9.髭はお呼びじゃない!
園に居る時によく乗る馬へと跨り、風を切り裂くように走る。
流れる景色も、自身を撫でる風にも意識を奪われる事なく、ただひたすら馬を走らせる。
可能な限り速度を落とさずに走らねばならない―――― あたしは焦る気持ちを押さえて、前を見据える。
ウォルトが連れ去られた。
理由なんて分からない。
ただ、メモ切れにはあたしを呼びだす文字がつづられていた。
「なにが、子供を返してほしくばこの場所まで来い!?」
どこぞの三下か!!
子供をさらって呼び付けるなんて!!
苛立つ脳裏に浮かぶのは、上等な紙の切れ端に、ミミズが這ったような文字。
人へ宛てた手紙に、あんなヒドイ文字を綴る人物は一人しか思いつかない。
「用があるなら、自分が来ればいいじゃない!!」
そう叫びながらあたしは馬を走らせた。
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しばらく馬を走らせていると、速度を落とさねばならなくなった。
あまり人の往来がない場所へと入ったからだろう。
足元が徐々に悪くなってきて、馬も走りにくそうにしている。
「あいつは一体何を考えているのかしら!?」
あいつと呼んだのはベンゲルという男の事だ。
オールマン子爵の長男でたしか歳はニ十ニ、三歳。
顔は可愛いから程多い悪人面に髭。高圧的な話し方と、人を蔑むような態度には不快感が募る。
夜会で顔を合わせれば必ず自慢話をされるし、あたしのしている事はバカにされる。
最近の記憶では「さっさとくだらない事は止めて、俺のところに来るんだな」などと、高らかに笑う姿。
きっといい歳のあたしがあぶれていると思ったのであろう。
それは確かに事実……ではあるが、あいつの世話になんかなりたくもないし、第一あたしは髭に興味はない。
しかし今、まんまと呼び寄せられている事実に腹が立ち、思わず眉間にしわが出来る。
ただそれと同時に、どうしてあいつは園にあたしがいる事を知っていたのだろう? という疑問が浮かんだ。
馬がヒヒンと鳴き、足を止めた。
その理由を確かめようと前方を見れば、少し離れた所に馬車が見える。
こんな人の気の少ない場所に不似合いである豪華な馬車と、よく見れば明るい茶色の髪をした人物が一人。
あたしは、自分の予想が当たっていた事に思わずため息をついた。
「来たか、ビアンカ」
馬を置いて近づくと、ベンゲルが仁王立ちしていた。
「ウォルトは!」
「慌てるな、馬車の中に居る」
そう言われて馬車を見れば、窓からウォルトの姿が見えた。
不安そうにこちらを見る視線に思わず走り出そうとして、その行く手をベンゲルに阻まれる。
「心配しなくても何もしちゃあいない」
ベンゲルはククッと笑いを漏らした後、「お前が大人しくしていれば、ちゃんと帰してやる」と、続ける。
相変わらずの高圧的な態度に拳を握りしめる。
そんなあたしをせせら笑いながら「ついて来い」と、ベンゲルが背を向け、歩みを進めた。その前方には森が広がっている。
あたしにはその意図が分からない。しかし拒否する事も出来ず大人しく森へと歩みを進める。
「ビアンカ、ちょっとは考えが変わったか?」
森の奥へと足を進める中、ベンゲルが口を開いた。
足元に注意を向けていた顔を上げると、フフンと笑う様な表情が目に入り、思わず眉間にしわを寄せる。
(いちいち腹の立つ男ね……)
ただ振られた言葉には思い当たる事がある。
……が、しかしあたしは、「何のことかしら?」と、とぼけてみる。するとベンゲルは舌打ちをして「俺のところに来るという話だ」と、予想通りの言葉を口にした。
「……いいえ、行きませんわ」
当たり前である。
なんであたしがこんな奴のところへ行かなくてはならないのか。
「………どうして断る?」
「何故、断ってはいけないのですか?」
「断られる理由がない」
バカなのか。……いや、バカなんだろう。
こいつの世界はこいつ中心に回っているのだ。
もちろん、勝手にすればいい。でも、それにあたしを巻き込んでくれるな。
「あたしにはやりたい事があるので、オールマン子息様のところには行けません」
理由がないと言ったので、ハッキリと言ってやる。どうだ。これで、もうあたしにかまってくれるな。
そう内心で思っていると、ベンゲルがくつくつ笑う。
「なにが、おかしいの?」
「いや、思った通りだと思ってな」
「…………なにが、思った通りなの?」
ベンゲルの反応は何か嫌な予感をあたしの中に生んだ。
それはまだ小さくて、でも黒い靄を発してして。
決定的なものはないけれど、酷くあたしを不快にさせた。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、ベンゲルはニヤッと意地の悪い笑みを浮かべる。
「ビアンカ、お前はあの園があるから俺のところに来ないんだろ?」
確かにベンゲルに伝えた理由はそれだ。
ただその理由がなくてもあたしはこの人の元へ行くつもりはない……が。
(なんでそれを知っているの……?)
ベンゲルは笑みを崩さず、「だが心配するな、あの園は直になくなる」と、続けた。
「な、なんですって………!」
声を上げるあたしを見て、何もかも自分の思った通りだと笑う。
心の中にうすら寒いものを感じた。
それは先程生まれた嫌な予感が、現実味を帯びてあたしの心を震わせる。
「あんた……まさか……!」
「指導者がいなくなれば、園は閉鎖になるだろうなあ」
そう言って声をあげて笑うベンゲル。
すべての事情を察したあたしは、言葉を失った。
その脳裏にはリサ先生の申し訳なさそうな顔が浮かぶ。
「……卑怯者!!」
「なにがだ。お前が俺の事だけを考えられるようにしたまでの事だろう?」
「な!!」
「ふん。最初からお前は俺のものなんだよ」
ベンゲルはせせら笑いながらあたしを意地悪そうな目で見た。
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