第2話
オークとはこの迷宮都市において、魔物ではなく亜人種に分類される豚──正しくは猪──頭の獣人である。
そもそも亜人種とは、人類に近い見た目と知性を持ちながら、ヒューマンやエルフといった覇権種族と比較して文明レベルが大きく劣後する種に対する総称だ。人類圏にとって必ずしも敵ではないが、自分たちと同一の権利を認めるには少し差し障りがある種に対する蔑称。
オークやコボルト、オーガなどがこれに分類されるが、実のところ亜人種という概念を認めず、魔物として問答無用で敵対する地域も珍しくない。
亜人種にどこまでの権利を認めるかも地域によって様々で、戦争で功績をあげオーガでありながら騎士位を認められた英雄の話なども稀に聞く。しかし、亜人に対する世間一般の認識はせいぜい『話の通じる魔物』であり、心から彼らを対等と認める者は少ない。
特にオークは今でこそ人類圏の一員とされているが、元々は長きにわたって人類──特にエルフと熾烈な戦いを繰り広げてきた好戦的な種族。文化や風習の違いからトラブルを起こすことも多く、基本的に人類とは互いに距離を置いている。
そして迷宮都市エンデにおいて、オークたちの立場は更に複雑だ。
このエンデには、大迷宮から何らかの理由で分離独立した半迷宮が複数存在し、そこに大規模なオークの集落があるのは有名な話。では彼らオークがその強靭な肉体を活かし冒険者として活動しているかというと、実はそうではなかった。
迷宮都市の住人であろうとオークが冒険者として活動することは基本的にない。それは彼らが冒険者となることを禁じられているなどという理由からではなく、単純にオークたちにとって迷宮に潜ることが危険だからだ。
というのも今でこそ廃止された規定だが、つい数十年前まで迷宮内では亜人種の人権が一時的に剥奪されていた。その理由は、一部の人類に敵対的な亜人種が迷宮内に棲みつくことがあり、敵として積極的に排除する方針を唱えていなければ危険だから、というもの。
その規定が悪用され、迷宮内に連れ込んでの亜人種狩りが横行したこともあり、現在ではその規定は廃止されている。だが実際、人類に敵対的な亜人種が迷宮に存在しないわけではない。人類が迷宮内で亜人種に危害を加えてもよほどのことがない限り罪に問われることはなく、亜人種が迷宮に潜ることは誰にとっても良い結果をもたらさないというのが双方の共通認識だ。コボルトのようにか弱い種族ならまだしも、オークのように強靭で好戦的な種族は特に。
「改めて問う! ここに私と共に迷宮に潜ってくださる勇者はいらっしゃらぬか!」
冒険者ギルドの中心で、冒険者となることが望まれぬオークの女戦士が訴える。
周囲の冒険者は困惑し遠巻きに様子をうかがっているが、その目に宿る光は決して好意的なものではなかった。
突き刺さる無数の視線に対し、オークの女戦士は全く怯むことなく堂々とその場に仁王立ちする。彼女がどこまで状況を理解できているのか、その毅然とした表情からは何もうかがい知ることはできなかった。
「どなたか──」
「うるせぇよ」
どすの利いた男の声が、オークの訴えを遮る。
「雌豚風情がギャンギャン吠えてんじゃねぇ。ゴロツキどもに使われて人間様の仲間になれたとでも勘違いしたか? 豚は豚らしく巣穴に戻って大人しく雄の下で腰でもふってろ」
「…………」
相応のベテランと分かる引き締まった体躯の冒険者が、イラついた様子でオークに近づき、静かに罵声を浴びせる。
そのあからまに汚い言葉を聞いてなお、オークの女戦士は表情一つ変えず、堂々と男を見返していた。
「ちっ。テメェ……!」
マズい、とウルは感じた。
彼の懸念通り、その態度に馬鹿にされたと感じた男は、オークの女戦士が持つ槍を掴み、力づくで彼女を排除しようとする。
「──ぬ……っ!?」
しかし、オークが持つ槍はほとんど微動だにしない。男は顔を真っ赤にして力を入れるが、平均的な彼の腕と丸太のように太いオークの腕とでは腕力の差は明らかだった。
──グルン!
「うおっ!?」
オークの女戦士は槍を少しだけ持ち上げ、捩じるように柄の先で床を軽く叩く。たったそれだけの動作で、男の手は槍から振り払われていた。
戦士としての技量云々ではない、種としての圧倒的な膂力の差。それをまざまざと見せつけたオークは、感情の見えない瞳で男を見据え、淡々と告げる。
「騒がせてしまったことは謝罪しよう。だが私は共に戦う勇者を必要としている。どうか邪魔をしないでいただきたい」
「────」
慇懃な謝罪。しかしそれは男の面目を潰す行為だった。彼とその仲間の敵意がスッと膨れ上がる。
周囲の冒険者たちはそれを察して“マズい”とは理解しつつも、わざわざ割って入ろうとまではしない。ウルもその例外ではなく、状況の変化について行けずただ茫然と成り行きを見守るばかりだった──が。
「──お待ちください」
割って入ったのは先ほどまでウルの応対をしていたギルド職員、ロイド。彼は剣呑な空気を無視し、普段通りの柔和な笑みを浮かべてオークに話しかける。
「先ほど冒険者になる、と発言されていましたが、登録手続きはお済みですか?」
「む? とうろくてつづき……?」
ここにきて初めてオークの表情が困惑に歪む。
「はい。冒険者となるには登録料の納付を含め手続きが必要です」
「いや、そういったことはまだ……」
「では、仲間の勧誘はそちらを済ませてからにいたしましょう」
「む? いや、だが……」
「物事には順序がございます。ギルドで仲間を求めるのであれば、まず冒険者となる手続きをしていただきたい。ここは冒険者のための施設です」
「…………道理だな」
穏やかながらきっぱりとしたロイドの言葉に、オークの女戦士は従う様子を見せた。
だがそこで、はいそうですかと簡単に引けないのが、面目を潰された──あるいは自爆した──ベテランの男。
「おい。横からしゃしゃり出て仕切ってんじゃねぇよ……!」
彼の仲間は流石にギルド職員相手にトラブルを起こすのはマズいと引き気味だが、当人は完全に引っ込みがつかなくなっている。
自分の肩を掴んで押しのけようとする男相手にロイドはそっと耳元に口を寄せ、何事かを小声で囁いた。
「…………ょ」
「────!?」
顔を引きつらせた男に対し、ロイドは柔和な笑顔で改めて告げた。
「申し訳ありませんが、施設内で揉め事を起こされますと、誰に非があれ双方にペナルティを下さざるを得ません。どうかここは私に引き取らせていただければ」
「お、おう……」
完全に毒気を抜かれた様子の男に軽く一礼し、ロイドは改めてオークの女戦士に向き直った。
「さ、参りましょう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「それではまず、こちらの登録用紙にお名前など必要な項目をご記入いただきたいのですが……共通語の読み書きは可能ですか?」
「うむ。婆様から習ったので大丈夫だぞ」
「それは良かった。それでは──」
ギルド内の個室に場所を移し、冒険者としての登録手続きを進めるロイドとオークの女戦士。
粛々とした手続きを遮るのは少し気が引けたが、ウルはおずおずと右手を挙げて口を開いた。
「その、手続きはいいんすけど、何で俺も同席してんすか?」
「──ん?」
キョトンとした表情でオークの女戦士が首を傾げる。
近くで見るとその顔立ちは幼く、オークにしては体毛が薄く色白なこともあってか、意外と愛嬌があって可愛らしく見えた。
「いや、何であんた──」
「あんたではない。エレオノーレだ」
オークの女戦士──エレオノーレの訂正を煩わしく思いつつも、ウルはそれを表情には出さず軽く頷き、続けた。
「エレオノーレ。何で君も平然と俺の同席を受け入れてるんだ? こういう個人情報が絡む手続きの場に他人を同席させるのはどう考えても非常識だろ」
「ふむ?」
「ああ……そういえばウルさんは、この街に来てまだ日が浅いのでご存じないかもしれませんね」
ポンと両の手を叩き、納得した様子で頷いたのは『それではウルさん、ご同席をお願いします』と当然のように告げ、この場に引きずりこんだロイド。
「この街では人間種と亜人種が話をする際は、トラブル防止のために第三者が立ち合いをするのが通例となっているんですよ」
「…………ほ?」
そう説明されて少し目を丸くするウル。
「この街の冒険者にとっては常識なので、ついご存じとばかり思いこんでいました。申し訳ありません」
「あ、いえいえ」
謝罪するロイドにウルは慌てて頭を上げさせた。
ロイドの様子からすると本当に常識の範疇らしい。外部から来た者であれ普通であれば他の先輩冒険者が教えてくれるのだろうが、ずっとソロでやってきたウルはその辺りの常識が欠如していた。
「ちなみに立ち合いを求められた側は、急ぎの用事がない限り拒んではならない、というのが暗黙の了解となっています。私の同僚ですと厳密には第三者とは言えませんし、あの場にいた他の冒険者は大なり小なり彼女に対して反感を抱いているようでしたから、個人的によく知っているウルさんに立ち合いをお願いさせていただきました」
「……なるほど」
ロイドの強引な引き込みの経緯を理解し、頷く。彼の言い分は分かった。分からないのは──
「エレオノーレ。君は不満じゃないのか?」
「うん? どういう意味だ?」
その問いかけに、エレオノーレは意味が分からないと再び首を傾げた。
ウルはチラリとロイドに視線をやり、少しだけ言いづらそうにその疑問を口にする。
「君の立場からしたら、亜人だからという理由でトラブルを起こす可能性が高いと言われてるようなものだろ。そこに不満は無いのか?」
「不満も何も、トラブルなら現に先ほど起きていたではないか」
「────」
顔色一つ変えずエレオノーレにそう言われ、思わず言葉に詰まる。
そんなウルを見て彼女は苦笑して続けた。
「すまない。貴方は私の立場を気遣って言ってくれているのに、失礼な言い方をした」
「あ、いや。本人が納得してるなら別にいいんだけど……」
「納得も何も、この立ち合い制度はむしろ我々を守るためのものだからな。不満などあろうはずもない」
ウルはエレオノーレが言った言葉の意味が分からず、ロイドに視線を向けた。彼は少しだけ気まずそうに指で耳の後ろをかき、口を開く。
「……実は、昔は色々とあったんですよ。二人きりになって人目がないのをいいことに、亜人の方々に暴力を振るったり、逆に暴力を振るわれたと冤罪をでっちあげるケースが」
「…………」
有り得る話だ、とウルはエレオノーレの手前口には出さず納得した。
制度上、人類に近しい権利が認められているとはいえ、実態として亜人の権利は人類に劣後している。両者の間でトラブルが起きた時、不利な立場に立たされるのは間違いなく亜人。この立ち合い制度でさえ絶対に亜人を守ってくれるとは言えず、エレオノーレはこの場にいるだけで相当なリスクを背負っていることになる。
なぜそこまでして、という意味を込め、ウルは眉をひそめてエレオノーレに視線を向ける。
「うむ。人間のコミュニティに我々が立ち入れば、そこに摩擦が生じるのは当然だ。我々は招かれざる客なのだからな」
彼女は何ら気にした様子もなく、快活に微笑んだ。
「だが私もこのままでいいとは思っていない。我らもこの街の住人である以上、迷宮や冒険者と関りを絶って生きていくことはできないのだ。誰かが懐に飛び込み、この関係を変えていかなければな」




