先輩、薬学は私けっこう好きですよ
「外でなにがあったのか、ご存知ないようですね。さすがというか、なんというか」
ジエの呑気な様子にため息をついたシュウは、冤罪だろうと見当がついていながらも一応ジエに聞く。
「念のため確認させていただきますが、ここ最近、生徒にあなたの薬を譲渡なさったりしましたか」
「薬? 老朽とて、暇ではない。なぜ老朽の叡智の結晶をくれてやらなければならん」
不愉快そうに美しい形の眉をつり上げたジエは、不遜にこちらを見下ろしていた。
背丈はシュウの腰ほどまでしかない子どもの姿でも、あくまで年上として敬われたいのだろう。
「カレンやお前にならともかく、な」
七名家の一つに数えられる楚家のかつての当主・ジエ。
甚大な力で楚家を繁栄に導いた彼は、わけあってその身分を剥奪され、いまは<魔術師の憩い>で研究者及び薬学の師範となることを義務付けられている。
生徒会役員との協議を終えたシュウの次の仕事は、そのジエに会うことだった。
楚家の持つ知識全てをその頭に収めていると謳われるジエならば、人の鼓動を弱める薬を作ることも可能なのではないか。そう教員たちは考えたのだ。
さらにいえば、奇人として名高い彼ならば、そのような行為に手を染めてもおかしくないということなのだろう。
例によって、権力者の怒りを招きかねない質問をするのは、生徒会長であるシュウの役割だ。
「はわわぁ……!」
と、そこで、シュウの隣で、きらきらとした瞳でジエを見上げるルナに気づく。
まずいと思ったときには時すでに遅く、
「ちっちゃい、かわいい〜!」
ルナは、脚立のうえにいたジエを引きずり下ろすと、ぎゅうっと抱きしめる。
「な、無礼者! 離せ!」
小動物を愛でる子どものように無遠慮に触られて、ジエは怒りを露わに暴れる。
しかし、八歳ほどの子どもの姿のジエが力比べでかなうはずもなく、無駄な抵抗に終わっている。
「シュウ! なんなんだこの女は!?」
ジエに鋭く睨まれてもどこ吹く風のルナに、シュウは見かねて口を開いた。
「ルナさん、見た目はどうであろうと、彼は精神的には百歳をゆうに超えている」
「ふぇえええ!?」
驚きで力が緩んだ隙に、ジエは素早く身を翻してルナの腕から脱出した。
「……よくわからんが、この女は嫌いだ」
そう呻いたジエに、まず失礼を詫びる。
年長者としての立場からか、とりあえずはジエも許してくれたようだ。
「ともかく、老朽は心臓を止める薬だなんて作っていない。というか、そんなものがあったら死ぬだろう。まったく、これだから最近の若者は嫌いなんだ。馬鹿なのか?」
「ご心中お察ししますが、<八大禁忌>を破ろうとしたという事実がある限り、不測の事態の度に嫌疑をかけられることは避けられないでしょう」
ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすジエ。
絵画に描いたように美しい少年の姿には不釣り合いな、酷く冷めた目をしている。
しばらくして、やっと理解したというようにルナが叫び声をあげた。
「<八大禁忌>を!?」
<地界>でも、聞いたことがあるのだろう。
破れば世界に破滅をもたらす、禁忌の力について。
「老朽の没落話を寝物語にされていないとは、珍しい<神の継承者>がいたものだな」
<八大禁忌>を破ろうとすればどんな罰が下るのか、その生き証人ともいうべき存在が、目の前の美少年――ジエである。
ジエは、天才的な薬学士であり、長くに渡り楚家の当主を勤め上げてきた。
実際、シュウがまだ幼いころは、それは輝かしい名誉を手にしていたのだ。
長い藍色の髪に、冷徹さを思わせる美貌。
社交界でも、常に女性の誘いが絶えなかったという。
けれど、ジエは禁術である<不老の薬>の研究に手を染めていたのだ。
十一年前、ジエが秘密裏に進めていた研究が内部告発された。
<薬学師の植物園>の隠し研究所が押さえられ、追い詰められたとき、ジエは驚くべき行動に出たという。未完成の薬が壊されるのを恐れ、自分がその場で飲み干したのだ。
命よりも研究結果を守るとは、薬学師としては尊敬に値する、と皮肉げに父がこぼしていたのを覚えている。
だがその薬に期待されていた延命の効果はなく、ジエはただ八歳の姿に退行してしまった。
彼は当主の座から引き摺り下ろされ、一族からは除名された。
けれどその実力を鑑みれば、ジエの技術をなくすのは惜しい。そのため、<魔術師の憩い>の東棟地下が研究室としてあてがわれたのだ。
ふと思い立ったというように、ジエは可愛らしい顔立ちに好奇心に満ちた表情を浮かべ、ルナを見た。
「ん? ひょっとしてこの女、あの<地界>からの……」
「ふぇ、そ、そうです!」
手のひらを返したように満面の笑みを浮かべたジエは、
「そうか、そうか、君が例の。ぜひ老朽の研究に協力してくれ」
「駄目です。生徒会長として、危険な実験を生徒に課すことは許可しない」
すぐさま答えたシュウに対して、ジエはむっと口を尖らせる。
「なに、少しばかり血を抜いたり、極度の心理的負荷をかけた時の魔力の様子を見たり、簡単な実験をしたいだけだ」
「はわ!?」
怯えてしまったルナを隠すように立つと、シュウは厳しい表情で首を振る。
瞬間、ルナはぽっと頰を染め上げて、ぎゅっとシュウの服を掴んだ。
呆れた表情になったジエは、「ひとつ忠告しよう」とルナに向けていう。
「誰に懸想しようと、老朽の知ったことではないがな。シュウはやめておけ。優しそうに見えて、とんでもない冷血漢だからな。そっちの方面で、いい噂は一切ないぞ」
事実無根のことを平然といわれ、シュウは面食らう。
そもそも誰とも関係をもったこともないシュウに、いい噂も悪い噂もあるはずがない。さすがに訂正を求めようとしたが、その前にジエが扉の方へ目を向けた。
「ん、シュウ、君の奥さんが来たみたいだぞ」
君の奥さん、などとジエが呼ぶのは、一人しかいない。
子どもの時から使い古されたその冗談にうんざりして、「カレンは家族です」と強調する。
「奥さんも家族ですけどね」と、後ろから歩いて来たカレンが微笑みながらいう。
扉からここまでの道順を把握しているのも未来予知の一環なのだろうと、シュウもいい加減慣れて来てしまった。
「おかえり、カレン君」
「ただいまです、先輩。アシュリーさんたちへの報告は済ませましたよ」
「そうか。様子はどうだった?」
エヴェリン嬢のことを思えば、とても正気ではいられないだろう。
身内が失踪してしまった彼らのことを思って、シュウが知らず暗くなった声で問いかけた。
「会長のご想像の通りです。ただ、まだ動揺がまさっているようですけれども」
同じく沈痛な面持ちで返すカレン。
「やあカレン、相変わらず君は愛くるしいな」
そんななか、場違いに明るい声でジエが挨拶する。
「お久しぶりです、ジエ兄さん」
ジエとカレンには一切の血の繋がりがないのだけれど、薬学の得意なカレンは尊敬をこめてジエをそう呼ぶ。
シュウもかつてはそうだったが、九神道家の跡取りという立場上、いまはそうもいかない。
「少し背が伸びたか? 若いというのはいいな、日々変化があって」
「確かに、ジエ兄さんがちょっと小さくなったように見えますね」
目に入れても痛くない、という表現がこれ以上なく合っているくらいに、ジエはカレンを可愛がっている。
いまもまた心からの笑みを浮かべながら、ジエはとてとてと脚立へ歩いていく。
「カレン、こっちだ。こちらへ来い」
ジエは高い位置へ昇ると、ふくふくとした頰を赤くさせながら、カレンに手招きする。
片手が手すりから離れているため、いまにも落っこちそうで危なっかしい。
同じことを思ったのか、カレンは「危ないですよ」といいながら、ジエに駆け寄った。
「よしよし、いい子だ」
小さな手でジエはカレンの頭を撫でて、顔をほころばせる。
「それにしてもカレン、少し血色が悪いな。ちゃんと食べているといいのだが」
「ここ数日は忙しかったですからね。でもシュウ先輩の方がずっと大変でしたよ」
「君はまたそうやって、シュウの心配ばかりして。もしなにかシュウが問題を起こしたときには、遠慮なく老朽を頼るといい」
そこではっと思い至ったようにジエは、「そうか」と目を瞬かせた。
「確か失踪事件があったんだったな。それで忙しいのか」
「ええ、<魔鼓>が全く聞こえなくて……」
「もしかしたら、駆け落ち薬を使ったのかもしれないな」
打って変わって協力的な態度になったジエに、一同の注目が集まる。
「駆け落ち薬、ですか?」と、銀の鈴が鳴るように綺麗なカレンの声が問いかける。
「ああ、仮死状態を作り出す薬だ。かなり厳密に調節して投与しないと、仮では済まなくなるがな。元は確か違う名があったんだが、結婚を認められなかった男や女がよく駆け落ちのために使ったせいでそう呼ばれるようになった」
「なるほど。一時的に死ぬことによって、周囲の人に<魔鼓>を感知されない時間ができますからね」
「それに、死んだことにうまくできれば追われることもない、か。けれど、駆け落ちはいまでも重罪のはず。となればその薬も指定罪薬。ここにあるのですか?」
シュウはそう聞いてから、相手がジエの時点で愚問だったと気がついた。
法も倫理もいとわずに、ただ知識欲を満たすために探究を続けるこの男が、揃えていない薬があるはずないのだ。
「……ずさんな管理だったら、持ち出すことは簡単でしょうね」と、シュウは咎める声を出す。
「ふん、君たち凡人にはわからないかもしれないがね。散らかっているように見えて、ここは綿密に配置の考えられた、管理の行き届いた施設なのだよ。ここからなにかを探すということは、私にとっては自分の頭の中で物事を思い浮かべるのと同じくらいに容易だ。目を瞑っていたってできる」
「逆に、侵入者にとってはこの広大な敷地から目的のものを盗み出すのは難しいということですね」
「その通り、さすがカレンだ」とジエは指を鳴らして、「では駆け落ち薬が盗まれていないか、見てこよう」
宣言通りに目を閉じて歩き出したジエは、ふらふらと覚束ない動きをしているようにしか見えない。
もし戸棚のうえのものが落ちて来たら、小さな体はすぐに怪我を負ってしまうだろう。
けれどここでシュウが付いて行こうとしたら、彼のプライドを傷つけることになるだろう。
「……カレン、頼む」
その一言ですべてを理解したカレンは、頼りなく歩いていく小さな背中のあとを追っていった。




