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0. Anticipation

はじめまして。初めての小説です。

 この森は、うすぼんやりと光が拡散している。


 この時期は晴ればかりなのに、この中では雨上がりのような薄っすらとした湿り気と土の匂い。そこへ辺りの低木に咲き乱れる花々の甘ったるい匂いが雑多に混ざりあう。

 生ぬるい湿りと甘い匂いが、ずっと薄くまとわりつくのが、どうにも不快だ。

 ぼくの知っている森とはだいぶ違う。


「マリク、休憩おわりー」

「うん」

 思考に流れていたぼくの意識を、シェナハの声が引き戻した。

 軽く頷いてシェナハに視線を向けると、彼女は赤金の三角耳をぴんと立てて辺りを眺めていた。ふわふわの尻尾も、自然体のまま軽く張りを保っている。

 休憩とは言っても、ここは異界圏。尋常の森とは異なる危険地帯で、座り込んだりはしない。窪地にできた低木の隙間、幾らか視界が広く取れる場所で立ち止まり、水分を取り携行食をかじる程度だ。

 シェナハの向こう側では、ゼキが頭上の樹冠の隙間を見上げている。

 ひょろりと長い身長と比べても長い左腕を持ち上げ、目線の高さで水平にかざす。

 次の瞬間、黒い影が頭上から降ってきて、音もなくゼキの左腕に止まった。

 艶のある黒羽の大鴉。


 くゎあっ。

 

 大鴉が鳴いた。

「ちっ」

 舌打ちをしてゼキがこちらを向く。

「偵察教練は終わりだ。退く」

 いつものにやけ顔が、渋い物を食べたように、あるいは忌々しげに締まっている。

 大鴉を放って、短弓を手に取る。

 

 瞬間。

 

 頭上から青黒毛の山猫が飛び込んでシェナハを引き倒した。シェナハの頭があった辺りを、鈍鉄色の爪が薙ぎ割いた。


「ひゃー」


 シェナハの呑気な声を聞きながら、ぼくが手槍を突き出したのと、ゼキが矢を射ったのがほぼ同時。黒い輪郭を突いた槍の穂先から柄を伝って、ぐにゃりと気持ち悪い感触が伝わってくる。

 なんだこれ…

 姿勢を低く四肢を張る山猫のナイラの向かいには、得体の知れない魔物がいた。

 

 うねうねと蠢く輪郭。のっぺりと黒で塗り潰された艶のない表面。

 生き物の気配はなく、四つ脚の肉食獣という印象と存在感だけが、ただ、そこに在る。

 さっきまでぼんやりとした光だけがあった、そこに。


「ナイラ、ありがとー」

 視界の端でシェナハが地面の上を転がり立ち上がって短弓を構えたのが見えた。

「得体が知れねぇ。逃げるぞ」

 ゼキに頷いて、ぼくは一歩前に出る。

 魔物の首がにゅぅっと…文字通り伸びてぼくに向かう。

 頭らしい部分が裂けて開き鈍鉄色の牙が覗いたところで、横面を槍の先で弾く。弾かれた頭部が横に逸れ、そのまましゅるっと元に戻った。

 勁は徹ったはず。手応えはあった。

 だが魔物は、何事もなかったように、そこに在る。呻き声もない。足元が揺れるでもない。

 打撃が有効なのか、そうでないのか。得体が知れなさすぎて判断がつかない。

「倒す必要はねぇ」

 背後からゼキの指示が飛ぶ。隙を作れればいい、ってことだな。

 一点を見つめるのではなく、ぼんやりと広く観る。見の目ではなく、観の目で視界を取る。

 じりじりと背後でゼキとシェナハが下がる気配を感じる。

 ぐぐっと魔物が四肢を縮め、飛びかかってきた。のっぺりしていた前肢の輪郭が、ぶわっと逆立ち膨らむ毛の形に変わる。

 前肢に槍の穂先を合わせ、くるりと柄のしなりで流す。魔物の体勢を流して槍を引き、突き出そうとしたところで、視界いっぱいに魔物の牙が広がった。


 だんっ。

 

 視界の端から黒青の影が飛び込み、ぼくを突き飛ばした。ぼくは、ごろんと転がって勢いを殺し、立ち上がる。

 ナイラはふわりと身を翻し、魔物の首筋らしい部位に牙を突き立てる。

 やはり魔物は呻き声を上げるでもなく、それどころか、首をにゅっと伸ばして牙をむく。

 その鈍鉄色の牙を、ぼくは槍で叩く。

 手応えはある。魔物の頭も弾き飛ばせた。だが、魔物の様子に変わりはない。

 それなら…

 軽く槍を突き出す。

 にゅるりと魔物の身体が伸びて槍を躱し、交差するように襲いかかる。

 槍を回転させて石突を突き上げ、魔物の顎先を弾く。魔物の身体が上に跳ね上がる。

「草木は火閃に、火閃は灰土にっ」

 シェナハの短い詠唱。

 火明かりが一条、まっすぐに伸びて魔物の胴を貫く。


 ぼゎっ。

 

 一瞬の間を空けて魔物が勢いよく燃え上がり、どろりと溶けた。

 下生えの草の上に黒い染みを作り、しかしそれもすぐに染み込んだように消える。

「一息ついてる暇はねぇ」

 ふぅっと息を吐こうとしたぼくに、背後からゼキの声。

「今のうちに逃げ…」

 ゼキの言葉が途中で止まる。

 

 ぞわっ。

 

 産毛が一瞬で逆立つ強烈な寒気。

 辺りを見回す。

 木漏れ日の影から、ぬるりと這い出すように…

「魔物が、湧いてるっ」

 背後からシェナハの声。

「生きて帰るぞ……大急ぎで知らせねぇと、砦がやべぇ」

 余裕のない声でゼキが指示を出す。


 樫の太い幹の陰から。

 ノイチゴの低木の陰から。

 下生えに茂るシダの隙間の陰から。


 ぬるりぬるりと魔物が湧き出していく。


 仕草だけは重たそうに頭を持ち上げた魔物の一匹に、矢を射ち込んで動きを制し、ゼキが声を張り上げた。


「全力で、逃げるぞ!」

今日は、本稿を入れて全部で3話投稿予定です。次の投稿は12:00です。

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