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第4章 第2話 Inspection◆

 グランダの地を出発し、上昇気流に乗ってわずか数十分。

 一人の怪我人や迷子を出すことなく、一行は無事ネストに到着。

 標高2200mの台地は空気が薄く、寒さが肌に突き刺さるようだった。

 気温は氷点下二度と表示されている。


「姫様だー!」

「姫様が異国の民を連れてこられた!」


 ミシカの帰りを待ち詫びていたネスト民に歓迎され、帰りに使うグライダーを折り目正しく畳んで、赤井たちはミシカに案内され早速王様の城へ。


 ネスト城は岩城で、こじんまりとしていた。

 内装には調度品など殆どなく、家臣も少人数でお出迎えだ。

 質素な暮らしぶりがうかがえる。

 王城というよりは、領主の城という風情の佇まいであった。

 グランダ城の方が断然広いようだが、当のキララは城の至るところから顔を出した風車に関心していた。


 長い長い螺旋階段を一列に並んでえっちら登り、彼らは煉瓦づくりの最上階の王様の居室に案内される。

 だだっ広い石造りの部屋だ。

 グランダと似た構造で、姉妹都市であったというかつての面影を覗かせている。

 入口には魔術師のような黒いフードを目深にかぶった猫背で目の不自由な老女が鍋をかき回していた。

 部屋にいたのは四人。

 白いセーターを着た王様らしき人物が病床にいた。

 顎髭を生やし、銀髪を短髪にして無造作に横わけで流している。

 端正な顔立ちではあるが、顔面蒼白で体調はすぐれないといった様子。


 病床の父の枕元に、筋骨隆々として鎧のような金属片を着た大柄な男性が寄り添っていた。

 物腰の柔らかそうな妙齢の女性は水色のニットを着ていた。

 王冠こそないが身ぎれいにしているので、王子様とお姫様かな? 

 と赤井は見当をつける。

 銀髪碧眼の一族だった。

 ミシカを見た四人は、感激をあらわにしていた。


「父君様、兄上様、姉上様、大ババ様、ただいま帰りました」

「おお、よく帰ってきてくれたミシカよ。無事だったのか」

「ミシカが戻って来ました……。私達のお祈りが天に通じたのですね」


 ミシカとよく似た顔立ちの姉がハンカチを目頭にあてて涙ぐむ。


”いやそれより、大ババ様て何?”


 聞き間違いかと耳を疑う赤井である。


「泣かないで姉上様、赤い神様の御加護によりこうして戻ってくることができました」

「戻ってくると分かっていたよ。風が鳴いておったのでのう」


 よく見れば部屋の壁に何がしかの伝説をかたどったタペストリーと壁画がある。もはやツッこんだら負けだった。


「お、おお、そちらの御方はまさか……!」


 ベッドで寝ていたネスト王が咳き込みながら起き上がろうとしたので、赤井は傍近くに歩み寄り腰を落として彼を気遣う。名乗らなくても誰なのか、彼は気付いたようだった。


『初めましてネストの王よ。そのままで結構です、ご無理をなさらないで』


 赤井は気を取り直し、営業スマイルで微笑みかける。


「ミシカの父のパウルと申します。赤い神様、長い間あなた様のご来臨をお待ち致しておりました」

『つかぬことをお伺いしますが、パウルさんのお城は可動式ですか』

「い、いえ。ご覧の通り岩城ですので微動だに動かせませんが……」

『ですよね……普通お城は動きませんよね』


 可動式にする意味もなかった。

 パウルの動かない城だった。

 するとパウル王は何かまずかったのかと脂汗をかいて


「な、なにか我が城が神様のご期待に添えなかったようで申し訳ありません。平にご容赦をッ!!!」

『こちらこそ失礼しました。ところでパウルさん、重いご病気なのですか』


 身体が不自由で起き上がれないようだ。

 パウルは恥ずかしそうに脚を布団の上からさすりながら、


「いえ……病気ではないのです。両脚が腐って、立てなくなりまして。それだけなのですが」

『失礼します。診せていただけますか』

”脚が腐るって? 壊死ってことか。糖尿病をこじらせたとか?”


 老女の鍋が異臭を放っていたので気付かなかったが、そう言われてみればパウルは少し臭う気がする。

 人目を憚るように、ミシカの姉がついたてでベッドの周囲を仕切った。

 メグが手伝いたそうな視線を投げかけていたが、とりあえず赤井一柱で診る。


「かようなものをお見せするのは心苦しいのですが」

『これは……!』


 掛け布団を取り去ったパウル、現れた彼の”脚らしきもの”の悲惨な状態に、赤井はひるんで視線を外しそうになった。

 パウルは諦念を含んだ声で打ち明ける。


「単身、精霊を捜しに行こうとして、森の獣に足先を噛みつかれました。その毒が広がりこの有様。決心がついたら、脚の付け根から切断するつもりでいます。その頃には、息子に王位を譲ろうと考えています」

「父君……俺は無念でなりません」


 ミシカの兄が悔し泣きをしていた。

 毒による壊死。パウルの両脚は膝下から真っ黒で、破傷風菌と思われる細菌感染を起こしている。壊死の状態から細菌感染すると壊疽えそに進行すると、敗血症を起こして生命の危険が伴う。現実世界では一刻も早く脚を切断し、義足を作る、もしくは再生医療を行うしかない。


”ごめんよ私達がもっと早く来てあげなくて”


 ミシカは悔しそうな表情を滲ませている。


”でもここは仮想世界アガルタ……現実世界ではない”


 赤井はおもむろに両手を伸べ、パウルさんの脚に触れた。


「な、何をなさっているんです

『切断していなくてよかったです』

「え?」


 切断をしていたら、逆に手が出せないところだった。

 赤井は新神ではあるがアガルタの神、とりもなおさず二十七管区の最上級アカウントである。

 サイバーテロの一件で、バイオコンストラクトを使えないながら、かなりの裁量を与えられていたと知った。しっかりしないと、と彼も自身を奮い立たせる。

 インフォメーションボードには「祝福にて治癒可」と表示が出てる。


”やってみよう”

”赤井君、一人でできそうかね? 駄目なら私が血行再建術を施してみるが”


 エトワールがついたて越しに思念で話しかける。


”治癒可能と出ています、一人でやってみます”

”では君が癒してあげた方がいい。その方が彼らも喜ぶだろう”


「神様、御手が穢れます。どうか触れられますな」


 身をよじろうとするパウルを宥め、膝下から炭塊のようになってしまった黒い脚をいたわり両手を添え意識を集中する。

 じくじくしているが、壊死は骨に達していない。


 神通力で不浄を浄め、病を払ってゆく。

 集中すると神通力の光が集まり、赤井の手の形に沿って組織が再生してゆく。

 黒く朽ちた部分が剥がれ落ち、瑞々しい素肌が顔をのぞかせた。

 パウルは硬直し、絶句した。


「! えええっ!」

『よかった。立てますか? しっかり歩いて、血流をよくしてくださいね』


 パウルに肩を貸すと、よろけながらもベッドの横に自立できる。

 リハビリを真面目にすれば歩けそうだ。

 無理せず歩いて血の巡りをよくしてくださいね、と赤井は指示する。


『驚きました。森の獣の毒とは、かくも凄惨なものですか』

「私は神様の御力に驚きました……どう感謝してもしきれません」

『毎日私にお祈りをしてくださっていたようですので、そのお礼も兼ねてですよ』


 祝福すると、三人とも緊張してカチンコチンになっていた。

 ミシカは手をすり合わせ、熱心に祈りを捧げる。

 くすぐったい赤井である。

 ついたてを取り払うと、エトワールが手持無沙汰だったのか、既に老女の目も癒していた。

 白内障だったようだ。


「あかいかみさま、治りましたか? お薬が必要なら、今日は紫のトゲトゲの花を持ってきています」


 パウルを気遣うメグは、グランダの薬師と共に改良した新製品の薬花を持参していた。


”というか紫トゲトゲの花って何の効果あんの?”


 もはやさっぱり分からない赤井をよそに、パウルは喜びを隠せず両脚で飛んだり跳ねたり、年甲斐もなく大いにはしゃいだ。


「信心が足りないとお叱りを受けると思っていました。なお一層のこと赤い神様を信心いたします」

『いえ、これからはお祈りでなくていいので、何となく頼りにしていただける程度が嬉しいです。それより、森の話を聞かせてください』


 何がしかの動物の甘いホットミルクを振る舞われ、火鉢に似た暖房器具で暖を取りながら、ネスト国の見舞われている窮状を赤井らは聞き取り調査する。


 話によると、森の獣の毒は少量でも致命的とのこと。

 パウルは少し牙が触れた程度で運が良かったのだ。

 毒を持つ獣たちを駆除しようと、森を焼き払うべくネストから何度も森に火を放つも悉く失敗に終わり、今年の干ばつによる大不作で民の生活は困窮を極め、日に日に疲弊しているようだ。


「私が手を打つことができないばかりに……民には辛い思いをさせております」

 

 パウルは表情を曇らせる。

 思い余ったパウルはというと家臣が諌めるのも聞かず、何度か精霊を捜しに森に降りた。

 しかし数時間もしないうち、獣たちの毒牙に倒れる。


『精霊を捜し、森と共存できる方法を探りましょう。毒が人に致命的であるため、私とエトワールさんで捜してまいります』

「あかいかみさま、私もついて行きます。私、よく効くお薬を持っていますから平気です」

『メグさん、いけません。毒によっては即死の危険があります』

「ネストの者が神様に随伴いたします。精霊を捜索する際には男手が必要です」

「俺も行きます」


 ロイが目をらんらんと輝かせて頼もしいが、毒が危険なので誰も来なくていい、赤井がそう伝えると


「おそれながら神様がた、精霊の封印に至る導きは場所が日ごと変わるとの伝承があります。お二人だけでは到底辿りつきますまい」

『そ、そうですか……』


 封印の場所が日替わりだというのなら、確かに人海戦術でローラー作戦が一番早そうだ。

 しかし危険は見過ごせない。

 どうしたものかと赤井は悩む。


『して、獣とやらの脅威は毒のみですか?』


 エトワールからパウルへ質問だ。


「はい……獰猛で人を襲う獣ですが、武器を持って戦えば、太刀打ちできないものではありません。しかし多種多様な毒を持ち、解毒薬を作ろうにも間に合わないのです」

『どのような毒か、教えていただけませんか? 分かるかぎりで構いませんので』

 

 老女は無言で立ち上がり、部屋の壁面の埋め込み式の氷室をすっと示した。

 金属製の箱が氷で冷やしてある。

 食材用冷蔵庫かと思いきや、違うようだ。


「あれが何十年もかけて死んだ森の獣たちから集めた、全ての毒ですじゃ」

『拝見します』


 五十センチ四方の金属製の箱を氷室から出し、赤井とエトワールで中を確認する。

 箱の内部が整然と仕切られサンプリングされた何がしかの結晶体が入っている。

 標本箱だ。

 大ババ様のサンプル収集力に目を見張る。


『これが毒の結晶ですか』


 実に数十種類もの小瓶に、毒の結晶と思しき小指先ほどの小さな結晶片が整然と詰められていた。

 これだけの種類の毒を持つ動物がいるとなると、森そのものが人を寄せ付けないという話にも説得力が増す。

 エトワールはインフォメーションボードを立ち上げ、毒の成分解析を開始。

 いつの間にか、複数のウィンドウを引っ張り出していた。


 しかし数分後、かぶりをふり、いっそ清々しい笑顔とともにボードをシャットダウン。


”うん、解毒剤作ればいいかと思ったけど無理。諦めよう赤井君”

”さじを投げたんですね、先輩”


 赤井の右肩ががくっとさがる。


「薬草を調合して毒消しを作っておりますが、目も悪く、この老いぼれめではなかなか効果のあるものができませんでしたのじゃ……」


 老女の声は、涙まじりだ。

 彼女はパウルお抱えの薬師。

 パウルの脚の壊死の進行をある程度食い止め、敗血症を防いでいたのは大ババ様の手当があってこそ。

 赤井はそっと彼女の肩に両手を置き、積年の苦労を偲ぶ。


『老いぼれなどと言わないでください。毒を結晶化して保存するとは、すぐれた知恵です、試料の保存は解毒のための手がかりとなる。それに、解毒剤を作るのは困難を極めるでしょう』 

「おお、ありがたや。そう仰っていただけると、救われますでのう」


 早いところ精霊を見つけて、不自由生活からネストの民を解放しないと、と赤井は真面目にそう思う。義君ながら一人でカラ回ってるパウルもネスト王家も、崖の上のネスト民も気の毒でたまらない。

 飛翔のできる赤井とエトワールで即日断崖から森に降り、精霊の手がかりだけでも捜そうかと考えていた時。


「赤い神様、異国の方々、民が待っております。ネストを視察していただけませんか」


 パウルの鶴の一声で、赤井らは先にネストの各所を視察することに。城外に出れば既に噂が広まり、ネスト民が黄色い歓声を上げ祝福をしてもらいたがっていた。赤井は道すがら人々にのほほんと祝福して歩きながら、ネスト台地の中央の牧場へ向かう。


 彼は期待していたのだ。念願のモフモフ……いるとしたらここしかない、と。


”毛のない獣たちよさらば! 今日から私もモフモフ富豪だ”


 全国四億五千万人の日本国民のモフラーにその様子を実況中継したい勢いの赤井である。

 高鳴る胸をおさえつけ、柵の向こうの草原には……いた!! 

 数百頭のモフモフの大群が! 

 毛むくじゃらのふっかふかの動物が! 


”毛100%! 壮観すぎてもう私モフ死しそう。もし死んでたらエトワール先輩、モフ死って診断書書いていいから”


『わああああ――!』


 思わず赤井は絶叫。

 第二区画の構築士に感謝してもしつくせない。

 赤井が妙に動揺しているので、「どうなされましたか、御心が昂ぶっておられるようですが」とロイが訝しむが、彼はそれどころではなかった。


”昂ぶってるなんてもんじゃないよ、みなぎってるよ!”


 手前にいて柵から首を出してこっち見てる動物はボルゾイ的なルックスで、馬サイズだ。首がやたら長く、コバルトブルーでカールした毛に全身がびっちり覆われていた。首を上下にゆらゆら振って挨拶する。張子の虎のようだった。愛くるしくつぶらな瞳は駱駝のそれを彷彿とさせる。


「マーマー」

「ママーマー、マママーマー」

”完璧甘えてるよねこれ。毛だけじゃなく、舌まで青い。つか何その鳴き声?”


「マ!?」

”ちょ、一斉にこっち見んな! ……かわいいから許されるけどさ”

「マ~~~」


 青ボルゾイだと思っていたら、羊っぽく鳴いた。

 そのシュールさに辛抱たまらず赤井はひっしと抱きついたが、フローラル系の上品な香りがして高級感を漂わせている。牧場に生える香草が主食らしい。


『ミシカさん、この青い家畜は何というのですか』

「シツジといいます。グランダにはいないのでしょうか。毛を刈ったり、大人しいので背に騎乗できます。肉は美味で、俊足です。ご覧に入れましょう」

”羊? 執事? 違うか、シツジなのか。青ボルゾイなのに?”


 馬の代替生物のようだ。

 ミシカが指笛を吹くとミシカの愛馬、ではなく愛シツジが駆け込んできて彼女はその背にひらりと飛び乗り、他のシツジの背を障害物に見立て次々と飛び越える。見事な騎乗テクニックと、シツジの卓越したジャンプ力に、馬を高機動にした感じか、と赤井は把握した。


「みなさんも乗ってみます?」


 シツジの性質は温和で人懐こいというので、同行した素民たちも一人ずつ体験騎乗だ。


 それぞれが騎乗すると飼育員に手綱を引かれ、馬場を一周する。

 牧場にありがちな長閑な風景で、赤井は記念写真でも撮りたい気分になる。

 エトワールだけ乗らなかったのは、馬に天使の組み合わせでペガサスのようになって面白いからだと赤井は疑わない。


”いらんお世話だぞ赤井君”


 図星だった。


「わー、とっても楽しいですー!」


 アイで騎乗に慣れていたメグは、乗馬ならぬ乗シツジセンスは抜群だ。

 ロイとラウルも度胸があるのですぐにコツを掴んで乗りこなす。

 一通り堪能したあと、ロイとキララは仔シツジ数頭連れて帰りたがったので、ミシカが「グランダとモンジャとネストの友好のしるしです」と快諾。


「あれ?」


 いつの間にかメグの周りにシツジが大集合してた。

 彼女、動物に好かれるタイプなのかな。代わってほしい赤井であった。


「あかいかみさま、助けてください~。囲まれて全然動けませんー、服がシツジの毛玉だらけになってます!!」

「えー、どうしてそんなにメグちゃんに懐いちゃったんだろう」


 かわいがっていたシツジたちの裏切りに、ミシカは口を尖らせている。

 一見微笑ましい光景と思いきや、メグはにっちもさっちも動けず真剣に困っていたので赤井が助け舟を出し、


『シツジさんたち、もうメグさんから離れて向こうで遊んでいらっしゃいー!』


 というとシツジは悪口を言いながら解散していった。


『ケチとは失礼ですよ! あと、”赤い”は悪口のうちに入りませんよ!』


 こんなときは動物と意思疎通できるというのも善し悪しだった。


 ともあれ今後、このシツジを利用した牛馬耕、馬車、貨物牽引、騎馬隊などが利用できそうだった。

 エドは気性が荒く肉食性だったが、温和で万能なシツジがモンジャやグランダに齎されれば文明レベルが急加速すること請け合いだ。

 第二区画の人ありがとう、と、赤井は頭が下がる思いだ。


「あ! ミシカちゃん、あっちは何の塊ですー? 色とりどりできれいですー!」


 メグが指さす先には、色とりどりの毛玉の塊が団子のように小山を作ってる。


「こっち向いて~!」


 メグが大声で呼んだので、毛玉が数個ほぐれ、動物の顔らしきものがにょきにょきっと生えた。

 耳の長い色つき巨大ウサギもどきが折り重なり鎮座していたのだ。

 球体に近い形態で、手足と顔が取ってつけたよう。

 寄り集まって集団で暖を取っているのだ。

 一匹が運動会の大玉の二倍程度のサイズで、アンゴラウサギ的な毛の質感である。

 赤、青、黄色、紫、黄緑、ピンクと、カラーバリエーションも充実している。

 染料いらずでセーターが編めそうだった。


 しかしミシカは真っ青になってメグの口を抑える。


「しっ! 大きな声を出して驚かせてはいけません! 興奮すると集団で転がってくるのです。一見柔らかそうですが、重いので轢かれると命の危険も」


 カラーアンゴラは暫く顔をこちらに向けると、飽きたのか元の毛玉に戻った。


「ご、ごめんなさいミシカちゃん。私、不用意に大声出して」

「毛から糸を紡げば、上質の毛織物ができますよ! 肉は格別においしいです」


 牧場視察を終え寒風吹きすさぶ牧場を移動しながら、同行素民たちはシツジの利便性に心を奪われていた。


「モンジャの民も、シツジに乗れば移動も楽でしょうね」


 メグが赤井にシツジの感想を述べる。


『家畜と共存するネストの民の暮らしは、よく工夫が凝らされています。学ぶべきところは多々あると思いますよ』

「シツジに乗れば、敵より遥かに優位に立てそうですね。シツジの上から刺突や投擲をするにも有利です。組織的に陣形を組めば、多彩な戦略を可能としそうです。戻ったら早速導入してみましょう」


 ロイはこのシツジを使った騎兵団の機動性に着目し、軍事力増強の青写真ができたようだ。しかし赤井はロイの口から敵という物騒な言葉が初めて飛び出して、いつになく不安になった。


『ロイさん?』

「なんですか?」


 彼には悪気がないようだった。

 最近、ロイの国防意識が強すぎて赤井は少々懸念している。

 それとも、野心は国防に留まらないのだろうか。

 男子たるもの、世界を知ることは、野心を知ることでもあるのかもしれなかった。


『いえ……』

”物騒な方面に行かないよう、しっかり目を配っておかないと”


 赤井が半ば寂しく思っていると


『分岐点に立っているな……赤井君のもとにいても避けられないのか』


 エトワールがぽつりとこぼし、ついでに大きく失望の溜め息をついた。


『どういうことです?』


 エトワールは現実世界側の盗聴に用心して念話で


”これはもう、君に話しておいた方がいいだろう。彼を止められるのは、君しかいない”

”え、止めるって何をです。……何かそこはかとなく嫌な予感がするんですが”

”高度学習型A.I.であるロイは、さる重大な使命のために開発された。日本アガルタのみならず米国アガルタでも試験導入され、日米全ての構築士がロイというA.I.を知っている”

”!? ……ロイは他の管区にもいるんですか!?”

”ロイは文武両道の万能タイプで、神通力との親和性もいいだろう。理解力も応用力も高く、物怖じもしない。おかしいとは思わなかったか?”


 確かに、一人だけありえないほどハイスペックだった。

 それが彼の個性なのかと赤井は思っていたが。

 赤井はロイが近くにいるので、平静を取り繕うので精一杯だ。


”君の代役が、彼に務まりそうだと思ったことも一度や二度ではないだろう”


 日常茶飯事だった。


”なんなら私より神様らしいぐらいです、優しい子ですし私なんかより聡明です。で、でも他の管区のロイはどうなんですか? やっぱり出木杉君なんでしょうか”


”ロイの再生された環境は違えど、全て同じ失敗に終わり――危険な脅威として構築士らに処分された”

”しょ、処分って!? 彼が脅威になってしまったんですか?”

”君ならそれを回避できるかと思っていた、しかし兆候は表れている。今のようにな”


 しん、と、ネストを吹き渡る風が止んでしまったかのように錯覚される。

 赤井が立ち止ったので、ナズが「どうしましたか」と首を傾げる。


”他管区のロイというA.I.は本来の目的を達することなく、どのような過程を経ても”


 エトワールは一呼吸置き、赤井の瞳を捉え吐露した。


”暴君になってしまったんだよ”


 目の前には草原を踏みしめ、空を見上げ背伸びをする、ロイの後姿。

 彼は最後の一人だ、とエトワールはその逞しい背を見つめる。


”赤井君……君は止められるか? 救えるか? 彼を――”


 彼の笑顔が、その心が。

 遠ざかってゆくように感じた。


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