第五話 川上貞奴 パリを魅了した日本の女優、そして舞台の向こう側へ
第五話 川上貞奴 パリを魅了した日本の女優、そして舞台の向こう側へ
一九〇〇年、パリ。
セーヌ川の流れに沿って、世界中から人々が集まっていた。
万国博覧会。
各国は、自分たちの技術や産業、芸術を披露しようと競い合った。新しい機械が展示され、壮麗な建築が建ち、人々は見たこともない品々に目を見張った。
パリは、世界を眺める窓になっていた。
その窓から、西洋の人々が見つめていたものの一つに、日本があった。
陶磁器、版画、漆器、着物。
日本の品々は、単なる珍しい輸入品ではなかった。ヨーロッパの芸術家たちに、自分たちが当然と考えていた美の基準を見直す機会を与えていた。
左右対称であること。
遠近法によって奥行きを表現すること。
身体の曲線に沿って服を仕立てること。
それらとは異なる美のかたちが、遠い国からやってきていた。
そして、その年、ひとりの日本人女性がパリの舞台に立った。
川上貞奴。
女優であり、川上音二郎一座の中心的な存在だった。
彼女が演じたのは、日本の芝居だった。
観客にとって、それは異国の物語である。
けれど、舞台の上で動く貞奴の身体は、単なる異国趣味の飾りではなかった。
顔の向き。
手の動き。
視線の置き方。
そして、動きを止める一瞬。
感情を言葉だけで説明するのではなく、身体の細かな動きによって観客に伝える。
西洋の観客たちは、見慣れない表現に目を奪われた。
日本から来た女優が、パリの観客の心を動かしている。
その事実自体が、一つの出来事だった。
*
貞奴の舞台を見つめていた人々のなかには、新しい身体表現を探していた芸術家たちもいた。
ロイ・フラーは、貞奴たちのヨーロッパ公演を支えた重要人物だった。
そして、のちに近代舞踊の歴史を語るとき、イサドラ・ダンカンやルース・セント・デニスといった舞踊家たちの名も挙がる。
ダンカンは、古典バレエの決められた型から離れ、身体の自然な動きや感情を重視する踊りを追い求めていた。
そのダンカンが、パリ万国博覧会で貞奴の演技に強い印象を受けたことは、後年の回想にも記されている。
貞奴の演技とダンカンの舞踊は、同じものではない。
生まれ育った文化も、舞台で目指すものも違っていた。
それでも、身体を決められた形式に閉じ込めず、動きそのものに表現の力を見いだそうとする時代のなかで、貞奴の舞台は忘れがたい経験となった。
芸術は、ときに遠い国からやってきた他者によって、自分たちが見慣れていたものを見直す機会を得る。
パリの人々にとって、貞奴はそのような存在の一人だった。
彼女は、ただ日本の芝居を披露したのではない。
日本の芸術には、西洋の人々がまだ知らない表現の可能性がある。
そのことを、舞台の上で示したのである。
*
舞台の上の貞奴だけでなく、彼女の着物姿も注目された。
日本の衣服は、西洋のドレスとは異なる構造を持っている。
布を身体に沿わせ、前を合わせ、帯で形を整える。
もちろん、着物にも着付けの決まりがあり、帯の締め方によって身体への負担は変わる。着物なら何でも自由で、身体を締めつけないというわけではない。
それでも、身体の曲線に合わせて仕立て、コルセットで胴を細く見せることを重視していた当時の西洋の服装とは、異なる発想があった。
布の余白。
重なり。
直線的な構成。
そして、歩いたとき、座ったとき、身体の動きに応じて変化する衣服の表情。
そうした特徴は、西洋の服飾を見慣れた人々にとって新鮮だった。
貞奴の人気を背景に、パリでは「キモノ・サダヤッコ」と呼ばれる室内着も販売された。
京都服飾文化研究財団が所蔵する一着には、「KIMONO SADA YACCO」の名が記されている。日本製の絹地などを用いながら、衿や肩の構造には西洋の仕立て方が取り入れられていた。
つまり、これは日本の着物をそのまま輸入したものではなかった。
日本の衣服への憧れと、西洋の暮らしに合う実用性とが、一着の服のなかで結びついていたのである。
広告は一九〇三年ごろからフランスの女性誌にも登場し、やがてイタリアやスペインにも広がった。
貞奴の名は、舞台を離れ、商品としての衣服にも刻まれた。
ここには、興味深い逆転がある。
日本から来た女優は、パリの舞台で自分の文化を観客に届けた。
すると、その文化は舞台の外へ広がり、衣服として商品化され、別の女性たちの生活へ入り込んでいった。
一人の女性の装いが、海を越えて流行になる。
それは、単に珍しい服が売れたという話ではない。
女性の身体をどのように見せるのか。
美しさとは何なのか。
服は、身体を飾るためだけのものなのか。
そうした問いを、時代の人々の前に差し出す出来事だった。
*
一九〇〇年のパリ万国博覧会が、ただちに西洋の女性たちをコルセットから解放したわけではない。
服飾の変化には、長い時間が必要だった。
女性の身体を細く見せるためにコルセットを用いる服装は、長い歴史を持っていた。それは当時の美意識を形にする一方で、身体の動きを制限することもあった。
しかし、女性の社会進出や生活様式の変化とともに、服に求められるものも変わり始めていた。
美しいだけでは足りない。
歩けること。
働けること。
身体を自由に動かせること。
日常生活のなかで、自分の身体を自分のものとして扱えること。
こうした要求は、突然現れたものではなかった。
多くの女性たちの暮らしのなかに、以前から存在していたのである。
その後、ポール・ポワレらのデザイナーは、コルセットに頼らない新しいシルエットを打ち出していく。
さらに時代が進めば、ガブリエル・シャネルが、女性の日常に寄り添う服を広めていくことになる。
ただし、貞奴の着物からポワレへ、そしてシャネルへと、一本の線で直接つながる系譜があったと断定することはできない。
それぞれのデザイナーには、それぞれの背景と着想があった。
けれど、同じ時代に、衣服の常識を問い直す動きがいくつも生まれていた。
そのことは、見落とせない。
*
そして、貞奴の人生も、パリの喝采だけで終わるものではなかった。
帰国した彼女は、川上音二郎とともに日本の演劇界で活動を続けた。
海外公演で得た経験を持ち帰り、日本の舞台をさらに発展させようとする。
一九〇八年には、音二郎とともに帝国女優養成所を設立した。
女優という職業が、今のように広く確立されていたわけではない時代である。
舞台に立つ女性は、好奇の目にさらされることもあった。
それでも、芝居を続けるには、次の世代を育てなければならない。
演じる人がいる。
教える人がいる。
舞台を用意する人がいる。
観客を集める人がいる。
芸術を社会のなかで存続させるには、情熱だけでは足りない。
人も、場所も、資金も必要だった。
貞奴は、舞台の上で表現するだけでなく、その舞台を成り立たせる現実とも向き合っていった。
それは、女優という仕事の可能性を、自分一人の成功にとどめない試みでもあった。
*
一九一一年、川上音二郎が亡くなる。
貞奴の人生は、再び大きく変わった。
長く連れ添った夫を失い、彼女は自分の人生をどう生きるのか、改めて考えなければならなかった。
舞台の上で喝采を浴びた女性も、人生の困難から逃れられるわけではない。
人気があれば、生活の問題がすべて解決するわけでもない。
芸術の世界に身を置き続けるのか。
これまでとは異なる道を歩むのか。
貞奴は、やがて実業家の福沢桃介との関係を深めていく。
桃介は、木曽川などの水力開発に力を注ぎ、近代日本の電力産業を発展させていった人物である。
貞奴は桃介の事業を支える立場にもなり、二人は木曽川の電力開発に関わる人々が集う場でも活動した。
福沢桃介記念館の解説でも、貞奴は女優であると同時に、桃介の事業上の協力者として紹介されている。
舞台から、実業の世界へ。
華やかな衣装と、発電所の巨大な設備。
観客の拍手と、川の流れを利用して生み出される電力。
一見すれば、まるで別の世界である。
けれど、どちらにも共通するものがあった。
何かを始めるには、人が必要だった。
人を動かすには、信頼が必要だった。
そして、まだ形のない未来を現実にするには、決断が必要だった。
貞奴は、単に時代に注目された女性ではなかった。
注目を浴びたあとも、自分の人生を動かし続けた女性だったのである。
もちろん、女優としての活動と実業への関与は、同じ種類の仕事ではない。彼女が電力会社の経営を一手に担ったわけでもない。
それでも、舞台の上だけに彼女の人生を閉じ込めてしまえば、貞奴という人物の一面しか見えなくなる。
彼女は、表現する人であり、人を育てる人であり、社会のなかで事業を支える人でもあった。
その人生には、ひとつの肩書だけでは収まらない広がりがあった。
*
この物語の主人公であるエルザ・スキャパレリと、ガブリエル・シャネル。
二人もまた、衣服を作ることだけで人生のすべてを説明できる女性ではなかった。
シャネルは、デザインの才能だけでなく、店を持ち、商品を売り、ブランドを育てる事業家でもあった。
エルザは、奇抜な発想を思いつくだけではなく、職人たちと協力し、それを実際に着られる衣服へと変えていく必要があった。
芸術と商売。
想像力と現実。
個人の才能と、それを支える人々。
それらは、決して別々の世界ではない。
ただし、貞奴がシャネルやエルザに直接影響を与えたと証明する資料があるわけではない。
彼女たちが実際に出会ったと考える必要もない。
貞奴は貞奴として、舞台に立った。
シャネルはシャネルとして、女性の日常を変える服を考えた。
エルザはエルザとして、衣服を想像力の舞台に変えていった。
三人の人生は、それぞれ異なる道を歩んでいる。
それでも、彼女たちの姿を並べることで、ある時代の大きな変化が見えてくる。
女性は、与えられた役割だけを生きる存在なのか。
自分の才能を、自分の手で仕事に変えることはできるのか。
芸術を生み出すことと、生活を支えることは、両立できるのか。
答えは、一つではない。
だからこそ、それぞれの女性が、自分なりの答えを探す意味があった。
*
一九〇〇年のパリ。
劇場の客席には、異国の女優の動きを見つめる人々がいた。
ある人は、手の動きの美しさを覚えていたかもしれない。
ある人は、着物の色や形に目を奪われたかもしれない。
ある人は、自分が当然だと思っていた芸術の決まりを、少しだけ疑い始めたかもしれない。
その小さな変化が、誰の人生をどこまで動かしたのか。
すべてを確かめることはできない。
けれど、歴史に残る変化は、いつも一人の天才だけが起こすとは限らない。
舞台に立った一人の女優。
それを見つめた一人の観客。
見慣れない衣服を手に取った一人の女性。
そして、帰国後に次の世代を育て、舞台の外の世界でも自分の役割を探し続けた一人の女性。
そうした人々が、それぞれの場所で時代を動かしていく。
貞奴は、パリに日本の舞台を届けた。
そして、帰国後も、演劇と実業という異なる世界を行き来しながら、自分の人生を切り開いた。
その姿は、エルザとガブリエルの未来を考えるときにも、静かな問いを残す。
才能とは、何かを生み出す力だけなのだろうか。
それとも、生み出したものを社会のなかで育て、支え、次の世代へ手渡す力もまた、才能なのだろうか。
答えは、まだ出ていない。
パリの街では、今日も人々が新しい服を探している。
やがてシャネルは、簡潔な黒いドレスによって、女性の装いに新しい定番を生み出す。
エルザは、大胆な色彩と想像力によって、服を芸術の領域へ押し広げていく。
二人の答えは、貞奴の答えとは違う。
けれど、世界が一つの美しさだけでできているわけではないと、彼女たちはそれぞれの方法で示していくことになる。
その物語は、まだ始まったばかりだった。




