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神翼の花  作者: 奏多
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そして神の翼になって

 その日は、とても空がよく晴れていた。

 青い空の下、朝の内からリセラは忙しく移動して、王都の中にある祈祷殿へと移った。ここで準備を整え、広場に設えられているという儀式場へ向かうのだ。


 用意された衣は、真っ白な地に金と銀で美しい鳥や花が刺繍された物だ。

 結い上げたリセラの子鹿色の髪にも、白い花と一緒に、鳥の羽が飾られる。これがアルンの結婚衣装だ。


「宜しいですか、リセラさん。広場には石を積み上げて祭壇が設けられてあります。そこにいる五人の精霊司が、一人一人神翼の花をあなたに授けてゆきます。その花を祭壇に捧げて、精霊司の言うことを復唱してゆきなさい。それだけで、何も難しいことはありません」


 付き添っていた王妃が、リセラに儀式のことを説明してくれる。

 緊張していたリセラはただ「はい」「はい」とうなずいていた。

 本当に今日、自分を殺したい人々が行動するのだろうか。それを思うと、この予想より重い衣装で逃げられるのか不安になった。

 でも今までなにごともなく過ごしてこれたし、イルドも守ると約束してくれている。


(大丈夫、信じるんだもの)


 結婚する彼はラグランではなかった。けれどこの七日間、自分の傍にいて見知らぬ土地への不安を一つずつ解消していってくれたのはイルドだ。


「では参りましょうか」


 王妃が促す声に、リセラは立ち上がった。

 今日で自分は正式にイルドの妻となるのだ。決意と共に歩き出そうとしたところで、急に彼女は突き飛ばされる。


 何、もう姑からのいじめ!?

 転びそうになったところを堪えながらリセラは驚く。今突き飛ばしたのは、隣にいた王妃だったのだ。

 しかしすぐに響いた鈍い音に、リセラは振り向いて事態を悟った。


「王妃様っ」


 どこに隠し持っていたのか、スピナが振り下ろした短剣を、王妃が手に持っていた小さな木の杖で受け止めていたのだ。


「そなた王族にたてつく気か」


 王妃がスピナをしかりつけるが、毎日優しい笑顔を向けてくれていたはずのスピナは、鼻で笑った。


「王妃様には感謝しておりますわ。死んだ兄が紛争で死んで「神の恵みが薄い者」と言われ、その家族である私が辛い思いをしていたところを、城で働けるよう取り立てて下さったのですから」


 だけど! とスピナは王妃から一歩距離を開けて叫ぶ。


「どうして敵国の娘が、神の使いに気に入られるんですか! いままでアルンの神を崇めたこともないのに。毎日祈りを捧げていた私達ではなく、この娘が! 認められないわ!」


 そう言って再び短剣を構えて斬りかかってくる。

 再度王妃がリセラを庇った。が、王妃の杖は木製で、短剣を受け止める度に削られて細っていく。


「この娘がいなければ、もう一度私たちは神の意を問う戦いができる! そして勝てば、せめて兄が神の意をくんで戦いに行ったのだと証明できるのに!」


 悲痛なスピナの叫びに、リセラは頭が真っ白になっていた。よもや彼女が紛争で家族を失った人で、家族の名誉を取り戻すために再度の戦いを支持しているとは思わなかったのだ。

 そんなリセラを王妃が叱咤する。


「早くお逃げなさい! 私一人ならばこの娘ぐらいどうにでもできます!」


「は、はい!」


 確かにリセラがいても何の役にも立たない。

 急いで部屋を飛び出したが、そこには抜き身の剣を構えた衛兵達がいた。

 あきらかに、中の騒ぎをききつけて助けようとしているのではない。緑の外衣を着た三人の衛兵は、じりっと距離を詰め、リセラに向かって剣を振り上げた。


 ――殺される。

 リセラはぎゅっと目をつぶった。怖くて助けてと叫ぶこともできない。

 しかし痛みに悲鳴を上げたのは、リセラではなかった。人が倒れる音、続く剣戟の音に目を開けば、リセラの視界は真っ白な衣を纏った背に遮られていた。

 今日この日に、白を纏うのは成婚を行う二人と、精霊司のみ。


「イルド……」


「怪我は!?」


 目の前にいた三人を打ち倒したイルドが、リセラを振り返る。彼の上着は鮮血を受けてあちこちが赤く染まっている。

 悲鳴をあげかけたリセラだったが、それを寸で飲み込んだ。


「だ、大丈夫」


 気丈に返事をしてみせると、必死な表情をしていたイルドが淡く微笑んだ。

 凄惨な彩りを添えた服を着ていても、手に持った剣が血塗られていても、自分を見て優しい表情をしてくれる彼を、リセラは綺麗だと思った。


「もっと安全な場所に逃げるぞ、来い」


 彼の微笑みにつられるように、その左手をリセラは掴んだ。そうして走り出しながら肝心なことを思い出す。


「あの、女官のスピナが突然襲ってきて、王妃様が!」


「母上なら平気だ、女にしては強すぎるくらいの剣の腕がある」


 イルドはリセラの言葉の意味を読み取って、返してくれる。

 そうか強いのか、とリセラはほっとした。そして重たい衣装の裾を持ち上げながら、走ることに専念する。


 外へ向かうイルドの前には、次々に衛兵や文官の姿をした的が襲いかかってきた。その度イルドはさらに衣服を血に染め、さらにイルドの味方だろう衛兵達が加わって道を開く。

 走りながら、リセラはやるせない気持ちで一杯だった。


「みんな、あの紛争で……」


 戦って勝つか負けるか。それだけでは終わらないアルンの信仰に基づく慣習。

 そのために苦しんでいるのに、けれど彼らはそれ以外の世界を知らないから、既知の慣習の中で自分や家族の名誉をとりもどそうとしているのだ。


 でも、もう一度戦ってどうなるというのだろう。また、ラグランのように巻き込まれて死んでいく人も増えるのに。

 けれどリセラには、今はなにもできない。今は生き残って。同じ気持ちを持っているイルドと生きて、いつかそれを変えるしかないのだ。

 歯をくいしばって走っていたリセラだったが、外に飛び出した所で、不意に衣服の裾が引かれて転ぶ。


「痛っ」


 とっさに手を離したのでイルドは巻き込まなかった。そのことにほっとしつつ、長衣の裾を見る。短剣が突き刺さって、長衣が地面に縫い止められていた。

 急いでリセラは服を引っ張った。美しい衣装が裂けてしまったが、これでまた走れる。

 そう思って立ち上がった時だった。


「リセラ!」


 イルドに抱き込まれる。驚くリセラの耳に、彼の苦しそうなうめき声が聞こえた。

 続く金属がぶつかり合う音。

「殿下!」という呼び声と大勢の足音。


 ようやくイルドが離してくれた時には、辺りは乱戦になっていた。

 三人の青い衣服を着た男達が、リセラとイルドを背に庇ってくれている。その他の多数者達は、苦い表情をしながら同胞のはずの襲撃者と戦っている。

 とにかくここから遠く離れなければ。そう思ってリセラは、自分を離してくれたイルドを見て――息を飲んだ。


「イルド殿下!?」


 彼はリセラを解放した後、そのまま横向きに倒れていた。

 その肩は切り裂かれて血を流し、イルドの上着を休息に朱に染めていく。

 イルドも傷が痛むのか、小さく、でも歯をくいしばるようにして呻く。

 けれど誰もイルドを介抱する余裕などない。そしてリセラはどうしたらいいのかわからないのだ。何もできない自分を激しく責めながら、リセラは彼を抱きしめた。


「イルド、お願い死なないで」


 せっかく仲良くなったのだ。せっかくラグランの事を話せる人と出会えた。なにより彼が死んでしまったら、自分はどうしたらいいのだろう。

 和睦の証であるリセラは、故郷へ帰るわけにはいかない。もしかしたら別なアルンの王族筋の誰かと結婚させられるかもしれない。

 そんなのは嫌だ、とリセラははっきりと思った。

 イルドでなければ嫌だ。


「死なないで、ラグランみたいに置いていかないで……」


 涙が溢れてくる。そこで不意に、初恋の人が『守ってくれる』と教えてくれた歌を思い出した。

 一度謳った時には、レパスが沢山集まってしまった不思議な歌。

 神の使いを呼べば、もしかしたらアルンの神様に従順な人々だから、襲うのを止めてくれるかも知れない。


 だからリセラは小さな声で謳った。

 守って下さいアルンの神様。

 あなたを信じる国の王子を。私を守ってくれた優しい、夫になるべき人をと、一心に願いながら。


 願うように音を紡ぎ出していたリセラは、ふいに白いふわふわとした物が視界をよぎるのに気づいた。

 白い雪。リセラは最初、そう錯覚した。

 けれど違う。頬に触れる白い綿毛のようなものは冷たくもなく、溶けることもなく落ちていき、地面に降り積もる。

 何だろう。


 顔をあげたリセラは、そこにいた人の姿に息を飲んだ。

 真っ青な空から舞い降りてくる白い綿のような花。その中に立っていたのは、少し透けて見える幻影のような初恋の人ラグランの姿だった。


「ラグラン……」


 涙で視界が歪む。リセラは自分の目を拭って、もう一度彼の姿を確かめた。


「あに、うえ?」


 怪我に苦しんでいたイルドも、うっすらと目を開けてラグランを見ていた。

 ラグランは思い出の中そのものの暖かい笑みを向け、一言だけ告げた。


『リセラ、君が幸せでいますように』


 その言葉は、囁くような小ささだったのに、その場にいた全員に聞こえたようだった。

 空を見ていた人々までが一斉に、ラグランの幻影を振り返る。

 それを確認するかのようにラグランは辺りをぐるりと見回し――一瞬で白い大きな鳥へと姿を変えた。

 全ての人々が、呆然と空へ羽ばたいていく鳥を見上げた。


「し、神鳥だ……」


 口々に上がるうわごとのような言葉に、空を大きく旋回する鳥を見上げていたリセラは、新たな涙がこみ上げてくる。


「ラグラン」


 そして白い鳥が空に溶けるように姿を消した後、地面を埋め尽くしていた白い神翼の花は、跡形もなく姿を消していた。

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私は騎士団の紅茶師です

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