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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.8 Always returning
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94/130

第8章 第1話  Restoration◆

 土曜午後7時、代官山。

 スペースコロニーを思わせる内装の創作宇宙食 フライバイ。

 ビルの中央部分が吹き抜けとなっており、立体投影された星空が建物の内部を優雅に浮遊する雰囲気のよい人気のデートスポット。そこが二人のエリート官僚、女性構築士の待ち合わせの場所だった。


 一人はきづき 実樹みき。27管区仮想世界では乙種二級構築士のモフコとして勤務している。

 今日はフォーマルなピンクゴールドのシフォンワンピースに、髪型はナチュラルなミディアムボブ、目元はゴールドのラメで華やかかつ甘めのスタイルでかわいらしい大人の女性を演出している。


 対面に坐しているのは、実樹の職場の同僚で、池上 エリカ。

 彼女は27管区の第三区画担当、乙種構築士 水埜みずのとしての任を解かれ、日本アガルタ第24区画への異動が決まっていた。こちらの装いはオレンジカラーのストレートロングの髪を美しくまとめ、デコルテの大きくあいたタイトなウエストラインのはっきりした黒の発光シースルー・チュール。普段の無防備でカジュアルな彼女とは違い、プライベートでは大人の色香を武装しているかのようだ。

 彼女は24管区で再び悪役を演じ次は順調にいけば甲種構築士へ昇進。

 既定の出世コースに乗って、構築士としてもベテランの域に達しつつある。


「こうして、実樹と遊ぶのも久しぶりだね。半年ぶりだっけ」


 小粋なデザインの、デフォルメされた宇宙空間。深宇宙に迷い込んだかのようなハイセンスでロマンチックな内装にうっとりと見惚れながら、エリカ(水埜)は実樹モフコに親しげに話しかけた。


「そうだね、去年ぶりかな」


 以前は、同期だということでよく二人で遊んだり買い物にも行ったりしたものだ。疎遠になったのではないが


「エリカ彼氏とはどうなったの? ほら……太一君」

「タイチとはずっと同棲してるよ」


 エリカは自慢する様子もなくさらりと同棲の二文字を出した。これにショックを隠せないのがもう一人身歴一年になろうとする実樹である。


「うそぉ! まだ続いてたんだ……! チッ」

「何? 終わっててほしかったわけ?」

「ぶっちゃけそう。だって遊んでくれないんだもんエリカが」


 真顔でのたまう実樹に、エリカはハンカチを投げつける。


「何それ、酷過ぎ!」


 彼女らはしばし、行ったり来たりのとりとめのないガールズトークに花を咲かせていたが


「それでさ」


 料理がテーブルに運ばれてくる頃になると、おふざけはそこそこに、実樹は仕事の話に入った。


「エリカって次は24管区に入るんだっけ? あそこ非宗教管区だったよね」

「そうそう、宗教管区は規定も多いし面倒くさいから。新しいところは宗教色もなくて、性にあってるわ」


 日本アガルタは、第20管区~第25管区は非宗教管区である。つまり、主神のいない管区だ。

 それらはいわゆる宗教に頼らない自治共同体を形成していて、信教を持たない現代人の感覚に合っている。死後のリゾート感覚で利用しやすい。宗教がらみというと敬遠したくなるのが現代人というもの。そういう細かなニーズにも対応し、公共性を確保するというのが、開設以来宗教色一辺倒だった頃の批判と反省から生まれた最近のアガルタのトレンドだ。


「実験的試みとはいえ、オリジナル宗教管区も好きだけどな、私は。赤井さんと仕事してると、毎日楽しいよ」


 実樹は口を尖らせさりげなく赤井を擁護しておく。エリカは赤井のことを誤解している、と実樹は思うのだ。


「私の前で赤井さんの話はしないで。苦手なの」

「わかるよ、ごめん」


 余計なお世話、ほっといてと言わんばかりに拒絶するエリカに、実樹はばつが悪そうに肩をすくめる。


「そんな気を回すより実樹はいいの? いつまでも乙種構築士で」


 エリカは嫌味でそう言っているばかりではなく、実樹の出世を気遣っているようだった。


「いいよ。だって悪役やりたくないんだもん」


 仕事なのだから、やりたくない仕事もこなしてゆかなければ構築士として昇進も成長もできない。実樹もそれは重々承知のうえだ。それでも今の職場環境が快適すぎて、離れたくないのだ。


「そんなことでどうするのよ。やりたくないとか、子供じゃないんだから」


 まあそうなんだけどね、と実樹は舌を出す。前菜に続き、メインディッシュが小型のウェイターロボによって運ばれてきた。火星、月コロニーで食べられている、お箸でいただく高級宇宙食をモチーフとした創作料理。日本人の舌に合うよう趣向が凝らされている。味と風味のこだわりは勿論、暗闇でカラフルに発光したり、視覚にも楽しめる仕上がりとなっている。

 実樹はぱくりと頬張り、とろけるような顔をした。


「ところで、何か言いたいことがあるんじゃないの?」


 エリカは適当なところで、実樹が単刀直入に尋ねる。


「あ、うん……ひょっとまっふぇ」


 実樹は、一噛みごとに風味が変化するパンのようなものを口に詰め込み過ぎたところだった。

 実樹としても、折角おいしい料理で和気藹々とした雰囲気になったところで、エリカの気分を害したくないのだが。


「訊きたいのはね。どうしてメグの記憶を戻らないようにしちゃったかなって思って」

「ああ! あれね!」


 あっけらかんとした顔で、エリカは料理を口に運ぶ。


「赤井さんが嫌い……いや、苦手だからってメグも巻き込まなくていいんじゃないかな、って」


 実樹の言葉に、エリカは背筋を正してテーブルに箸をおき、しかめつらで同僚を見据えた。


「何か誤解してるみたいだけど、変な詮索するのはやめて。意趣返しはあれでおしまいだし、メグに不利益を与えることはしていないわ」

「え?」


 メグの記憶を消したことはどう落とし前をつけるつもりだ、実害ありまくりではないか。と罵りたい気持ちをひとまず抑える。

 実樹であれば例え相手にどんな私怨があったとしても、管区を離れるときには後腐れのないようにする。立つ鳥跡を濁さずだし、そうしなければ問題だ。

 何より今後、別の管区ででも仕事を続けるつもりがあるなら、なおさら職場の人間関係を悪くするのは馬鹿らしい。

 冷静に考えればそうに決まっているのに、今、日本アガルタで期待の新神として脚光を浴び、今後のアガルタの運営を左右するとも言われる赤井と敵対することは下策もいいところだ。そればかりか赤井に特段の過失は見受けられない以上、エリカが意趣返しを思いとどまるべきだったと実樹は思う。


「あの患者さんの、赤井さんにまつわる記憶は戻さない方がいいよ」


 エリカは断定し、真っ青な蛍光色のカクテルをあおった。スモークの出る毒々しいブルーのカクテルでオーロラ色に輝き、時折スパークを放ち軽やかな音を立てる。


「何でそんなアホな結論になるの? エリカちゃんってアホなの?」


 開き直りともとれるほど自信満々のエリカの一言に、実樹は呆れて目を剝いてしまった。


「だって、メグの病状は安定していたんだよ。赤井さんとの信頼関係のおかげで。メグが調子悪くなってしまったらどうするの?」


 そんなことも分からないのかと、かなり残念な気持ちになりつつ、実樹は懸命に、メグという一人の患者の状態を熱弁する。


「メグが現実世界に出たら、赤井さんは私に感謝してくれると思うな」


 それは、実樹の理解を越えたエリカの返答だった。エリカはある種物騒な微笑みを浮かべていた。


 実樹は振り返る。メグの疑似脳の中で、赤井の記憶が消されているとの報告は八雲PMには伝わっている。しかしエリカは、「もともと仮想世界の記憶は現実世界に出れば消えるものだ。メグの回復後に現実世界に出る直前に赤井のことを忘れたとして何の問題があるのか」と言い返したし、八雲PMからも処分はなかった。何故八雲PMがそれを呑んだのか、世界初、仮想世界から現実世界に帰還するという患者に対して、メンタル面での侵襲が高すぎるというのに。


仮想死後世界アガルタの記憶は夢の世界のようなもので、現実世界に出れば薄らいでゆくと言われている。言われている……というのは重症患者が外に出たことがないからどうなるか分からない、ということだ。

 メグは帰還第一号患者となり、彼女が自身の記憶をもって成果を実証してゆく。

 今は大事な段階、注意しすぎてしすぎることはない。なのに――


「私がメグにしたのは、消去じゃないの」

「は? 何したの!?」


 そんなの、アガルタ世界であっても許されるわけがない。実樹は表情を一変させた。

 エリカが悪役という仕事にかこつけてメグに見えない危害を加えていたというなら、親友といえど許せない。そんな心境の実樹を適切な説明もなく突き放すエリカは、ドSだった。


「消去なんてできるわけないじゃない。疑似脳上で特定の記憶に保護をかけて、アクセスできないようにしたの。それに、もともと彼女の記憶にはプロテクトがかかっていて、構築士が易々といじれないようになっていたのよ。それは誰がやったのか知らないけど。その状態から改変してプロテクトを局所型にしたわけ」


 文句ある? とエリカは俯き加減に肉を口に運んだ。そしてプロテクトをかけたのはエトワールの仕業なのだが、二人がそれを知る由もなく。


「え……何でそんなこと……」


 実樹の声がトーンダウンしてゆく。


「疑似脳の構成とそれまでの記憶の刺激は、帰還する際に生脳にフィードバックされるでしょ?」


 アガルタから帰還する際には、その時点での疑似脳の状態が生脳に反映されることになっている。


「あの記憶領域は保護されたまま、メグは現世に出てくる。そして時が経って疑似脳の構成が変わればプロテクトも自然に外れる。その時は鮮明に思い出すでしょうね」


「仮想世界の赤い神様と、素民の物語を」


 エリカは楽しそうに囀った。


「赤井さんが仮想世界から出てくる頃には、どんなに遅くてもプロテクトは融けているだろうね」

「エリカ……最高! いい人すぎ!」


 思わず実樹はそう言ってしまった。赤井に意趣返しをしたいと思っているのは間違いないが、それでもエリカの選択はメグを不幸にはしないだろう。


「飲もう飲もう!」


 言うが早いか、景気よく実樹は卓上のパネルを操作してシャンパンをオーダーする。気をよくした実樹はエリカに気前よく奢るつもりのようだ。しかしモノが運ばれてきて二人が口をつけた後、エリカは不穏な一言を呟いた。


「私は別に、赤井さんに対してはいいことをした覚えはないんだけど?」

「え?」


 実樹は、宇宙船を模したデザートをフォークで一心不乱に崩していたところだった。その手が止まった。


「私、見てみたいのよ!」 

「な、何をデスカ?」


 エリカが急に芝居がかった口調になるものだから、実樹はぎくりと肩をすくめた。


「現実世界に出た彼女は、人間だった頃の赤井さんを好きだったし、赤い神様のことも大好きなわけでしょう? 一体どっちを選ぶのかなぁって……ねぇ」


 だって、ひょっとすると赤い神様に会いたくなってメグが27管区に戻りたくなってしまうかもしれないじゃない? 赤井さんが折角外に出てきて、メグがいなかった時の顔を想像すると楽しくてね……と、いかにもヒールな笑いを浮かべている。ああ、板についているなあ、天職だね! と実樹は感心する。


「エリカ最低っ! ひどすぎ! 鬼―!」


 実樹は冗談であってほしいが、恐らくエリカの本心なのだろう。そしてこうやって感情的に罵られることも、エリカは嫌いではないのだ。


「ふふ、いいじゃん。どっちも赤井さんなんだしさ。でも面白いでしょ?」

「面白くないよー! 性格悪いよー! ムキー!」


 どちらを選んだとしても、メグは彼を裏切ることになる。

 エリカはメグの心変わりが見たいのだ。


「エリカはだいたい、そんなことだから……」

「仕事もプライベートも中途半端の実樹に言われたくないわ」

「ムッキャー!」


 最早キャットファイト秒読みか、と客が心配していたところ、

 実樹の説教を受け流しながら、しばし頬杖をつきながら窓の外を眺めていたエリカ。彼女は計画降水の霧雨の中、足早に表通りを横切る一人の外国人男性を目で追っていた。好みの男性というのではない。車の陰に見え隠れしていたが、構築士である彼女の動体視力と情報処理能力は仮想世界で勤務するうちに鋭敏化され、その正体を捉えていた。


「あれってジェレミーさんだよね? 見間違いかな。仕事休んでどこいくんだろ」

「えっ!? 見間違いじゃなくて!?」


 大柄の彼は現実世界でもよく目立つ。それを聞いた実樹はシャンパンを吹き出しそうになり、早くも腰を浮かせていた。


「エリカちゃん、ごめんけど私いくね!」


 卓上のリーダーにモバイルを通すと、自動的に会計されるシステムだ。今日は中座のお詫びに実樹の奢りということらしい。


「ごちそうさま、美味しかったよ。実樹は追っかけるの?」


 実樹は振り向きもせず駆け出した。


「追いかけるに決まってるじゃん!」

「しょうがないなぁ。私も付き合うよ」


 二人は顔を見合わせて頷くと、バタバタと音を立てて店を出た。あまり慌てたものだから、実樹が食器の給仕をするウェイターロボットとぶつかった。


「ごめんっ!」


「問題ありませんお客様、またのお越しを」


 尻餅をつきながら、ウェイターロボットはぽかんとしていた。


 午後8時45分。

 ジェレミー・シャンクスは鶯谷町方面に向かっていた。


「ジェレミーさん待って!」


 声をかけられるなり、彼は振り向きもせず走り出した。実樹とエリカはヒールのある靴を履いていたが、構わず追った。人ごみをすり抜け、横断歩道を突っ切り、店舗の中を駆け巡り、とうとう彼を追い詰めた。


「逃がさないって!」


 彼は彼女らの顔を見た途端、大きな溜息をついた。


「なんだ、君たちだったのか。名乗れよ」

「今まで一体何してたの……仕事しようよ、皆待ってるよ。赤井さんだって……」


 実樹は彼の袖を掴んで説得に入らんばかりだ。しかし彼はそれを軽く受け流して


“Hey, you. Would you cart me off to the office?”

(君たち。私をこのまま連行してくれないかね)


 彼は両手を挙げ、二人に会えたのは僥倖だという表情を隠そうともせず、そんな依頼をもちかけてきた。彼は最後に見た時より、やつれた様子だった。


「なんで?」

“I need some reason to return.”

(復帰するには、理由が必要なんだ)


「だから、どういうこと?」


 もってまわった言い方に辟易した実樹は、結論を急ぐ。


”I’m all set.”

(準備は全て整ったんだよ)


 彼は顔だけキメているのだが、実樹からすると仕事を休んで何を格好つけているの! と襟首を掴みたい気分だ。


「もー何いってんのか全然わかんない!」

「まあでも、お望みなら連れてけばいいんじゃないの」


 とりあえず彼の両脇から腕を掴み、同僚をしょっぴく事に決めた女構築士二人だった。


***Heavens Constructor 第8章***


挿絵(By みてみん)



 その日、彼らは朝からずっと待っていた。

 第五区画カラバシュ群島の一般素民は浜辺に集まり、伝説の真贋を確かめるべく北東の海を眺めていた。

 見守る方向にはこれまで漂流浮島カラバシュからは一度たりとも見えたことのなかった大陸が、その存在を主張していた。

 

「そろそろだ……」


 すっかり帰り支度を済ませたロイは、彼が島に来て最初に出会った住民である、今はなきヘチマ国のマリと少年ピケと共に立ち上がった。おもむろに空中に手をかざす。


【基点区画 ⇔ 第五区画間 全同期行程完了】


 創造の光板には区画同期の進捗情報が表示されている。カラバシュの存在する時空がたった今、赤い神のいる大陸と繋がったようだ。カラバシュ群島は第五区画解放後、速い潮流に流されはじめているので、沖合に舟を出すのは危険との判断。迎えに行くのでカラバシュで待つよう、基点区画にいる赤井から指示を受けた。


 陽が高くなって、波もまた高くなってきた。蜃気楼の向こうから、海の彼方に大きな影が現れはじめた。


「主人が生きていたら、何と言うでしょう……見せてあげたかった」


 その影の正体を見定めたマリは、惨殺された夫を偲び、悔しそうに漏らした。

 マリの夫は”赤の神”を祀る神官の末裔だった。彼は神官としてその存在すらも疑われる”赤の神”への祈祷や儀式を繰り返してはいたものの、民間伝承のようなものだと割り切って仕えていたらしい。


 期待と不安の入り混じる彼らの見守る中、浜辺に白波が打ち寄せはじめた。

 風が吹き、砂を舞い散らせる。

 巨神が忽然と現れ、その姿を見せた。

 海中を悠然とカラバシュ群島の方向へとわたってくる。


「でっ、かい……!」

「逃げろ! 踏み潰されるぞ!」


 待ち受ける人々はその威容にどよめき、混乱に陥り、慄然とした。彼らのうちいくらかは赤の神の神体を手に入れてやろうと意気込んでいたが、前言撤回とばかり逃げの姿勢に入っている。


「なあ! あんちゃん、逃げなくていいのか?」


 ピケ少年が涙目になりながら、ロイに訊ねた。


「怖がらなくていい」


 ロイは落ち着いていた。

 赤井は予めロイに、少し姿が変わっていると伝えていたからだ。確かに、ロイが遠目に見てもその変容は一目瞭然だった。神体は実体ではないのだ、という認識をロイは新たにした。

 赤い神は、汀線を踏みしめて一歩ずつ近づいてゆく。


『ロイさん!』


 赤井はロイに、以前と変わらず呼びかけてきた。声量を抑えているのがロイには見てとれるが、それでも神の声は空気を震わせるものだった。


「勝手な事をしてしまい、申し訳の言葉もありません。あなたを裏切って……」


 岩礁に頭を打ちつけんばかりの勢いで身を投げ出し四つん這いになると、ロイは思いのたけを乗せて頭を下げた。馬鹿正直、彼なりの誠意のあらわれである。


『裏切られてなどいません。あなたは私との約束を守りました』


 赤い神は、怒った様子もなくそう言った。ロイは、彼の言葉を正確に把握している。


「はい……ご命令の通り、俺は生きています」

『なら、それで十分でしょう』


 赤い神がロイに初めて命じた、ただ一つのこと。それは赤い神が迎えに行くまで、カラバシュの地を生き抜く事。たったそれだけ。しかし赤い神の庇護のない世界で生きることがいかに難しいかを、ロイは身を以て知った。


「もうやめなよ、辛気臭いじゃん!」


 誰かが茶化す声が聞こえる。ロイが顔を上げると、赤井の頭や肩にはモンジャ民が鈴なりに乗っていた。逆光で気付かなかったが、全員ロイの帰りを待ちわびて、赤井に乗ってきたモンジャ代表の面々だ。


「もういいじゃん」


 声をかけたのはヒノだった。


「ローイー! ロイー! 元気にしてたー?!」


 彼の肩には、メグもナズも乗って手を振っていた。元気にしてたわけないだろ、一人で生きてたのが奇跡なんだから、と他の誰かが言った。


『ああ待って皆さん。はい、どうぞ』


 赤井は飛びだしてゆこうとする彼らを両手の掌に掬って、カラバシュの地にそっと降ろした。わらわらと、彼らは砂浜に飛び降りてロイの周りを取り巻いた。赤井はそれを、楽しく微笑ましそうに見ていた。海中に、正座で。


「メグ、ナズ……皆も」


 モンジャを飛びだした日からそれほど時間が経っている感覚がないのに、ロイは彼らと随分会ってないように気まずかった。よく見ると少しずつ、彼らの雰囲気が変わっている。ロイのいた時空ではさして時間が経過していないが、彼らの時は加速されて、もう二年近くの年月が過ぎているのだ。離れて過ごした年月の重みをロイは味わい、それゆえ再会の喜びを噛みしめた。


「帰ろう、ロイ。皆、待ってたんだよ」


 ロイに呼びかけた見慣れぬ青年。よく見ればナズだった。

 彼は最後に見た日から一回りもふた回りも逞しく成長し、表情もより理知的で大人びて見えた。

 体格はやや華奢ながら、ロイはもう彼を年下のように見ることはできない。ナズは誰からみても立派な大人になった。ロイはそれが嬉しかった。


「ほんとだよ、ロイ」


 艶やかな黒髪を三つ編みで結い、ロイの知らない異国の服装に身を包みそう言ったメグは、外見こそさほど変わっていないが、その表情からは明らかな成熟が窺えた。彼女は優しく手を差出し、ロイの手を外側から包み込むようにして強く握りしめていた。


「よかった……」


 彼女は涙をこらえているようだった。少ししんみりとしたところで、彼らを取り囲み、わらわら集まってきたモンジャ民たちも加わる。


「ロイお前何やってんだ。勝手に出ていって。心配したんだぞ」

「変わってないな、お前」

「何にしても、よかったよね」


 口ぐちに彼に話しかけるモンジャ民の誰しもに、安堵の色が見えた。


「お前に訊きたいことがたくさんあるんだぞ。お前しか知らなかった集落のこととか」

「かみさまも知らなかったこととか、困ったんだよ。どうしてくれるんだよ」

「わるかった」


 モンジャ集落の長としてのロイ・フォレスタは誰もが認めるほどの優秀な青年で、彼に任せておけば万事うまくいった。しかしモンジャ民は彼の有能さ、賢さ、強さのみを慕っていたのではない。

 はじまりの民であるロイはモンジャ集落に住まう民全員に家族のように接してきた。彼らを命がけで守ってきたし私利私欲なく誰に対しても公正に接した。

 だから彼が不在の間、代わりのリーダーはモンジャには現れなかった。誰もがロイの帰りを信じて待っていたのだ。


 カラバシュ島民が徐々に、モンジャ民の反応を見て遠巻きながら、一歩ずつ近づいてきた。

 とはいえ、赤い神は山ほどもある大きさである。迷信が払拭されたとはいえ、一人残らず毟り喰われるのではないかとカラバシュ島民が慄いていたところ……


『はじめまして、カラバシュ群島の皆さん。私は赤井と申します、このたびこちらにお邪魔したのはですね……』


 何やら明るく元気溌剌とブリーフィングを始めた赤い巨神。彼が驚くほど低姿勢だったので、拍子抜けした民もちらほらいた。


『……というわけで、群島を大陸の端に固定させ、あなたがたが大陸で安住できるよう取り計らいたいと思うのですが。よろしいでしょうか』


 なんでも、赤い神の大陸でまだ人の住んでいない土地は開墾して自由に住んでよいし、国籍を変えたいならば民間人に限り大陸の国々も難民を受け入れる用意があるとのこと。メローヌ帝国の軍人とその家族は、もろ手をあげて歓迎とはいかないかもしれないが……。

 それでもカラバシュ島民全体にとっては願ったり叶ったりの話だ。というか、どの国に住んでもよいなどという政策は、カラバシュ島民からすると愚の骨頂である。一時的な潜伏後、クーデターを起こすこともできる。


 しかし彼らは、あることに気付く。

 国家間の国防の概念や警戒心が皆無に近いのは、有事の際に赤い神が仲裁に入って、彼の裁量が絶対的だからだ。

 神が実在する世界においては、人間の営みは監視、抑圧される。神の機嫌を覗い、平等に支配されるということに他ならない。


「それで、お礼はどのようにすればよいのでしょうか」


 ヘチマ民は不安だった。代償は生贄を差し出せというのか、珍しい供物を捧げろというのか、領地を寄越せと言うのか……何かを差し出さねばなるまい、そしてそれが何であるかというのは重大問題だ。


『お礼と、いいますと?』


 困ったような顔で、赤い神は首を捻る。 


「領土とか?」

『えーと……あなたがたの領土は、あなたがたのものです』

「若い女の生き胆をご所望とか……赤子を生贄にとか」


 思いつく限りのえげつない質問を、素民は赤井に直接ぶつけている。邪神ではないのだから酷過ぎでしょうと赤井はつっこみたくなるが、この扱いは今に始まったことではない。更に第五区とは敵対設定であったので好き勝手言われていたとしても無理もない話だ。


『えぇ……? カラバシュではどんな風に伝わってるんだろう……』


 あまりの言われように、肩をすくめる赤井。

 一方のモンジャ民たちは抱腹絶倒だった。


「前のグランダみてぇな事になってるんだな。ひゃー! 腹の皮がよじれるっ!」

「あっははは、それだそれだ。タコヤキでも微妙にそうだったし」


 ヒノも大笑いだ。ナズはというと、彼にしては珍しく静かな憤りを覚えているようだった。メグだけは周囲の反応に戸惑い、要領を得ないような顔をしていた。


 収拾がつかなくなってきたので、ロイがきりのいいところでその場の空気をばっさりと切って捨てた。


「この方は、お前たちの伝説における”赤の神”とは別神だ」

「どういうことですか?」


 彼の説明を聞いた後、素民たちの反応は一変した。


「なんだぁ……怖がって損したぁ」

「殺されるかと思った」

「死ぬかと思ったわ」

「全員喰われるかと思った」


 素民たちは今度こそ軽やかな足取りで赤井の周りに集まってきたが、その頃には気疲れと虚脱感でがっくりうなだれた赤井の図ができあがっていた。


「お祈りとかどうすればいいんですか?」

「俺ら、祝福してもらうぐらいで後は普通に付き合ってるぞ」


 そんなに難しく考えなくていいだろ、とモンジャ民は笑う。


「祝福を受けると?」


 おずおず訊ねるカラバシュ民。


「色んな特典がある」


 カラバシュ民からすると、モンジャ民の身も蓋もない説明は胡散臭かった。

 しかし信仰対象としてどうなのかとカラバシュ民が疑ったのも束の間のこと……。


「あかいかみさまは、信頼の力と引き換えに、その力に応じて何でもできるかみさまだからな」


 モンジャ民の誰かが気楽に放ったその一言に、カラバシュ民はどよめいた。


「もしかして、死んだ人間を呼び戻せたりも……? するのか? 父ちゃんも……」


 ピケが及び腰になりながらロイに尋ねる。というのもヘチマの民はメローヌ帝国軍の大虐殺を、男性は皆殺しという惨劇を経てここにいる。もし彼ら全員が救済されるというのなら、赤井に信頼は殺到するだろう。


「本当なのか? あんちゃん」


 ロイは答えなかった。カラバシュ島民全員に明かすことにより、赤井の立場を複雑にするということを考慮したからだ。赤井に万能の力があると知らしめることは、素民にとっては劇薬でしかない。過剰な期待にこたえれなかった時、失望と反発を生じる。赤井にもできないことはある。また、できたとしても赤井自身が自らに課した救済の線引きもある。その救済の手から零れ落ちた素民が赤井を憎むであろうことは容易に想像できたからだ。

 ナズも概ねロイと同じように考えていた。彼らは深慮に長けていた。しかし思わぬ伏兵がいた。


「ナズがそうだよ、一度死んで9年後に生き返ったんだ。そうだよな、ナズ!」


 ロイの代わりに、一瞬の空隙を掻っ攫うように答えたヒノ。


「う、うん……」


 これにはナズも、内心頭を抱えつつ同意せざるをえなかった。

 メグはその話を聞いて怪訝な顔をしていた。ナズが死んでいた記憶も、彼女の中で曖昧になっているからだ。一人、会話に取り残されたような気になった。


「では、もしかして……メローヌに殺されたヘチマの男達を生き返らせたりも!? できるんですか?!」


 夫を、親を、そして子孫を失ったヘチマ国民、ゴーヤー国民が騒然となった。そもそも、赤の神の神体を喰らうと永遠の命を得るなどという伝承があったほどだ。

 ああ、とロイとナズは同じような顔で溜息をついた。


 注目と喝采を浴びる赤井。

 多少居心地が悪くなろうが、できないことはやんわりと断るべきだ、とロイもナズも考えていた。しかし赤井はヘチマの民たちを見渡して……。


『わかりません』


 本気で迷いを含んだ彼の一言は、素民たちの心によく通った。


『ですが、ヘチマ島で起きた惨劇を見逃すわけにはいきませんし、善処してみたいと思います』


 カラバシュの民の心の隙間に入り込みまるごと包み込むような甘言に、ロイもナズも目をみはった。メグは驚いたように赤井を見上げる。陽気なモンジャ民は、そうだそうだと頷いた。


「赤井様。それは……」


 ロイが赤井を諌めようと口を開きかける。惨殺された概算5万人のヘチマ国の素民。

 彼らを全員蘇生させるだけの能力も神通力も、赤井にはなかったはずだ。口約束で素民たちに希望を持たせるのは残酷でしかない。今、傷が浅いうちに発言を取り消さなくては今後の素民たちとの信頼関係に大きな傷となる。


 ロイは、赤井がおおっぴらにスクウェアを描いたのに気が付いた。

 表示される情報を精査しているということにも。ロイも同様に待機させておいた光板を確認すると、赤井の神通力が急速に膨れ上がっている。カラバシュの民の何割かが赤井を信頼……ではないにしろ期待を寄せたことによって、赤井のポテンシャルが格段に高まっているのだ。


『ああ、待って。善処ではなくて……できますね』


 赤い神は両手を空へ高らかにかざすと、その手の裡に、眩く輝く球体群を出現させた。


「お陽さまと、お星さまみたい」


 メグが呟いた。カウント不能な数万人分の神通力の支えを受け、至宙儀が起動したのだ。そしてメグは、それらの球体が以前ちらりと見えた赤井の背中についていたものと全く同じものである。


「あの、背中のキラキラしてたやつだ……」


 それから先、カラバシュ島民とモンジャ素民は神話の世界に迷い込んだようだった。

 彼の操る球体は脈打ちながら、色とりどりの閃光を放ち始める。


『目を閉じて』


 閃光に目を潰されてはたまらない。素民たちは過剰反応し、われ先にと目を覆って地べたに伏せる。その後何が起こったのか、彼らには認識できなかった。ただ、促され瞼を開いた時には、彼らの他に夥しい数の人々が浜に投げ出され倒れていた。


「まさか……」


 ボロボロの服を纏ったそのいでたちから、彼らは全員、死者だったヘチマ国の素民だと分かる。彼らはたちまちの間にメローヌ帝国軍に殺され、虚無の状態から神に生命を与えられ蘇った……。


『おかえりなさい』


 どこかほっとした様子で、赤井は死者たちを迎えた。

 ロイの光板にはこう表示されていた。


【超神具・至宙儀により、管区時間一時跳躍】

【5万42名の死者蘇生シーケンスが通常通り遂行されました】


「至宙儀……? 神具……」


 神具と神通力があればこれだけの奇蹟を可能とするのか、とロイは感動すら覚えた。

 そしてふと、メローヌの死後現れた異界の神……彼から"肌身離さず持っているように"と言われ押し付けられた幾何学模様の施された、純金のカードの束のことが気になった。信楽焼と強羅大文字焼は、あれを神具だと言ったが。

 後で赤井に神具のことを聞いてみよう。そう思えば楽しみなロイだった。


 浜辺に投げ出されていた元・死者たちは次々と意識を取戻し、それぞれの家族のもとに「生還」を果たした。歓喜の声があたりを満たした。

 これをもって、真の意味で第五区画解放が完遂された。区画を解放し自由を取り戻させたのはロイだが、素民たちの心を一つにまとめ上げたのは赤井だった。

 第五区画は暗黒時代から解放されたことになる。

 彼らは殺害された時のことは鮮明に覚えていないようだった。


 そしてマリの夫、ピケの父も――

 マリとピケは砂浜中を力の限り駆け巡り、探し回って遂にその人のもとにたどり着いた。


「父ちゃん……!」

「あなた……!」


 ピケは、砂上に俯せた父親に覆いかぶさるようにして号泣した。

 マリは夫の手を握り締め、離そうとはしなかった。


 それまで「あかいかみさま」と呼ばれ、モンジャ民からの絶対的な信頼を寄せられていた赤い青年。彼の、神としての本領を見たメグ。

 この世のものではない存在の成した奇蹟を見た衝撃に、総毛立つのを感じた。

 忘れてしまった、彼との思い出。モンジャ民の中でも、メグは彼に最初に遭遇したと言われている。その日から育まれていたであろう彼との絆。


 メグは心の中に大きな穴があいてしまったこと、白紙になってしまった過去を、今、痛いほどに自覚していた。


”私は、この神様と長い間、どんな日々を過ごしてきたんだろう?”


 その後、大きな赤い神はカラバシュ群島を両手でそっと掴み、割れ物を扱うようにそろりそろりと大陸の近くにまで押していった。彼は漂流し続けていたカラバシュ群島を大陸の西側に固定し、島から大陸に向けて真新しい橋をかけた。

 こうしてカラバシュ群島は浮島ではなく半島になり、新生・カラバシュ共和国として新天地でのスタートをきった。

 カラバシュの素民は、おっかなびっくり、赤い神の大陸へ上陸を果たした。


「浮いていない大陸だ……ぐるぐる回ったりしない」


 大陸の砂浜は砂が細かくて白くて美しい、カラバシュの石灰質のそれとは一味違う。砂浜にはくっきりと足跡がつく。


「もう、漂流生活も、メローヌの支配も終わったんだ……!」


『ようこそ、カラバシュの皆さん。今日からあなたがたも、私の大切な民です』


 至宙儀に全神通力をくれてやったために力を使い果たし、いつの間にか元のサイズに戻った赤井。彼は改めて歓迎の意を伝えた。


 現基点区画、モンジャ、グランダ、ネストで2914名。

 更に第三区画タコヤキ共和国の統合によって、3万2514名。

 そして、第五区画の統合によってカラバシュ20万2642名(蘇生した素民も含む)が基点区画へと吸収された。


 こうして甲種一級構築士赤井は、

 総計23万8070名の素民たちの主神となった。



 なお、これまで所在の秘匿されてきた超神具・至宙儀のアクティブホルダーとして、国内外の構築士のコミュニティに華々しく周知されたのだが、当の赤井は知る由もない。


 そんな慌ただしい状況の中。


 メグの疑似脳が、伊藤の構築した新しい馴化管区に移される日程が決まった。

 一週間後、赤井は管区主神として、高次脳機能障害治癒第一号患者の現実世界帰還を了承した。

 モンジャ集落のメグこと東 愛実はこの27管区を旅立ち馴化管区に入り、現実世界へ向けての帰還の準備段階に進むことになる。

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