21.気になる作家(前編)
多分、その日はどうやって寮の部屋まで戻って来たのかを覚えていない。気付いたら部屋にいて、ぼーっとしているアイリーンのことをモイラが心配していた。ホームシックにでもかかったのか、と思ったらしいのだが。
「アディ先生が、アディ先生が」
と壊れたおもちゃのように呟いていたから、あっちの方で何かあったのだろうということを悟ってくれた。
「お嬢様。私はここにおりますから、まずは何があったのかを教えていただけませんか?」
モイラがアイリーンの手を握りしめると、彼女はコクッと頷いた。そして、ノエルから聞いた話をそのまま伝える。
「まぁ。とても素敵なお話ではありませんか」
モイラが言う。そしてアイリーンもモイラに伝えることで冷静さを取り戻すことができた。
「それよりも。アディ先生って男性の方だったんですね。てっきり、私は女性の方かと」
「そう言われると、そうね。あの柔らかい文章から女の人を想像していたけれど。アディ先生は男だったのかぁ」
「それで、アディ先生が男性と知って、アディ先生を嫌いになりましたか?」
「いいえ、全然。突然、何を言い出すのモイラ。私がアディ先生を嫌いになるわけがないじゃない」
「そうですよね。ですから、アディ先生にお会いになるのに、何も怖いことはないのです」
「怖い、というよりは恐れ多いのよ。だって、あの月雲のアディ先生よ?」
「でしたら。作品は作品、先生は先生。と分けて考えたらどうですか? きっと先生も月雲のファンと会いたいのではなく、お嬢様と会いたいと思っているはずですよ」
アディが何を思ってアイリーンと会いたいと言ってくれたかはわからないけれど。
「では、次のお休みはうんと可愛くしましょうね」
なぜかモイラが張り切っている。
「でも、パーティでは無いから、それなりでお願いね」
まかせてください、とモイラは自分の胸を叩いた。
そして緊張の休みの日。ノエルに告白されてから、今日までどのように過ごしていたのかをあまり覚えていない。ただ、テストが終わって周りも浮かれていたから、自分もその浮かれ生徒の一人になっていたのだろう、と思う。
待ち合わせはいつもの噴水の前。
「リーン」
ノエルがアイリーンの姿を見つけると、手を振ってくれた。
「お待たせしました」
「私も今来たところだから。それよりも、急なお願いでごめんね。叔父がね、早く連れてこいってうるさくて」
「アディ先生って、男性の方だったんですね」
「え。今更それを言う?」
と言ってノエルは笑った。つられてアイリーンも笑った。ちょっと緊張が、どこかに吹っ飛んだ。
「今日は叔父の家に行くんだけれど。実は、母も行っているの」
その、後出しじゃんけんのような告白をやめて欲しい。
「叔父がね、母に連絡したらしくて。そうしたら、母も久しぶりに私に会いたいらしく。そしてそれよりも、リーンに会いたいって」
「久しぶりって、ノエルは帰っていないのですか?」
「ええ。基本的にはずっと寮。向こうから呼ばれない限りは、私からは帰らないから」
そういうもん、なのだろうか。
「結局、私がこの学院に通って、寮で生活しているのも。未来の旦那様探しなのよ。貴族様との出会いの場っていったら、学院になるから」
「それで素敵な旦那様候補は見つかりましたか?」
「どうかしら。イブが近くにいる限り、無理だと思わない?」
そこでノエルが苦笑を浮かべていた。多分、ジョアキナのことを言っているのだろう、と思う。
どこかにいると思われる護衛に見守られながら、二人はアディの自宅へと向かう。だが徒歩ではなく、馬車で。これもノエルの方で準備していたらしい。
馬車に乗ると、この国へ初めて来た日のことを思い出す。あのときは、金色の田んぼが眩しかった。今はすっかり稲刈りも終わり、乾燥も終わり、その田んぼは乾いた土に覆われている。
「叔父はね、ちょっとはずれに住んでいるのよ」
王都の中心から東の方に向かっていたのは、その『はずれ』に向かっているのだろう。ゴトゴトという場所の揺れが心地よい。緊張して眠れなかったから、その揺れがアイリーンを夢の中へと誘う。
ノエルもそれに気付いてはいたが、あえて声はかけなかった。あれを伝えてからのアイリーンの緊張がわかったから。きっと、昨日は眠れなかったんだろうな、と思う。
「着いたわよ」
ノエルがそう言ったとき、アイリーンはすっかり夢の中だった。パッと顔を上げて、きょろきょろと周囲を見渡す仕草が可愛らしい。
「リーン。これは、現実よ」
ノエルが上品に微笑んでいる。
「エルちゃん、久しぶりね。いらっしゃい」
馬車を降りた彼女たちを迎え入れてくれたのは、ノエルの母親。
「お久しぶりです、お母様」
いつものノエルと違う感じがするのは何故だろう。これが、王女様の品格というやつか。
「あなたがアイリーンちゃんね。エルちゃんがいつもお世話になってます」
「はい、アイリーン・ボイドです」
アイリーンは背筋を伸ばしたまま、挨拶をする。
「ノエルの母、シエラです。アディがね、アディって弟なんだけど、そのアディが、アイリーンちゃんに会うのを楽しみにしているのよ」
シエラは上品に微笑む。
シエラの後ろをついて歩くアイリーンだが、あまりにも緊張してカチコチな歩き方になっていることにノエルは気付いている。それが可愛らしくて、ふふっと笑みが漏れてしまう。
「アディ、待ちに待ったお客様よ」
促された部屋に入ると、茶色の長い髪をお嬢様結びにしている長身の男が一人いた。アイリーンの目は彼の切れ長の目とあった。間違いなく彼がアディだ。アイリーンは感じた。彼は優しく笑みを浮かべて。
「あなたがアイリーンちゃんね。私がアディです。本名はアデライード・バルビエ。どうぞ、アディと呼んで」
「あ、はい。アイリーン・ボイドです。アディ先生にお会いできて光栄です」
「やだ。先生だなんて。気軽にアディと呼んでちょうだい」
「いえいえ、恐れ多いです」
「アディ。リーンはこういう子なの。私がアディのことをアディと呼んでいたら、アディ先生って呼んでって怒られたのよ」
「まあ」
とアデライードは大げさに驚き、笑う。
「嬉しいわ。でも、先生って呼ばれるとアイリーンちゃんとの距離を感じてしまうから、アディで良いわ。作家のアディではなくて、アデライードとして接して欲しい」
こんなイケメンにニッコリと笑われたら、頷くしかない。
「では、私のことはリーンとお呼びください」
アデライードが座るように言うので、彼と向かい合ってソファに座る。アイリーンの隣にノエル、ノエルの向かい側にはシエラ。つまり、アデライードとシエラが並んで座っているわけだが、なるほど姉弟というのも頷ける。
執事らしき人がお茶を淹れてくれ、そのお茶とお菓子を四人の前に並べてくれた。
「どうぞ、遠慮なく食べてちょうだいね。そして、リーンちゃん。今日は本当に来てくれてありがとう。あなたに会いたかったのは、これ」
これ、と言ってアデライードが手にしていたのは、文芸部の部誌。
「無理言って、カミラちゃんからもらってきたのよ。急に月雲の注文が入ったって聞いて。カミラちゃんのところでバカ売れし始めたみたいじゃない。どんな売り方したのかって聞いたら、これを教えてもらってね」
アデライードは部誌をパラパラと開く。
「この月雲の紹介ページ。よくまとまっているわね。そして、本当に読み込んでくれている。私が伝えたかったことが、ここに凝縮されているのよ」
作者であるアディから、こんなことを言われると恐縮してしまう。
「特にね、目を奪われたのがここ」
アデライードが指したのは、アイリーンが描いたロイドのイラスト。
「私の中で思い描いていたロイドが、ここにいたの。それでね」
そこでアデライードは首を傾けた。
「リーンちゃん。新装版の表紙を描いてみない?」
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