第十五話 鬼火と死神
三郎は、何か分かればすぐに古神の屋敷へ使いの者を寄越してくれると約束し、定火消屋敷を後にした。
「俺はこのまま国主の館へ報告へ行く。お前は屋敷へ戻れ。この件はもう首を突っ込まなくていい。鬼火はそう、人為的なものだ。いいか、寄り道はするなよ」
そう言って白雨は力車に乗りこんだ。
火事の喧騒はすでに消え、街は何事もなかったような日常に戻っていた。
火事そして鶏と羽。
これは偶然じゃない。
首を突っ込むなって言われても、今さら引っ込められないけどな。
(よし。まずは鶏を探すとするか)
「こっこっこっ」
(なんて都合の良さだ)
微かに鶏の声が聞こえる。
きょろきょろと辺りを見回すと、先ほどの子供が鶏を抱え路地脇から出てくるところだった。
「鶏、捕まえられたんだ」
そう子供へ話しかける。
「お前とぶつかったせいで捕まえるの大変だったんだぞ」
じたばたとする鶏を必死に抱え、子供が意気込んだ。
「ごめんごめん。ところでさ、さっき言ってたいい事って何?教えてくれない?」
「鶏を持ってくと駄賃を貰えるんだ」
子供は自慢げにそう言う。
「誰に?」
「橋の脇にある船宿のお兄さん」
「へえ。で、お駄賃ていくらなの?」
「聞いて驚け。ニ貫だ」
鶏にニ貫?それはいくらなんでも怪しすぎる。
「さすがにそれは嘘なんじゃない?」
「この間持ってたら貰えたぞ。だけど、尾っぽが黒い鶏じゃないとだめなんだ」
鶏なら何でもいいわけじゃないんだ。
そう言えば…さっきの焼け跡に落ちてたのも黒い羽だった。
であれば…だ。
「なら三貫出そう。だからその鶏くれない?」
「三貫も?本当に?」
子供の目が急に輝き出す。
「明日、古神の屋敷に来れば渡してあげる」
「あの大きな屋敷?」
「そう。ついでにこれを渡しておこう。質札代わりだ」
頭巾を脱ぎ、子供に渡す。
「何だお前!真っ白けじゃないか!」
子供は私の髪を見るなりぎょっとして後ずさる。
私は白子で神の使いなんだと、決め顔で子供相手にうそぶいてみた。
しかし、子供はそこを完全に無視し「本当に三貫くれるんだろうな」と念を押すように言う。
「もちろん、約束する。私はこよみ。名前は?」
「おいらは正吉だ」
鶏を抱えて橋を目指す。
さっきから腹が妙だ。
(やっぱりこいつかな)
見れば鶏は据えた目をしながらひっきりなしに腹を突いている。
橋のすぐ脇にその船宿はあった。
朽ち果て崩れ落ち、火の気も人の気も感じない。感じるのは怪しさだけだ。
確証はない。
けれど、探している鶏がこいつなら…そのお兄さんとやらはそう、火事に関係してる。
「すみません。鶏をお持ちしました」
壊れそうな引き戸をがたがたと開けながら声を掛けた。
「ああ、こっちこっち」
陽気な声で呼ばれる。
中に入ると、樽やら網やらが乱雑に置かれている。その先にはニ階座敷へと続く小さな階段が見える。
階段を上がると、座敷には着流しの男が寝転がっていた。こちらをちらりと見やり「やあ」と言って起き上がる。
二十歳くらいか。
適当に結えた髪に整った顔立ち。
まるで役者みたいだ。
長い前髪の隙間から覗く細い目は優しげだ。
なのになんだろう?
このぞっとする不気味さは。
「やあ、ご苦労さん」
そう言いちらっと鶏へ目線を向けた。
「ようやく本命だ。さらに白子まで来るなんて最高じゃないか」
糸目をさらに細めて可笑しそうに笑った。
やはり…探してたのはこの鶏か。
「座んなよ。生憎、お茶は出せないけどさ」
ぽんと軽く畳を叩く。
「あの…この鶏はどうするんですか?」
「気になる?」
「気になりますね。ニ貫も貰える鶏なんですから」
「なら見てく?」
男は鶏の首をひょいと掴み立ち上がった。
鶏は弛緩したようにぐったりとして動かなくなった。
「何のつもりです?」
「何って何が?」
男は鶏の首をぐにゃぐにゃと左右に動かしながらくすくすと笑う。
「やっぱり食べるんですか?」
「まさか。お嬢ちゃん、随分と物騒なことを言うんだな」
「じゃあ、一体何のために鶏を探してたんですか?」
「知りたがりだなあ。お嬢ちゃんこそ何しに来たのかなあ。待って。言っちゃだめだ。僕が当てたい。うん、そうしたい」
男は鶏を掴んだまま、私の真ん前で胡座をかく。
「このお嬢ちゃんはさ、何しに来たと思う?」
男は鶏に向かってそう話しかける。
「お嬢ちゃんは火事の調査をしてるんだよ」
男はぐったりとした鶏の嘴を掴み、ぱくぱくと動かす。
鶏を使った一人劇が始まった。
声色まで変えて芸が細かい。
これは――想像以上にやばい。
隙を見て逃げた方が良さそうだ。
男はそのまま鶏との会話を続ける。
「こんな可愛らしいお嬢ちゃんが火事の調査?」
「そうそう、古神の息子と一緒にくんくん嗅ぎ回ってるんだよ」
「じゃあ、このお嬢ちゃんは古神の家の者なの?」
「違う違う、このお嬢ちゃんは籠神の娘だよ」
「籠神?なんで古神なんかにいるんだ?」
「それはね、追い出されたからだよ」
ぞくりと背筋が冷えた。
なぜ籠神の者だと、追い出されたと、知ってるんだ?
男の視線が鶏へと向いたその瞬間。
階段を目掛けて走った。
「参るなあ」男はそう呟く。そのまま髪を思い切り掴まれ座敷へ勢いよく投げ飛ばされる。
背中を思い切り打ち付けられ息が止まる。
次の瞬間、男に思い切り腹を踏みつけられた。
「その必死な顔、すごくいいよ」
細い目が楽しそうに歪んだ。
「なぜ…私のことを知ってる?」
「なぜって。白子は籠神の専売特許だろ?」
「追い出された事まではわからないはずだ。お前、何者だ?」
「無意味だな」
男は笑いながら続ける。
「そんなこと知って何の意味があるんだ?」
「じゃあ、質問を変えよう。お前が火事の首謀者なのか?」
「下手だな。会話」
男の足が一層腹に食い込んだ。
その瞬間、腹が猛烈に蠢いた。
(よろず様だ)
「お前、何を…何を体に入れてる?」
「ああ」
男は軽く首を傾げる。
「そっかそっか。この腹か」
そう言いながら腹を思い切り蹴られる。
「ぐっ…」
痛みで思わずうずくまる。
髪を引っ張りあげられ顔を無理やり上げさせられる。
「お嬢ちゃんこそ、腹に何飼ってるんだ?怖いじゃないか」
「女の子の腹を怖がるなんて、ずいぶんと無粋だな」
「僕は怖がりなんだ」
「よろず様を使って火事を起こすなんて。お前、正気か?」
「は?」
男の笑みが消える。
「そんなつまらない事に使うかよ」
「あれだけ火事を起こしてつまらない事だと?」
「ああ、つまらないね。まあ、お前たちの使い方よりは、よっぽどましだけどな」
「こんなこと、何のためにやってるんだ?」
「何のためって。集めてるんだ、恐れをね」
「恐れを集める?」
「ああ、そうか。お嬢ちゃんには、何にも見えてないのか」
急に白けた顔をする。
「死神の娘なのにな」
ため息を吐いたかと思うと人差し指に青い炎が灯る。
「がっかりだ」
「死神って誰のことだ?」
「もういい。喋るな」
そのまま人差し指をくるくると回す。
(空気が変わった)
男はすっと立ち上がる。
次の瞬間、辺りには青い炎が無数に浮かんでいた。
「こんな歳して恥ずかしいんだけど、思い切って言おう。実は人を焼くのは初めてなんだ」薄ら笑いを浮かべる。
「上手く出来なかったらごめん」
(謝ってるとは思えないくらい楽しそうだけどな)
無数の炎がぱっと一つに合わさる。
人の大きさほどの青い炎がそこにはあった。それは音もなく近づいてくる。
腹を人撫でする。
やらなきゃやられる。
こっちだって人間は初体験だ。
死なれちゃ困るけど、加減はできないかもな。
息を思い切り吸い込む。
腹の奥に力をこめると一気にそれを吐き出した。
腹の周りに黒い靄が立ち込める。
次の瞬間、それは無数の黒い手となり炎へと一直線に向かう。
黒い手が炎に絡まる。
炎は大きく捻れ、青白い火の粉を悲鳴のように撒き散らす。
ぶちん。
生々しい音と共に炎が千切れる。
手は炎を掴んだまま、ずずずと腹へと戻る。
「喰うのかよ」
ぱんと手を叩く。
「最高だな」
「生憎こっちは最悪の気分だ」
「えっそうなの?」
驚いたように細い目を見開く。
「もう一度聞く。死神って誰だ?」
「知りたがりだなあ」
「ふざけるな。答えろ」
「見間違えるくらいそっくりだ」
男は窓の外をちらりと見やり、やけに嬉しそうに目を細めた。
「さてと、名残り惜しいけど。寒くなると面倒だし行こうかな」
「行かせない」
聞きたいことは山ほどあるんだ。
不意に、目の前に白いものがちらついた。
結晶?
空気が一気に冷え込む。
「今日はここまで。そこそこ楽しかったから、ご褒美だ」
男が何かを指でぴんと弾いた。
足元に何かが転がる。
思わず視線を落とした。
「また会おう」
顔を上げた時には、窓だけが開いていた。
(しまった!)
男も鶏も消えていた。
足元には黒い玉が転がっていた。
拾い上げると、表面にはヒビが走っている。
(うわっ)
指先から這い上がってくる冷たい感覚に思わず落としそうになる。
あいつの目的は火事じゃない。
恐れを集めてるって、何をする気なんだ?
「寄り道するなと言わなかったか」
呆れた声が響いた。
振り返れば、戸口の前に白雨が立っている。
(そうだった…確かに言われてた)
黒い玉をそっと袂に滑り込ませた。




