第10話 絶望
三ヶ月経った。
相変らず四八六人のMBNPCで、主人格からの召還があった者はいない。
獅子内からの接触も無く、鬱々とした日々が続く。
MBNPCたちは一種異様な環境に置かれ続けストレスを蓄積させていた。
それでも他にする事も見つからず、ただ漫然と冒険を続ける。
僕らの技能LVは既に40を超えようとしていた。
大抵のモンスターは一撃で倒せるレベルだ。
何の充足感も無いけど。
今日は退屈しのぎに凛を炎で焼いたドラゴンに挑戦してみる事にしていた。
いつの間にか手に入れていた馬に跨り、僕らは街道を進む。
「ボクはもうイヤだ。限界だ!」
メイビーがとうとう音を上げた。
「男の体に戻りたい。一生このままなんて耐えられない!」
それは最近のMBNPCたち、特に主人格とは別の性別でキャラクター生成された者たちに共通する悩みだ。
後天的な性同一性障害と言ってもいいだろう。
でも、性別の変更は一度主人格と融合してキャラクター生成をやり直さない限り不可能だ。
このまま我慢してもらうしかない。
僕はふと、小十郎の事を思い出していた。
彼女もまたメイビーと同様に苦しんでいるのだろうか。
独りで孤独に、どこかで戦っているのだろうか。
だが彼女と再び出会う可能性は低い。
GOFの世界は広大だ。
示し合わせたり何かの手がかりが無ければ巡り会う事はないだろう。
正直言って彼女の事なんて、もうどうでもいい。
僕は彼女を軽蔑しているし、裏切り者だと思っている。
どこでどう過ごしていようと、苦しんでいようと、関係無い。
今の僕にとって大切な人は凛だし、信頼できるのは変わらず一緒にいてくれるエビさんとメイビーだけだと思っている。
GOF内での僕の家族は、オカメインコの彼らだ。
「ちょっと小耳に挟んだ情報だから真偽は分からないが。ボディチェンジが可能なクエストが存在しているらしい。特殊クエストだけどな」
色々な場所にコネクションを持つエビさんは情報通だ。
その話は真実かもしれない。
「ホント? そのクエストやってみたい。男の体に成りたい!」
「うん、やってみる価値はあるかもね」
仲間が苦しんでいるのは見過ごせない。
メイビーが望むなら手を貸してやりたい。
「いや、しかし。特殊クエストの〝特殊〟というのが曲者でね」
エビさんの表情は固い。
「そのクエスト中に死ぬと復活しない。本当に死ぬらしい」
「そんなクエストがあるんですか。初めて聞きました」
「悪魔が関係してるクエストらしいから危険度も高い。挑戦した連中がいたとしても全員死んでるかも知れない。だからこのクエストの存在そのものの真偽も分からない。本当に性別変更出来るかも分からない。ガセネタの可能性はある」
それはそうだ。
本当だとしても、命をかけてまで性別変更を求められるのか。
それとも諦めるのか。
「ボク、それでもやってみたい」
メイビーの顔に決意の表情が現れていた。
「でもみんなを巻き込みたくない。だから同じ目的を持ってる人を探す事にするよ。今までありがとう。色々迷惑かけてごめんね」
メイビーは独り、馬の方向を変えて街に戻ろうとしていた。
「仕方ないな」
エビさんが後頭部をボリボリと掻いた。
「付き合ってやる。もちろん死ぬ気は無いけどな」
エビさんが言うなら僕に異存は無い。
四人そろって馬の向きを変える。
「みんな……」
やんちゃ坊主のメイビーが泣くところを、僕は初めて見た。
悪魔の祭壇が在るとされるドーン山に僕らがたどり着いたのは深夜だった。
三つの月明かりに照らされながら、人を威圧するように黒い山がそびえる。
その山頂に棲む悪魔と契約する事でボディチェンジが可能らしい。
僕は凛に近隣の村で留守番するように話した。
でも、最近習得した賢者スキルで役に立てるからって、結局押し切られた。
仕方なく、サポートに専念して危なくなったら逃げる事を約束させて、凛も連れて行く事になった。
どんよりとした雲が年中立ち込める禍々しい雰囲気のこの山は、魔界信仰NPCが巡礼するための石階段が延々と山頂まで続いている。
「ここから馬は入れない設定のようだ」
下馬したエビさんが足元を確認する。
「この青白く光っているライン。ここを超えると俺たちMBNPCのイモータル属性が解除される」
「それってつまり」
「死ねば死ぬ」
日本語的におかしいけど、これが今の僕らに与えられた状況。
「覚悟はいいか?」
「ええ」「うん」「はい」
僕らはラインを踏み越え、石階段を登り始めた。
小一時間登ったところでモンスターの死骸を発見した。
ガーゴイルだ。
中ボスクラスのモンスターで、かなり手強い相手。
それが四体も倒れてる。
「モンスターが未だリスポーンしてないって事は、他に先客が来てるな」
エビさんの言うとおりだろう。
しかもかなり手練れのパーティみたいだ。
「追いつけば共闘できるかもしれない。急ごう」
僕らはスタミナ値に注意しながら足早に階段を駆け上がった。
見えて来た山頂には禍々しい形の祭壇が鎮座し、その後ろにはあられもない姿で男女が交わる大きな彫像が、淫靡な表情を浮かべながら僕らを見下ろしていた。
階段の途中に誰かいる。
たった一人で戦っている。
ガーゴイル四体とアークデーモン三体を同時に相手しながら、彼女は一歩ずつ階段を登っていく。
だがもう今までの戦闘でHPもスタミナも使い果たしてたんだろう。
デーモンから放たれた漆黒の槍を腹に受け、鮮血をまき散らしながらよろめき、倒れた。
たぶん、もう死ぬ。
「くっそおおっ!」
僕は階段を駆け上がる。
エビさんは神聖防御魔法を僕にかけてから闇払いの呪文を唱え始める。
凛はメイビーに自分のMPを移動させる呪文を唱える。
メイビーは雷撃魔法を放ち始めた。
「小十郎! 生きてるか!」
呼びかけに気付いた彼女は階段の上に転がったまま力無く首を傾げる。
「い、ぬか……」
小十郎は僕の顔を見て驚き、微笑み、泣いた。
僕が突っ込み、追いついたエビさんが小十郎を回復させ、メイビーが雷撃を放つ。
反撃されながらも一匹ずつ倒していく。
僕の特殊斬撃スキルと、小十郎による顔面への突きで、最後のデーモンに止めを刺した。
でもそのデーモンが死ぬ間際に放った魔族の槍に貫かれ、エビさんが倒れた。
エビさんが死んだ。
死ねば死ぬクエスト。
おそらく本当だろう。
通常の戦闘と違って、ダメージを食らった箇所からは血があふれ出し、激痛が走っている。
事実、死亡後一定時間経つと教会へ転送されるはずのエビさんの体は、いつまで経ってもその場を動かない。
「エビオ起きてよ! 生き返ってよ!」
エビさんにすがって泣きじゃくるメイビーの肩に僕は手を置いた。
言葉が見つからない。
全員が後悔している。
エビさんの死はあまりに痛い。
パーティとしても、友人としても、損失が大き過ぎる。
こんなクエスト二度とごめんだ。
「エビさんの犠牲を無駄にしちゃいけない」
僕はやっと、メイビーに声をかけた。
「犠牲? ボクのための?」
僕はうなずいた。
メイビーを男に戻すためにエビさんは死んだ。
それが現実だ。
「女の体のままでいい」
この期に及んでメイビーは言い出す。
「ボクは女でいい。女でいたい」
「なに言ってるんだ。何のためにここまで……」
「もういい、ボクは分かった。ボクはもう女なんだ!」
「だったらなんで男に成りたいって……」
「今気が付いたんだ!」
元々メイビーはゲイやバイセクシャルではなかったと思う。
でも永く女の体で過ごしているうち、心が女の体を受け入れたのかも知れない。
そういう事もあるのかも知れない。
だったら小十郎はどうなんだろう。
彼女の心も男の体に馴染んでいるんだろうか。
「小十郎さんがしてみる?」
凛の問いかけに小十郎は複雑な表情を浮かべた。
「エビさんを死なせて望みを叶えるなんて……」
ためらう小十郎の背中を僕は押した。
「メイビーは辞退してる。あなたがやらなければ完全にエビさんは無駄死にだ」
「でも……」
「小十郎。……先輩」
僕に呼ばれた先輩は肩を震わせ、瞳をゴシゴシこすってから、階段を登り始めた。
先輩が悪魔の祭壇に手を触れる。
同時に、辺りに暗黒が広がる。
やがて、闇の中心からそれが出現した。
「我を呼び覚ますのはお前か」
大きい。
十メートル近く身長がある。
それはうすら笑いを浮かべ、腹に響くような低く不気味な声で語りかけて来た。
牙と角と翼と尻尾を生やし、下半身は山羊。赤黒い肌と剛毛を隆起させるそれ、正しく悪魔だ。
「小さき者よ。何を望む」
悪魔は先輩の頭からつま先までをじっくりと眺めまわした。
「か、体を。女の体にして欲しい」
悪魔の迫力に圧倒されながらも先輩は声を振り絞った。
「クク。た易い。よかろう、お前は今から魔界の女と成る」
「ま、魔界の?」
嫌な予感がした。
悪魔の腕が伸び、先輩の体を握り締める。
「ああああっ!」
同時に閃光と暗黒が彼女を包んだ。
「ダメだ! やめろ!」
止めようとしても遅かった。
ゲラゲラ笑いながら悪魔が手を放すと、そこには変わり果てた彼女の姿があった。
口は耳元まで裂け、瞳は爬虫類のように鋭くギラギラしている。
異様に大きな乳房。
頭からは捻じ曲がった角が生え、素肌はゴツゴツした鱗に覆われ、下半身は大蛇だ。
それは〝女〟という名の〝雌″だ。
もう人間ではない。
僕も、凛も、メイビーも、あまりの出来事に呆然とした。
「ギュエエッ! キシャアアッ!」
言葉すら発する事が出来なくなった彼女は己の醜い体におののき、のたうち回った。
怨念をはらんだ形相で先輩は悪魔に向かって襲いかかる。
「恩を知らぬヤツだな」
悪魔は軽く片手を振りかざし、その鋭い爪で先輩の首をはねた。
変わり果てた先輩の首が緑色の血液をまき散らし、僕の目の前に転がる。
「わあああっ! 貴様っ!」
僕は悪魔に斬りかかる。
「人の身の分際で我をおびやかすか」
悪魔の口から紫色の霧が吐き出され、僕を覆った。
「うわっ!」
急に全身の力が入らなくなり、その場に崩れ、ひざまずく。
手足の皮膚がただれ堕ち、激痛が走る。
もう目も見えない。
感じるのは痛みと悔しさと、恐怖。
「翔ちゃん!」
「凛、逃げろ……」
「ほほう、処女が二人か。イケニエに丁度良い」
「きゃああっ!」
「コノッ! ヤメロッ!」
凛とメイビーの叫びが聞こえたのも最初だけだった。
悪魔が何を企み、二人に何をしているのかさえ僕には分からない。
僕の体はジワジワと溶けていく。
分解していく。
もう声も出ない。
ただ、絶望だけがこの場を支配していた。




