エピローグ
季節は巡り、寒く寂しい冬を越えて、やがて柔らかな春が訪れた。
心地よい陽射しが降り注ぐ、ある春の休日。
凪は久しぶりに、埋蔵文化財センターを訪れていた。
あの夏の終わりに発見された武人埴輪は、大きな話題となり、今や目玉展示として館内で特別公開されているのだ。
「あ、白石さん! 久しぶり!」
受付の職員に声をかけられ、凪は柔らかく微笑んで頭を下げた。
「こんにちは。今日は展示を楽しみに来ました」
館内へ足を踏み入れると、休日ということもあり、大勢の来館者が大きなガラスケースの前で足を止めていた。
その中心に鎮座しているのが、月守古墳から出土したという例の『武人埴輪』だった。
「……」
凪は静かに歩み寄り、ガラス越しにその姿を見つめた。
立派な甲冑。
堂々とした凛々しい立ち姿。
(……久しぶりだね、朔)
けれど。
「……あれ?」
凪は思わず、首を小さくかしげた。
「こんな……顔だったっけ……?」
以前、センターでも何度も目にしていた埴輪。
もちろん細部まで完全に記憶しているわけではない。
それでも──何かが違う。
もっと厳しい顔で、けれど優しい目をしていたような……そんな、言葉ではうまく説明のできない不思議な違和感が胸に残る。
「気のせい……かな」
自分でもおかしくなって小さく苦笑し、そっと息をついた。
(もう……会えるはずなんて、ないのにね)
胸の奥が、ツンと小さく痛む。
凪はガラスの中の埴輪へ向けて、優しく微笑んだ。
「会いに来たよ。……朔」
誰にも聞こえないほどの小さな囁きをのこして。
しばらくその姿を愛おしそうに眺めたあと、凪は踵を返し、静かに展示室をあとにした。
**
春風が吹き抜ける中庭を、ゆっくりと歩く。
敷地内の桜は、まだ咲き始めたばかり。
薄桃色の可憐な花びらが一枚、そよ風に乗ってひらひらと舞い落ちてきた。
その時だった。
「────凪」
低く、けれど心地よく耳に馴染んだあの声が、背後から聞こえた。
「……え?」
凪の足が、ぴたりと止まる。
そんなはずがない。
また彼のことを思い出すあまりに聴いた幻聴だ。
そう自分に言い聞かせながら、震える体でゆっくりと振り返る。
そこに──
春風に黒髪を揺らし、少しだけ照れくさそうに佇む、一人の青年。
見間違うはずなんてなかった。
「……朔……?」
震える声で、その名を呼ぶ。
青年は静かに頷き、どこか愛おしそうに、小さく目元を緩めた。
「……久しいな」
たった、その一言だけで。
凪の瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「うそ……嘘でしょ……!?朔……? 朔……っ!!」
次の瞬間、凪は夢中で駆け出していた。
正面から青年の胸へ勢いよく飛び込み、服を強く掴んで、声を上げて泣きじゃくる。
「な、なんで……っ! どうして……っ!?」
朔は少し困ったように目を細めると、壊れ物を扱うかのように優しく、そっと凪の背中へ腕を回した。
「……すまなかった。泣かせたな」
「謝らないでよぉ……っ!」
凪は涙と鼻水でぐちゃぐしゃになった顔のまま笑った。
「もう……二度と会えないと思ってたんだから……っ!」
しばらくの間、二人は言葉も無く、お互いの体温と「生きている」温もりを確かめ合うように抱きしめ合った。
やがて朔は、少し照れくさそうに視線を泳がせると、そっと口を開いた。
「実は……私にもどうしてこうなったのか、皆目分からぬのだ。だから、お前がここへ来るのをずっと待っていた」
「朔……」
「……ひとつ、伝え忘れていたことがあったと……ずっと後悔していたのだ」
凪は袖で涙を拭い、不思議そうに首をかしげた。
朔はどこかぎこちない表情で、ゆっくりと言葉を探す。
「あの夏の夜は……あまりに突然で、うまく言えなかった」
「……うん」
「それに……あの時はまだ、この胸にある想いの『名』を……知らなかったからな」
朔は一度、深く静かに息を吸い込んだ。
そして、まっすぐに凪の瞳を見つめる。
「私は……お前を恋い慕っている」
凪が息を呑む。
朔は少しだけ照れくさそうに目を伏せ、それでも言葉を続けた。
「凪。これより先の季節も、お前の隣で共に歩むことを許してはくれぬか」
凪は一瞬目を丸くしたあと、くしゃりと顔を崩して笑った。
目の端から、またポロポロと温かい涙がこぼれ落ちていく。
「……遅いよ、言うの」
「……すまぬ」
「でも────」
凪はとびきりの笑顔を浮かべたまま、そっと朔の温かな手を力強く握り返した。
「私も……大好き!!私も、ずっと朔の隣にいたい!」
──その瞬間。
まるで二人の言葉に応えるかのように、中庭の桜が一斉に満開を迎え、祝福の風に乗って桃色の花吹雪が空へと舞い上がった。
それはまるで。
千五百年もの間、忠実な武人を見守り続けてきた『主』が──
(──良かったな)
と、遠い空の上で静かに微笑んでいるかのような、どこまでも優しく温かな春の光景だった。
終
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