9 詰みの一手(徳川家康)
続きです。
9 詰みの一手(徳川家康)
国元に一時帰国した家康は側近の一人である本多正信と、
自身の居城である江戸城の一室で碁を打っていた。家康が大枚をはたいて買った最上級の碁盤だ。
木目が洗練とした匠による造形……普段、贅沢を一切しない家康だが、碁に置いては妥協を許さず、
棋力向上の為、名だたる囲碁の名人を呼び、指導碁を打ってもらっている。
それ故に、家康の棋力は戦国の世に置いても有数の者となっていた。
相手の本多正信も碁を嗜み、その棋力も凡百ではない。正信は元々、鷹匠として家康に仕えていたが、
その智謀の神髄を知った家康は自身の知恵袋として、傍らに置いている。
「正信、少しは勉強したか? 置石はどれだけ置いても構わぬぞ」
家康は碁の実力では正信を上回っていた。それ故に軽口を叩いて正信に言った。
「はい……それでは三子置かせてもらいます」
正信は家康には敵わないので、三子置いて対局する事を願い出た。
囲碁という競技は、相手の実力差に応じて、一子から九子まで置石を置く決まりごとがあった。
正信は三子置かせてもらうと言ったが、家康に三子置いて勝利したら囲碁の道で食べていける。
「「お願いします」」
お互いに一礼して両雄の対局が始まり、家康は華麗な打ち回しで、難なく正信を巧みに翻弄。
正信は星の定石である三連星の布石を打っていくが、家康は正信が稼いだ地所を食い荒らす。
あっと言う間に正信が築いた根拠を根こそぎ奪い、自らの地所を稼いでいく。
正信は目算するも、圧倒的に足りない事を理解。家康に頭を下げ、
「……ありません」
正信は潔く投了。三子局は家康の大勝となった。家康は碁の腕前も一級品であり、
教養の深さにも定評がある。その昔……幼き頃、耐え難き苦難の日々を時々、思い出す。
家康は今川の人質生活の折、軍師太源雪斎に手ほどきを受けた。
亡き太源雪斎はあらゆる物事に通じ、その神髄を家康に叩き込んだ。
家康も学習意欲が高く、天下を取るために雪斎の教えを必死に身体に刻み込んだ。
その成果として家康は海千山千の巨大な怪物として成長した。
既に教養、胆力、経験、軍略……何一つ家康には欠けてはいない。家康には最早、死角が無かった。
ふとした時、家康に驕りの心が芽生えるが、その度に家康は心の奥底に封じ込めていた。
――儂は今、智謀極まる正信に碁で勝利を収めた。だが、ゆめゆめ驕ってはならぬ。
驕れば亡き太閤秀吉のようになってしまう。
天下人とは常に驕りの心と戦わなければならないと家康は常々思っていた。
まだ、天下を取っていないのにこれだ。家康は必死に己を律する事に注視していた。
虎視眈々と狙う天下人の座……豊臣家を滅ぼす為の一手を毎晩、正信と語らっている。
碁の実力はまだまだだが、正信とて凡百の類ではない。その智謀は家康に迫る程だ。
それほどの知恵者同士が毎晩、詰みの一手を模索している。
その間、秀頼と淀殿は吞気に豊臣の栄華に溺れていると思うと、笑みしか零れなかった。
徳川家康と本多正信の夢の対局。
全てを兼ね備えた家康にはもはや死角はないのか。




