先輩、おやすみの姿も素敵ですよ
「珍しいじゃないか、シュウが他の女といることを許すなんて」
ジエは、深い緑色の瞳で追求するようにカレンを見た。
もう目を閉じて歩く必要はない。カレンが追いついてきたので、二人きりになるための演技はもうやめたのだ。
「もう、ジエ兄さん、いったい私をどんな人間だと思っていらっしゃるのですか?」
「世界で一番綺麗で優しくて愛おしい最高の女性だ」
戯れに頰をふくらませたカレンに、ジエは大真面目に答える。
「そして心配なほどに、好きな男に尽くしてしまう」
「あら、いったい誰のことをお話しされているのか、見当が付きません」
銀色の瞳が、いたずらっぽく細められた。
けれどそこには、明確な「関わるな」という意思表示も込められていた。
「そうか、老朽も歳だからな。若いのを見ると、色々と邪推してしまう」
「歳は取りたくないものですね」
訳知り顔で十六のカレンがそんなことをいうのだから、ジエは小さく笑ってしまう。
「ああ……歳をとったら、いらぬ世話ばかり焼きたくなってしまう。さて、耄碌した老いぼれのたわ言と思って、これも聞き流して欲しいのだけれど」
ジエの大きな瞳に、すぅっと冷たい色が宿る。
「――シュウの呪いは、永遠に解けることはない」
だから諦めろ。
そう続けようとして、息を飲む様子さえないカレンに、ジエは違和感を覚えた。
「カレン、聞いているのか?」
後ろを振り返って、ジエは驚きに凍りつく。
カレンは、ただ冷静にこちらを見ていた。
いままでずっと、この話をしたとき、カレンは酷く取り乱してしまった。
泣きわめいたり、自傷しようとしたり、手が付けられない状態になったのだ。
『なんとかシュウ先輩を助ける方法はないのですか』
どう説得しようとしても、最後にはそう涙を湛えたカレンに聞かれ、不可能と知りつつも希望を持たせる答えを返すしかなかった。
だがもう現実を受け入れさせなければならないと、ジエは意を決して「諦めろ」と言おうとした。
だというのに、いまカレンは凪いだ海のように穏やかな表情で微笑んでいるのだ。
「永遠、ですか……。途方もなく長いようで、実は一瞬なのかもしれないですね」
「……カレン」
「刹那の中に永遠があり、永遠もまた無限の刹那を重ねたもの」
――だったら私は、すべての刹那をシュウ先輩に捧げます。
カレンのまっすぐな思いにいっそ痛ましささえ覚えて、ジエは目を瞑った。
不変の美、永遠を求めてジエは禁術に手を出したけれど、人にそんなものは存在しないと認めさせられて研究は終結した。
だが、もしかしたらこの世でひとつだけ永遠を手にいれたものがいるのかもしれない。
それがきっと、なによりも残酷なものだとしても。
いまのカレンを見ていると、そう思わされた。
「シュウがああなったのは、君の責任じゃない」
少しでもこの少女の心を癒してやりたくて、届くことがないとわかっていながらもジエはそうぽつりと漏らすと、また歩き出した。
*
「はわわぁ! これ、お菓子の匂いがします!」
たくさん並べられた色付きの小瓶をひとつひとつ開けては、ルナは目を輝かせた。
「ああ、西の方では確か焼き菓子の香辛料に使われるのか」
ルナがいま手にしているクルコの種が詰まった瓶を見て、シュウは苦笑する。
「ふゆ? 会長さんにとっては違うんですか」
「東では薬の材料だから、私にとってはいい思い出のない香りだ」
「確かにこれだけだと、苦いですもんねぇ。お菓子にたくさん入れちゃ、めっですよね」
「ああ、それにクルコの花は猛毒だから、そっちの印象が強いのかもしれない」
「ふぇえええ!?」
実際、耐毒訓練の一環としてクルコ花を煎じたものをシュウは飲まされた。毎日、そのクルコの香りがするたびに怯えたものだ。
そもそもクルコ自体、由来はあまりの痛みを与えるから人を狂わせる――「狂い子」のはずだ。
それが西に伝わっていく間に料理の材料になったわけだから、世の中不思議なものである。
「でも種自体を入れるなんて、豪華ですよねぇ。町のお菓子屋さんも、種を練りこんでいるお菓子は売ってなかったです」
「そうか。ルナさんはお菓子作りが好きだといっていたな。それなら少し分けてもらっても、怒られないだろう」
「ふぇ!? でも、いいんですかぁ?」
「ああ、青色の紐でくくられている瓶は、生徒の持ち出しが自由だ。入り口にある名簿に記入はしないといけないけれど」
きらきらとした瞳で、袋に詰めたクルコ種を見つめるルナ。
「これを使ったお菓子ができたら、会長さんも食べてくださいね! きっとクルコの匂いを、好きになってもらいますから」
「ではお言葉に甘えて、お願いしよう」
無邪気な様子のルナを微笑ましく思って、シュウはその玲瓏な美貌に笑みを浮かべる。
「さてと、そろそろ帰らないと寮が閉まってしまう時間ですね」
と、戻ってきたカレンが帰ることを促した。
「そうだな。薬が持ち出された形跡はあったか?」
「いいえ。試作品は全部で十五あるらしいですが、どれも減った形跡はありません」
ご苦労様、とカレンに伝えると、シュウはジエにもお礼をいった。
「まあ、また顔を見せに来るといい。とくにカレンならば、特別にどんな薬も無料であげようじゃないか」
「では媚薬をお願いします」
真顔で冗談をいうカレンをこつんと叩くと、シュウはもう一度礼をいって研究室を後にした。
「先輩のお部屋で夜を迎えるだなんて、ドキドキします……」
きゃっとはしゃいだ声をあげて、カレンは雪のように白い頰に両手を当てる。
「語弊がある言い方だな」
と突っ込みを入れながらも、ついに待ちわびた時間がきて、シュウもまた緊張していた。
カレンは失踪した生徒たちの行方を知っていて、しかも彼らはまだ生きていると念押しした。だがそこに辿り着くためには夜にならなければならないのだという。
冷静さを装いながらも三人の身をずっと案じていたシュウは、この瞬間を迎えるまで、まるで途方も無い月日が流れたようにさえ感じた。
だからこそ本来ならば規則違反と知りながら、シュウはカレンを自室に迎え、完全に陽が沈むまで待っていた。すぐにでも行動を起こせるように。
「まだ助けにいけないのか?」
「ええ、まだ条件が満たされていません。それに焦っても仕方がないです」
「わかった。すまないな、カレン」
誰かが命の危険にあると知りながらソファに向かい合わせに座るのは、悠長な気がしてならなかったのだ。しかし焦れてカレンを困らせるのも情けないと反省する。
そんなシュウに、いいえ、とにこやかに答えたカレンは、持ってきた革鞄の中からボトルを取り出した。
「それは?」
「ただのコーヒーです。いまから結構怖いものを見るので、ちょっとリラックスしておいた方がいいかなと思って」
グラスに注がれた茶色の飲み物を見て、シュウは顔をしかめる。
「変なものが入っていたりは……」
訝しげにシュウはカレンを見る。
一瞬なにを言われたのか分からないというようにカレンは目を見開いて。
「そんな、ひどいです!」
傷ついたというように、顔を伏せた。
罪悪感はある。けれど、初めからカレンが一人で行きたがっていたと知っているので、万が一睡眠薬などが入れられていたら困るのだ。
「……少なくとも、魔力の込められたものは入っていないな」
悪いと思いながらも、シュウは魔術を使って確認する。
魔力以外にも、あとはただの薬が入っている可能性があるけれど、だいたいの毒に耐性のあるシュウならばその心配はない。
「カレン、すまなかった」
「うう、ぐすっ……」
「カレン?」
「ううう、酷いです、先輩!」
懐に飛び込んできたカレンは、すぐさま細い手をシャツの分け目から侵入させてきたが、シュウはこの際気にしないことにする。
「カレン、ほら、乾杯しよう」
胸板を撫ですさるカレンにそう声をかけたら、やっと涙に濡れた顔をあげた。
「カレン、反省している。俺が悪かった。許してくれ」
「うう、乾杯です……先輩のバカ」
まだぐずりながらも、シュウの膝のうえのカレンは、グラスを掲げた。
「ああ、ありがとうカレン」
かつんとそれにグラスを合わせると、シュウはひと口ぶんだけ口に含む。
まぎれもないコーヒーの味だが、少しだけ不思議な酸味と苦味があったように思えた。
「先輩って、毒にも魔力にも強いですけれど」
「カレン?」
涙に濡れた声から打って変わった、あっけらかんとした声色。
「未成年なのでお酒は飲んだことがないから、自分がめちゃくちゃ弱いって、知らないんですよね」
いつのまにか笑顔に戻ったカレンは、愛おしげにシュウの頰に手を這わせると、そっと耳にくちびるを寄せる。
「でもそんなところも、とっても可愛いですよ、先輩」
なにを、といおうとしたけれど、すぐに視界がくらみ、床に倒れそうになる。
「でもこれでも、私、先輩にだけは嘘つかないですよ」
ソファの背もたれに向かってシュウを押し付けたカレンは、「おやすみなさい」と囁くと、そっとくちびるをシュウの額に落として、去ろうとする。
「カレン、待て、ひとりじゃ……」
「大丈夫ですよ。慣れてるので」
視界がぐにゃりと歪み、ひとり危険に向かおうとするカレンの小さな背中を見失いそうになる。
「カレン、君になにかあったら、俺は……」
最後までカレンのことを案じながら、シュウはそのまま意識を落とした。
*
塔の頂上と思わしき、石に囲われた小さな部屋。
ひとつだけ視界にある窓には、真っ白な雲と青空だけが写っている。
そこから冷たい空気がびゅうびゅうと注ぎ込んできて、エヴェリンは寒さに凍えた。
「なんなのよ、ここ……魔術も使えないし」
魔力のあるものはすべて使えないうえに、まるで極限まで酸素が薄いかのように苦しかった。
なんとか体だけ起こしているけれど、これ以上は動ける気がしない。
起きたらこんなところに誘拐されていましただなんて、本当に笑い事じゃない。
「うう、ぐぅっ……」
いっしょに連れ去られたらしい他のひとりの生徒は、苦しそうに心臓を抑えたままそばでもがき苦しんでいる。
「お願い、耐えて……」
どうか耐えてほしいと思いながらも、エヴェリンにはその生徒に近づいてあげることもできなかった。
「もう、いや……!」
下の階に続く階段から、ぴちゃぴちゃと奇妙な水の音が聞こえて来て、薄気味悪さに鳥肌が立つ。
なにがいるのか確認したいけれど、だんだんと目を開けていることさえ億劫なほどに苦しくなってきた。
――こんな死亡フラグ、あっただろうか。
必死に考えを巡らすけれど、思い当たるイベントは禁忌のゲームにはない。
埃の舞う薄暗い部屋で、もうどれだけこうして倒れているだろうか。
「お兄ちゃん、アシュリー……」
助けに来てと願いながらその名を呟くと、少しだけ希望が胸に湧く気がした。
けれど冷たい石の床に段々と体温を奪われ、瞼が落ちていく。
「そういうの、エヴェリンちゃんの世界でなんていうんでしたっけ? ラジコン? ブラコン?」
と、そこで突然かけられた朗らかな声に、目を見開く。
銀色の髪を腰まで垂らした、まるで人形のように美しい少女が、目の前に立っていた。
「こんばんは、エヴィちゃん! カレンが助けに来ましたよーっと」




