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INDEX  作者: クネロ
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 灰色の分厚い雲が強い風に流され、その切れ間から鋭い日差しが、ひび割れた無骨なコンクリートの路面へと照りつける。

 かつて、この都市の空は巨大な人工ドームに覆われ、完璧に制御された気温と湿度によって、常に不変の気候を保っていた。だが、タワーの中枢システムが崩壊して数年の歳月が流れた今、頭上には遮るもののない広大な空が広がり、急激な気圧の変化を伴った本物の風が吹き抜けている。


 管理者が維持していた無菌室のような清潔さは、もはや都市のどこにも残っていない。直線だけで構成された建造物の表面には、酸性雨や強い紫外線に晒されたことによる赤茶けた錆が広範囲に浮かび上がっている。剥がれ落ちた滑らかな外装甲の代わりには、規格の合わない無骨な鉄骨や波板が、溶接のビード跡も露わに不格好に繋ぎ合わされていた。


 自動制御のメンテナンスドローンが、構造物のわずかなクラックを瞬時に検知して修復する光景は過去のものとなった。断線した配電ケーブルは剥き出しのまま壁面を這い、電力網の供給は常に不安定で、一日のうちに何度も電圧の低下を示す照明の明滅が起こる。各区画を結ぶネットワークの帯域もまばらで、情報伝達には数秒から数分の遅延が当たり前のように発生している。


 予測不能なトラブルと、自然という揺らぎに満ちた世界。それが、今のこの都市の姿だった。


 気温は一切制御されず、季節の移り変わりが直接コンクリートの表面温度を上下させる。夏には不快な湿気が肌にまとわりつき、冷却材の循環していない建物の内部にはひどく重い空気が滞留する。冬になれば、容赦のない冷風が金属の表面から急速に熱を奪い、節々を軋ませる。

 だが、その不便で非効率な空間には、間違いなく強烈な熱気が満ちていた。


 かつては上層、中層、下層と厳密なシステム制御によって隔離されていた人々が、今は一つの入り組んだストリートにひしめき合っている。壁を取り払われた路地の奥からは、ひしゃげた鉄板を大型のハンマーで叩き直すけたたましい打撃音と、アーク溶接の強烈な青白い閃光が絶え間なく溢れ出している。

 誰かが大声で資材の運搬ルートを指示し、別の誰かが故障した発電機(ジェネレーター)のトルク不足を補うために、手動のクランクを回しながら悪態をついている。そこにあるのは、システムから与えられた役割を正確にこなすだけの均質な動作ではない。機械油の匂いと、粉塵と、汗に塗れた生身の人間たちが、自らの筋肉を収縮させて発生させる泥臭い熱だった。


 足りない部品は崩落した下層のスクラップ山から掘り起こし、巨大な手動クレーンがうなりを上げて廃材を持ち上げ、ワイヤーの張力が限界近くまで引き絞られる軋み音が街中に響く。動かない機械は力技でバイパス回路を繋ぎ、焼け焦げた基板をハンダの熱で無理やり結合して強引に再起動させる。浄水システムや空調ももはや自動ではなく、太い配管の目詰まりを人力で取り除き、バルブの開閉を汗だくになって調整する作業員たちの怒声が飛び交っている。μセルによって縛られていた『設計寿命』から解き放たれた人々は、手に入るものを寄せ集め、自分たちの手で世界をパッチワークのように修復しながら生きている。


 かつての支配者が君臨していた上層の純白の居住区も、今はその面影はない。


 電力を確保するために、ビルの屋上や壁面には無数の手作りの太陽光パネルや風力タービンが設置され、美しい外観よりも実用性が優先されている。完全に平坦だった道路の継ぎ目からは、アスファルトを押し上げるようにして名も知らない雑草が根を張り、緑の葉を風に揺らしている。

 すべての営みが、効率や合理性からは程遠い。だが、街のあちこちで燃え上がる溶接の火花や、大声で笑い合う声の反響、そして焦げたモーターの匂いは、この都市がかつて持っていた極限まで統制された静寂を完全に塗り潰していた。人々は、自分たちの命が誰かの命を贖うための単なるバッテリーではないことを、その騒々しく不規則な日々の営みによって示し続けている。


 都市の喧騒を見下ろす高台に、巨大な鉄屑のモニュメントと化したタワーの残骸が聳え立っている。

 そのタワーへ続く錆びついた連絡橋の上に、ウェスは立っていた。

 彼の着ている厚手の作業着には黒い油染みがいくつもこびりつき、肩幅は数年前よりもひと回り広く、逞しくなっている。彼は吹き抜ける風に目を細め、眼下に広がる混沌とした街の景色を静かに見つめていた。

 その日焼けした顔の輪郭と、工具を握り続けたことで厚く硬くなった手のひら、そして指先に刻まれた無数の細かな傷跡が、彼がこの世界でどのように生きてきたかを十分に物語っている。


 ウェスは、不意に視線を落とし、作業着の胸ポケットから一つの小さな金属の塊を取り出した。

 それは、傷だらけの風防と、くすんだ銀色のケースを持つ古い機械式腕時計だった。

 かつて、この世界を縛り付けてい仕組みを破壊し、金色の塵となって空へ消えていった一人の男が遺した、最後の手で触れられる痕跡。

 百年以上、一切の針を進めることなく、ただの重い鉄の塊として沈黙し続けていたその時計を、ウェスはそっと両手で包み込む。ずっしりとした真鍮と鋼の重みが、皮膚越しに確かな手応えとして伝わってくる。


 ウェスは、金属ケースの側面に突き出した小さなリューズに指先を添えた。

 そして、内部のゼンマイが巻き上がる確かな抵抗を指の腹に感じながら、ゆっくりと力を込める。

 ジリッ、ジリッ、という硬質な摩擦音が、金属のケースの中で重く響く。


 指を離すと、分厚いガラスの奥で、長い間眠っていた細い秒針が微かに震えた。

 そして。

 チチチチチチ……という、心地よく、しかし不規則なハイビートの駆動音が、小さなケースの中から微細な振動を伴って響き始める。

 その微かな振動は、眼下に広がる騒々しく熱を帯びた都市の喧騒と見事に調和し、一つの新しいリズムとなってウェスの鼓膜を叩く。


 誰かが設計した完璧な結末など、どこにもない。

 数秒先すら予測できないエラーとトラブルに満ちた不確定な未来。

 ウェスは、手のひらで時を刻み始めたその古い時計をしっかりと握り締め、力強い足取りで、騒々しい生活音が響く街の中へと歩き出した。

 錆びついた歯車が回り、新しい時間が、今、確かに刻まれ始めた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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