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27 神君(守景)

 27 神君(守景)



 西暦1601年。江戸城。徳川家四百万石――。

 天下の覇権の行方を賭けた関ケ原の戦いは徳川家康の大勝利となった。

 徳川の威勢は鰻登りであり、家康は朝廷より、征夷大将軍に任じられ、天下は徳川の世となった。

 卓越した智謀と戦略眼で、三成ら西軍を終始余裕で打ち破った家康は『神君』と称えられた。

 そして、家康の後継者として守景は擁立される。

 徳川家康から、世継ぎ足る教育を施され、持ち前の向上心で研鑽を積み、大人物へと成長した。

 そして江戸城にて、居並ぶ家臣団にお披露目された。この時、守景は若干十八歳である。

 守景は気後れすることなく悠然と上座に座し、居並ぶ三河武士を始めとした家臣団を眺め、

 優雅で、何処か気品を感じさせる貴公子然とした佇まいをする。


「皆の者、大儀。守景である。私は次期に父、家康から将軍の座を譲られる。

 徳川家の天下の安定に私は全力を注ぐ。それが、徳川家次期当主としての私の務めだ」


 守景は全く緊張することなく言葉を広間中に届く声音で発した。その眼は何処か愁いを帯びていた。

 その美しくも気品のある佇まいに広間中の者達は恍惚として守景の虜となっていた。

 一年余りに及び研鑽を積んだ守景はその才覚は並ぶ者はいないと称されていた。

 既に父であり、師である徳川家康さえも超えていると言っても過言ではない。

 守景は若干十八にして、経験、軍略、胆力、教養、見目。全てを兼ね備えた存在へと昇華した。

 それを隣で見ていた徳川家康が満足そうに頷いている。

 徳川譜代の三河以来の家臣団も、全て守景を畏怖していた。守景は全く機微を変化させず言葉を続ける。


「真に唐突だが、私は人を見る目に自信があるつもりだ。

 本多正純、大久保忠世。両名は我が徳川家臣団には必要が無い。

 所領を全て没収し、追放とする。不服ならば私を論破するがいい」


 守景は聡明鋭利であり、人を見る眼力は卓越していると自負している。

 しかし、本多正純と大久保忠世は憤慨して立ち上がる。どうやら不服らしい。


「それはあんまりではござらぬか?」


「そうでござる! 如何に徳川家の御嫡男とはいえ、それは心外」


 守景は反発する二人を前に余裕の笑みを零して、彼らを論破しようと毅然とした言葉を発しようとする。

 既に彼らを論破する言葉は考えている。守景は得意満面で言葉を切り出す。


「まず、大久保忠世……お主は三河以来の譜代の重鎮、大久保氏の傍流であるな。

 だが、関ケ原の折、一軍を率いながら目立った戦果を挙げないどころか、積極的に攻めなかった。

 次に本多正純。その智謀は父の本多正信譲りと聞いたが、同じく関ケ原の折、

 我が兄である秀忠の軍に付き、参謀としていながら、中山道にて真田父子に翻弄され、

 何の策も講じなかった。その不手際によって、両名は所領没収の上、追放処分とする」


 不手際を見事に突かれた両名は何も言い訳出来ず、広間から姿を消した。

 それを見ていた徳川家臣団は守景を恐れつつも、その眼力に畏敬の念を抱いた。

 守景はこの一年余りで別人のように変貌を遂げた。それを自覚しながらも、

 心ここにあらず……秀頼や豪、秀家の事を頭の片隅では考えていた。

 自分は豊臣家を裏切った。その自責の念を振り払うのに守景は必死だった。

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