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another 9

 互いに何も言わないまま沈黙の馬車に揺られること30分。

 体感的にはもっと長く2時間くらいに感じたのだけれど、会場とたどり着いた馬車との距離的に30分くらいだと知る。

 馬車が停車したそこは、トラステッド侯爵家の生家だった。

 私の家より5倍、いやそれ以上あるだろうか敷地の広さに、大きな屋敷。もうちょっと目眩がしてくる。

 ロルフ様の膝の上で、窓から見たその光景に若干引いていると、ふわりと身体が持ち上がり、彼の腰掛ける横に降ろされる。

 私が膝から居なくなって、馬車を降りたロルフ様は、何も言わずに私に手を伸ばしてきた。

 どうやらエスコートしてくれるつもりらしい。が、降りていいものかと少し悩む。

 ロルフ様は何も言って下さらないし、ここは彼の生家だし、ということは現トラステッド侯爵がいらっしゃるということで、こんな家の前でグダグダしていたら不敬だし、でも降りたら何をされるか………と、頭の中がパニックになりかけており、その白い手に触れていいものかと腕を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返す。

 すると。


「ヴィオラ」


 と、甘く優しい声に促される。催促するような声でなく、大丈夫だから、といった不安を取り除こうとしているような声だった。

 その声に、一度手を伸ばし、戻して、けれど意を決してもう一度手を伸ばして、恐る恐るその手をとる。

 その手をそっと引き寄せたロルフ様は、私が馬車から降りると、再び横抱きにして屋敷へと向かっていく。

 何故ずっと抱かれたままなのだろうか。私が逃げるとでも思っている?

 確かに出来ることなら逃げ出したい。けれど、しっかりと肩と膝裏を支えて私に触れるその手が丁寧で、どうしようもなく心臓が音を立てる。

 好きな人にこうされて嫌な女性が居るかしら。

 さっきは気づかうような素振りを見せてくれたけれど、まだ彼が怒ってない確証はない。

 私は落ちないようにとロルフ様に縋ることも出来ず、視線を進行方向に向けた。

 前方には、左右に分かれて上へと伸びる大きな階段。その左側を登り、左の廊下へと進む。

 廊下の白い壁紙には、クリーム色で花などの装飾が描かれ、所々に設置された燭台も美しく繊細な模様。一目見て高いものだということが分かる。

 スタスタと進んでいくロルフ様は、ずっと私を抱いて運んでいるけれど、腕が痺れないのかしら。そんな素振りがまったく見られないのは、さすが騎士団と言うべきか。

 やがて長い廊下が終わり、突き当たりの部屋にたどり着いた。

 器用に私を抱いたままドアを開けると、広々とした部屋。

 部屋に入って左には、奥に続く扉が見えた。

 その扉の横には、大きなベッド。洗濯がしっかりとされているのだろう。ピシッと伸ばされたシーツにはシワひとつない。

 テーブルやらソファなどの家具を見る限り、センスのいい人の自室だろうことは分かる。

 そしてそのプライベート空間に足を踏み入れているということは、この部屋の主はロルフ様なのだろう。

 私を抱えたままソファに近づいたロルフ様は、そこに私を座らせた。

 その横に自分も座り、3人がけのソファに2人で並ぶ形となった。


「何から話したものか……。そうだな、とりあえずは誤解を解こうか」


 そう言って、テーブルの下に付けられた引き出しを開けると、そこから無造作に一枚の紙を引っ張り出した彼は、それを私に差し出した。

 受け取って中を確認すると、それはオークリー様のお父様からロルフ様への婚約の申込書だった。

 それを見て、やっぱり、と思う。

 この際どちらから持ちかけた婚約だとかはどうでもいい。どちらにせよ、結果は変わらないのだから。

 それをテーブルにそっと置くと、ロルフ様はため息をついた。


「オークリー嬢の父上と私の父は仲が良くてな。何やら、昔に互いの子供を結婚させようなどと話していたらしい」


 淡々として話す彼の顔が見られない。

 両方の親が認めているのならば、それはもう正式に結ぶべきだろう。

 そしてオークリー様はそろそろ婚期を逃しかねない。昔からの口約束を現実にしようとしたっておかしくはないのだ。二人はどちらも見目麗しいし、身分も高いもの同士、意義を唱える者はほぼ居ないだろう。

 …………そう。

 自分で納得して、この恋心に蓋をしようと思っていた。その理由が分かって良かった。これであっさり諦められる。

 そう思っていた私の顔を覗き込むようにしたロルフ様は、だが、と続けた。


「私には恋する女性がいた。だから婚約は結べないと答えたんだ。だが、オークリー嬢はならばと条件を出した」


 恋する女性。そう言ってくれるのは、誰のこと?

 まさか、本気で私の事を思ってくださっているの?

 ギュッと締め付けられるように高鳴る心臓と、そんなはずがないと否定する頭。

 こんな時でも私は、自分が傷つかない策を考えているのだ。


「その条件というのが、『1年以内にその好いた女性に告白されること』これが果たせなかったら、彼女と結婚するという条件だ」

「……………は?」


 女性の、それも位の下の令嬢が婚約に条件を付けるなど。

 そんな事あるのか、と呆気に取られていた私に、ロルフ様は苦笑を浮かべて、父が友人同士だからな、と言った。

 そういう問題ではないと思うのだけれど。

 ぱちぱちと目を瞬いている私を見て、ロルフ様は目を細めた。


「だが、オークリー嬢も世間体がある。婚約の申し込みをした家の男から邪険にされていては、体裁がよろしくないだろう。だから、時々彼女を街に連れ出してエスコートすること、と、今度は彼女の父君に言われてな」

「あっ……」


 思わず声を上げた私を見て、やはりか、と苦笑したロルフ様。彼のその話で、数日前に見たデートが、条件のひとつだったのだと知る。

 ……なんて恥ずかしい勘違いを。

 ふつふつと熱を持つ頬を手で隠すようにしてロルフ様から視線を外してから、でもと引っかかる。


「噂が……ロルフ様が、オークリー様と婚約したと……」

「………………彼女に先手を打たれてな」


 軽く眉間に皺を寄せてため息をついたロルフ様によると。

 1年という猶予期間の中ではあるが、ロルフ様の見目やら地位やら、彼には好きになられる要素が多すぎた。

 だからこそ、好きになっても告白など、ましてや婚約の受け入れなど出来ないように、友人達経由で噂を広めたらしい。

 あの知的なオークリー様がそんなことをするのか、と驚いた。

 女性とはとても強かなものね……。私も女性ではあるのだけど。

 ともかく、これで彼がオークリー様とは何も無いということがわかった。

 ………とは言っても。

 不安が失せた訳では無い。胸の中に渦巻くのは、先程カールトンに言われた言葉たち。

 知らず知らず俯いていた私は、ロルフ様に顔を覗き込まれて、それに気がついた。


「………それで、誤解は解けただろうか」

「…………えぇ。……申し訳ございません……その、取り乱したりして………はしたなかったですわね」


 そんなことはない、とふわりと笑ったロルフ様は、そっと私に手を伸ばした。

 けれど、それを見て、カールトンの言葉が脳裏を掠めた。


『見た目だけの女』


 ロルフ様の手が髪に触れる瞬間、ビクリと震えてしまう。

 それを見て伸ばしていた腕を止めた彼は、そっと腕を戻した。


「すまない………。傷付けてしまったな」

「っ、その……」


 どうにか誤魔化そうと口を開くものの、全く良い言葉が出てこず、しどろもどろとしてしまう。

 けれど、ロルフ様は首を振ると、ソファに座る私の前に膝立ちになり、真っ直ぐに私を見つめた。

 いつかと同じような光景に、そのルビーの瞳から目が逸らせなくなる。


「あの男に何か言われたのだろう。言いたくなければそれでいい。だが、何を言われていても、俺が貴女を想う気持ちは変わらない。それとも、他にも俺が貴女を傷付けてしまっているのなら、教えて欲しい。愛する女性を泣かせたままというのは、耐えられない」


 あまりに真っ直ぐに告げられた言葉に、止まったはずの涙が溢れてくる。

 私の頬を伝う物を見て、ロルフ様は慌てたように手を伸ばし、けれど、それは私に届く前に空中をさまよった。

 迷っているような、触れていいのかと躊躇うような動きをしていたそれは、私が2つ目の涙をこぼした時、ゆっくりと目元に触れた。

 優しすぎるほどのその手によって涙を拭われ、私は、抱えている黒いものを、自分の中に留めておくことが出来なかった。


「私は………見た目しか価値がないと。高飛車で、尊大な態度を取る女など、誰も求めてくださらないと……」


 今までのこと、カールトンに言われたことを涙声のままで話していく。

 ぽつりぽつりと話していくうちに、涙で霞む視界の奥で、段々とロルフ様の顔が歪んでいくのが分かった。

 それでも何も言わず聞いてくれる彼の優しさが嬉しくて、でも、そんな完璧な彼の婚約者なんて、やはり自分には勿体なさすぎる。


「………カールトン様に、言われたのです。……ロルフ様も、そんな彼らと同じなのだと」


 違うと思っている。

 だけど、否定できなかったの。

 私は、愛されていると宣言できるほど、自分に自信なんてないのだから。

 婚約を破棄される度に、またかと思うよりも強く、胸を占める悲しみと孤独。

 やっぱり私を愛してくれる人なんて居ないんだと、苦しい思いを募らせてきた。


 だけど、ロルフ様は違った。違うと思ってた。

 一度のデートの後、『また』と言ってくれた。何度も何度も手紙をくれて、揃いのドレスまで贈ってくれた。

 素直になれないこの性格を、可愛いと言って笑ってくださった。……素でいられた。

 心から嬉しかった。

 長い時間を一緒にいた訳じゃないのに、好きになってしまうのも当然だったように思う。

 それくらい簡単に、私は彼に恋に落ちた。


 でも。

 だからこそ、臆病になった。

 本当に好きな人に嫌われてしまったら?

 この話を、白紙にされてしまったら?

 その時私は、またかって言って諦められる?


 そんな小さな棘が引っかかっている時に、今回のことがあった。

 もう、こんなに苦しい思いはしたくない。

 いくつも頬を流れた涙の跡を伝うように、また一筋零れた涙は、顎を伝って、膝の上で握りしめた手の甲に落ちた。


「……お慕いしておりますわ。ロルフ様。……けれど、疲れてしまったのです。貴方が私をどう思っていらしても、何も言わずに忘れて欲しいのです。……もう、傷つきたくないの」


 涙で濡れた顔のままで微笑んで、そうロルフ様に告げる。

 この話は終わりにしよう、と目元を拭おうとあげた手を、ロルフ様に掴まれた。

 え、と思った時には、引き寄せられ、ロルフ様の腕の中に収まっていた。


「な、何をするの!?離してちょうだい!」

「嫌だ。今離せば、貴女は永遠に手の届かない場所に行ってしまう」


 そういった彼は、ぐっと腕に力を込めた。

 その腕が微かに震えていることに気がついて、思わず抵抗を忘れる。

 抱きしめられているから、彼の表情は見ることが出来ない。

 だけど、触れる手が、声が、表情以上に気持ちを語っていた。


「愛してる、ヴィオラ。心から愛してる。君は初恋だと言ったが、俺だって、気付けば考えていて、笑顔が見たい、隣にいて欲しい。抱きしめて口付けたいと思う相手は初めてだ」


 隠すことも濁すこともせず、直球過ぎるほどに真っ直ぐ告げられた言葉に、息を飲む。

 そんな私に気付いてるのか否か、ロルフ様はなおも告げる。


「数日前から、いくら手紙を送っても返事が来なくなって、酷く焦った。もしかして、何か気分を害してしまっただろうか、それとも手紙が書けないほどに体調が優れないのかと、自分でも驚く程に焦った」


 返事をせずとも送られてくる手紙。

 そんなことを考えていたとは知らず、私は返事が来なくてもいいのだわきっと、と思い始めていた。

 段々と赤く染まる頬を見られていないのは、不幸中の幸いか。


「今日だって、贈ったドレスを貴女が着ていないのを見て、胸が引き裂かれるかと思った。本当に俺は貴女に何をしてしまったんだと、自分を呪った」


 拗ねたような口調で話していたかと思えば、最後の方は、とても苦しそうな声色で。

 そんなに、私のことを考えていてくれたのかと、ふわりと浮き上がる気持ちは、彼を好きだと自覚してしまったのだから仕方ない。

 だけど、それでも。

 まだ不安因子を探し続ける自身の心に、嫌気がさす。

 これだけ彼が愛を伝えてくれているというのに、どうして信じられないのだろう。

 浮いたはずの気持ちが落ち込んでいくのを感じていると、ロルフ様に抱きしめられたまま頭を撫でられた。

 顔を見ていないはずなのに、どうして私の気が沈んだのがわかったのだろう。


「……貴女が男性を信じられなくなってしまったのは、貴女のせいじゃない。そうさせた者に非がある。………もっと早く出会えていたらよかった。そうしたら、貴女が傷付く前に、抱きしめて上げられたのに」

「っ、」


 この人は、昔の私の事すらをも守ろうとしてくれるのか。

 あぁ、どうして。

 乾ききっていない頬を、また熱い一雫が伝っていく。

 やがてしゃくりあげ始めた私を、スーツが涙で濡れていくのも厭わずに、ロルフ様は自身の肩に寄りかからせるようにして抱き直した。

 そして、大切な物を守るような手つきで頭を撫でて。


「どれだけ俺を疑ったっていい。嫌いになったっていい。だが、それでも俺はヴィオラが好きだ。信じられないなら、信じてくれるまで言い続けよう。だから、それまでは共に居てくれないか」


 ずるい。

 ずるいわ。

 そんな言い方はずるい。


「それ、はっ……信じ、たら、もう………一緒に、居てくれ、ませんの…っ……?」


 しゃくりあげながら、ぐしゃぐしゃの顔で途切れ途切れに問うた言葉は、ロルフ様にきちんと伝わったようで。


「それは困るな。その時には、俺はヴィオラ無しじゃ生きて行けなくなっているだろうからな」


 彼は、苦笑してそう言った後、綺麗とは言い難い状態になった私の額や頬、瞼や鼻の頭などの至る所になんの躊躇いもなく口付けた。


「いま、は……?」


 ふと口をついて出た言葉は、不安から。

 その時は生きて行けなくなっているとしても、今は?むしろ、その時の事なんて分かりっこない。

 眉尻を下げて聞いた私に、ロルフ様はふわりと、花が咲くように笑った。


「今だって、ヴィオラと離れたくない。だが、どちらかというと、………そうだな、不安になったヴィオラを支えたい、かな。愛してると言い続けて、不安が消えるまで甘やかしたい」


 その言葉に熱を持った頬を隠すように、ロルフ様の肩にポスンと顔を埋めると、彼が楽しそうな笑い声をもらした。


「そういえば、支えたい、という令嬢の言葉の意味を教えてくれたのは、ヴィオラだったな」


 そう言って、そっと私の頬を両手で包むようにして顔を上げさせたロルフ様は、じっと熱を宿した瞳で私を捉えた。


「……やはり、俺の隣にはヴィオラが必要なんだ。……いや、頼む。そばに居てくれ。今まで結婚など面倒だと夜会なども出ていなかったが、揃いの衣装まで用意して、ヴィオラが行くならと足を運んだ。それも全て、ヴィオラを独占したい一心だ。……ヴィオラとの生涯は幸せだろうな」


 恥ずかしげもなくそう言ってのけたロルフ様に、私の頬はたちまち赤みをおびる。それでも頬を包まれていて逃げることは叶わない。

 ………私との生涯を、考えてくれているなんて……。



 あぁもう、なんだっていいわ。

 どれだけの不安要素を見つけたって、きっとロルフ様は一つ一つ取り除いてくれるのでしょうから。


 だから、お願い。


 両頬を包む彼の大きな手に、自身のそれを重ねて、私は震える唇を開いた。


「………離さないと、誓ってくださいますか?」

「誓おう。……というよりも、もう離せないのだが」

「……もし、浮気なんてしたら、私、貴方のことを刺し殺してしまうかも知れませんわよ?」


 もちろん、そんなつもりなんてない。

 でも、きっとそれを見た時点で私の心は壊れてしまうから。

 半分冗談に半分本気を滲ませてそう問えば、彼はなんてこと無しに笑って言った。


「そんな日は来ない。だがもしそうなれば、その時は殺してくれ」


 美しい微笑を浮かべて、彼はそっと顔を近づける。

 この人の言葉はどうしてか、信じられるような気がする。

 いえきっと、信じたいのね。

 訪れる甘い予感に、私はそっと目を閉じた。

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