第八話 ~ただの四人~
祭りの熱気は、日が傾いても衰えなかった。
通りには提灯が灯り始め、
夕暮れの空を柔らかな橙色が染めている。
リアは周囲を見回しながら歩いていた。
射的。
飴細工。
焼き菓子。
見たことのないものばかりだ。
隣ではサイラスが呆れたように笑う。
「そんなに珍しいか?」
「珍しいです」
即答だった。
「見たことはあるんだろ?」
「あります」
「じゃあ何が違うんだよ」
リアは少し考える。
それから。
「近いです」
ぽつりと答えた。
「近い?」
「皆、楽しそうです」
その言葉に。
サイラスは少しだけ目を丸くした。
リアは相変わらず無表情だ。
けれど。
ほんの少しだけ。
楽しそうに見えた。
「……そっか」
サイラスはそれ以上何も言わなかった。
しばらく歩いていると。
ふと。
リアの足が止まる。
「?」
サイラスが振り返った。
リアは一点を見つめている。
その視線の先には屋台。
色鮮やかな果実を使った飲み物が並んでいた。
そして看板には大きく。
『恋人限定!幸せのベリードリンク』
と書かれている。
「……」
「……」
嫌な予感がした。
「サイラス」
「なんだ」
「飲みたいです」
やっぱり。
サイラスは天を仰いだ。
「やめろ」
「なぜですか」
「看板読んだか?」
「読みました」
「何て書いてある」
「幸せのベリードリンク」
「その上」
「恋人限定」
「そう」
理解している。
理解しているのに。
なぜ欲しがる。
「限定品です」
「そこじゃねぇ」
即座に突っ込む。
リアは不思議そうな顔をした。
「人気商品なのでは?」
「たぶんそうだけど」
「なら飲みたいです」
「子供か」
真顔だった。
二人のやり取りを聞いていた屋台のおばちゃんが、
楽しそうに笑う。
「あらあら」
サイラスの背筋に嫌なものが走った。
「仲良しさんじゃないかい」
「違います」
「違うって」
見事に声が重なる。
だがおばちゃんは全く聞いていない。
「若いねぇ」
「話聞け」
「初々しいねぇ」
「だから違うんだって」
サイラスは頭を抱えた。
しかし。
リアはまだ看板を見ている。
「サイラス」
「なんだ」
「飲みたいです」
「まだ言うのか」
「限定らしいので」
「限定に弱すぎるだろお前」
するとリアは少し首を傾げた。
「恋人とは」
「ん?」
「その飲み物を一緒に飲む関係のことではないのですか」
沈黙。
サイラスは数秒固まった。
「誰に教わった」
「本です」
「どんな本だよ」
思わず額を押さえる。
絶対変な本だ。
間違いない。
そんな二人を見ていたおばちゃんは、
とうとう耐えきれなくなったらしい。
「はいはい!」
勝手にカップを二つ取り出す。
「サービス!」
「え?」
「お幸せに!」
「いや待っ――」
「あははは!」
周囲の客まで笑い始めた。
完全に逃げ場がない。
結局。
サイラスの手には二つのカップがあった。
「……なんでこうなる」
「ありがとうございます」
リアは素直だった。
「お前なぁ」
ため息を吐きながら、
片方を渡す。
リアは受け取ると、
一口飲んだ。
そして。
ほんの少しだけ目を見開く。
「美味しいです」
「そうか」
「はい」
それだけ。
それだけなのに。
なぜか少し嬉しそうだった。
サイラスは思わず笑う。
「祭り満喫してんな」
「そうでしょうか」
「してる」
断言した。
リアは少し考える。
それから。
夕暮れに染まる祭りの景色を見渡した。
「……そうかもしれません」
その声は。
いつもより少しだけ柔らかかった。
◇◇◇
祭りの賑わいから少し離れた道。
屋台で買った串焼きを食べながら、
二人はのんびり歩いていた。
「なあ」
ルカが口を開く。
「ん?」
「お前さ」
串を咥えたまま言う。
「祭り初めて?」
エドは少し驚いた。
「なんで?」
「リアほどじゃないけど」
ルカは前を向いたまま続ける。
「なんか慣れてない」
エドは思わず苦笑した。
「分かる?」
「分かる」
即答だった。
「まあ……初めてじゃないよ」
「ふーん」
「でも、ちゃんと参加したのは初めてかも」
ルカは少しだけ首を傾げる。
エドは夜空を見上げた。
「昔から忙しかったから」
「仕事?」
「そんな感じ」
嘘ではない。
勇者としての仕事。
討伐。
訓練。
遠征。
祭りの日ですら自由な時間は少なかった。
「だから」
エドは少し笑う。
「こういうの、ちょっと新鮮なんだ」
ルカは黙って聞いていた。
「意外だな」
「何が?」
「もっと遊んでんのかと思ってた」
「そんな風に見える?」
「見える」
ルカは頷く。
エドは吹き出した。
「残念でした」
「かわいそうに」
「そこまで?」
また少し笑いが起きる。
夜風が吹いた。
しばらく歩いてから。
ルカがぽつりと聞く。
「じゃあ何のために頑張ってんの?」
エドは足を止めかけた。
「え?」
「忙しかったんだろ」
ルカは何気ない調子で言う。
「そこまでして叶えたいもんがあるんじゃねえの」
エドは少し黙る。
祭りの灯りが揺れている。
遠くで笑い声が聞こえる。
そして。
「……いるんだ」
小さく呟いた。
「倒さなきゃならない相手が」
ルカの表情は変わらない。
「へえ」
「それが俺の目標であり夢でもある」
エドは静かに言う。
「だから頑張ってる」
俺は勇者だから。
魔王を倒すために。
その言葉は飲み込んだ。
ルカはしばらく黙っていた。
祭りの灯りが揺れる。
遠くから笑い声が聞こえてくる。
そして。
「お前」
ルカが焼き鳥をかじりながら言った。
「そいつ倒したら何すんの」
エドは一瞬固まった。
「……え?」
「だから」
ルカは前を向いたまま続ける。
「目標なんだろ」
「うん」
「じゃあ終わった後」
夜風が吹く。
「何するんだ?」
エドは答えられなかった。
考えたこともなかった。
倒す。
勝つ。
終わらせる。
そこまでは考えていた。
けれど。
その先は。
何も。
「……」
ルカはそんなエドを見て小さく肩を竦める。
「別にいいけどさ」
そして。
何でもないことのように笑った。
「倒した後の方が長いだろ」
その言葉が。
妙に胸に残った。
◇◇◇
リアとサイラスが広場へ戻った頃には、
空はすっかり夜の色に染まっていた。
提灯の明かりが通りを照らし、
祭りは昼とは違う賑わいを見せている。
「いた」
先に見つけたのはリアだった。
広場の端。
ベンチの近くで、
エドとルカが何やら話している。
「おー」
ルカが気付いて軽く手を上げた。
「見つかったか」
「はい」
リアは頷く。
その隣でサイラスが深いため息を吐いた。
「見つかったじゃなくて、迷子だったんだよ」
「そうとも言います」
「そうとしか言わねぇよ」
エドが小さく笑った。
「無事でよかった」
「ご迷惑をおかけしました」
「いや、怪我がなくてよかったよ」
そんな会話をしながら合流する。
すると。
ルカの視線がふと止まった。
「それ何?」
サイラスの手にある二つのカップ。
赤紫色の飲み物。
「あー……」
嫌な予感しかしない。
リアは素直に答えた。
「幸せのベリードリンクです」
「あっ」
ルカが何かを察した顔をした。
「恋人限定のやつじゃん」
サイラスが頭を抱えた。
「知ってんのかよ」
「有名だぞ」
ルカはにやりと笑う。
その顔を見た瞬間、
サイラスはさらに嫌な予感がした。
「で?」
「何がで?」
「へぇ」
「だから何だよ」
「別に」
全然別にじゃない顔だった。
隣ではエドがきょとんとしている。
「恋人限定?」
リアは首を傾げた。
「そうらしいです」
「そうらしいって……」
エドが苦笑する。
サイラスはすぐに説明した。
「違うからな」
「何がですか」
「その反応やめろ」
リアは本気で分かっていなかった。
ルカはついに吹き出した。
「ははっ」
「笑うな」
「無理だろ」
「お前後で覚えてろ」
「こわ」
全く怖がっていない。
エドも堪えきれずに笑い始めた。
その様子を見て、
サイラスは心底面倒そうな顔をした。
「何なんだよお前ら」
「仲良しだなと思って」
エドの一言に。
サイラスが固まる。
リアは少し考えた。
そして。
「確かに仲は良い方だと思います」
追撃だった。
「お前まで何言ってんの!?」
今度はルカが腹を抱えて笑い始める。
広場の喧騒に混じって、
四人の笑い声が響いた。
その時。
遠くで鐘が鳴る。
ゴーン――
ゴーン――
村人たちが一斉に空を見上げた。
「あ」
エドが呟く。
「始まるみたいだ」
「始まる?」
リアが聞く。
村人たちは次々と広場の中央へ集まっていく。
子供たちも。
大人たちも。
皆どこか楽しそうだった。
ルカが空を見上げる。
「花火」
「花火……」
リアはその言葉を繰り返した。
本では読んだことがある。
けれど。
実際に見るのは初めてだ。
四人は人の流れに合わせて広場の端へ移動する。
少し高くなった丘のような場所。
村全体が見渡せた。
夜風が吹く。
提灯の光が揺れる。
誰も喋らない。
ただ空を見上げる。
そして。
――ドォォォォン!!
轟音。
次の瞬間。
夜空に大輪の花が咲いた。
赤。
青。
金。
無数の光が広がる。
リアは思わず目を見開く。
「……綺麗」
ぽつりと漏れた声。
その横で。
エドが静かに笑った。
「うん」
ルカも空を見上げる。
サイラスも。
誰も余計なことは言わない。
ただ。
同じ夜空を見ていた。
次々と打ち上がる花火が、
四人の横顔を照らしていく。
祭りの夜。
笑い声。
灯り。
温かな時間。
今だけは。
勇者でも。
魔王でも。
王女でも。
魔王軍幹部でもない。
ただの四人だった。
夜空に咲いた最後の花火が、
静かに消えていく。
その光景を。
四人はしばらく見つめ続けていた。




