第3話 『部長と僕』 著:天谷 碧
部室前の扉を開けようとしたところで百合の花のような甘い匂いが漂ってきて、僕は部長が既に部室に来ていることを知った。
「おはようございます、部長。今日は早いんですね」
「うん、おはよう。きみこそ早いじゃないか、まだ朝の八時だよ?」
「えへへ、なんだか待ちきれなくて。早くきちゃいました」
「ふふ、熱心な後輩を持ててわたしも嬉しいよ」
静かな日曜日の朝。
部長は読んでいた本を閉じると、たおやかに微笑んできた。
「さて、それじゃあ早速部活を始めようか。今日はラ◯ィゲの『肉◯の◯魔』についての討論会だったね。どうだい? 準備は出来ているかい?」
「はい! もちろんです!」
そうして僕らの部活が始まって一時間くらい経った頃だろうか。
僕はふと思い出したことがあって、部長の顔をぼんやりと見つめた。
部長は開いた文庫本にそのほっそりとした手のひらをさらりと乗せながら、秋の夕暮れみたいな健康的な唇を動かしていた。
「——。だからわたしが思うに、この時の彼の心情は——ん、どうしたのかな? ぼうっとした目を浮かべて。疲れちゃった?」
「あ、いえ……やっぱり楽しいなって。僕、文芸部に入ってよかったです。部長に会えてよかった」
「ふふ、なんだい藪から棒に。おだてたって何も出ないよ?」
「本心ですよ。僕、昨日へんな夢を見たんです。ホント言うと、今日早く来たのもそれが理由で……」
「ふむ、興味深いね。どんな夢を見たんだい?」
「ひどい夢でしたよ。本当にひどい夢です」
だって部長がまるで変態なんだもんな。
すぐに僕をからかって遊んでくるし。
あれじゃあ部長じゃなくて悪魔だよ。
「あっと……す、すみません。夢のこととは言え部長のことをそんなふうに言っちゃって。僕は最低だ」
「ふふ、安心するんだ。わたしはきみを虐めたりなんかしないよ。大丈夫、わたしはいつだってきみの味方だからね」
「部長……」
部長が僕の頭を優しく撫でてくれる。
とても心地よくて、もうずっと撫でていてほしい。
ああ、きっと僕にお姉ちゃんがいたらこんな感じなんだろうな。
本当にあれが夢でよかった。
あんな悪魔みたいな部長なんて部長じゃないよ。
「ふふ、じゃあ再開しようか。もう少しで終わりそうだからね。頑張れるかい?」
「はい! もちろんです、部長!」
「うん、元気でよろしい!」
まろびた風が窓を揺らしている。
栗色に染まった黄昏が僕らの周りを漂って、かすかに聞こえる百合の匂いが、僕の頬を赤く染めていた。
<了>
この話は主人公くんが書いたという設定なので<了>入れてますが続きます。