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京都四条の物語~前世の記憶~  作者: なにわしぶ子
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2話~美花の人生~



暫くしたある日の事。

店に米問屋の旦那という人物がやってきた。


美花が部屋に案内をし食事の世話をして部屋から出ようとすると

呼び止められた。


「美花さんだね?」


「はい」


目がギラギラしたその初老の男性を、美花はあまり好ましく思えなかった。


「七さんが世話になってるようだね」


旦那は酒を一口飲むと、美花を凝視した。

美花はただならぬ雰囲気に身を強張らせた。


「彼は私の倅だ。私の娘婿になる。」


美花はその言葉で色々を理解した。

この人は私に文句を言いに来たのだ。


「花形に女の一人や二人、普通なら多いに結構。

ただ、私も人の親、娘が可愛い。

聞けば美花さんは借金があるそうじゃないか。それは私が全て引き受けよう。」


「え?」


美花は言葉の意味がわからず、旦那に視線を向けた。


「君を私が引き受けるということだ。君が私の妾になるという事だよ。

断る事は出来ない。断ったら君は今すぐここから出ていかなければならないし

君の故郷への送金も滞る。何より七が花形を辞めることになる。

私が七の支援者なのだからね」


美花はただ呆然と、その場に立ち尽くした。





その日から美花は旦那さんの妾となった。


別に居を用意されるわけではなく、今まで通り店で働き、座の手伝いもした。

ただ見張りがつけられ、七と二人きりになる事が禁じられた。

それは逆に、残酷な仕打ちであった。


ある日黒子の正吉が私に紙包みを手渡してきた。


「七さんからです」


小声で正吉はそう言って走り去った。


手渡された紙包みをそっと開くと、そこには金平糖が数粒入っていた。


「また、子供扱いして……」


美花は一粒口にした。甘いはずの金平糖は涙で塩辛かった。



正吉はいつも私と七さんを繋いでくれた。

一度聞いた事がある。何故そんなに良くしてくれるの?と。


正吉には妻がいたが病で亡くした事。

悲しみの淵にいた時、七さんが、そして座が心の支えになった事を話してくれた。



自分だけが辛いわけじゃない。

美花は正吉の話を聞いて、苦悩の中にある幸せや喜びを大事にしようと

そう、心に誓った。







春夏秋冬をいくつか繰り返した。


店の女将が倒れてからは、美花が店の切り盛りを任されるようになっていた。

七さんは相も変わらず花形役者で、最近はかなりな人気を博していた。


ある秋の夜-


「今日は満月やねぇ」


美花が旦那さんにお酒をつぎながら呟いた。


「それはそうと美花、最近は血を吐く流行り病が流行っているらしいよ」


「血ですか?それは怖いなぁ…」


美花はそう答えたものの、どこか他人事であった。




それから数日後、興行中に七さんが倒れたと報せが入った。

血を吐いたとも聞いた。


駆けつけるも会えるわけはなく、美花はただ

歌舞伎座の近くにある八坂神社へお願いしに行った。



毎日たくさん願った。

私は死んでもいい、

彼を助けて……




その日、正吉が悲壮な顔で慌てながら私に会いにやって来た。


「美花さん来て下さい!早く!」


美花は正吉に連れられ、七の家にやってきた。


「こっちの裏です」


正吉に促され、庭先の草影に隠れた。


「あっちの部屋に、七さんがいます」


正吉が指さした方向には、障子で閉ざされた部屋があった。



「私が今から七さんのお見舞いに行きます。

そしてあの障子を開けます。なんとか伝えますから、一目だけでも顔を」


私はコクりと頷いた。

正吉は玄関へと去っていった。


息を殺して待っていると、障子が開かれた。


そこには、布団上に起き上がった七さんがいた。


正吉から聞いているのか近くにいる奥方に気を付けながらも

庭先に目を配り何かを探しはじめた。


そして、草陰に隠れていた美花の姿を見つけた。


七さんは痩せていたが、いつもの満面の笑顔を美花に向けた。


無言で見つめあう静かな時間が流れた。

七がゆっくり口を動かし声を乗せず何か言った。

その五文字の言葉は


「ありがとう」


私はただ頷いて泣き続けた。



七はその後すぐに亡くなったと聞いた

美花の中で何かが壊れた。






あれから暫くの時が流れた―


美花は2階の窓から身をのりだし煙管をくゆらしていた。

七はこの世にはもういない。


旅籠の女将は亡くなり、実質店は私が女将として任されていた。

旦那の妾として何不自由のない暮らし。心にぽっかり穴の開いた暮らし。


座の手伝いにはたまに行った。

花形のいなくなった座の仲間達だけが私の心の拠り所だった。


店には色々な客が訪れた。

その中に最近頻繁にやって来る書生さんがいた。

名前は勝さんという。


勝は書物好きの物静かな青年だが、書に関しては語りだしたら止まらない人だった。


「美花さんと酒を呑みにきたよ」


そう言って訪れては、色々な話をした。

美花も身の上話をするようになった。


七との事、旦那さんの事、店の事、座の事。

勝はいつも静かに聞いてくれた。


いつしか美花は勝さんが来るのを待つようになっていた。

勝も同じく足しげく通ってくれた。


満月の夜ー


勝は酒を飲む手を止めて美花にこう言った。


「私と一緒に逃げよう」


美花は少し驚いたが、黙ってコクりと頷いた。

美花は幸せになりたかった。

いつも平凡な幸せを夢みていただけだった。

でも、それが一番叶わなかった。


勝さんと、平凡な暮らしがしたい。

旦那さんの妾という今の状態から抜け出したい。


美花はなず、正吉に全てを打ち明けた。

彼にだけは黙って行ってはいけない、そう思ったからだった。


すると、正吉が座の仲間達と協力をして全ての段取りを計画をしてくれた。


見張りの使用人を足止めしてる間に、裏口から逃げる。

勝とは三条大橋で落ちあい、そのまま二人で東へ逃げる事。


美花と勝はその計画通りに駆け落ちする事にしたのだった。





決行の日ー


旦那さんの息のかかった使用人に美花は酒を振る舞い、

酔いつぶれたのを確認すると、座の皆に別れを告げて三条大橋に向かって走った。


もうすぐ勝さんと自由になれる。

美花の心は踊った。


月明かりで照らされた三条大橋の上で

美花は待ち続けた。


でも、約束の時間になっても勝は来なかった。


そんな・・

勝に限ってそんな・・


絶望感が美花を襲い始めた。

三条大橋の下を見ると、鴨川の水流がまるで時の流れを刻む様に

時間は巻き戻せないと言うかの様に、川下へと流れていた。


もう死んでしまおう……


美花は気付くと、鴨川に入っていっていた。


このまま楽になろう……

美花は歩みを加速させた。


「美花さん!」


遠くで声がした。

美花の姿を見届けに来た正吉は、美花の姿を見つけると

慌てて駆け寄り、川へと飛び込んだ。

そして、抵抗する美花を無理矢理川原へ引き戻した。


美花は泣きじゃくりながら正吉に訴えた。


「うちは、うちは捨てられたんか?」


正吉は黙って顔を横に大きく振った。泣きながら何度も振った。


美花は更に泣き始めた。

正吉も一緒に大声で泣き始めた。


子供のように二人で、いつまでもいつまでも泣いた。





勝はその日以来、消息がわからなくなった。


美花はまた捨てられたのかもしれない。

実は何かがあったのかもしれない。

でもそれを知る術は美花にはなかった。


そしてまた店での、今まで通りの生活に戻っていった。




時は流れ、旦那さんが病で呆気なくこの世を去った。

美花は店を離れる事となった。晴れて自由の身だ。


行くあてのない私を、座は快く引き受け入れてくれた。

それは生まれて初めて得た自由な世界でもあった。


その日、座の面々は神社にある能舞台で稽古をしていた。

美花と正吉が能舞台の隅っこで、衣装の整理をしていた。


すると座の一人が茶化してこういった。


「お二方、夫婦になったらよいのに」

「そうだそうだ。お似合いなのだから」


美花は返答に困ってしまい、顔を隠しながら理由をつけて外へと出た。

すると、正吉が追いかけてきた。


正吉は優しい目で、私にこう言った。


「美花さん、今から七さんのお墓参りに一緒に行きませんか?」


正吉の気遣いが、素直に嬉しく、美花は黙ってコクりと頷いた。




七さんの墓参りに来るのは久しぶりだった。

お墓の横には大きな木があって、心地よい日陰を作っていた。


美花と正吉は、黙って七の墓前に手を合わせた。

今は不思議と心穏やかに七を思えた。


すると正吉がこういった。


「美花さん、私と一緒に住みませんか?」


美花は少し驚いたが、正吉の想いが痛いほどに伝わり返事に詰まった。



正吉さんごめんなさい

私はやはりまだ七さんが忘れられへん

勝さんを忘れられへん


正吉は少し悲しそうに、でも優しい目で美花をみつめた。



「解りました。でもこれからも私は私は美花さんの味方です。

ずっと傍にいますから」



美花は嬉しくて申し訳なくて、溢れる涙を隠そうと空を見上げた。


すると、空には大きな虹がかかっていた。




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