第一話 ~リヴェイル村~
馬車を降りた瞬間、
商人の恰好をした青年は小さく息を吐いた。
「……やっと着いた」
リヴェイル村。
ルーメリア王国辺境にある、小さな田舎村だ。
石畳は欠け、建物も古い。
王都のような華やかさなんてない。
けれど、
焼き立てのパンの香り。
店先で談笑する大人たち。
走り回る子供。
昼寝をしている犬。
ここには、
王都にはない空気があった。
例えば、誰も、
勇者を求めていない空気。
「おーい!エド!」
八百屋の店主が、
遠くから手を振る。
青年――商人エドモンドも軽く振り返した。
「久しぶり」
「今回は何売りに来たんだ?」
「雑貨とか薬とか色々」
「おっ、あとで見に行くわ!」
王都では、
誰もこんな気軽に話しかけてこない。
勇者とは、
民から距離を置かれる存在だからだ。
けれどここでは違う。
“エドモンド”として接してくれる。
それが少しだけ嬉しくて、
エドモンドは自然と口元を緩めた。
その時だった。
「うわっ!?」
誰かと肩がぶつかった。
抱えていた木箱が傾き、
中に入っていたリンゴが地面へ転がっていく。
「あー……悪い」
間延びした声。
目の前には、
黒髪の青年が立っていた。
眠そうな赤い目。
やる気のなさそうな表情。
どう見ても、
反省している顔ではない。
「いや謝るなら拾うの手伝えって!?」
「え、ぶつかったのお互いじゃね?」
「そっちから来たよね!?」
「細けえなあ」
青年はそう言いながら、
転がったリンゴを一つ拾う。
そして。
当然のように齧った。
「はあ??お前のじゃねえよ!?」
「減るもんじゃないだろ」
「減ってる!!」
周囲の村人たちが、
どっと笑う。
「まーたルカが適当言ってらぁ」
「エド、災難だなー!」
どうやら顔見知りらしい。
ルカと呼ばれた青年は、
まるで気にした様子もなくリンゴを齧り続ける。
「……お前、面白いな」
「あんたがめちゃくちゃなんじゃないか!」
思わずそう返すと、
ルカは少しだけ目を丸くした。
それから、
ふっと笑う。
「はは。いい反応すんじゃん」
その笑い方が、
妙に自然で。
気づけばエドモンドも、
つられるように笑っていた。
――王都では、
こんな風に笑ったことなんてなかったな。
「きゃああああああああああああああああああああ!!!」
その時。
村の外れの方から、
悲鳴が響いた。
先ほどまで気だるげな顔をしていた青年――ルカの表情が変わる。
「魔物か…」
低い声。
その目は、
まるで戦場を知っている人間みたいに冷たかった。
ぞくり、と。
エドモンドの背筋を、
微かな違和感が走る。
――だが、それも一瞬だった。
「悪いな。エド…だっけ?ちょっと行ってくる」
次の瞬間には、
男はいつもの気の抜けた表情に戻っていた。
地面を蹴る。
その動きは、
村人のものとは思えないほど早かった。
「っ……」
エドモンドの目が細まる。
今の身のこなし。
あれは、
訓練を受けた騎士か、
あるいは――。
「……いや」
考えすぎか。
そう呟きながら、
エドモンドも駆け出した。
◇◇◇
村の外れへ辿り着くと、
そこでは小型の魔物が暴れていた。
犬ほどの大きさの、
灰色の魔物。
とはいえ、
普通の村人からすれば十分脅威だ。
「た、助けて……!」
腰を抜かした女性を庇うように、
ルカが前へ出る。
「うわ、めんどくさ」
気怠げに呟きながら、
その辺に落ちていた木の棒を拾った。
次の瞬間。
魔物が飛びかかる。
ルカは半歩だけ横へずれた。
ガッ――!
勢い余った魔物が、
そのまま地面へ突っ込む。
「わ、っと」
ルカは慌てたように木の棒を振る。
偶然のようなタイミングで、
棒が魔物の頭に当たった。
ギャンッ!?
情けない悲鳴を上げ、
魔物は逃げ出していく。
静寂。
「……逃げた?」
村人たちが呆然と呟く。
ルカは欠伸をしながら木の棒を捨てた。
「あー、疲れた」
「いや絶対疲れてないよね?」
思わずエドモンドが突っ込む。
するとルカは少し笑った。
「細けえなあ」
周囲の村人たちから、
安堵した笑い声が漏れる。
けれど。
エドモンドだけは、
わずかに目を細めていた。
今の動き。
まるで、
魔物が飛びかかる位置を最初から知っていたみたいだった。
「……気のせいか」
そう呟いた時だった。
ぐぅぅぅ……。
間の抜けた音が響く。
沈黙。
「エド、腹減った」
「さっき俺のリンゴ食べてたよな!?」
「足りなかった」
真顔だった。
エドモンドは数秒黙り込む。
それから。
堪えきれず吹き出した。
「……ふふっ、アハハ!なんだよそれ!」
自然に笑っていた。
作った笑顔じゃない。
取り繕った勇者の顔でもない。
それを見たルカは、
少しだけ目を細める。
「やっぱそっちの方がいい顔するな、お前」
その言葉に、
エドモンドは一瞬だけ目を見開いた。
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
夕暮れが、
リヴェイル村を橙色に染めていく。
◇◇◇
深夜。
人気のなくなった村外れで、
ルカは小さく息を吐いた。
「……さて」
次の瞬間。
足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
禍々しい魔力が、
夜の空気を震わせた。
赤い瞳が妖しく輝く。
光が弾ける。
転移した先。
巨大な玉座の間で、
異形の魔族たちが一斉に跪く。
「お帰りなさいませ、魔王様」
ルカ――いや、魔王は。
心底面倒そうにため息を吐いた。
「……会議、まだ終わってなかったのかよ」




