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選ばれなかった者が脱落しただけ

本館から東に続く建物は未嫁たちが寝泊まりするための寝室棟だ。本邸で過ごすシダリも普段はこの棟で過ごしている。

ミズキたちは世話人によって一人ずつ部屋に案内されていく。こちらでお過ごしくださいと人間離れした無感情な声が淡々と告げてくる。サクラが死んだ、カエデが殺したという衝撃、動揺、戸惑いはまったく意に介されない。


「未嫁さま、どうぞこちらを」


世話人が静かに湯呑みが乗った盆を差し出してくる。茶のようなそうでないような液体が湯呑みを満たしていた。

薄茶色の液体は一見すると茶のようだ。しかし匂いが茶葉のそれではない。湯気に乗って梅の香りに似た匂いがする。


「……これは?」

鹿息(ろくそく)でございます」


感情の乏しい声をした世話人の説明曰く。心を落ち着かせる効果のある薬湯なのだそう。

人死にを目の当たりにしてしまった未嫁たちの動揺を慮り、彼女たちに振る舞うようにと、ラカからの指示があったとのことだ。


そうなのか、と納得しきれないまでも頷きながら受け取り、とりあえず飲み下す。温かい湯にほっと息をついた。

カエデとサクラのことについての動揺はまだ抜けきっていないが、薬湯の温かな温度が心を落ち着かせていく。


「あったかい……」


薬湯の効果だろうか、先程見た光景への衝撃やラカや世話人たちの淡々とした態度への戸惑いに荒れた心も凪いでいく。湯呑みを空にする頃には普段通りの心持ちに戻っていた。


「えぇと……他のみんなは?」

「他の未嫁さまがたも同じように過ごしているようです」


隣の部屋とは壁ではなく板戸で区切られている。寝泊まりする未嫁の人数に合わせ、細かに部屋の数を変えられるようにしているのだろう。未嫁が多ければ板戸を立てて部屋を増やし、少なければ板戸を外して部屋を減らせるように。

廊下を正面にして背後には窓、左右には板戸で区切られた部屋が並ぶ。正面向かって右の部屋は無人で静まり返っており、左の部屋からは人の気配がする。おそらく右の部屋はサクラの部屋の予定だったのだろう。左は誰の部屋だろうか。聞き耳を立ててみても声は聞き取れない。


突如、ばん、と大きな音がした。


「わざとじゃないの! あれは、やろうと思ってやったんじゃなくて……!!」


必死に縋るような大きな声が聞こえてくる。カエデだ。

騒がしい音と声はミズキの部屋の斜め左前から聞こえる。廊下を挟んで対面に並ぶ部屋のうちひとつからだ。

どうやら自分の部屋の斜め左前がカエデの部屋らしい。部屋の位置関係を整理しつつ、聞こえる叫び声に何事かと注意を向ける。


「あたしは悪くない! 悪いのはあの女だもん! あいつが下らない挑発なんかしたから、あたしだって……!!」


自分は悪くないと、ぎゃんぎゃんと叫んでいるのが聞こえる。

ミズキの部屋の扉はしっかりと閉じられているのに、叫ぶ声ははっきりと聞こえてくる。よほど大きな声なのだろう。


「ねぇ……カエデはどうなるの?」


はずみとはいえ、人を殺してしまったから失格なのだろうか。そっと世話人に問う。いいえ、と首を振られた。


「彼女は演武にて勝利をおさめました。失格などありえません」

「……でも、ひとが死んだのよ?」

「些事です」


そんな。人間ひとりの命が喪われたという重大な事件が起きたというのに。その扱いはまるで事故のよう。いや、事故ですらない。湯の入った湯呑みを放置していたら冷めてしまったから捨ててしまおう、くらいの感慨しかない。

エンゲージにおいては死など何にも重要ではないのか。何の情もない。剪定し、切り落とされた枝に何の感情もないように。桜の枝は手折られた、だがそれはどうしたとばかりに。


その間にも、ぎゃんぎゃんと喚き散らすカエデの声は少しずつ静かになっていく。世話人に宥められて落ち着いたのか、やかましいと強制的に黙らされているのかは知らないが。

やがて、しんと静かになった。そのタイミングで部屋の戸が叩かれ、新たな世話人が盆を持ってきた。


「おかわりです。どうぞ」

「ありがとう。……ねぇ、本当にカエデは何ともないの? 失格とか、不合格とか……」

「えぇ。未嫁さまは鹿神さまへの想いを証明されたまで。選ばれなかった者が脱落しただけですから」


だから気にするな。再三そう言った世話人は湯呑みを差し出してくる。先程の薬湯よりもほんの少しだけ色が濃い。濃いめに作られているのだろうか。梅の香りが強い。

湯呑みを受け取り、ごくんと飲む。あったかい。


「ん……ねむい……」


飲んでいるうちに眠くなって、やがて目を閉じた。

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