10.眼鏡と髭の騎士様
言葉を失っているあたしにベンゲルはニヤニヤしながら「なあ、ビアンカ」と、話しかけてくる。
「……さっき園で見かけない眼鏡の髭と一緒に居たって聞いたが」
「あんたには関係ないでしょ!!」
「まあ、確かに。お前の好みではないからな」
「好み!? あんたがあたしの好みなんて知るハズが……!!」
「童顔だろ? お前の好み」
まさかそんな事を言い当てられると思っていなかったあたしは返答できなかった。しかしベンゲルはこちらの反応に満足げな表情を浮かべる。
「ビアンカ。……俺の顔を良く見ろ。髭も剃った。どうだ? 気に入っただろ?」
ベンゲルが自分の顎を撫でながらあたしに近づいてきた。
意地悪そうにつり上がった目と、口角。
たしかに髭はない。だけど。
「……バッカじゃないの!!」
あたしは近づいてくるベンゲルを押し戻した。
「たしかにあたしは可愛らしい顔が好きよ!! でも、それが何? もしあんたがあたし好みの顔でも、こんな卑怯な手を使うあんたなんて絶対好きにならない! 逆に、眼鏡で髭でも素敵な人もいるんだから!」
思い浮かべていたのはフェイスリート様の顔。
困らせてばかりで、彼はあたしのことなんて嫌いだろう。もちろんそれは十分理解していて。
それでもあたしの無理なお願いに付き合ってくれた彼は、眼鏡をしていても髭を生やしていても、優しくて素敵である事に変わりはない。
だから、あたしは続ける。
「……その人はあたしの事嫌いだけど、でも、あたしは彼が笑うところが好きよ!!」
「……黙ってきいてりゃあ、つけあがりやがって!!!」
「きゃ!!」
ベンゲルに手首を掴まれた。
すかさず空いていた手でひっぱたいてやろうとしたが、そちらの手も掴まれ、ねじり上げられる。
「痛っ……」
「……おまえは、もっと自分の立場を理解した方がいい」
「立場ですって!?」
「そうだ。俺に恥をかかせてタダで済むと思っているのか?」
「そういう脅しを使うのが卑怯というのよ!!」
「なんとでも言え。お前をこのまま屋敷に連れ帰る。……どうなるか、わかるな? ビアンカ」
「…………!!」
声が出なかった。
怖い。と、思ってしまったのかもしれない。
でもそう思ってしまった事が悔しくて、認めたくなくて、あたしはキッと目を吊り上げる。
すると奴は勝ち誇った表情を浮かべた。
「お前のそういうところを気に入っている……だが」
ベンゲルは一度言葉を切り、顔を近づけてくる。
何をしようとしているのかが分かったあたしは、蹴飛ばしてやろうと足を振り上げた。しかしその抵抗も空しく、背中側の木に押し付けられて身動きが取れなくなってしまう。
それでもこんなやつの言いなりにだけはなりたくなくて、思いっきりその顔を睨みつける。
「……だが、そんなお前を従順にするのも悪くない」
「!!」
悔しくて悔しくて、でも、怖くて。
身勝手にも彼の顔を思い浮かべる。
(あたしはまだウォルトを助けていない。なのに、こんなヤツに……!!)
来るはずのない助け。だから、自分で何とかしなくてはいけない! そう思った矢先――――
「その手を離せ」
背筋が冷える様な低い声が耳に届いた。
聞こえるハズのない声に驚いて首を動かせば、そこには険しい顔をしたフェイスリート様。
眼鏡の奥に光る瞳はあたしの目の前にいるベンゲルを鋭く射ている。
「ちっ、話に出ていた眼鏡野郎か!」
吐き捨てるように言い放ったベンゲルがあたしを乱暴に放り捨てた。
急に支えを失ったあたしは、その勢いのままよろめいて尻餅をつく。
「……!!」
「はっ! 眼鏡の髭なんてお呼びじゃないんだよ!!」
ベンゲルが挑戦的な瞳になりフェイスリート様に近づいて行く。
地面に落ちている枝が、そして、草が踏まれて音が鳴る。
「なんだ、ビアンカの危機に駆けつけてナイト気取りか?」
「……そんなつもりはない」
「はっ! まあそうだろうな。眼鏡に髭。それに老けた面では、こいつのナイトになれないからな!!」
暴言を吐きながら距離を埋めるベンゲル。
そして二人の距離がほぼゼロになった時、ベンゲルはフェイスリート様の襟首を掴んだ。
「おまえなんてお呼びじゃないんだよ! さっさと消えな!」
言葉と同時にベンゲルが拳を振り上げた。
狙っているのはフェイスリート様の顔。でも、彼はベンゲルを睨みつけたまま、反撃をしようとしない。
あたしはすぐさま立ち上がって、手を伸ばす。しかし同時に、ベンゲルの拳が振りおろされ―――
「フェイスリート様!!」
思わず声を上げ、顔を覆った。
(あたしのせいで!!)
来てくれた事は嬉しくて、でも余計な事に巻き込んで。
あたしが、あたしが今日園に呼びさえしなければ……!! ……と、そこまで考えて我に返る。
こんなの、違う。望んでいない!!
今日、フェイスリート様は子供好きになってもらう為に――――
そう気付いた瞬間、あたしは顔を覆っていた手を外していて。
そして、すぐにでもフェイスリート様に加勢しよう前を見て――――今の状況を目にした。
ベンゲルの拳は空中で止まっていた。
震える拳に、見開かれた瞳。
驚愕の表情を浮かべるベンゲルが、「フェイスリート……だと?」と、呟く。
あたしは思わず両手で口を塞いだ。
咄嗟に声を上げたから、偽名で呼ばなかったんだと今更ながらに気付く。
それを幸いと言うべきか、身分をばらしてしまったと言うべきか分からずにいると、フェイスリート様が自身の手をベンゲルへと見せる。
その指には侯爵家の紋章が刻まれた指輪が輝いていた。
「手を離したまえ」
静かに、冷え冷えとした声を出すフェイスリート様。
ベンゲルがブルリと身体を震わせ、静かに手を離す。その手は僅かに震え、瞳も見開かれたまま揺れている。
それでも状況を正しく理解しているのか、片膝をつき頭を垂れた。
「……お姿を知らなかったとはいえ、無礼を働き申し訳ありませんでした」
今までの高慢な態度がウソのように縮こまっているベンゲル。
立場上、喧嘩を売ってはいけない人に手を上げてしまった事実は、こうも人の態度を変えるのだと半ば呆れながらその様子を見守った。
「……貴殿が無礼を働いたのは、私だけではないだろう?」
フェイスリート様が言葉を返すと、ベンゲルはビクッと身体を震わせた。
「ここにいるビアンカ嬢、そして貴殿が誘拐したウォルト。あとは、嫌がらせをした園の先生方だな」
ベンゲルは答えない。
いや、言葉を発する事ができないのだろう。
そんな空気を作っているフェイスリート様が「あとは言わずとも分かるな?」と、続ければ、少し遅れて、「…………はい」と、返事が聞こえる。
「ならば、私から言う事はなにもない。ここから、立ち去りなさい」
フェイスリート様の言葉を聞いたベンゲルはこちらを見る事なく足早に立ち去っていった。
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