先輩、私迷路って苦手なんですけどね
「あ、なた……!?」
カレン――禁忌のゲームで、強烈な印象を残す悪役キャラ。
こちらに転生してからも、社交の場でそれなりに会話してきたことがあるけれど、親しいとはいえない間柄だ。
原作のカレンを知っているから、怖くてあまり近づきたくなくて、仲が深まらなかったのだ。エヴィちゃんだなんて呼ばれたことも、当然ない。
そんなカレンが、なぜここに?
まさか誘拐した本人か、と一瞬思って、すぐにその考えを消す。
カレンが悪役となるのはシュウルートだけ。関係のない自分を攫って得があるとは思えない。
それ以前に、カレンはなんといった?
ブラコン――そんな言葉、この世界には存在していないはずだ。ならば、カレンもまた転生者なのだろうか。
次々と疑問が浮かび上がるばかりで、朦朧とした思考ではなにもまとまらなかった。
「それにしても、ここ、ほんと息苦しいですよね……」
ふうと大きく息をつくカレンは、それでもいまのエヴェリンよりはいくらか余裕があるように見えた。
「さ、あれに見つからないうちに、早く逃げましょ?」
ほっそりとした透き通る白い手が、差し出される。
窓から細い日が差し、彼女の銀色の髪をきらきらと瞬かせた。カレンは桜色のくちびるにそっと笑みを浮かべて、静かにこちらを待っている。
エヴェリンは逡巡した後に、その手を握った。
なにが起きているのかまるで分からない。
だけど目の前の美しい少女が、心から自分を助けたいと思っていてくれていると、どうしてか信じることができるのだ。
「ありがとう、セシルさん……」
「いいえ、カレンでいいですよ」
薄い絹のようになめらかな手が、エヴェリンのことを助け起こす。
不思議とカレンの手を触ると、呼吸がずいぶんと楽になったように感じた。
「でも逃げるって、どうやって?」
「諸々の説明は後回しにさせてください。あれは音と匂いに敏感なので」
さっそく歩き出そうとするカレン。
だけど、とエヴェリンはもう一人の倒れている男子生徒に目を向ける。
「あのひとのことも連れて行かないと」
「それは無理ですよ」
朗らかに、さも当然のようにカレンは笑ってそう言った。
一瞬なにをカレンが言っているのか理解できないほどの衝撃を感じた後、エヴェリンは、「どうして!?」と詰め寄る。
「だってもう、助からないんですもん」
「え……?」
「どのルートを辿っても、ここに来た時点であのひとは手遅れです」
ルート――まるでゲームの世界の話のようだ。
ますます不可解な存在になっていく目の前の少女は、そんなエヴェリンの戸惑いを簡単に見抜いたらしい。
「ええ、そうです。これはゲームのようなもの。正解の選択肢を選ばなければ、簡単にお陀仏しちゃいます」
「あなた、何者……?」
「やだな、エヴィちゃんが言ってくれたんじゃないですか。私たち同じ悪役令嬢ねって」
――悪役令嬢。
そうだ、それがこの世界のエヴェリンの役回りだ。
どうにかしてその運命を回避したくて、だけどこうしていまも上手くいっていなくて。誰かにずっと相談したかったけれど、信じてもらえるはずがないと諦めていた話。
それをいともあっさりと、カレンは口に出してしまった。
「さあ、悩んでいる時間はないですよ? 私、珍しくいまは死にたくない気分なので、こんなところで心中はごめんです。あのひとのことを置いていく決断、できましたか」
「できる……」
――わけないじゃない、とエヴェリンは続ける。
そして、どうにか意識のない男子生徒を担ぎ上げると、なんどもよろめきながらも立ち上がった。
その辺の令嬢とは、鍛え方が違うのだ。
召喚士の家系に生まれたからには、竜に騎乗したりと、なにかと筋力が必要になる。
男をひとり担いだくらいで、目の前のか細い少女に遅れを取るつもりはなかった。
「出口まで、案内してくれるんでしょ? 遅れないようについていくから」
カレンは苦言を呈することなく、「ええ」と短く返事をして、階段へと足を向けた。
――不条理。
まさにその言葉が、この塔にはぴったりと合っていた。
ぐにゃりと奇妙に曲がった螺旋階段を降りたら、上の階へついていたり。
扉を開けたら、またすぐ目の前に扉があったり。
真っ暗で目が見えないはずの場所で、どうしてか周囲を視覚することができたり。
どう考えても物理的におかしいほどに一つの階が広かったり、逆に狭かったりもする。
歩いているだけで、だんだんと正気が削り取られていっているように感じた。
傾いた床に、意味もなく乱立している柱。
どんなに歩いてもまるで進まなかったり、あるいは、一歩踏み出したら数里も進んでいたり。そして進むごとに、後ろに広がる道はまったく違う場所になっている。
なにより、奇妙な水の音が耳元で響いて苛立ちを募らせた。
どれだけ歩いても、遠くに感じることなく、すぐ傍から聞こえてくるのだ。
「ねえ、ここ、おかしくない……?」
冷静に見えるカレンさえも、出口への道は一本しか知らず、一歩道を違えば迷うことになると言った。
真剣に考えながら進んでいるらしいカレンを邪魔するまいとしていたけれど、ついに不安に耐えかねてエヴェリンは聞いてしまった。
「おかしくて当然ですよ。ここの主は、外の世界を見たことがないんですから。混沌のなかから欠片だけを寄せ集めて、”それらしい”空間を創ったにすぎません」
丁寧なようでいて、意味のわからない説明だ。
でも、会話するだけで少し心が安らぐの感じる。
「それから……さっきから水の音が聞こえているのって、私だけ?」
「いいえ、私にもずっと聞こえていますよ」
まったく怯える様子のないカレンは、きっぱりとそう返しながら、大きくひび割れた石の床を観察している。
「これ、なんの音かしら、どこから聞こえるんだろう……」
鼓膜の裏に張り付いたかのようにこだまする、びちゃびちゃとした音。
集中しているカレンに悪いとは思うけれど、なにか話さないと恐怖に押しつぶされそうだった。
「ここにいる限り、どこにいたって聞こえますよ。限りなく強大なものからの干渉ですからね」
「強大なもの?」
「ええ、例えばエヴェリンちゃんの前世には、太陽がありますよね? 夏の日に外を歩いていて、日当たりのいいところで、太陽の光がまぶしいなって思ったとします。その後、高いビルの上に行ったら、太陽に近づいたからもっと眩しくなっている、なんてことないですよね。太陽はとっても大きくて、しかも途方もなく遠い。だから、ビルと地上の高低差くらいじゃ、観測できる変化はない。そんな感じです」
当たり前に、太陽だのビルだの言われて、衝撃が走る。
やはりカレンは自分と同じ転生者なのだろうと、エヴェリンは確信に近いものを得た。
「まあいまはそう思っていてくれて構わないです」
こちらの考えを見抜いたように微笑んだカレンは、亀裂の走る床を見て、
「さ、ここから堕ちたら出口です」
「落ちるって、穴なんて空いてないけど……」
「そんなこと、ここでは関係ないです。さきほどから私たちがここを歩けているのは、ここに床があるの認識しているから。けれど所詮私たちがここで見えているものなんて、皮を被せた模造品にすぎない。堕ちることができると思えば、その通りになります」
「そんなこと言われたって」
「大丈夫、いままでのエヴィちゃんは全員成功してきています。『落ちる』でもなく、『落下』でもなく、『堕ちる』って思ってくださいね」
にっこりと微笑んだカレンは「それから、堕ちてからは、私がいいというまで、絶対に声をあげないでください」と釘を刺した。
そしてそのまま返事を待たずに、一歩亀裂に向かって足を踏み出す。
「……嘘!」
まるで本当に重力に引き寄せられたかのように、カレンは亀裂の中へと消えていった。
試しに床を叩いてみるけれど、冷たく固い感触が返ってくるだけだ。
「カレンさん……?」
置いていかれてしまったのだろうか。
とたんに不安になるけれど、エヴェリンは自分を奮い立たせようとかぶりを振る。
そしておぶっている男子生徒を、背負い直した。
苦しげな呼吸は、どんどん小さくなっていく。迷っている暇はない。早くしなければ、彼は死んでしまうだろう。
「――よし!」
エヴェリンもまた、亀裂に向かって、『堕ちる』ために一歩踏み出した。
そろそろ第1章も佳境で嬉しいです。
もっと更新スピードを上げていきたい!




