その日、夢を見た
その日、夢を見た。
夢特有の、上下左右のない空間。どこが天井でどこが床かもわからない。幅も奥行きも把握できない。まるで宙に浮かんでいるかのように、ふわふわとした曖昧な感覚の中にいる。
主観的な地面に足をつけて、主観的に前に進んでいると、やがて真っ暗な空間に色がついてくる。主観的な地面に草が生え始め、曖昧な空間だったそこは瑞々しい草の生える草原になった。
次第に梅の香りが漂い始めた草原をさらに進む。無限に続くかと思った草原の先にラカが立っていた。
眉目秀麗な黒髪黒目の青年はゆるやかに微笑みを浮かべている。細められた目の奥にある横長の瞳孔がよく見えた。
「ふふ、夢路に誘われるのは初めてだったかな?」
これも実を通じた干渉のひとつ。夢を通じて意識を鹿神と接続する。できるのは会話くらいで、それ以上の大したことはできない。
軽く説明したラカはそっとミズキに近寄る。梅の香りがした。
「今回の未嫁の中で、きみが一番わたしに近い」
実によって染め上げ、鹿嫁の素質をそなえた娘たちの中で。もっとも美しく染まってくれた。
嫁とするならこれくらい美しく染まってくれたもののほうがいい。
「だからどうか、わたしの気持ちに応えて演武で勝っておくれ」
きみがわたしへの愛を証明し、頂点となることを待っている。争いを越え、最後まで立っていてくれ。そうしたら妻として喜んで迎え入れよう。愛しい未嫁よ。
うっそりとラカが微笑む。横長の瞳孔に愛情をたたえ、ミズキを見つめる。
「戦うのが怖いかな?」
エンゲージで勝ち残れと要求するのは、つまり戦えと強いているようなもの。
殺し合いの中に飛び込めと言っているのと変わらない。生き残るために他者を蹴落とし、殺せと言っているのと同じだ。
そんなこと恐ろしくてたまらないだろう。だが、どうか恐れないでほしい。その恐怖を乗り越えることも試練のひとつなのだから。
「大丈夫、わたしがいるよ」
怖いのなら、そばにいよう。震える手を握ろう。今までずっとそうしてきたように。
そう。ずっと見守ってきた。それこそ赤子の頃から。こんなに美しく育つまで。見守り、寄り添い、支えてきた。それはエンゲージ中でも変わらない。
「美しい未嫁よ。どうかわたしの妻となり、わたしのものになってくれ」
愛しい、愛しい未嫁よ。怖くない。大丈夫だ、見守っている。その心を愛し、信念に寄り添い、覚悟を見届け、魂を愛でている。
さぁ。どうか見せてくれ。その魂を。ミズキという人間の底を。
「愛しているよ」
***
そんな甘い夢を見た。窓から差し込む朝日に誘われて目を覚ます。
「……朝日?」
待て。ミズキははたと呟いた。
いつの間にか寝間着で、布団に寝かされていたのはいい。きっと世話人がしてくれたのだろう。
問題は時間だ。朝日。ということは朝。昨日、最後に時計を見たのは昼だ。朝餉を食べて庭に散歩に出て、シダリに呼ばれて実の話を聞いて、それから皆に話して、部屋に戻って落ち着いて、それから、今まで記憶がない。
最後に見た時計の時刻は確か、14時かそこらだった気がする。そして今、時計は朝の7時を指している。
「何時間寝てたの……?」
「17時間ほどですね」
「わぁ!?」
「おはようございます、未嫁さま」
しれっといつの間にか世話人がいた。なんてことだ。
驚くミズキに構わず、世話人は着替えの入った籠を差し出した。とりあえず、ありがとうと受け取って袖を通す。
「17時間睡眠かぁ……」
それだけ寝続けていたら、脱水やら空腹やらでかえって具合が悪くなりそうなものだが。そんな気配などないくらい元気だ。
これもまた実の力なのだろうか。そんなことを考えつつ、食事担当の世話人が朝餉の膳を持ってきたので箸をつける。きのこの炒め物に舌鼓を打って完食し、そして立ち上がる。
17時間も寝入っていたせいで外の空気が吸いたい。行ってらっしゃいませと頭を下げる世話人に軽く手を振って、本館へと向かった。




