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Heavens Under Construction(EP5)  作者: 高山 理図
Chapter.5 Into the real world
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第5章 第2話 Relatively serious dating◆

 メグが目を開けると、そこは空気が澄み、風が渡っていた。


 傾いた地面によろりとバランスを崩すと、ふっとメグの腹部を支える片腕。

 過不足のない力加減。

 メグの隣にはしっぽを丸め、落ち着かない様子でその場をくるくると回るアイがいる。

 青い神が球形の青い結界を張り、軽い調子でパチンと指を鳴らすと景色が変わり、メグたちは先ほどの荒原ではない場所にいた。

 メグは呆然とし、目をしばたかせる。


『どしたの、そんなきょとんとしちゃって。転移術知らないの? びっくりさせちゃった? かわぃーリアクションしてくれるね』


 青い神はメグの純真さに満足したのか、にやにやと笑う。

 メグは口をすぼめた。認めるのは悔しいけれど、こんな凄いこと赤い神にはできない。


『ここがいっかな~。見晴しよくて雰囲気いいじゃん』

 

 蒼雲は芝居がかったわざとらしい仕草で大きく伸びをしたかと思うと、額に手をかざして周囲の景色をぐるりと見渡す。

 どっこいしょ、と豪快に花畑の絨毯の上に腰を下ろし、メグの手を引き着座を促す。

 今日のメグは白い毛皮の長スカートと、すっぽりと腰まで覆う前あきの紫の毛織物を着て、毛織の防寒用の帽子をかぶっている。

 髪の毛は横で一つにまとめ、おさげにしていた。

 ミシカに習った三つ編みは、メグをはじめモンジャの女性たちにブームだ。


『そこ花の汁で服汚れちゃいけないし、俺の膝の上に座っちゃえば?』

「いえ、大丈夫です。かみさまの膝の上なんて、おそれおおいです」


 恐れ多いと言いつつ、メグはまだ蒼雲を警戒している。

 完全に信用したわけではないのだ。

 しかし彼はいともあっさり懐いたアイを横に侍らせ、喉のあたりをよしよしと撫でている。


”あ、アイがおなかみせた!”


 アイはもともと大人しく人懐こいが、服従を体現するには早すぎる気がした。

 やはり野生動物は本能的に神という存在を知り、群れのボスとして認めるようだ。

 長い時間をかけて信頼関係を築きあげてきたメグは少しだけ、かみさまたちってずるいと思うのだった。


 蒼雲がメグとアイを連れ瞬間移動でやってきたのは、モンジャの裏にある小高い丘の斜面に広がる野生の花畑。

 次第に高く昇る太陽、穏やかな日差しの下にはモンジャの家並み、常緑の豊かな森、畑、そして草原と荒地、カルーア湖上に霞がかかっている。

 赤い神の神殿が朧げに見えた。


”あかいかみさま……”


 神殿を見ると、ざわざわしていたメグの心は落ち着いた。

 ここはメグも好きな場所だが如何せん斜面が急で、足を踏み外せば滑落する恐れがあり、花以外には特に目ぼしい食料もなく木材も生育していないため、よほど暇で体力に自信のあるモンジャの民が地形などを見に来る以外には、素民は滅多に訪れない。


『あはは、今、赤いののこと考えてたろ。ウケる!』


 何がおかしいのか、彼は腹をかかえて爆笑している。

 そんなに笑ったら、たくさん血が出るのに。と、メグは青ざめた。


「あっ……笑わないでくださいっ。血が出ます!」

『ごめんごめん、メグは赤いのが好きかぁ。ちょーっとだけでいいから俺とのデートに付き合ってね~。赤いのの神殿までは今みたいにひとっ飛びだからさっ』

「でーとってなんですか?」


 メグは正座をして、恐る恐る蒼雲に尋ねる。


『んー、まだ横文字分かんない感じ? デートってのはいい景色を見ながら楽しくお話することかな~?』


 とはいえ蒼雲が彼女をデートに誘ったのは、何ら疾しい気持ちからではないのだ。

 言動がチャラすぎるが故に、しこたま誤解を受けるだけで。

 蒼雲は伊藤の発表した、二十七管区の治療実績にまつわる論文を取り寄せ目を通していた。

 この目で、メグの回復の状態を確認したい。

 臨床学的診断基準に基づいた評価をしなければ、赤井の業績を評価することはできない。

 彼は情報を整理する。


 症例、22歳女性(現在)、大学生(当時)。

 何らかの事故により頭部受傷後びまん性軸索損傷(DAI)、障害名は遷延性意識障害(植物状態)、急性期でのグラスゴーの昏睡尺度(GCS)で6(重症)、昏睡状態は18か月継続。

 再生医療により自己神経幹細胞から形成した神経軸索と交換済。

 その他損傷領域を交換し脳再構築するも現時点に至るまで意識覚醒なし。

 脳の構造は外科的に戻すことはできても、患者の記憶に医者は手を突っ込むことができない。

 脳外科領域の限界である。 


 脳外科医であった蒼雲がアガルタに入った一つの動機でもあった。


 インフォメーションボードで解析できるメグの仮想下脳活性化地図の所見は至って正常。

 これは……! と、蒼雲は感動していた。

 人間患者でこれほど健全な脳活性化地図を、蒼雲はアガルタでは見たことがない。

 一見しただけでもその違いは分かる。

 ますますメグに対する興味が湧き、自然と猫背が伸びる。


『今から言う質問にどんどん答えてねっ。まずは自己紹介して』

「モンジャ集落のメグといいます」

『ここはどこかなっ?』

「モンジャ集落の裏の丘です」

『そうだね。じゃー花、空、雲。この言葉、繰り返して言って。はいっ』

「花、空、雲」


 彼は何を言っているのだろう。

 躊躇いながらも、有無を言わせる口調ではなかったのでメグは漫然と言葉を返す。


『100-7の答えがわかる?』

「93です」

『そこからまた7を引いて……さらに7を引いて、その答えからまた7を引いて……』


 五回も同じことをさせる。


「65です」


 簡単な算数の問題。馬鹿にされているのではないだろうかと、メグは色々勘ぐってしまう。


『さっき言った言葉をもう一回言って?』

「花、空、雲です」


 蒼雲からの意味不明な質問は延々と続いた。

メグは一方的に投げかけられる質問に不信感を抱き、段々とため息交じりになってくる。

メグの退屈している様子に気づいてはいたが、蒼雲は質問を続け、結果をまとめる。


 MMSE(認知機能テスト) 30点、認知機能は全き正常である。


 蒼雲は楽しく話をしようと言ったのに、メグからしてみると訊かれるばかりで楽しくない。

 蒼雲の怪我を何とかしないと……メグはそう思うと答えに集中できなかった。

 蒼雲は新たな質問をしようとしていたので、メグは蒼雲の言葉を遮る。


「あの! これ……楽しいお話じゃないと思います」

『あ、うんうん。ごめんごめん、つまらなかったかー。じゃー普通のお話しよっか~?』


 不信感を植え付けては元も子もない。

 信頼関係が必要だ。

 急いては事を仕損じる、というわけでテストを中断。


「それより、あおいかみさまのお怪我が……布だけでも当てた方が」


 メグは蒼雲に対する罪悪感に心を痛めていた。

 不死身なのだから確かに問題はないのだろうが、蒼雲は人間ならばとっくに死んでいて不思議でないほどの重傷を負っていた。メグが刺してしまったから。

 長閑な景色の中で、単調な質問を続ける彼の胸部からとめどなく滴り落ち白衣を汚していた。

 自分で手当てをするか、赤い神に診せなくてもよいのだろうか。

 そも、彼は赤い神に会いに来たと言ったのに神殿とは真逆の方角で意味不明な質問をする。


「私、お湯で煮たきれいな布を持っています。傷にきく花も持っています、手当てさせてください」

『メグは優しーなー。じゃ、お言葉に甘えちゃおっかな~』

 

 患者が自発的に何をするか見てみたい。

 と、好奇心からいそいそと上着を脱ぐ蒼雲。

 いつもの癖でうっかり下まで脱ぎそうな勢いではあったが、『よその管区で破廉恥な行動を取ったら即刻二十九管区に戻しますよ』と脅されていたため、瑞希の顔が脳裏に浮かんで自重。

 負傷した上半身をあらわにすると、傷は胸部を貫通してはいるが、彼はあまり気にしていない。

 痛覚もなく、生命の危機に陥ることもないとなると、己の肉体がどうあれ、もはや頓着なくなっていた。


「このお花の薬。あかいかみさまが創ってくださって。とてもよく効くんです」


 メグは常備している薬袋から、粉状に煎じた花弁を数種類混ぜて麻布に包み、それを蒼雲の胸の傷の前面と背面に押し当て、帯状のもので縛ろうとしている。

 彼はメグのするように任せながら、意識下でインフォメーションボードを呼び出し、組成を簡易解析。なるほど、枯草菌が産生する環状ポリペプチドの混合物、細胞壁合成を阻害するバシトラシン、グラム陰性菌の桿菌、緑膿菌の細胞質膜を破壊するポリミキシンと出た。


『へえー……確かに。傷薬としては上出来かな~。滅菌してほしいけどなー』


 赤井の仕込みなのだろうが、植物に抗生物質を産生させ、それを煎じて治療薬とすることはもっとも簡便で民が使いやすく理にかなっている。

 ただ、この原始時代に抗生物質に手を出した赤井は罪深い。

 抗生物質を濫用すれば耐性菌が出現しそれが蔓延した時に打つ手がなくなる。

 最後には、「どの薬剤も効かない」細菌が出現し、最悪それが元で民が全滅する。

 足元をすくわれなければいいが。

 今後この世界では抗生物質と耐性菌との終わりなき戦いとなるであろうことが確実視される。

 蒼雲の世界ではリスクを回避するため、最後100年間までは抗生物質には手を出さないと決めていた。


 薬に頼る治療では限界がある――。

 時代に即した医術を施さなければ、確実に行き詰まってしまうだろう。

 蒼雲は大きな不安を覚えつつ、メグの処置を割と真面目に分析していた。


『いつもそうやって、怪我人を手当してあげてんの?』

「はい。モンジャの周囲はエドや獣が出ますし、森に入って怪我をする人も多いんです。あかいかみさまに診てもらいますしそれが一番なんですけど……かみさまがいないときには、私が処置をしていました」

『ふーん……』


 蒼雲は遠い目をする。

 メグは出血をおさえるために次々と布をかえたが、追いつかない。

 メグの持ってきた布は、すぐにずぶずぶに血を吸って使い物にならない。

 新しい布にかえようとしても、一向に出血のおさまる気配は見えず


「ごめんなさいっ……傷が深すぎて私では血が止まりません。やっぱり赤い神様に見てもらわないと」


 メグは音をあげた。


『やー、でも君の”手当をしたい”という気持ちは届いたよ』


 自信なさそうに俯くメグを元気づけるように、蒼雲はおどけてひらひらと手を振る。


「私ももし、怪我や病気をした誰かを治してあげることができたら、と、いつも思います。特に、あかいかみさまがたくさんの人々を癒していらっしゃるのを見て、そう思うようになりました」


 メグは、赤い神の救援を待つだけでは限界があると常々悩んでいた。

 損傷が激しかった者は、赤い神に診てもらうまでに息絶えてしまうことがある。

 連絡しようにも、情報の伝達速度は遅い。

 狼煙を上げれば気が付いて飛んできてくれるが、間に合わないこともある。

 死者を生き返らせることは、赤い神にもエトワールにも難しいようで、少なくともメグの兄のナズ以外には、まだ一人も蘇ったりはしていない。

 もし赤い神に診てもらうまでに、メグ達の手で怪我人の命を長らえさせることができれば。

 一人でも多くの人を助けることができることは明らかだった。


『へー……そっか~』

「私も本当は、かみさまみたいに誰かを治してあげたいんです。私はかみさまに、助けてもらったから。でも、人間がそんな大それたこと思ってはいけないのかなって……」


 蒼雲はメグの姿に、かつての自分をだぶらせた。


 蒼雲が人間だった頃。

 幼少期に、重いウイルス性髄膜炎を患った。

 ウイルスが脳に感染することで脳が炎症を起こす。

 当時、万能薬は発明されていたがまだ保険適用がなく、それなりに高額であったため風邪ぐらいでは使用しないのが殆どだ。

 病に対する知識が父母になく、ただの風邪かインフルエンザだと侮ったために、病院を受診せず発見が遅れた。

  髄膜炎の後遺症が彼の両耳の聴力を奪い、左目の視力が失われた。

 日にち薬だと言われて待てど暮らせど、リハビリを重ねれど、回復しない。

 脳の損傷による後遺症の治療は、肉体の再生医療と比較してかなり遅れている部分がある。

 最先端医療もCPUを修理するようにはいかない。

 神経工学は人間の脳の微細構造にまでは踏み込めない。

 一生を不自由な体のままで生きてゆくのかと自問し、子供ながらに絶望し、しかしそれを甘受することができない。

 自分には何の落ち度はなかった、事実を受け入れられない。

 つまらない事に腹を立て、言いがかりをつけては父母に当たり散らした。

 叱りもせず言い返さない父母にも腹が立った。


 高度に発達した医学が脳に対しては手足も出ない。

 万能だと思われていた医術が未完成であることに失望し、それを受け入れるほかのない自らの卑小さを恨んだ。

 蒼雲は、音楽の好きな子供だった。

 そのうち彼は、身体のみならず心もままならない彼自身を憎むようになった。

 どうして他の人に当たり前であることが、自分にはできない。

 万能薬のある世界で、何故こんな憂き目に遭っている。

 生きる気力を失い自暴自棄になっていた頃、米国アガルタが世界に先駆けて開設をみる。


 彼はアガルタに心を奪われた、肉体が死んで仮想世界に行けば、もう一度聴力や視力を取り戻せる。

 あの懐かしい音楽を聴くことができるのだと。


 だが……、現実から逃避しようと決めた頃、彼の聴力を回復させてくれた一人の医師が現れた。

 母が苦労して探したのだ。

 その医師に、彼は全身全霊で屈服した。

 心の底から憧れた。彼の手とその言葉を、神のそれのように錯覚した。

 まるで燦然と光が差し込み、彼の人生が開けたようだった。

 治療の末、彼は聴力を取り戻し好きな音楽に身を浸し、至高の喜びと感動を味わった。

 そして彼は当然であるかのように医師となった。

 助けられたから、助けたかったのだ。

 そして脳外科医となった彼がどうしても手を出せなかったもの、それが主に脳の損傷によって引き起こされる高次脳機能障害だった。

 科学の進歩は、医療の進歩の歴史だ。

 幾度となく繰り返した力強き人間の、死闘の歴史だ。

 克服できない砦があるなら、崩さねばならない。

 抗う力は、今の己にはある。

 現実世界からアプローチできなければ、仮想世界から切り込むまで。

 熱い気概が認められたか、蒼雲は採用試験の難関を潜り抜け構築士として採用され、アガルタに入った。


 人は、疾患を克服するために長い戦いを続けてきた。

 その戦いに、原始時代から遡りながらもう一度加担する。

 歴史をたどり、導き手になる。彼はそんな神だった。

 彼の庇護した民と彼を頼った者は、最初から最後まで、一人も死なせなかった。

 青い神への信仰は川を束ねるように集まり、民は唯々諾々と彼に従い、いつしか彼は大神と呼ばれるようになった。

 

 しかし、人間の患者に対して、彼ができることはほぼなかった。

 最初はあれやこれやと手を尽くした。

 文献をもとに、様々な手法で臨み分析を重ねた。

 しかし、回復の片鱗すらも見えない。

 その糸口さえもつかめない。

 彼にとっては副業ともいえる構築だけは何の障害も問題なく、あたかもゲームのように進んでゆく。

 構築にかけては、天才的な素養を持っていると管区構築士達から絶賛された。

 だが、嬉しくもなんともなかった。

 そうして何十年、百年、二百年と過ごしているうち、年月の過ぎ去るに負け彼は諦めてしまった。

 患者に向き合うこと、患者を人間だと認めることを。

 ゲーム世界の中に閉じ込められてしまったかのように、自らの思考回路も非人間的になってゆく。

 感受性は鈍り、痛みを忘れ、心は錆びつくばかり。

 この世界は居心地は悪くないし不安も恐れもない、仕事としては、十分に食べてゆける。


 もっとも、五十年を過ぎた頃から自らが人間であるかどうかすら、分からなくなってきていた。

 現世のことを忘れたほうが、精神的には楽になれた。

 そして始まった、逃避する日々。


 ――長い眠りから、いま目が覚めた。メグのおかげだ。


『誰かの人生変えたいって、喜ぶ顔が見たいって。そういう気持ち、わかる気がするよ』


 蒼雲はメグを慈しむように頭を撫でる。

 しかし、それ以上は手を出してはいけない。

 何故なら彼女は、赤井の民だから。

 彼女が赤井のものであることを望んでいるから。


「……あおいかみさま?」

『――何やってたんだろ、俺。随分遠回りをしていたんだな』


 助けられたから、助けたい。”助けられる自分”になりたい。

 ただそれだけの、単純な欲求。

 理想の自分になりたいという打算も掛け値なもない感情。

 自らの生理欲求と切り離され、人が人であり、そうあろうとする最終段階にあたる自己実現の欲求。


 それが、メグにはある。

 メグの回復度合いを知るためにこれ以上、ステレオタイプなテストをするまでもなかった。


『よっしゃ!』


 メグの希望を聞き届けようと、満足そうに大きく頷いた。

 望まれれば、全力で力を貸す。

 望まなければ何も与えない。

 蒼雲神が彼の世界で初志貫徹してきたことだ。

 アガルタの神が、率先して医術を素民に教えようとするケースはほぼないと言っていい。

 何故なら、アガルタの神が医術を独占することによって民からの強い信仰心を得ることができるから。病人の治癒という奇跡が奇跡でなくなってしまえば、神が神秘的ではなくなるから。

 指導力を発揮できなくなるから。

 そして場合によっては、疎まれるから。

 人間の生殺与奪権を掌握しておくことは、信仰を糧とする神としての常套手段である。

 それを、手放す。


『じゃーちょっとメグに勉強してもらおっかな』

「えっ?!」

『怖がらずに傷口をよくみてなー。心臓が傷ついてるから心臓外傷ね。傷口は気持ち悪いが、見慣れると怖くない。傷が人体のどの深さに達しているのかを見極める。この場合は貫通、前後に突き抜けてる。穿通性心臓外傷、心臓を覆う膜の外に大量に血液が貯留(心タンポナーデ)して拍動を阻害している』


 蒼雲は傷口に指を突っ込んで傷を広げ、内部構造を見せる。

 医学生が必ず人体を解剖しなければならないように、真実を見せることから始まる。


『血液は大地を潤す川のようなもの。血の道を通って、全身を潤し栄養を運ぶ。人の血液量は有限だ。 だから、枯れる前に止める。傷口は手で触っちゃいけないんだけどちょっと中見てみ、ありゃ、メグ~。ちゃんと見てないな~』


 メグは両手で顔を覆って、その隙間からこわごわ見ている。

 メグは薬花の処方はできるが、傷の手当は全くといってできない。

 これほどの出血を見るのも初めてだったりする。


「い、痛そうで」

『痛くない。どういう風に出血してる? じわじわとあふれ出てる? 脈を打ってる? 色は? 真っ赤? どす黒い? この色をよく見よう』

「どくどくと、脈うっています。真っ赤です」


 メグが、目をそむけそうになりながらも直視してそう言った。


『血液は全て、二通りの血の道を通って体内を循環してる。真っ赤でどくどくいう血の道と、どくどくいわない、少し黒いやつだ。血液は、血の道しか通らないから、止血するには血の道を塞いでやればいい。ただし、止め過ぎれば川が枯れてしまうように、体の細胞も枯れる。できるだけ早く血を止めよう。人類が有史以来行ってきた最も原始的な創傷治癒の一歩だ。止血方法で有効な方法は古来より何千年と変わらない。最初は緊急に。次に永続的に血を止める』


 蒼雲は力を抜いてその場に仰向けに寝る、生きながらにして献体をしたかのように。

 全てを彼女の前にさらけ出して見せる。

 滞在中、ありとあらゆる場所を傷つけ、彼女がどんな部位でも完璧に創傷治癒をこなせるようにしてもよいとすら思った。

 赤井には痛覚があるので同じ芸当はできない。

 痛まない肉体、死なない身体を、無限の命を、初めて有効に利用できそうだと考えると、彼は久しぶりに充足感を味わった。

 これまではただ、不死身の体を粗末にしていただけだったから。


『この場合、胸腔鏡を使えないから肋骨を切って、胸骨正中切開であけなきゃいけない。胸を開けて、視野を確保するために心臓を一旦止める。血液を体外で循環させ、破れた血管を縫い、心臓に溜まった血を抜いて傷口を縫い合わせ、閉胸して肋骨を合わせ傷口を閉じる。いくつもの手順を踏むんだ。さあやってみよう…… と言いたいけど、道具も準備もなければできない』

「……!」


 メグはぽかんとしていた。さも、尤もらしく彼が言うものだから。


『今の時代と環境では不可能かもしれない。遠い未来の技術であるかもしれないが、それは人間に治せるんだ。わけのわからない、怪しい神通力に頼らなくても』

「……そうやって、治るんですか……人にも治せるんですか!」


 神によって独占されていた叡智が、二千年の時を超え人の手に授けられようとしていた。

 赤い神がメグに最初に火を授けてくれたように。


『というわけで、段階を追って、この時代に即した治療法を教えるよ』


  蒼雲がメグに医学を教えたいと思った理由は、ただメグの熱意にうたれたというばかりではなくもう一つあった。

 読心術に長けた彼はメグの深部記憶を読み解く ことができる。

 ただの大学生、ただのOLならば、現実世界に帰還してほぼ必要のない知識であるため、蒼雲が熱意を持って教えようと思ったかどうかわからな い。

 その決め手は……


 急にインフォメーションボードが立ち上がった。

 彼の担当官、川添 瑞希からのメールだ。

 瑞希が怒りで肩を震わせている様子が容易に想像できる。


『“早く神殿に行ってください、赤井神に失礼です”、か。絵文字もなしかよ、怒ってるな~瑞希ちゃん』


 寝そべったまま「はいは~い、すぐ行きますよろしくです~」、と軽い調子でメールを打ち返しながら、


”まーメグは現実世界で獣医学部生だったっぽいから、手術できて困ることなんてないだろーし”


 仮想世界においては二十七管区の医の礎となり、彼女の帰還後は失われた時間を取り戻せるように。

 帰還後の彼女がすぐに社会復帰し満たされた日々を送れるように、そう願う蒼雲であった。


「ここにいらっしゃいましたか! メグも!」


 崖下からメグの聞きなれた声がした。

 ロイの声だ。

 ロイはグランダ製の黒い毛織物を着て、息を切らせ、神槍を手に崖を駆けあがってくる。

 息は上がっていたが、足取りは軽い。

 体力が有り余っているように見えた。


「ロ~イ~!」


 メグが立ち上がり、手を振って彼を呼ぶ。

 ロイという名を聞いた蒼雲が一瞬、険しい表情を見せた。


『ロイ、だあ?』


 メグは蒼雲の変化が気になった。

 まるで知り合いであるかのような、そして嫌悪しているかのような……青い神がこの世界に来たのは初めてだ。

 誰とも面識はない筈なのに。

 ロイはあっという間に蒼雲とメグの前にやってきて、緊張した様子で膝をついた。


「青い神様、ようこそおいで下さいました。来賓があると聞いて、モンジャの民総出であなたを捜していました。早朝より、赤井様が神殿にてお待ちです。負傷されていますので、御身のためにもお急ぎください」

『ああ、わざわざ出迎え感謝だ。神殿には5秒以内に行けるよ』


 ぴりっと、メグはうまく言えないが彼のロイに対する棘を感じた。

 ロイもそれを感じているのだろうか、蒼雲の胸の内を探るように、警戒心を強めながらその顔を凝視している。


『よう、ロイ。元気にしてたかい?』

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