優しい世界
「まだそんな事をするの!? もうしないでって言ったじゃない!」
中に入り事情を話すと、彼女は妹を叱りつけた。
「まあ、あまり怒らないであげてよ。とりあえず今日の所は僕達に免じてって事でさ」
甘い、と言われればそうなのかもしれない。
だけど『罪を憎んで人を憎まず』と言う言葉があるくらいだし。
「本当にご迷惑おかけしました。それにこんな食料――買って頂いて申し訳ないんですが、受け取るわけにはいきません」
「いいんだよ。僕のおせっかいだから受け取ってよ。もう買っちゃったしね」
「……ありがとうございます。本当にありがとうございます……」
彼女の目から涙が零れ落ちる、それにつられてルエラも泣き出した。
「あー、女の子泣かして。酷い男ね」
ニーヤが意地悪そうに笑う。僕には苦笑いをする事しか出来なかった。
「私はトリナと言います、妹はルエラ。お二人は旅のお方ですか?」
「そうだよ、他にも後二人いるけどね。君達はずっとここに住んでいるの?」
「はい。元々は母と三人で暮らしていたんですが、病気で亡くなってしまって。それからはずっと二人で暮らしています」
「そうなんだ。大変だろうな、君達みたいな女の子二人じゃ」
「それでも、私達にはまだこの家がありますから。家が無い人もここには沢山いるんです」
お世辞にも綺麗とは言えない、小屋の様な家。
それでも、彼女達にとってはここが大事な居場所なんだ。
「この辺りも、前まではこんなに酷くなかったんですけどね。王妃様が亡くなってから、この町は随分変わりました」
そう言えば、屋台のおじさんも言ってたな。
王妃様が死んで、税が上がったとかなんとか。
「アタシもあんまり知らないんだけど、話だけは聞いてたよ。ウイリア王妃は良く出来た人で、貧しき者にも平等に接したってね」
「そうなんです。王妃様は本当に素晴らしい人でした。私達孤児にも良くして下さいましたし、教会でも貧しい者には配給を与えて下さっていたんです」
教会、か。
さっきの大聖堂に居た男は、まるで彼女をゴミでも見るような目だった。
「王妃様が死んでからこの町は変わりました。税金が上がり、教会も施しを止め――町の入り口にある踏み絵も、その頃に出来た物です」
「そう言えば、あの踏み絵に書かれてる女性は誰なんだ?」
「ああ、あれは『聖母ラデカ』ラストラ教の神様ね。ウイリアで信仰してるストラーダ教の神様は『イウェカ』って言う男の神様なんだ」
「そうなんだ。意外とニーヤって物知りなんだな」
モミさんは何でも知ってる様な感じしてたけど、意外とニーヤも頭いいのかな。
「ワーワルツに住む者なら誰だって知ってるよ、聖書に書かれてる有名な話だからね。それを馬鹿な人間が勝手に宗教とか言っちゃってるだけ。そもそもイウェカとラデカが別々になるのがおかしいんだから」
「どういう事?」
「元々二人は夫婦なのよ。イウェカが大地を創り、ラデカが人間を創り、二人で世界を築き上げた。それが聖書の本当の教えなの。それを教会が勝手に引き離して争っているんだから、神様も浮かばれないわよ」
男が偉いか、女が偉いかって感じなのかな。
ニーヤの言う通り、それじゃ神様も浮かばれないわ。
「それに、何か嫌な噂を耳にしたのよね。王妃様の事、トリナちゃんだっけ? 何か聞いてない?」
ニーナが訪ねると、彼女は顔を曇らせて、呟く様に言った。
「……殺されたって話ですか?」
「そう、やっぱり知ってるのね」
「王妃様って良い人だったんだろ? どうしてそんな人が殺されるんだ?」
僕の言葉に、ニーヤが大きくため息をついた。
「良い人だから殺されるって事もあるでしょ。生前の王妃様はこの二大宗教には反対してたらしいじゃない。元々の聖書の通り、神様は二人で一つ。だから宗教も一つだってね」
「別にそう思うのは普通じゃないか? いいじゃないか一つにしたら」
「そんな簡単な話じゃないのよ。信仰は莫大な富を生むわ。信じれば信じるほど、人々は教会にお金を落とす。それをアンタ、突然合体します、宗教は一つです。そんな事を言ったらどうなると思う? 教会は何処にでもある。それじゃあ別にウイリアじゃなくてもいいやってなるじゃない」
「それでいいんじゃないのか? 何が悪いんだ?」
ニーヤが頭を抱える。
あれ、僕なんかおかしい事言ってるのか?
「最初から一つなら別に問題はないわ。でも、ワーワルツにはもう二つの宗教が深く根付いているの。そしてストラーダ教の方がその数は多い。まぁ例えて言うならこのパンね」
彼女はパンを袋から取り出し、テーブルに並べた。
「この四つのパン。アタシが三個持ってる、アンタ一個だけ、そのパンをその子達と三人で分けなさいって言ったらどうする?」
「え、どうするって。人数分あるんだから一個ずつ分けようよって言うよ」
「何で? 何でアタシが分けなきゃいけないわけ?」
「何でって、不公平じゃないか」
「何が不公平なの? アタシのパンをあげる理由はないじゃない?」
「理由って、かわいそうだからだろ」
「別に、何とも思わないわって言ったら?」
「そしたら――」
そうしたら、どうすればいいんだ……?
「今のストラーダ教はアタシみたいな感じ、極端に言えばね。わざわざ自分のパンを減らすような真似はしたくないって事よ。皆に一つずつ分ける事が出来たって、毎日三個食べてたパンが一個になるのは嫌でしょ。それどころかもっと食べたい、食べれるなら食べれるだけ」
「そんな中に一人だけ、他の人にもパンを勝手に配る人が居たらどう? 目障りじゃないかしら。このままじゃパンが全部無くなってしまうんじゃないか。たった一人の女の所為で――そう思う人間も中にはいるでしょうね」
「だから王妃様は殺されたって言うのか?」
「さぁ? 真相は闇の中よ。昨日まで元気だった人が、突然病死したとしてもね」
「何だか嫌な話だな」
「そうね。本当に怖いのは魔物じゃなく、人間なのかもしれないわ」
ニーヤが寂しそうな顔で、テーブルのパンに目を落とした。
「あの、二人はどうして旅をしているんですか?」
僕達の話を黙って聞いていたトリナが口を開いた。
「僕は彼女達に付き合わせてもらってるだけなんだ」
「そうなんですか。ニーヤさんはどうして?」
「アタシは――」
そう言うと、ニーヤはしばらく言葉に詰まった。
「誰にも言わないって約束する?」
少女達が首を縦に振った。
「魔王を倒しに行くんだよ」
ニーヤがそう言った瞬間、少女達の顔がぱあっと明るくなった。
まるでヒーローでも見るかのように。目がキラキラと輝いている。
「本当ですか!? うわー! すごいなぁ!」
「勇者様みたい! あ、そうだ!」
妹のルエラが部屋の奥に走っていく。
戻って来たその手には、一冊の本が握られていた。
「あー懐かしいね。アタシも子供の時読んだよ」
「有名な本なの?」
「子供向けの絵本かな。まぁ、ありきたりなお話だけどね」
パラパラとページをめくる。
文字は分からないけど、三人の戦士が旅をしているようだ。
「あ、これって――」
終盤のページ。
青い炎を身にまとった戦士が、大きな怪物と戦っている。
「その火、ペロとそっくりでしょ。まぁそれは男だけどさ」
「ニーヤさん達凄いんですね! 本当に魔王を倒しに行くんだ!」
「まぁね。内緒だよ。誰にも言っちゃダメだからね」
「はい、分かりましたっ!」
唇に人差し指を当てて、ニーヤが微笑む。
女の子らしいその仕草に、少しドキッとした。
「でもこのお話、本当なんですか? 最後――」
「御伽噺よ。さぁそろそろ行こうか。モミ達も待ってると思うし」
そう言って、突然ニーヤが立ち上がった。
そうか、早く戻らないと心配されちゃうな。
「あ、うん。そうだ、これ――」
テーブルに持っていた硬貨を全部置く。
「君達にあげるよ。だからもう危ない事はしないでくれ」
「そんな、貰えませんよ! 盗みはもう二度とさせませんから!」
「もうしないよ! 約束するよ!」
二人は驚いた表情で、大きく首を横に振った。
「うん、わかった。じゃあこのお金は君達に貸しておくよ。君達が大人になって、困ってる人が居たら、その人に返してあげてくれ。別にお金じゃなくてもいい、ほんの小さな優しさでいいんだ。そうやって皆が助け合っていく――優しい世界を、僕は見たいんだよ」
彼女達の頭を優しく撫でる。僕に出来る事はこれくらいしかないんだ。
「って、いいかな? 僕のお金じゃないけど」
「いいんじゃない。好きにすれば」
そう言って、ニーヤが金貨を一枚テーブルに置いた。
「ニーヤ……」
「別にアンタ達がかわいそうでお金を置いていくんじゃないのよ。コイツが言う――優しい世界をアタシも見てみたいからね。それだけよ」
くるりを背を向けると、足早にニーヤが出て行った。
何度もお礼を言う少女達に別れを告げ、彼女の後を追う。
「何ニヤニヤしてんの?」
「別に、何でもないよ」
周囲に漂う悲壮感とは裏腹に、僕の心は満たされていた。




