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キンモクセイは夏の記憶とともに  作者: 広崎之斗
日常で始まった、非日常
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日常で始まった、非日常(6)

「どうしようか。家に来る?」

 歩きながら純一は言った。

 半歩ほど前を歩く純一を見上げて、悠人は首を横に振る。

「おなか、空いたし……」

「そうだよね」

 目を細めて笑うと、純一は歩く先を指さした。

 店の前の通りを繁華街とは逆方向に数十メートルほど歩く。中規模の雑居ビルが建ち並び、その間に小さな店が点在する。

 カフェやファッション、デザイン事務所と本屋を兼ねた面白い店などが通りに面していて、休日の昼間は人が多い地域だ。

 その内の一つ、五階建てのビルの一番上が事務所なのだ、と純一は案内してくれた。


 家に行くなんて、無理だ。

 これが気心の知れた友人などならまだ即答で「行く」と答えられた。もしくは冬真ならば。

 だが純一の場合、自分の心情的に無理だ。

 やはり誘いに乗らない方がよかったのではないか。そんなことを考えながら歩いて居ると、すぐに目的のビルに着いた。

「ここ。上がる?」

「いいの?」

 他方で事務所に関しては少し興味があった。

 常連客の話を聞いていてそういった職種の人の働く場所というのが少し気になっていたからだ。

 元々、大学を卒業してから就職はしていた。その時働いていたのは、大きなオフィスビル街の一画だった。

 あまりこういった場所はなじみがない。

 なんとなく、映画やドラマ、漫画や雑誌媒体などの印象が強くて、クリエイターの働く場所というものに興味があった。


「今度、配達頼むかもしれないし」

「さっきそこにコンビニあったじゃん」

「このぐらいの時間になると、弁当とかサンドイッチとか、なーんもないよ。まぁ俺か慎二の奴が買い置き、ちゃんとしときゃ良いんだけどさぁ。インスタントラーメンとか、せめてさ」

 頭を掻きながら純一はエレベーターを呼ぶボタンを押す。

「でも、そんとき食べたいもん食べたいじゃん? ってなると、マジで困るんだよ」

「まぁ、この辺飲み屋というかカフェとかバーはあるけど、テイクアウトは少ないから、食べる物困るのか」

「そ。だから多分、お店のテイクアウトは重宝するのわかるよ」

 しみじみという純一に納得しながら、悠人はエレベーターの扉を見てふと気になったことを口にした。

「家賃とか、この辺り高いの?」

「まぁ。でもウチはちょっと安いかな。もう少しセキュリティがしっかりしてるところは、高いけど。エレベーターとか呼ぶにも面倒だから、俺はそういうのいらないって思ってんだけどね」

 時間によってはロックが掛けられる物件はもう少し高いと教えてくれたところで、エレベーターが到着した。


「あの店のほうこそ、賃料高そう」

「あーアレは、論外だよ。あの店長の家みたいなもんだから」

 悠人は笑って、先に開いたドアの中に入った純一に続いて中に入る。

 ドアが閉まり、重力の方向を強く感じる。

 静かに動き始め、液晶が一つずつ上がるのを見上げる。

 男が二人並ぶと、エレベーターの中では肩が触れそうになる。ギリギリ、壁際に寄って悠人は小さく息を飲んだ。

 指も肩も触れそうだだった。


「で、デザイナーとか、凄いね」

「別に俺は凄くないよ。凄い人って、本当、なんか全然次元が違うし」

 純一も液晶を見つめたまま言った。

 ちらりと視線だけで横を見上げる。

 それを知っていたかのように、純一が視線を寄越した。

「ッ!」


 目を細め、小さく口角が上がって微笑む。

 店よりも白く明るい箱の中の照明で、黒曜石のような瞳は輝いて見える。

 子どもの頃から、彼の眼は綺麗だと思っていた。あの頃はまだ、丸くて、かわいらしくて綺麗だと思ったのだ。

 今は、違う。

 無言を遮るようにエレベーターが到着した音がした。


 降りるとすぐ、傘立てが目に入った。

 フロアマットがあってドアがり、そこにはカードキーを翳す場所があった。

 しかし純一はカードを翳すことなく、手早く番号を打ち込むと解錠した。

 電子音が響きロックが解除される。

「待ってて」

 そう言って中に入ると、電気をつけずに中へと進む。

 少しだけ覗き込むように悠人は中を見た。


 薄暗い部屋の中はワンフロアだった。

 広く整えられた部屋という印象ではあるが、思わず首を傾げる。

 戻ってきた純一が、その様子をみて「どうしたの?」と声を掛けた。

「いや……、あれ、何」

 そう言って指差した先には、なんだかよく分からない恰好のマネキンが一体。


 季節感もなければ、統一性もない。窓際に立つマネキンは、法被のようなものを着ているが、頭にはゴーグルがセットされている。

 しかし何故かニット帽子を被っているが、半ズボンを穿いている。


「ああ、アレはもう一人の趣味」

「趣味?」

「ってか、趣味の残骸? 仕事しててもアレに見張られてる感じあって、マジでイヤなんだけどなァ」

 苦々しい表情で純一はマネキンを見た。

「なんだっけ、大阪のくいだおれ人形? アレを超える何かを創りたいらしい」

「いや、だからってアレはなくない?」

「ないよ」

 思わず悠人は笑っていた。

「変なの」

「変な奴だよ。まぁ、忙しい時に唐突に変なことしだすから、あんなもんがあるんだけど」


 そう言ってドアを閉めると、再びエレベーターに乗り込んだ。

 悠人にとって、実際のデザイナーの事務所の印象はよく分からないまま、立ち去ることになった。

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