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逃げ込んだ先は、分厚い鉛の壁と強力な電波妨害装置に守られた、完全に外界から切り離された閉鎖空間だった。
外の中層区画を支配していた命の気配がない冷え切った空気とは一変し、そこは強烈な消毒液と薬品、そして微かな鉄錆の匂いが入り混じる、ひどく生々しい空気が漂っている。
俺の意識は異常な高熱によってひどく混濁しており、床の冷たいタイルの感触を、どこか遠い場所での出来事のように感じていた。
ここへ辿り着くまでの強行突破の代償は重く、俺の右腕は断裂したポリマー・マッスルによって完全にデッドウェイトと化し、不気味な痙攣を繰り返している。視界が激しく歪み、重い眩暈がひっきりなしに脳を揺さぶっていた。
「カイト! しっかりしろ! 死ぬなよ!」
ウェスの必死な声がすぐ傍で響く。
その後ろで、ナオが怯えたように立ち尽くしている気配がした。俺は鉛のように重い瞼をわずかに開け、周囲の光景をぼやける視界に焼き付ける。
薄暗い照明の下、壁には古びた医療器具や見慣れない機械のパーツが所狭しと並べられている。
血の匂いなど一切しない中層の清潔すぎる空間とは全く異なる、無骨で実用的な場所だった。ここには、人間が泥臭く命を繋ぐための確かな手応えがあった。
「騒がしいわね。診療時間外だって表の看板に書いてあるのが読めないの?」
奥の部屋から、不機嫌そうな冷ややかな声が響いた。
白衣をだらしなく羽織り、手にはオイルまみれの工具を下げた女が現れる。数年来の付き合いになる闇医者、サツキだった。
彼女の鋭い視線が、床に倒れ伏す俺の巨体と、荒い息から伝わる尋常ではない熱気に即座に固定される。
「……カイトじゃない。また無茶をしたわね。今日は一段と酷い熱を抱え込んでいるじゃないの」
サツキは呆れたように大きなため息を吐き、俺の横にしゃがみ込む。
俺の額に浮かぶ大量の脂汗と、異常に熱を帯びた肌を確かめるように、彼女はゆっくりと手をかざした。彼女は数年前から俺のこの厄介な体を診てくれている、中層で唯一の頼れる医者だ。
ここは監視AIのネットワークが全く届かない、中層において唯一医療の行える特異な場所、いわば肉体の聖域だった。
情報を完全に遮断されたこの空間だけが、中層のシステムに追われる俺たちが唯一息をつける場所なのだ。
「あんた、サツキか? こいつを助けてくれ! すげえ高熱なんだ!腕もぶっ壊れてる!」
ウェスが悲痛な声で懇願する。
サツキはウェスを一瞥し、次いで背後に隠れるように立つナオに目を向けた。
「子供の遊び場じゃないわよ。でも、その小さな子は手伝いとして使えそうね」
サツキはゆっくりと立ち上がり、白衣のポケットから小さなタブレット端末を取り出した。
「いいこと、坊や。この男の無茶には慣れてるけど、今回の廃熱不良は尋常じゃないわ。中層の監視網をかいくぐってここまで来たのは褒めてあげるけど、私のやり方に口出ししないことね」
サツキの有無を言わさない言葉に、ウェスはただ無言で強く頷くしかなかった。
俺は熱い息を吐きながら、ナオが安全なこの場所で匿われることに深い安堵を覚えていた。危険な逃避行にこれ以上、彼女を連れ回すわけにはいかないのだ。
サツキは人を寄せ付けない美しさを湛えた顔に、微かな険しさを浮かべていた。
彼女は俺の腕から覗く断裂した人工筋繊維と、強化外部骨格が立てる重苦しい軋み音をじっと観察している。
「相変わらず無茶な拡張のさせ方ね。あんたのその旧世代の筋繊維と廃熱リグ、一体いつまで騙し騙し保たせる気?」
彼女の声には、医者としての呆れと、中層の洗練された技術にはない、無骨な肉体改造に対する技術者としての並々ならぬ執着が混じっていた。
「しゃべる余裕があるなら、すぐに処置を……」
俺が掠れた声で言うと、サツキは口元を歪めて冷たく笑った。
「処置? 勘違いしないで。これは修理も兼ねた大手術よ。中層の最新鋭の医療ポッドなんて生温いものは使わない。あんたみたいなごつごつした体には、それに相応しいやり方があるの」
サツキは棚の奥から、埃を被った重厚な金属の箱を引きずり出してきた。
中層の住民が見れば卒倒しそうな、野蛮で原始的な道具の数々がそこには収められていた。彼女が取り出したのは、文明が崩壊した時代に使われていたという旧世界のメスや、無骨な電動工具だった。
それらはナノマシンによる非接触の治療が当たり前となった現代の都市では、完全に失われた医学の遺物だ。
肉体を切り開き、直接インプラントや人工筋肉を交換するという野蛮な行為そのものが、今の都市では忌避されている。
「ナオ、そこにあるガーゼと冷却水を運んでちょうだい。坊やは邪魔にならないところで見ていなさい」
サツキが的確な指示を飛ばすと、ナオはこくりと頷き、小さな手で慌てて医療用のトレイを運び始めた。
彼女がここでサツキを手伝いながら待つことができれば、俺たちも後顧の憂いなく動くことができる。サツキはまず、アンプルから移した注射を三か所に打つと、熱でひしゃげて固定具が焼き付いた俺の右腕の外部装甲を解体し始めた。
「中層の麻酔じゃ、あんたの体には気休め程度にしかならないだろうけど。ま、後は気合で耐えなさい」
彼女はどこか嬉々とした表情で、電動工具のスイッチを入れた。
前時代の手術室には似つかわない金属音が診療所の狭い空間に反響し、ウェスが思わず耳を塞ぎ、ナオも恐怖で目を伏せた。
「いつまでこの体を保たせる気? 細胞が完全に焼き切れる前に、私の手で楽にしてあげようか?」
サツキの皮肉めいた言葉と共に、電動カッターの刃が激しい火花を散らす。焼き付いたジョイントが破壊され、着脱式のリグと装甲が床に重い音を響かせる。
外装が外れた俺の右腕から熱気が一気に吐き出され、むっとした血と汗の臭いが広がった。ナオが運んできた冷却水をサツキが直接患部へとかけ、白い水蒸気が発生して視界を白く染め上げる。
サツキは旧世界のメスと無骨な鉗子を手に取って、俺の生身の肉へと無情に突き立てた。
「……ッ!」
肉を強引に切り開かれる不快な感覚と若干の痛みが、神経を伝って脳髄を揺らす。
俺は奥歯を強く噛み締め、さらなる痛みに耐えようと全身を硬直させたところ、「脱力した方が痛みは少ないわ」というサツキの言に従うしかなかった。
サツキは容赦なく刃を進め、俺の右腕の肉を切り開き、断裂したポリマー・マッスルを次々と乱暴に摘出していく。外部の装甲とは違い、生身の肉体と人工筋肉が複雑に絡み合った異様な内部構造が薄暗い診療所の照明の下へと晒されていた。
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予約投稿忘れてました……。




