①
6月1日。
ー午前10時13分。
「おはよー!」
まるで我が家の如くこの事務所に入り浸っている彩花は、やって来るなり事務所のソファを我が物顔で占領し始めた。
いつものことである。
そして持参した数独をバサリとテーブル一面に広げると、
「うーん…。」
数秒後には唸る声が聞こえてくる。真剣に解いているのだろう。
唸り声を聞いた立花の口からくすっと笑い声が漏れる。
どうぞ、と笑顔で黒崎がコーヒーを置く。
鳴海は一切仕事の手を止めない。
彼女の一連の行動を咎めるものはいない。
鳴海探偵事務所は穏やかであった。
ー午前11時28分。
書類をめくる音、キーボードのタイピング音、カリカリと小気味良いボールペンの音、そしてソファから聞こえる唸り声だけの事務所に、
チリン…
とドアベルの音が響いた。
「すみません。鳴海探偵事務所はこちらで合っていますか。」
声の主はキョロキョロしながら遠慮がちに入り口のドアを開けた若い男性だった。
事務所の1番奥。
書類と本が山積みになったデスクから、ボールペンを動かす手を止めた鳴海がチラリと入口へ視線を向ける。
「…そうです。ご依頼ですか?」
「は、はい…。」
「では中央のテーブルへどうぞ。」
ぶっきらぼうな鳴海の声に依頼者であろう男性は萎縮した様子だ。無理もない。大抵の依頼者はこの態度に萎縮するか少し顔をしかめる。
声と顔は良いのに態度がイマイチなんだよなぁ、鳴海は。
彩花はそう思いながら2人のやり取りをちらちら見ていた。
鳴海が依頼者を中央の応接テーブルへ案内する。
その隙に彩花は散らかっていた数独を手際よくまとめ、空いた鳴海の席へするりと滑り込んだ。
すれ違いざまに、ソファ温めておきやしたぜ!と小声で鳴海に言うのも忘れない。
眉間に皺を寄せた鳴海などお構いなしに、彩花はどっかりと椅子へ腰を下ろした。
依頼者の話を聞き逃す手はないのである。
ー午前11時30分。
「鳴海探偵事務所の鳴海修司です。本日のご用件は。」
「内山剛と申します。実は妻を…!」
一呼吸置いたと思った刹那カッと目を見開き、
「妻のことを調べて欲しいんです!このところ妻の様子がおかしいんです!」
依頼者の男性は先程までとはうってかわって、バンッ!とテーブルを叩きながら興奮した口調で鳴海に訴えかけた。
「妻は蘭子と言います。」
「とても綺麗で素敵でそれでいて愛嬌もありみんなから好かれるタイプかと思います!」
「出会いはまるで小説やドラマのようで…」
「夫婦仲はとても良いと思います!もちろん些細な事で喧嘩をすることもありました。ですが!」
先程から興奮した様子で話す内山の言葉を、立花が自席のパソコンでひとつひとつ端的に、そして必要な箇所だけを抜粋して内容をまとめていく。
そして最後に。
内山は小さく言った。
「浮気されているのかもしれません。」
今にも泣き出しそうな声だった。
結婚して2年。
本来なら幸せいっぱいな時期のはずだ。
良ければ…アイスコーヒーです、と黒崎が応接テーブルに2つグラスを置いた。
ありがとうございます、頂きますと内山丁寧に返す。一気に話しすぎて喉が乾いていたのか、一気にグラスの半分程飲み干していた。
ぱっと見、誠実そうないい夫にしか見えないんだけどなぁ。
と彩花は思う。もちろん勘だが。
「浮気の可能性があると考えるのは何故ですか。」
黙って話を聞いていた鳴海が聞く。
「真面目に誠実に、と生きてきました。妻と出会ってからはこの人を絶対幸せにしようと努力してきたつもりです…でも。」
「でも?」
「近所の人が…、妻と知らない男が一緒に歩く姿を見たと…。」
瞬間、彩花の口から思わずありゃあ〜と声が漏れた。




