5. Breakfast in the Field
冷たい石造りの部屋は、生活の気配と彩りで温かく包まれている。
幾何学模様の刺繍で縫い取られた大きな布が石壁を覆う。同じような敷布が床に敷かれ、染み出す冷気を遮る。
低いテーブルの上には、大皿に山盛りにした薄焼きのパンと、大きな深鉢を満たす豆のスープが湯気をくゆらせていた。
「「おはよう」」
「おはよう。シェム、マリク」
「おはようございます。シェム、マリク」
「おはよう。シェムもマリクも朝から元気ね」
シェムとマリクが声を合わせて挨拶すれば、手を止めたベリルとリャナン、ハリカが穏やかな笑顔で返す。
テーブルの脇には火鉢が置かれ、ぴかぴかに磨かれた銅のヤカンがしゅんしゅんと音を立てている。
「香草のお茶をどうぞ」
ハリカが、厚手の布で持ち手を包み、ヤカンを手に取る。
ヤカンの胴体は細長く下膨れた形で、繊細な蔦草模様の飾り彫りが施されている。その胴体から細長く華奢に伸びた注ぎ口を、素焼きのカップに向けてヤカンを傾ける。
湯気と一緒に、さわやかな香りが広がった。
「シェムとマリクには少し冷ましてからね」
ベリルが横からすっと手を伸ばし、素焼きのカップにかざす。
ふわりと湯気が散って、またふわりと揺れる。
受け取ったカップは、ほどよいぬるま湯の温度になっていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「ははうえ、すごい」
にこにこと笑うベリルを、目を丸くして見上げてしまう。
魔法を使うところを見たのが初めてなわけではない。でも、何度見たって、すごいと思う。こんなに何気なくさらりと使うのは、素直にすごい。
隣でシェムも深く頷いている。
「母上は、一流の魔術師だものな」
「あら、リャナンもこのくらいできるわ」
ね、と同意を求めるように、ベリルが視線を送る。
「えぇ。ですが、シェムとマリクの言う通りでもあります。生活魔法とは言え、今のように滑らかに魔力を操作するには相応の技術が必要です」
淡々と事実を指摘するようにリャナンが応える。
それって、つまり彼女も一流の魔術師だってことになるのだけど。
でも、自慢げな様子は少しもない。当たり前のように言う。
うちの大人たちにとっては、ことさら誇るようなことではないのだろう。
ベリルやリャナンがそれぞれ一流であるということ以上に、それを当たり前にしていることが凄いことなんじゃないか。
不意に思い至って、ぽかんと口が開く。
いったい、うちの大人たちは、どういう人たちなんだ…
「まりー、おはよーっ」
思考に流されそうになったところで、シェナハが飛び込んできた。
「シェナハ、おはよう」
カップをテーブルに置いて視線を向け、ぎょっと目と口を開く。
赤みがかった金色の毛玉が爆発していた。
ふわふわと言うより、ボワボワと膨れ上がっていた。
食堂の温度が、すーっと一段下がった気がして、慌てて振り返る。
「シェナハ、顔を洗って寝癖を直してきなさい」
目を細めたリャナンが、表情だけはさっきまでと同じままの笑顔で、静かに言った。
あまりの強さに、目の端に涙がじわっと浮かぶ。
だから怖いんだって!
慌てて回れ右したシェナハがぱたぱたと水場に走り、大急ぎで顔を洗い寝癖を直して、また走って戻ってきて、案の定リャナンにまた叱られて……
リャナンとベリル、ハリカの3人がかりで直しきれなかった寝癖を櫛とブラシで整え、今は編み込みまで始めている。
きゃっきゃと言いながらやってるから、楽しくなってきてるな、あれ。
「やー、今日はまた、いちだんとニギヤカだ」
いつの間に入ってきたのか。しれっとゼキが香草茶をすすっていた。
「いつのまに?」
「ついさっき。ドタバタしてたんで」
テーブルの端で片膝を立て、呑気に言う。
「あ、ぼっちゃん、おはようございます」
「……おはよう、ゼキ」
にやけ顔のゼキに、挨拶を返す。
だいたい、食堂に揃う順番はこんな感じだ。
ベリルとリャナン、ハリカが食卓を整え、シェムがちょうどよい頃合いに入り、シェナハとゼキがやや遅れてくる。ぼくはシェムと一緒になる時と、シェナハやゼキと一緒になる時とで半々くらい。
そうして、最後にアイベルクが入ってくる。
今日もいつもと同じ。
「おはよう。遅くなってすまない」
入口の掛布をまくって入ってきたアイベルクの影はしかし、ちょっといつもと違っていた。
なんだかいつもよりごついというか、膨れ上がっているというか。
見上げるぼくの横を通りすぎ、食堂の奥、いつもの位置に座る。前世の上座は、こちらでも同じだ。
じっと見る。
上衣の下が、いつもと違う。まだらに黒ずんだ生成りの綿布が、もこっと膨らんだ感じの……
「ベルク、何人くらいで出る?」
「20人だな」
ゼキの問いに、手短にアイベルクが応える。
「リャナンも出てくれ。ベリルとゼキは居館に残って欲しい」
ベリルが差し出した素焼きのカップを受け取りつつ、リャナン、ベリル、ゼキに向けて。
三人は黙って頷いた。大した説明もないけれど、これでしっかり伝わっているらしい。
それからハリカ、シェム、ぼくの顔を順に見回して言った。
「魔物溢れの兆候があった。討伐に出る」
みんなに、というよりは子供たちに向けた言葉。
「今日は砦から出てはいけない。村の子供たちも来ない」
カップから香草茶をすする。
「まぁ、ここまで魔物が近づくことはない。念のためだ」
力強い笑顔で断言した。
「さぁ、朝食を始めよう。命の糧に感謝を」
そうして、いつもの朝食が始まった。
でも、薄焼きのパンをちぎる音の中に、ほんの少しだけ、いつもと違う硬さが混じっていた。
次の投稿は明日 06:00am です。




