祝福の手をさしのべられたから
「ああ、あなたという子はすぐ女の子を泣かせて……!」
薄黄の地に刺繍がほどこされた装束の肩幅のしっかりとした女性が、段上から降りてリセラに駆け寄ってくれる。彼女はアルンの王妃だ。
紛争相手国の人間だから、きっと冷たくされると覚悟していたが、王妃は思いがけないことにやさしくリセラを抱きしめ、慰めてくれる。
けれど涙が止まらない。
彼がいるから、身も知らぬ人々が暮らす異国へ行こうと思ったのだ。異文化の国へ行くことを怖がった者達を置いて、単身で、迎えに来たアルンの人々と、山脈の中にある台地に造られたアルンの王都まで旅してきたのに。
けれど『ディオル』は彼ではなかった。恋した人ではなかったのだ。
自分は何をよすがに、この国で生きて行けばいいのだろう。
不安で寂しくて、リセラは途方にくれて涙を流した。
そんな彼女の頭を、誰かが撫でてくれる。
しかしその感触にリセラは首をかしげた。毛皮の手袋をつけているかのように、妙にもふもふしている。頭頂にたまに当たるのは、痛くはないもののやけにごつごつした感触だ。
自分を抱きしめていた王妃が息を飲む声がする。
何に驚いたのかと顔を上げたリセラは……泣いていたことも忘れて絶句した。
二足歩行の、巨大な兎と言うべきか。熊のような白い巨体に、長い耳をもっている生き物というべきか。草食だというので生物としては兎の方に近いかもしれない。
「兎熊……」
アルンに多く生息している白い兎熊だ。
アルンには、死者が人に生まれ変わる前に神に仕えるためにレパスの姿になるのだという伝承があり、神の使いとして彼らは大切にされている。
そのためどこでも自由に歩き回り、王城の中でもきままに座り込んだり、ひなたぼっこをしている。
リセラを玉座の間まで案内してくれたアルンの宰相や衛兵達も皆、彼らと行き会うたびに律儀に一礼していた。
だからアルンの王城内にレパスがいるのはわかっていたが、なぜに自分を慰めてくれるのだろう。
泣いていたことも忘れて、リセラはぼんやりと自分より背の高いレパスの顔を見上げる。レパスはくりくりとした黒い目で、見つめ返してくれる。
可愛い……。
リセラは泣いていたことも忘れ、思わず微笑んでしまいそうになった。
ややしばらくじっとリセラを見つめていたレパスは、不意に後ろ手に持っていた花をさしだしてきた。
白い房状の花だ。
「くれるの?」
尋ねるとレパスは無表情なまま目を瞬く。そしてさらにずいっとリセラに腕を伸ばした。
どうやらもらっていいらしい。
「ありがとう」
花を受け取ったリセラが微笑む。可愛い生き物に好かれたらしいことが、傷心のリセラにはとても嬉しかった。
その様子を見ていた周囲から、悲鳴があがる。
ついレパスと自分だけの世界にひたってしまったリセラは、我に返った。そういえばここは玉座の間で、自分は入国の挨拶にきたのだということを思い出し、真っ青になる。
慌てて見回せば、花嫁の入国を迎えるために集まったアルンの主立った家臣や、アルンで神を奉じる精霊司達が驚愕のまなざしで自分を見ていた。
おそるおそる視線を転じれば、玉座に座っていた国王が立ち上がっている。
白の装束に赤や緑に青と、華やかな彩色の刺繍で飾られた服を着た壮年の国王は、髪はアルン人らしい淡い金色で、口髭を生やし、肩のがっしりとした偉丈夫だ。その国王までが目を見開いてリセラを見ていた。
(もしかして怒らせてしまった?)
慌てて弁解しようとしたリセラだったが、その前に国王の大音声が響いた。
「なんと素晴らしい!」
「……え?」
「神の使いより、神翼の花を賜るとは!」
国王の言葉に応じたのは、白く四角い帽子に、真っ白な装束を着た精霊司達だった。
「なんと神の寵愛深い方でしょう」
「これほど神の使いに慕われる方は、数年ぶりではないでしょうか」
彼らは口々にリセラを言祝いでくれる。
リセラに何か問題があって驚いたのではなく、レパスがリセラを気遣ったことが、彼らには重要だったらしい。
「姫君を神の使いたる方々も歓迎していらっしゃるとお見受けしました。お輿入れに関しましてもこの上ない吉兆とお喜び申し上げます」
最も年嵩らしい禿頭の精霊司がにっこりと微笑んだ。
吉兆と聞いてリセラはほっとする。花を受け取ったのはとても良い事だったようだ。おかげで敵国の人間だというのに、皆一転してリセラを好意的なまなざしで見てくれるようになった。
結婚相手は恋した人ではなかった。
けれど両国の和睦の証として結婚するのだから、リセラは逃げるわけにはいかない。そうなれば故郷が戦火にまきこまれてしまうかもしれない。ディオルとの思い出の場所まで焼け野原になってほしくない。
そのためにも頑張ろう。
まだ頭を撫でつづけてくれるレパスに感謝しながらもう一度見上げると、レパスは嬉しそうに目を細めてくれた気がした。
そして他に気をとられていたリセラは気付かなかった。
自分を詰ったイルドが、ばつの悪そうな表情をしていたことを。