第二章。理想と現実。
「でも……もうおみせできなくなっちゃうんだよね……?」
ルエラがか細い声で囁く。その言葉に、トリナも寂しげに俯いた。
「え……? どういう事?」
「実は今、ウイリアの整地計画があるんです。その中に、この無神街を取り壊そうという動きがありましてね……。今日は人が多くなかったですか?」
「言われてみれば……そうかな? 宿が全然とれなくて、今もモミさん達が探している最中なんだ」
「一昨日くらいからその会議がありまして、だから普段より人が多いんですよ」
「そうなんだ……。でもさ、別にお店が出来なくなるわけじゃないでしょ? 新しくまた始めればいいんじゃない?」
無神街が無くなる。
僕としては、それを悪い事とは思えない。
確かに無くなってしまうのは少し寂しいけど、それでも取り壊して新しくなるなら、そっちのほうが良いに決まってる。
でも、世の中はそんな単純じゃない。
「何処でやるのよ」
ニーヤが口を開く。
「どこでって――ここで」
僕の言葉にため息をつき、呆れ顔で頭を押さえる。
「ほんっと何にも知らないのね。いい? アンタは勘違いしてる。この子達はここに住んでいるけど、ここはこの子達の家じゃないわ。いや、居場所じゃないって言った方が良いかしら。
この子達だけじゃない。無神街に住んでいる人達は、勝手に住んでいるのよ。だから新しくなったところで――」
「……ここに居れるわけじゃないって事?」
トリナが黙って頷いた。
「どうして人が多いかわかる? 皆噂を聞いて集まってきているからよ。こんな大都市だもん、新しい区画が出来るなら、そこに店を開こうとする商人は腐るほど沸いてくるわ。そんな中、この子達に居場所はあると思う?」
「だ、だったら別の場所に移ればいいんじゃないの?」
「あのね、街に住むってのは簡単な事じゃないの。何処の馬の骨か分からない人間をほいほいと受け入れたりしないの。ちゃんとした手続きを踏んで、街の人間と認められるのは普通の町でも難しいのよ。ウイリアならそれなりの財産を持ってないとまず無理ね」
「そんな……」
ずっと住んでいたのに、ここで育ったのに、彼女達に居場所は無いって言うのか?
勝手に住んでいただけだって、それで切り捨てられるのか?
やり場の無い怒り。
ぶつけようの無い。ぶつける相手のいない。
何度も感じた――やるせなさ。
「大丈夫ですよケンセイさん」
ナギさんが笑顔を浮かべる。
「この子達は大丈夫です。私が責任を持って面倒を見ます。ここじゃなくても、頑張って生きていきますよ」
「そうですよ。ここを離れるのは寂しいですけど、ナギさんとルエラと、三人で頑張ります」
もしかしたら、いつかはこんな日が来ると思っていたんだろう。
彼女達に悲壮感はなかった。
強い――希望があった。
「そっか。ナギさん達なら、何処に行っても大丈夫そうだ」
「うん! ルエラまかいにいきたい! まかいにいって、ママみたいな『さきゅばす』になるの!」
一瞬で静まった。止まった。固まった。
動いているのは――目をらんらんと輝かせたルエラだけだ。
「……す、すみません……」
おずおずと頭を下げるナギさんの姿は――母親のようだった。
「じゃあ、僕達はそろそろ行こうか」
彼女達は元気だった。これからもきっと大丈夫だろう。
それだけで満足だ。
「え? もう帰ってしまうんですか?」
「あ、うん。この様子じゃ宿も取れそうにないしね」
「えー! はやいよ! 帰っちゃダメ! ダメだもん!」
「えっ!? ちょ、こらっ!」
ルエラがニーヤの足をロックした。
ニーヤの動きを止めるとは。やはり――この子できるな!
「もし良かったら家に泊まって行って下さい。少し狭いですが、皆さん眠れると思います」
「ニーヤ、どうする?」
「しょうがないわね……」
足元を見ながら、ため息混じりに言った。
「じゃあアタシモミ達に伝えてくるわよ。ほら、離しなさい。あ、でも馬車どうしようかな。流石にここまでは持ってこれないし」
「馬車でいらっしゃったんですか? 私商会にあてがあるので、言えば多分預かってもらえるかと思います」
「アンタが商会と……? 何、そういう関係だったりするの?」
「いえ、ただのお客様です」
満面の笑みで答えるナギさんに、何だか女性の暗部を見た気がするのは気のせいだろうか。
ただのお客様って言葉――なんか切ないな。
「お馬さん見たい! 見にいってもいい!?」
「ルエラ。これからお仕事でしょ! お姉ちゃん達に迷惑かけちゃダメ!」
「見たぁああいいいい! おうまさああああああん!」
その様子を見たナギさんが、パチンと手を叩く。
「よし、今日はお休みにしちゃおう。トリナ、お馬さん見てきてもいいから、お姉ちゃんを商会まで案内してくれる?」
「はーい! じゃあいこ! はやくいこ!」
困惑するニーヤの腕を引き、半ば無理矢理外へと連れて行く。困惑するニーヤを見るのは新鮮で面白い。
「あ、あの! 私……も行っていいかな……?」
妹に注意した手前、恥ずかしいのかおずおずと手を上げるトリナ。ナギさんが頷くと、喜んで駆けて行く。
僕は、姉妹を見送るナギさんの幸福そうな横顔に見惚れていた。
「でも、本当にケンセイさんが元気で嬉しかったです」
「それは僕も同じだよ。あの子達の面倒まで見てくれて、本当にありがとう」
僕は話した。僕があの子達にした事が、本当に正しかったのか悩んでいた事。
会いたいと思う反面、最悪の状況を考えると不安でたまらなかった事。
「そんな事、考えたって仕方ありませんよ」
僕を慰めるようにナギさんは笑った。
「誰だって、出来る事と出来ない事はあります。さっきは大丈夫だなんて生意気な事を言っちゃいましたが、私にだって不安はありますよ。あの子達と一緒に今は何とかやっていますが、これからどうなるかなんて分かりませんからね。家族ごっこをしているだけで、本当の家族じゃないんですから」
「それは違うよ。血が繋がってなくたって、家族になろうと思えば、家族で居ようと思えば、もう立派な家族じゃないか」
ナギさんの自虐的な微笑みに、つい否定的な言葉を吐く。
希望を語るのは簡単だ。
現実から目を背ける行為と同じく。
「ケンセイさん――私は魔族なんですよ」
血の繋がりよりも、もっと大きな隔たり。
「初めて会った時を覚えていますよね? もちろん、私がケンセイさんにした事も」
初めて出会った時、僕は道でうずくまっていた彼女を助けたつもりだったけど、それは勘違いだった。
彼女は僕を騙し、おびき寄せ、襲おうとした。
「それが私です。どう取り繕っても、いくら人間の振りをしても、私が魔族である事実は変わりません。ケンセイさん。私が何人、『あの子達』と同じ『人間』を殺したか分かりますか? 覚えているだけでも――」
「やめろ!」
聞きたくなかった。
見たくない。聞きたくない。知りたくない。
目を背けられるなら、背けていたい。
「……すいません。少し意地悪をしました。姉達もおらす、心の内を話せる相手が居なかったんで、感情的になっちゃったみたいです」
自分が恥ずかしい。
聞きたくない? 知りたくない?
一番その事実を、逃れようのない真実を突きつけられているのは彼女だと言うのに。
人間の子供を二人も連れて、人間社会で生きていこうとするナギさんの負担は計り知れない。
それなのに、彼女達は大丈夫そうだって?
そんな事を思った自分が、人間らしい醜さが、今はとても恥ずかしい。
「もしよかったら、テヘペロ村に来てみない?」
僕の口から出たのは、そんな言葉だった。
「ほら、ニーヤ達の故郷なんだけど、そこだったらきっと皆で暮らせるはずだよ。彼女達も反対はしないと思うしさ!」
「テヘペロ村――ですか? でも……」
遠慮がちに言葉を濁す。彼女の言いたい事は何となく感じた。
テヘペロ村は『魔族』に滅ぼされたのだ。いくら彼女は無関係だと言っても、同じ種族。
「大丈夫だって! 話せば分かってくれる。僕が必ず何とかする!」
根拠はない。根拠はないけど、何とかしたい。何かしたい。
「やっぱり優しいですね。ケンセイさんは」
そう微笑んで、言葉を続ける。
「でも、ケンセイさんはどうするんですか?」
「え?」
「ずっとテヘペロ村で暮らすつもりですか?」
ナギさんの言葉が何を意味するのか。
彼女が何を言わんとしているのか。
「僕は――」
脳裏に浮かぶのは、妖艶で、凶悪で、快活な笑顔。
きっかけでもあり、始まりでもあり、目的でもあった。
魔界ガジガラに住む魔族の王。
「待っているぞ」と僕を送り出してくれた。
パララ・アミルの姿。
僕はまだ、自分の道を決められずにいた。




