晒す羽目になる流れになるとは。
「リーンちゃん。こんなに月雲シリーズを愛してくれてありがとう」
「私の方こそ、月雲を書いてくださってありがとうございます」
「ということで。早速で悪いんだけれど。新装版は発芽の月に一巻と二巻を出す予定だから、できれば雪の月までに絵を描いて見せてもらえると助かるわ。勉強の方もあるだろうから、無理なときは無理と言って」
「いえ。やるって自分で決めましたので、最後までやらせてください。幸いにも、学院は年末年始休暇に入りますので。その間に描かせていただきます」
「あとね。お約束なんだけど。私から頼まれて描いた絵は、他の人には見せないでね」
「え? 見られないの?」
不満顔のノエル。
「正式に採用になったら、本で見られるわよ」
「えー、待てないわ」
「では、エルには別な絵を描いてあげますから」
「やった」
「リーンちゃん。あんまりノエルちゃんを甘やかさなくていいからね」
アデライードは笑う。
「酷い、アディ。リーンを紹介したのは私なのに」
ノエルは笑う。
「本当に、アディとノエルちゃんに良い友達ができてよかったわ」
なぜかシエルが目尻に涙をためて喜んでいた。
「お母様、喜びすぎです」
「だってぇ。あなたには友達ができないんじゃないかって思っていたから」
「どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味よ」
シエラは頭を左側に倒して口角をあげた。これは、妖艶な笑みというやつではないか。
「私の方こそ、こんな素敵な出会いをありがとうございます」
二人の母娘喧嘩の仲裁のために、アイリーンが頭を下げた。
「そうそうアイリーンちゃん。あなた、アディのことが気にならないのかしら?」
シエラに問われ、アイリーンは視線をアディに向けた。
「何のことですか? 憧れの先生、という意味ではすごく気になっています。しかも、とても素敵な方で。アディ先生に微笑まれたら、みんな心を奪われますよ」
「お母様、リーンはこういう子です」
「そうなのね。イブちゃんが気になっているっていうのもわかる気がする」
今、ノエルにとって聞き捨てならない人物の名前が登場したような気がする。アイリーンに視線を移すと、彼女はアディと月雲の新装版に載せる絵について相談を始めていた。
アイリーンは何にでも一生懸命だ。アスカリッドに留学しているから、というのもあるだろうけど。学院の勉強はもちろん、文芸部もそう。ずるずるっと引き込まれて本人が望んだわけでもない生徒会の仕事も。そして今新しい仕事を始めようとしている。
大丈夫かなぁ、とノエルは少し心配になった。
いつも読んでくださりありがとうございます。
少しでも気に入っていただけると嬉しいです。
まだ続きます!!





