第5話(最終章):残響の逃亡者
屋敷の崩落は、静かな夜の森を切り裂く轟音となって響き渡った。
私は炎から這い出し、泥にまみれながら夜の闇へと転がり込んだ。背後で、神宮寺邸は赤黒い炎を上げ、まるで巨大な墓標のように崩れ落ちていく。
刑事の響はあの炎に飲まれたのか。蓮は。そして、あの「第二のレプリカ」は。
振り返る余裕などなかった。私は、ただ本能のままに走った。喉が焼きつくように熱く、肺が裂けそうだったが、足を止めることは死を意味していた。
夜明け前、隣町の古びた駅のベンチで、私はようやく息を整えた。
服は煤け、ドレスの裾は引き裂かれ、もはや自分が誰なのかすら曖昧なほどに、私の「仮面」は粉々に砕け散っていた。
しかし、安堵したのも束の間だった。
風に混じって、あの夜の海を思わせる、冷たく湿った香水の匂いが漂ってきた。
(……そんな、はずはない)
私は震える手で隣の鏡——駅の公衆トイレの汚れた鏡を覗き込んだ。
鏡の中の私には、首元にあの「焼印」が刻まれていた。地下室で見た、あの少女の首にあったものと全く同じ形状の、焼け付くような赤黒い痕跡が。
「……気づいた?」
鏡の中から、声がした。
それは私の声でありながら、私のものではない。鏡の表面が波紋のように揺れ、映し出された私の顔が、徐々に「沙羅」の完璧で無垢な微笑みへと塗り替えられていく。
「あなたを燃やしたのは、神宮寺家の浄化の儀式よ。蓮様が私を『本物』に仕立てるための、最終プロセス。……あなたが私を殺したことで、私の魂は完全に『神宮寺沙羅』として完成したの」
鏡の中の「彼女」は、優雅に髪をかき上げた。
私は恐怖で鏡に手を伸ばしたが、指は冷たいガラスを突き抜け、まるで水面に触れるように奥へと吸い込まれていく。
「逃げても無駄よ。あなたは私の影。私が生きている限り、あなたは一生、私の『レプリカ』として、この鏡の中で生き続けるの」
私の視界が、急速に色を失っていく。
現実の風景が遠ざかり、代わりに鏡の中の閉鎖された空間が、私の世界として塗りつぶされていく。
私は、かつて自分が奪ったはずの「沙羅」の孤独を、今度は自分が背負うことになるのだ。
もう誰にも見られることのない、鏡の中の囚人として。
数日後。
その駅には、身元不明の少女が一人、置き去りにされていた。
彼女は言葉を失い、ただ鏡のような瞳で通行人を眺めている。
街ゆく人々は、彼女の美しさに目を奪われ、親しげに声をかける。
「ねえ、君。名前はなんていうの?」
少女は——私の一部は、完璧で無垢な微笑みを浮かべて答える。
「……沙羅。神宮寺沙羅です」
かつて私が喉から手が出るほど欲した名前は、今や私を永遠に捕らえ続ける、呪いの言葉となっていた。
そして今も、この世界のどこかで、神宮寺の血を引く少女が、私の鏡を覗き込んでいる。




