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星の進路  作者: 春凪とおる
第3章 王宮は星を疑う

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第30話 星図にない線

その日の夜、出立を翌朝に控え、部屋の床は荷物で埋まった。

王宮から持ってきた外套、星盤、記録の写し、値札付きの小さな麦袋。

村で借りた作業着は洗って返し、泥の染みが落ちなかった手袋は持ち帰ることにした。

修繕用の布と薬の残りは村へ置いた。


ミレイは衣服、村へ残す薬、公文書、オルフェの私信、

アステル個人の麦袋を分けて帳面へ記した。


「私信を殿下の私物としてお持ちになりますか。

 それとも王宮到着時に公文書として届け出ますか。

 最初に誰の目へ触れさせるかで、その後が変わります」

と確かめた。


アステルは、私信は公文書と分けて自分が持ち、

到着後もすぐには提出しないと決めた。

ガラードは出発時刻、最初の宿駅への到着時刻、

馬と荷車の状態を確認した。


村の帳簿の写しと星見の塔の公文書は、封印した荷箱へ収めた。

オルフェの私信だけは、アステルとミレイの管理とした。


神官の正式報告には、カイが星盤への接触には同意したが

王都行きには同意していないことを加えさせた。


「王宮は、その区別を認めますか」

アステルが問うと、神官は筆を置いた。

「認めさせるのは、殿下のお役目になります」




翌朝は薄曇りだった。

夜の霜が屋根に残り、煙が低く漂っている。


人々は広場へ集まったが、祝いの見送りではなかった。

カイが残ることに安堵する者、使者が再び来ることを恐れる者、

橋や税がよくなると期待する者。腕を組んで何も言わない者もいた。


村長は、王宮へ持ち帰る帳簿の写しをアステルへ押しつけた。

「都合のいい頁だけ読まないでください」


別の男は、帳簿を持ち帰れば税吏が来ると恐れ、最後まで渡すなとガラードへ迫った。

子どもたちは馬車の周りを走ったが、大人に呼び戻された。

別れの場にさえ、期待と警戒は混ざったままだった。


神官は出立時刻を急かした。宿駅の門限、馬の休憩、王宮への到着予定。

どれも旅を安全に進めるために必要な秩序だった。


村人の言葉をもう一人聞くたび、出発は遅れた。

だが、遅れれば護衛にも馬にも負担がかかる。

アステルは、最後まで話を聞くことも、予定を守ることも、

どちらも捨てられなかった。


出発前、カイは一行の荷車を固定する綱を確かめながら、三度顔を上げた。

水路へ下りる道。父親の家。王都へ続く道。


「本当にいいんですか」

「何が?」


「王宮で怒られますよ」

「怒られるでしょうね」


「俺、行った方が」

言葉とは逆に、足は村側へ向いていた。


カイは王都へ行きたいのではない。

アステルだけに責任を負わせること、村へさらに圧力が来ることを恐れている。


「あなたが村を離れるなら、あなた自身が決めるべきです。

 星でも、王宮でも、私でもなく」

「そんなふうに決められるんですか」


アステルは答えるまでに間を置いた。


「決められるようにしたい。でも、守り切れるとは言えない」


カイは頷かなかった。

それでも荷車から自分の小さな荷を下ろした。


「王都で、村のことをきれいに言わないでください」

「ええ。泥ごと持って帰るわ」

「匂いも」

「できるだけ」


大きな約束ではない。

それでも守れるかは分からなかった。


村人たちの間から、泥まみれで水路から引き上げられた王女を笑う声がした。

「今度は王宮の池へ落ちるな」と言う老人もいた。


麦粥を二杯食べた日のことを話す女がいる一方、

「広場で、分からないと言ったことは忘れてないよ」

と告げる農夫もいた。


アステルは一人ずつへ頭を下げた。

全面的に信じられたわけではない。

ただ、到着した日の遠い王女ではなく、泥に転び、

不用意な約束をし、人を不安にさせた一人として覚えられ始めていた。


人垣の後ろから、あの老女が孫と現れた。

孫は道端で拾った麦の穂を一本、両手で持っていた。


「春まで麦は返せません。代わりにはなりませんが、これを王宮へ」

老女はそう言い、穂を差し出した。

「白くしすぎずに食べてください」


アステルは、値札付きの麦袋とは別に新しい麦を受け取らず、

その一本だけを受けた。


孫はアステルではなく、祖母の手を見ていた。

アステルは救済申請の話を出しかけ、見送りの場で返礼のように

制度を差し出すのは違う気がしてやめた。

村長へ伝え、家を失う可能性まで確かめてから老女へ選んでもらうことにしていた。


「待たせる時間を、軽く考えません」

老女はすぐに喜ばず、

「では待ちます」

と答えた。


その待つ時間を軽くしてしまわないよう、アステルはもう一度頭を下げた。


出発の時刻が近づいても、アステルは村人の言葉をもう一人だけと聞こうとした。

ガラードは遮らずに待ち、馬の息と空の色を見てから、

「ここが安全に出られる限界です」

と告げた。

村の声を聞く時間と、宿駅へ届くための限界の両方を数えていた。


カイは馬車の脇へ立ち、値札を結んだ麦袋を見た。

「ここから先は、別の道です」

「ええ」


アステルは値札付きの袋を両手で包んだ。

「見なかったことにはしない」


カイは一度だけ頷いた。

「それなら、行ってください」


ガラードの合図で馬車が西へ向きを変えた。

カイは最後まで立ち尽くさず、父の家と水路へ戻る村人たちの方へ歩き出した。

その背は売れ残った麦袋と人々の向こうへ少しずつ隠れた。


馬車が動き出すと、アステルはユーリス卿への報告を書き始めた。

壊れた橋、水路、霜害、市場の値段、飢えた家。

帳簿上の『目減り』、星盤の正式反応、カイが王都行きには同意していないこと。

数字だけでは、薄い粥をゆっくり食べる子どもが消える。

顔だけを書けば、感情的な報告として退けられる。


アステルは橋の迂回日数と運び賃を記し、その欄外へ、

老女の家の空の土瓶と、客へ茶を出そうとしたことを書いた。


オルフェの紙片については、『公式記録と異なる情報を得た。

原本確認を求める』とだけ書き、私信そのものは別に持った。




丘を越える前に振り返ると、水路が一度だけ鈍く光った。

やがて低い屋根も煙も丘の向こうへ沈み、麦村は見えなくなった。


前方に王都の灯はない。

王都はまだ七日先にあった。


アステルは値札付きの麦袋と麦の穂、乾ききらない報告書を膝に置いた。

村と王宮のどちらにも属さない道の上を、馬車は西へ進んだ。


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