第三話 古神白雨
「当主がお待ちだ。早くしておくれよ」
提灯の女性が尖った声を出す。
「はい」
と返事をし、急いで後を追った。
「開けておくれ」
女がそう言って扉を叩く。
少し間が空いて、ぎいと掠れた音がした。
重々しい門扉が開くと、そこには数人の使用人が整列していた。
皆、一斉に頭を下げるが、誰一人口は開かない。
使用人をわざわざ出迎えてくれるとは驚いたな。
腐っても籠神ってわけか。
提灯をその内の一人に預け、女は初めてこちらを見た。
瓜実の整った面差し。
その口が静かに開く。
「私が古神の世話役を務める夕立と申します。当主がお待ちゆえ、すぐにお着替えを」
そして、一拍遅れてこう付け足した。
「籠神からお持ちのものは全てこちらでお預かりいたします」
預かる、ね…
言われるがまま、持っていた荷物を夕立に渡した。
代わりに差し出されたのは作務衣だった。
薄紅色のやけに肌触りの良い生地。
後ろには、真円が二つ重なった古神の家紋が、銀糸で縫い付けられていた。
わざわざしつらえてくれたのか?
こんな上質な作務衣、さすがは名家。
作務衣を手にするのは初めてだった。
着方がまったくわからない…
もたもたしていると、「こう着るんだよ」と夕立がぶっきらぼうに言いながら手を伸ばす。
手際よく無駄もない。
丁寧にさっと着替えさせてくれた。
言葉は荒いのに、手つきに迷いがなかった。
「さあ、早く」
つんとした声だが怒ってるわけではなさそうだ。
急かされるまま、右も左もわからずに後を追う。
古神の屋敷は、乾いた香の匂いが淡く満ちていた。
襖の前で夕立がすっと呼吸を整える。
「当主さま、籠神家のこよみを連れて参りました」
「入れ」低く柔らかい声が響く。
顔を伏せながら夕立に続き、部屋にはいる。
正座をし深く頭を下げた。
「まあ、そう堅苦しくする必要はない。
楽にしなさい」
柔らかさの中に威厳が漂う声が響く。
迷いながらも顔を上げる。
「籠神睦月の遺言により参りました、こよみでございます」
「古神の当主、黒雨だ」
精悍な顔付き。
その目線はこちらを見定めるかのように鋭い。
「よく来た、とは言わないでおこう」
わずかに沈黙する。
「お前もわかっているだろうが」
言葉が続く。
「籠神の者が古神に入るのは異例中の異例。国主の取り巻きどもがうるさくて敵わんよ」
わずかに眉を動かす。
「だが、お前の祖父君、睦月殿には返しきれない恩があってな」
言葉が途切れる。
「睦月殿の遺言だ。無下にはできまい。些か無理は通したがな」
話しはすでに回っているか。
(ふん、噂好きな連中だ)
「睦月殿が何故あのような遺言を残したか、理由は聞かん」
そう言い、私の目を真っ直ぐに見る。
「聞かぬが」
わずかに止まる。
「この家で滅多なことはしてくれるなよ」
含みのある重い声だった。
じじ様の遺言。
籠神から古神へ奉公に入る――あまりに異例だ。
籠神の連中は、両手放しで喜んだ。
(化け物)
卯月の言葉が耳に蘇った。
腹に目を落とすと、すっと体の温度が下がる。
この腹の存在が知れ渡れば…
私も、籠神も終わりだ。
この腹は、私を蝕んでいる気がする。
遺言の意図。
それは、じじ様と私の秘密だ。
「ありがとうございます。籠神の名に恥じぬよう努めてまいります」
「しかし、睦月殿がこんなに早く逝くとは…」
「最後は安らかであったか?」
「死ぬ直前まで、あれやこれやと楽しそうに小言を言っておりました。けれど、最後は静かにこと切れました」
「まったく、睦月殿らしいな」
優しそうに目を細め微笑んだ。
「夕立、白雨を呼んでこい」
「はい。すぐに」
夕立が襖に手を掛ける。
その瞬間――
「おります」
涼やかな声と共に襖が開いた。
そこには、背の高い青年が立っていた。
艶のある漆黒の髪。
乱れ一つないおかっぱ頭。
まるで人形だな。
部屋の空気が澄み渡るように凛とした。
「使用人が奉公に来るだけで、当主自ら挨拶なさるとは」
白雨と呼ばれる青年は面倒くさそうに当主の横に座ると、眉を微かに顰めた。
「籠神から参りましたこよみでございます」
「顔をあげろ」
黒目がちな瞳がこちらを掠めた。
その奥が、微かに揺れる。
視線が触れた瞬間、空気がひんやりと沈んだ
これが、古神家の跡取り。
確か、歳は変わらないくらいだったか。
その氷のような瞳に覗きこまれてると、触れられたくないところまで見透かされる気がして、薄気味が悪い。
「古神の長子、白雨だ」
「なにやら顔色が優れないようだが?」
温度のない冷ややかな声。
「久しぶりに外に出たので、疲れたようです」
「そうか」
「来る途中に――」
白雨の目線が微かに腹を掠めた。
「大事はなかったか?」
口の端がわずかに上がる。
その瞬間、腹の内側がざわりと揺れた。
皮膚の下で何かが目覚めたように、二回鼓動した。
白雨の視線が腹へと落ちた瞬間だった。
(…なんだ、これ)
喉の奥が詰まる。
呼吸が浅くなるのを、自分でも抑えられなかった。
「古神の結界は特別だ」
「引っ掛かるなよ」
白雨は一瞬だけ目を細める。
すっと立ち上がると、当主に深く頭を下げ、部屋から出ていった。
その気配が消えたとき、腹の奥がわずかにざわついた。




