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剣は名を持たない誓いを抱く  作者: StoryTellingMusic


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23.足跡の先、古い水門

 夜明け前の町は、音が少ない。


 川の流れと、遠くで鳴く鳥の声。柵の向こうで水車が低く軋み、冷えた空気が肌を撫でる。

 見回りの交代を終えた男たちが、眠気を噛み殺すように肩をすくめて解散していく。


 ガルドは川辺を一度だけ見渡し、こちらへ戻ってきた。


 「……行けるな」


 町が今すぐ崩れない、その感触だけを置いて先に進む。


 エリシアは外套の襟を上げ、測定具の小さな水晶を指で弾いた。薄い音が鳴る。


 「痕は、川沿い。粉が通った」


 レオンは頷き、足元を見た。

 昨夜の土は湿っている。普通なら、誰の足跡も混ざって崩れていくはずだ。


 それなのに――一本だけ、道がある。


 迷いなく入口へ向かい、迷いなく戻った跡。

 歩幅が揃い、踏み込みの深さが一定。滑った痕もない。


 「慣れてる歩き方だな」


 ガルドが低く言う。苛立ちではなく、輪郭を掴む声だ。


 レオンは土の凹みを指先でなぞりかけて、やめる。触る必要はない。

 目で追えば分かる。


 足跡は川沿いへ伸び、町の外れの草地へ消えていた。


 町を離れると、空が少しずつ白んできた。

 川霧が薄く漂い、葦が揺れて、視界の輪郭が柔らかい。


 エリシアが時折立ち止まり、地面に水晶片を置いては拾い上げる。

 その仕草は急いでいない。だが遅くもない。必要な分だけ確かめている。


 「この辺り、痕が増えてる」


 彼女が指差した場所に、白い粒が点々と残っていた。

 地下の図形ほど濃くない。だが、粒の揃い方が同じだ。


 ガルドが川の反対側を見た。

 葦の向こう、石積みが崩れた小さな岸。そこだけ霧が薄い。


 「……あそこだ。古い水門がある」


 言い切って歩き出す。

 レオンとエリシアが遅れずに並ぶと、足音が三つになる。


 その瞬間、霧の向こうで“何か”が動いた。


 水音が、変わる。


 葦が揺れたのは風ではない。

 低い影が、川べりを横切った。


 「来る」


 ガルドの声が落ちた。


 レオンは剣の柄に手をかけ、抜くタイミングを測る。

 早すぎれば音が増える。遅すぎれば遅れる。


 霧の中から現れたのは、犬に似た獣。だが、どこか不自然に静かだった。

 足運びが柔らかく、水を踏んでも音が立ちにくい。


 耳だけが鋭く立ち、こちらの呼吸を拾って首を傾ける。


 音狩り。


 息の乱れに反応する。


 エリシアが小さく吸って、吐く。

 それに合わせるようにレオンも呼吸を落とした。肺の奥まで冷たい空気を入れて、ゆっくり吐く。


 「走ると寄ってくる。……静かに」


 命令ではなく、状況の共有だ。


 音狩りが一歩、近づく。

 距離が詰まるのに、迫っている感触が薄い。霧のせいか、それとも――この獣の性質か。


 ガルドは大剣を抜かない。

 腰を落とし、足裏で地面の硬さを探る。踏む場所を選んでいる。


 レオンは一歩ずらした。葦の根元の土は柔らかい。踏めば鳴る。

 代わりに、石の露出しているところへ足を置く。濡れているが、音は抑えられる。


 音狩りが跳んだ。


 レオンは剣を抜く。金属の擦れが短く鳴り、獣の耳がこちらへ向く。

 狙い通りだ。


 だが、真正面から受けない。

 半身になって、剣先で“触れるだけ”の牽制を入れる。刃を深く入れない。血飛沫は霧に混じる。


 音狩りが方向を変えた瞬間、背後から風圧が落ちた。


 ガルドの一撃。


 大剣は大きいのに、軌道が短い。

 重さが、迷いのない線に収まっている。獣の胴が、霧の中へ沈む。


 もう一体が、音の少ないまま回り込む。

 レオンの背へ――ではなく、足元へ。踏み込みを誘うように間合いを詰めてくる。


 「……嫌な動きだ」


 レオンは舌の奥で呟き、踏む場所を変えた。

 柔らかい地面に乗れば、音が出る。音が出れば寄られる。なら――硬いところを使う。


 石の縁を渡るように、足を置き換える。

 ほんの少しでも音が鳴ると、耳が反応するのが分かる。


 その時、霧の向こうで獣が“増えた”。


 二体だったはずの影が、三つになる。

 同じ動き、同じ間合い。どれが本体か分からない。


 影写し。


 姿を増やすのではない。認識をずらす。

 斬り損ねた瞬間、呼吸が乱れる。音が増え、寄られる。


 エリシアが光を指先に集める。

 眩い閃光ではない。霧を割く程度の細い光。


 「影が揃いすぎてる。……本体は、遅れてる」


 声に合わせて、レオンは“違和感”を拾った。

 影の一つだけ、霧の流れに逆らっている。


 そこに境がある。


 レオンは踏み込まず、剣先だけを伸ばす。

 刃を深く入れるのではなく、境界を切る。


 ぷつり。


 切れた感触は薄い。だが、次の瞬間、増えていた影がほどけるように消えた。

 残った本体が、霧の中で身を低くする。


 ガルドが斜めから入り、大剣を振る。

 霧が割れ、獣が倒れた。


 静けさが戻る。

 川の音が、ようやく一つの音に戻った気がした。


 エリシアは足元の霧の流れを見て、短く言う。


 「影が崩れた。……仕掛けの糸が切れたんだと思う」


 レオンは頷いた。


 「ガルドさんの動きを、見てたので」


 ガルドは返事をせず、川向こうを指で示した。

 霧の薄い岸。崩れた石積み。古い水門の影。


 行け、という合図。


 水門は、思っていたよりも小さかった。


 かつて水量を調整するための施設だったのだろう。

 石組みの通路が川へ伸び、錆びた金具が残り、崩れた壁の隙間に暗い穴が口を開けている。


 入口の周囲だけ、霧が薄い。

 冷たい風が、穴の中から吹き出していた。


 そして――白い粉。


 散らしたというより、置いた。

 点が並び、線になり、自然と“道”に見える。


 「誘導だな」


 ガルドが呟く。


 エリシアが頷く。


 「足跡を見せるためじゃない。……ここへ、何かを運んだ」


 レオンは穴の縁にしゃがみ込み、目を凝らした。

 石の隙間に、微かな黒い糸が絡んでいる。


 蜘蛛の糸に似ているが、質が違う。

 光を吸うような黒さで、触れずとも張りが感じられる。


 「……これ」


 レオンが言いかけた瞬間、穴の奥で小さな音がした。


 かさ、かさ。


 乾いた音。布の下で暴れた甲虫の音に似ている。

 だが、量が違う。


 石の隙間から、黒い艶がぞろぞろと出てくる。

 甲虫――縫い甲虫が群れで這い出し、粉の粒へ向かって揃うように集まっていく。


 エリシアの目が細くなる。


 「……増えてる。ここで、図形を強くする気だ」


 潰せば散る。

 散れば、起点になる。


 レオンは腰の袋を探り、昨日使った布を取り出した。

 だが群れの数が多い。布一枚では足りない。


 ガルドが周囲を見渡し、崩れた板切れを拾った。

 それを地面に置き、板で“掃く”ようにして甲虫の群れを一箇所へ寄せていく。


 叩き潰すのではない。圧もかけない。

 ただ、逃げ道を減らし、集める。


 「レオン、布で口を作れ」


 ガルドの声が落ちる。


 レオンは布を筒に丸め、端を折って簡易の袋にする。

 エリシアは光を細く走らせ、群れの動きを鈍らせた。焼かない。散らさない。


 寄せられた群れが固まった瞬間、レオンが布の口を被せる。

 甲虫の乾いた音が、布の中で暴れる。


 ガルドが板を添え、布を押さえる。圧は最低限。

 逃げ道だけを塞ぐ。


 「紐、いる?」


 エリシアが短く問い、細い紐を投げる。

 レオンが受け取り、布の口を素早く縛った。


 布袋が小刻みに揺れる。

 だが、粉は舞わない。


 ひとまず、図形を増やす“手”は止められた。


 ――そのとき。


 水門の奥から、足音が一つ聞こえた。

 人の足音だ。濡れた石を踏む、軽い音。


 「来てる」


 レオンが呟くと、ガルドは一歩前に出る。

 大剣の柄に手を置き、まだ抜かない。抜けば音が増える。


 穴の奥――薄闇の向こうに、人影が見えた。


 男ではない。背丈が低い。

 フードを被り、顔は見えない。だが、動きは迷いがない。


 こちらの気配に気づいた瞬間、ふっと身を引いた。

 戦う気配のない撤退。


 それでも、置いていくものはある。


 足元へ、小さな袋が転がった。

 革袋。口が緩い。中から白い粉が少し漏れ、石の上に薄い円を作る。


 「……罠だ」


 エリシアが息を詰める。


 レオンは躊躇せず、剣先で袋の縁だけを切った。

 粉が出る前に、張りの集まる“口”を壊す。


 袋の形が崩れ、粉は散らずに石の上へ落ちる。

 円になりかけた線が、途切れる。


 フードの影が、ほんの少しだけ止まった。

 次の瞬間、影は闇へ消えた。


 追えば追える。

 だが、穴の奥は狭い。粉も残っている。甲虫もまだいるかもしれない。


 ガルドが一歩踏み出しかけて、止まった。

 視線が、レオンとエリシアへ一度だけ向く。


 「追うなら外だ。ここで崩すと、広がる」


 言葉は必要な分だけだった。


 エリシアが頷く。


 「外へ誘い出す。ここは、封じる」


 レオンも頷き、穴の入口を見た。

 黒い糸が、石の隙間にまだ残っている。まるで、ここが“縫い口”だと言うように。


 ガルドが穴の縁に板を立てかけ、石を寄せて簡易に塞ぐ。

 完璧ではない。だが、今すぐ誰かが落ちることは防げる。


 エリシアは水晶片を二つ置き、印を結ぶように光を落とした。

 派手な封印ではない。目印だ。次に来たとき、変化が分かるようにする。


 作業が終わると、三人は川霧の中へ戻った。


 朝日が、ようやく霧を薄く染め始めている。


 レオンは歩きながら、布袋の中で揺れる甲虫の音を聞いた。

 小さな敵。小さな仕事。

 それが確かに、町を揺らす。


 そして、今ここで見えたのは――敵が“戦うため”だけに動いていない、ということだった。


 整え、残し、次へ移る。

 まるで、実験の続きを別の場所でやるように。


 エリシアが前を見たまま言った。


 「追跡は続ける。ここで止めたら、別の町に移るだけ」


 「この先、川を渡ったところに旧い取水塔がある。水路図に印が残ってる」


 ガルドが短く息を吐く。


 「……ああ。次は、逃がしたくない」


 レオンは頷き、川の流れを見た。

 水は今日も同じように流れているのに、その下で何かが縫い進められている。


 それが、少しずつ輪郭を持ち始めている。


 町へ戻れば、バルツに伝えることがある。

 入口は一つではない。水門にも痕がある。甲虫が増えている。

 そして――人の手が近い。


 レオンは胸の奥で呼吸を整えた。

 焦ると音が増える。音は、敵に拾われる。


 静かに、確実に。


 次の場所へ向かう準備を、足がもう始めていた。

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