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勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている  作者: まる
【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている⑤ ~破滅の三大魔獣神~】

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【第十章】 邂逅

8/12 誤字修正

10/3 台詞部分以外の「」を『』に統一

   ~another point of view~



「はっ、可愛いツラして照れちまいやがって。いくら頭が良かろうが中身は見た目通りの初心な少年ってか?」

 脱衣所に消えていった康平が浴場に入る音を扉越しに聞くと、アネットは寝転がっていた体を起こしベッドの上で胡座を掻きながらその方向を見つめた。

 その表情は少し前までの悪戯心に満ちていたものとは違い、優しく慈愛のこもった眼差しへと変わっている。

 ガラリと変わった雰囲気に気付きつつも、隣でそれを聞いていたセミリアは少し言葉を探したのちに言うべきかどうか迷っていた言葉を口にすることにした。

 ジャクリーヌ・アネットという名は自身にとって最大限の尊敬の念を抱くものであったし、そこに康平との信頼関係があることも理解はしていたが、あまり困らせてばかりでいられるのもいい気がしない。

 人が良い康平のことだから本気で怒ったりはしないのだろう。

 頭でそう思ってはいても、リュドヴィック王やロールフェリア王女を始めただでさえ最近は自分以外に頼る者も増え、それでなくとも過去行動を共にした者に奔放な性格の持ち主が多く、そのフォローに苦労している姿を見てきたセミリアにとっては例え誰であっても康平が振り回されているのを見ているとどうにも放ってはおけないのだった。

 特に最近ではサミュエルにその傾向が強くなっているだけに尚更そう感じるようになってさえいるぐらいだ。

「アネット様、あまりコウヘイを困らせないでやってください。無理に傍に置こうとしなくともコウヘイは逃げはしません」

「ははっ、面白れえことを言うじゃねえか。おめえが嫉妬するタイプだとは思わなかったぜ?」

「む……そういう意味で言ったわけではありませぬ。ですが、私とて出会ってからというものコウヘイと信頼関係を築いてきたのだ。私にもコウヘイと共に過ごす権利はある」

「はっはっは、そういうのを嫉妬と言うんじゃないのかねえ。とはいっても、別にお前さんの邪魔をしようってんじゃねえんだぜクルイード? ただ、この姿に戻ってみるとやっぱり色々と思うところもある」

「色々、ですか」

 少しムキになりかけていたセミリアだったが、その言葉の意味を考えようとしたことが感情的になる前に冷静さを取り戻させる。

 アネットはセミリアから視線を外し、窓の外を眺めながら続きを口にした。

「百年だ……あんな髑髏の姿になると決めてから、人じゃなくなってから百年が経った。最初は余生をのんびり過ごすぐれえのつもりで生まれ育った村に保管してもらうことをアタシ自身が望んだけどよ、そりゃあ果てしなく長い時間だったぜ。しかもその百年のうち九割九分はただジッと黙っているしか出来なかった。自力で動くことも出来ず、話し相手もいねえ。そんな時間を百年だ。会話や言葉も、自分が人間だったことすらも何度忘れちまいそうになったことか分かりゃしねえ。腐れ盗賊どもがアタシを持ち出した時は正直ちょっと嬉しかったほどさ。やっと話し相手が出来た、やっと薄暗れえ箱の中から出られるってな。それも結局、話し掛けたところで奴等も気味悪がって近付こうともしなくなったおかげで何の意味も無かったがな。そんな時におめえや相棒がアタシを見つけてくれた。最初は嫌々だったかもしれねえ。だがそれでも、相棒はこんなアタシをずっと傍に置いてくれた。アタシと話をしてくれた。意見も聞いてくれた。助言も求めてくれた。仲間の一人として扱ってくれた。アタシが居なくなると困るとまで言ってくれた。それを除いても、そうなると寂しいってよ……言ってくれたんだ。だからアタシは決めたのさ。人間に戻ったら、前よりももっと相棒のことを守ってやろう、助けてやろうってな。人畜無害な可愛いツラしてるが、お人好しだったり大胆だったり、かと思えば捨て身で何かを成し遂げたり無茶したりって危なっかしいところもあるからよ」

「アネット様……」

「だがまあ、おめえの気持ちも分からないでもねえ。もっとも近くに居るべきは自分じゃねえのかって思ってんだろう?」

「そういうわけでは……いえ、少し違うとでも言うのでしょうか……上手く表現出来ませんが、コウヘイとの付き合いは私が一番長い。同様に共に色々なことをやり遂げたという自負もあるのです。勿論、だからといってコウヘイをどうこうしようというわけではないのですが……」

「少なくとも、自分が一番のパートナーでありたいと思ってる、ってとこか」

「まあ……表現が直接的過ぎる気がしないでもないですが、そうなのかもしれません」

「おめえはちっと遠慮し過ぎなんじゃねえか? ま、それが恋愛感情じゃねえってんならアタシがどうこう言うことでもないのかもしれねえがよ」

「恋愛感情、ですか。そういうものは私には今ひとつ分かりませんが……仲間として誰よりも大切に思っていることははっきりとしているつもりです。コウヘイは私を救ってくれた。アネット様に対してそうであるように、私を必要としてくれる。弱きを救い悪を討つために、誰よりも共にあるべき存在であると思っているのです」

「かかかっ、国士無双の勇者様も色恋沙汰はさっぱりってか? 傍に居ると安心出来るとか、他の男にはない感情を抱いてしまうとか、そいつのガキを生みてえと思えりゃそれが恋なんじゃねえのかね。ま、仲間として、なんて前置きしてるようじゃまだまだだろうがな」

「そう言われると返す言葉もない」

「はっはっは、本気にするんじゃねえよ。ちょいとからかっただけだ」

「まったく……アネット様も人が悪い」

「魔王と対峙するときも、戦争に参加する時も、相棒は言ってたろう。何をするかは大きな問題じゃねえってよ。自分がなぜここにいるか、それは全てにおいてお前の助けになるためだって。心配しなくても相棒にとって一番優先すべきはクルイード、お前の存在だろうよ。今のところは、だがな」

「今のところは、ですか」

「焦る意味もメリットもねえが、うかうかしてるとあっさり取られちまうかもしれねえぜってことさ。アタシや半裸女にしても、団子女にしてもじゃじゃ馬姫様にしても、強引であれ泣き落としであれ相棒を傍に置こうとする女や傍に居ようとする女は多いからな。それはおめえもよーく分かってんだろ?」 

「コウヘイは優しい心の持ち主です。怒ったり呆れたりという理由で人を突き放したり見捨てたりするようなことはしない」

「そりゃ優しさというよりはお人好し過ぎるだけな気もするがね。とはいえ、アタシは別に相棒に恋してるってわけじゃねえさ。傍にいてやりてえし、守ってやるつもりでもいるが、どちらかというと可愛い弟でも出来た気分に近いってもんだ。ま、それも今のところは、だけどな。もしも相棒に『俺の子を産め』なんて言われりゃアタシはあっさり首を縦に振るかもしれねえぜ? あの優男はそんなキャラじゃねえけどな」

 アネットは豪快に笑っている。

 セミリアはそんな康平の姿を想像したのか、釣られて控えめに笑った。

「確かに、コウヘイはそういうタイプではないのでしょうね」

「基本的にゃスーパー受け身だからな。すなわち、モノにしたきゃ自分から動くっきゃねえってこった。そんだけ綺麗なツラして何を遠慮することがある。ウダウダと理屈ばかり探してねえで不意打ちでキスの一つでもカマしてやりゃいいんだよ。そうすりゃ相棒もお前さんを意識してくれるかもしれねえし、その気持ちの正体もはっきりすんだろ。今がこんな時代だからこそ、戦士としても女としても、後悔のない生き方をしていこうじゃねえか」

「不意打ちでキスをすることが正しい方法なのかどうかはさておき、貴重な先輩からの箴言、肝に銘じておくことにしましょう。今はまだ、目の前の危機を乗り切ることで精一杯ですがね」

「相棒はお前の助けになろうという決意で今ここにいる。おめえもアタシを仲間として扱ってくれたんだ。半裸女はあんなだが、戦うべき敵がいるならアタシら三人プラス問題児一人、力合わせてやっていこうじゃねえか。ま、若い二人の邪魔をしようとは思ってねえし、おめえが相棒と一緒に寝る役を代わってくれってんならいつでも譲ってやるから遠慮なく言ってくるといい。からかいすぎて嫌われるのも虚しいし、アタシも程々にしとくさ。相棒はそういうタイプでもねえだろうがな」

 アネットは『よっ』と、ベッドから飛び降りる様に立ち上がり、腕に着けていた装飾品を外してベッドに放る。

 寝る準備でもするのだろうかと思ったセミリアだったが、どうやらそうではないらしいことに気付いてその背に声を掛けた。

「アネット様、どちらにいかれるのです?」

「あん? そりゃ風呂に乗り込むに決まってんだろ」

「今ご自分で言ったことすら全然分かっておられないではありませんか!」

 その後、平然と脱衣所に入っていこうとするアネットを必死になって阻止したセミリアの苦労を康平が知ることはない。


          ○


 サントゥアリオ共和国中央部でスラス攻防が始ろうとしている頃。

 単身拠点であるグリーナ地方を離れ、人里から離れた深く広い静かな森の中を進む一人の男がいた。

 周囲に人気は無く、一頭の馬がパカパカと足を進める音だけが辺りに響いている。

 風が木々の葉を揺らす音を除いて他に聞こえてくるものはなく、生い茂る木や重なり合う葉の隙間から差し込んでいる陽の光が辺りを照らしている四方の景色は不気味というよりもどこか神秘的という表現が当て嵌まる神々しさがあった。

 サントゥアリオ共和国北西部にある主要都市フルトと本城の中間にある国内で一番大きなこの森に名は無く、その大きさもさることながら日の差さない日や時間帯には視界が著しく悪くなること、木々の密集している地点が多く集団での移動に適していないという環境の悪さから王国護衛団(レイノ・グアルディア)の兵士ですら通り抜けようとすることを避けている場所である。

 背が高く、細身の剣を腰に指し、四肢と胸部には黒い鎧を身に着け、顔の上半分だけを鉄製の仮面で覆っているその男の名はフレデリック・ユリウス。帝国騎士団三番隊隊長を勤める戦士だ。

 騎士団の面々は国内最北端にあるグリーナを含め、東西南北に一つずつと中心部付近に二つある計六つの転送魔法陣によってそれらの地点間であれば自由に移動することが出来る。

 それらは本来この国には無いものであり、魔王軍四天王の一人であるバジュラの魔術によって作り出されたものだ。

「…………」

 ユリウスは時折周囲に視線を動かしつつ、ゆっくりと馬を進めていく。

 森を進むことにただ魔法陣の一つが付近にあったという以外の理由はなく、特に目的があってのことではなかった。

 五番隊隊長であるデバイン・ゲルトラウトを始めとする他の団員達はスラスを襲撃している頃だろう。

 こんなことならば気が乗らぬというだけの理由で遠征を拒否し、留守番など引き受けるのではなかったか。

 結局じっとしていることに早々に飽き、こうして偵察という名目で敵との遭遇を求めて放浪しているのだから世話のないことだ。

 一人意味もなく無人の森の中を彷徨い歩く自身を冷静に省みるユリウスの頭にはそんな後悔が浮かんでいる。

 本城に次ぐ兵力を保有するスラス町及びスコルタ城塞への奇襲に興味が無かったわけではない。

 しかし、ゲルトラウトやブラックを始め他の隊の者達と力を合わせて、という雰囲気が性に合わなかったことや撤退前提の戦であることがどうにもやる気を起こさせず、ユリウスは自ら参加を拒否したのだった。

 部下であるアリフレートにもそれを伝えようとしたが、どうやらアリフレートは『そんな楽しそうなことにフレッド先輩が参加しないわけがない』と思い込んでいるらしく、


「先に準備してくるッス」


 とだけ一方的に言い残して慌てて去っていったせいで居場所が分からなくなってしまった。

 わざわざ探し出してまで伝える必要もないだろうと放っておくことにしたユリウスだったが、のちの部下の報告によるといざ集合場所に行って初めて自身の不参加を知ったアリフレートは、ならば自分も行かないと駄々を捏ねたもののゲルトラウトに強引に連れて行かれたということらしい。

 代わりに団長であるクリストフがスラスに向かった以上負け戦になるとは思っていないが、戻ったら戻ったでまた頬を膨らませるアリフレートの相手という面倒事が待っていそうだとユリウスは辟易する。 

 せめてエレナール・キアラとの一騎打ち以来増長し続ける戦闘と殺戮の願望を満たそうと早々にグリーナを離れたものの、忠誠心など欠片もないとはいえ『冥王龍との戦いが終わるまでは自重してくれ』とクリストフに釘を刺された上に一度それに納得した風の返事をしてしまった以上は堂々と反故にして面倒事が増えるのも煩わしい。

 だからといって大人しく指示や命令に従う柄ではないユリウスは王国護衛団であれそれ以外の何者かであれ偶然(、、)敵に出会すこともあるだろうとこうして人気のない森を一人進んでいくのだった。

 しかし、そんな目論見が簡単に実を結ぶことはなく、人の立ち入りが無い森であることを知らないユリウスは誰と遭遇することもないままただ奥へ奥へと薄暗い森で足を進める。

 ふと、何者かの声が聞こえてきたのは無駄足だったと悟り、引き返すことを考え初めた時だった。

 微かではあるが遠くから確かに声がする。

 それが女の物であると判断したユリウスはその正確な方向を探るべく左右を注意深く見渡したが、木々のせいで見通しが悪く誰の姿も捉えることは出来ず、それどころか気配も感じられない。

 そもそも会話をしている声が聞こえる距離ではないだろうと耳を澄ませてみると、どうやら右前方から聞こえてくる声であることが把握出来た。

 同時に、聞こえてくる声が歌声であったことも把握する。

 なぜこんな森の奥深くで歌声が聞こえてくるというのか。

 エルフでも住み着いているのか?

 頭を過ぎるそんな疑問の答えは見つからなかったが、ユリウスはその何者かの下へ向かうことにした。

 そのまましばらく声のする方向へと進む。

 まず目に入ったのは小さな建物だった。

 屋根の上に十字架が掲げてあるところを見るに、教会だと推測される古く廃れた建造物だ。

「教会……だと?」

 こんな場所で歌声を聞くことよりも一層不可解な目の前の建物に、ユリウスは思わずその疑問を声にして漏らした。

 なにゆえ人の一人も通らぬ森の中に教会があるというのか。

 どうにも不審に思うユリウスだったが、歌声がその建物の中から聞こえていることは紛れもない事実だった。

 大きくもなければ真新しい建物というわけでもない。

 中に居るのはどんな奴だと馬から降り、ユリウスは正体不明の教会らしき建物へとその足で近付いていく。

 いつでも腰の剣を抜けるように警戒しつつ両開きの扉へ近付いていくと、聖歌や賛美歌の類と思しきらしき綺麗な歌声がピタリと途絶えた。

 同時にユリウスも一度その足を止め、冷静に分析する。

 こちらの存在に気付かれたか?

 であれば、少なくともただの歌い女(うたいめ)というわけではなさそうだ。

 馬の足音のせいという可能性もあるだろうが、いずれにしても攻撃されることも十分にあり得る状況か。

 例えそうでなかったとしても、ガナドルの血を引いていた時点で殺すことは確定しているがな。

 最終的に出した自身の結論に思わずニヤリとし、ユリウスはその扉に手を掛けた。

 傷んでいるのか、ギィィーと音を立てて開いた扉の向こうには外観の通り教会堂として使われていることが一目で分かる光景が広がっている。

 天井は高く、扉から祭壇まで続く身廊には赤い絨毯が引かれており、壁にはステンドグラスが並んでいる。

 発光石が備え付けてあるものの数が不十分なのか到底明るいとは言えない灯りがどこか外に広がる森と同じ薄暗さを感じさせた。

 そして、ユリウスの視線の先には一人の女が居る。

 祭壇の前に跪き、手を組んで祈りの体勢を取っている何者かは背を向けたまま後ろを振り返ろうともしない。

 歌声の主であろうことは理解したが、そんな何者かの態度にユリウスの疑念はより深まった。

 少しの間を挟み、見るからにか細く丸腰の女に気後れする理由などないと結論づけたユリウスはその背に近付いていく。

 カツカツと足音が反響する中、手の届く距離まで来て立ち止まったところでようやくその何者かは立ち上がり、振り返った。

 修道服を着ている、金色の髪の三十にも満たない年齢の女だった。

「このような場所に人が訪れるとは珍しいこともあるものですね。これも神のお導きでしょうか。貴方も祈りを捧げにここへ?」

 シスターらしき女はにこりと笑ってそんなことを言った。

 警戒心が無いはずがない。

 そもそもこの風貌を見て恐れぬ者がこの国のどこに居るというのか。

 どこまでも不可解な女だと、ユリウスは少し苛立った。

「フン、俺の姿を見て信仰深い人間に見えるのか? めでたい女だ。お前は誰だ、こんなところで何をしている」

「おめでたいとは酷い言い草ですね。私の名はマーシャ。シスター・マーシャです。何をしているかと言われると、見ての通りシスターをしているとしか答えようがないのでしょうね」

「こんな森の中で一人シスターをやっているとでも言うつもりか? 笑わせるな」

「祈ることに場所など関係ありません。いつかこの国に、この世界に、平和な未来と争いの無い時代がやってきますようにと、私は毎日祈っていますから。ところで、貴方は護衛団の方ですか? 怪我をなさっているようですが」

 ユリウスの両腕に未だ残る火傷の跡や小さな傷を見て、マーシャと名乗ったシスターは手を差し出した。

 その腕に伸びる手をユリウスは乱暴に払い除ける。

「気安く触れるなガナドル民族風情が。俺は帝国騎士団の一員だ。分かるか? お前の言うこの国の平和を壊し、未来とやらを地獄に変えるためだけに存在する復仇の凶徒こそ今お前の目の前に居る男なのだということが」

 ユリウスは馬鹿にし、嘲笑うかのような態度で言葉を返す。

 マーシャは一瞬驚いた表情をしたものの、その顔色はすぐに悲しそうなものへと変わる。それでも、ユリウスから目を反らすことはなかった。

「そうですか……今この国は戦争の最中だと聞いています。何年経っても、この国は変わってはくれないのですね。貴方がその中に加わっているというのが事実であれば、悲しいことです」

 シスターは払われた手を再びユリウスの腕に手を伸ばす。

 それが理解の悪い愚かな女だという印象に拍車を掛け、怒鳴りつけながら再度その手を振り払おうとしたユリウスだったが、その前に大声を上げたのはマーシャの方だった。

「動かないで!」

 突然の大きな声にユリウスの動きが止まる。

 不意の出来事に怒鳴りつけ、腕を払う行為こそ打ち消されてしまったが、それを理由に警戒を疎かにするほど愚かではない。

 いつでも武器を抜く心構えを維持したまま、ユリウスはその手が己の腕に触れるまで敢えて動かないことにした。

 振り払おうと思えば簡単に出来ただろう。

 しかし、自身が帝国騎士団の戦士であると知った上で何をするつもりかと興味が湧いた。

 少しでも魔法なり武器なりを使い、攻撃の意志を見せた瞬間腕を切り落としてくれる。そんな別の楽しみを密かに思い浮かべながらユリウスはマーシャの動向を黙って見守る。

 しかし、マーシャの次なる行動はユリウスの想定した結果のいずれにも当て嵌まらないものだった。

「何を……している」

 マーシャの手が光を帯びる。

 その目に映ったのは治りきっていない傷や火傷の跡が消えていく己の右腕だった。

「こう見えても回復魔法だけは扱えるんですよ。それなりに努力もしましたけど、おかげで上級魔法レベルには達していると思いますわ」

「そのようなことは聞いていない……なぜお前が俺の傷を癒そうとするのかと聞いている!」

 腕の傷がほとんど治りかけたところで、ユリウスは再び腕を振り払う。

 情けを掛けられているような気分が急激に頭に血を上らせた。

「この国の争いに一方的な善悪が存在しないように、戦によって傷付き、倒れる人間にも区別などありません。さあ、もう片方の腕も出して」

「黙れ……俺を挑発しているつもりか。そうやって狂った振りでもしていれば死なずに済むとでも思っているのか。ガナドルであるというだけで俺にはお前を殺す理由があることを理解しろ頭足らずの女めが」

「初対面の相手に向かって狂っているだとか頭足らずだなんて、失礼な方ですね貴方は。殺す理由も、殺される理由も誰にだってあるものではありません。無意味な殺生はおやめなさい。私一人を殺したところで貴方の何かが変わることはない」

「ならば変わるまで殺し続けるだけのこと……今までそうしてきたようにな」

「奪うことではなく、奪われることを思えばいつしか憎しみも薄れていきます。貴方の傍にも貴方を想い、愛する者が居るでしょう。その誰かを失った時、どれだけ悲しい気持ちになるかを分からないわけではないはず。憎む心よりも思い遣り、愛する気持ちを大切にすればいつかきっとこの国の悪しき風習も消えてなくなると私は信じている。いつかその思想を広め、少しでもこの国を救う手助けになることが出来たら私がここに居る意味もあるんじゃないかと思っているのです。今はここでシスターをやることで精一杯ですけどね」

 マーシャはもう一度にこりと笑った。

 その屈託のない笑顔と、過去に出会ったことのない思考回路を持つマーシャの言動にユリウスの心は酷く乱れる。

 なぜこの状況で笑っていられる。

 なぜこの俺を見て恐怖しない。

 今この場であっさりと死ぬことになる可能性を、なぜ想定しない。

 理解不能な言動ばかりの目の前の女に対し、ユリウスはこの場で排除しここで起きた全てを無かったことにしようと決めた。

 未だ躊躇う様子もなく『さあ、左腕を』と、手を差し出してくるマーシャに、腕の代わりに腰に指している剣を繰り出してやろうと手を伸ばしかけた時、近くに何者かの気配がすることに気が付いた。

 気配を殺しているのか一つ一つは小さな気配であったが、十を超える数であることが分かる。

 ユリウスは剣を握ったままマーシャから視線を外し、注意深くその気配を探りながら問う。

「お前一人ではないな……仲間を忍ばせているのか? いや、それにしてはあまりに微弱すぎる……」

 気配を殺しているわけではなく、単純に全ての気配がただ小さいだけであることを察知したユリウスはその理由を思考する。

 怪我や病気によって生命力の低下している人間か、或いは子供か。

 弱々しくも確かに感じる複数の人の気配から導き出したユリウスの答えの正誤はすぐにマーシャの口から明かされる。

「子供ですよ。一応貴方が何者でどういう理由でここに来たのかが分からない以上は危険性も考慮して隠れるように言ってあります。私はここで行き場の無い子供達の面倒をみているもので。戦によって親を失った子供を、流れる血や目の色で迫害されてしまう子供達を分け隔て無く、共に生活し大人になっていけるように」

「フン……自己満足の偽善だな。何がシスターだ、やっていることは都合の悪い事実や現実から目を反らし、綺麗事と理想論を語るばかりの似非平和主義者でしかない。いかにも腐りきったこの国の産物らしいことだ」

「仮にも女性に対して酷い言い草ですね。と、言いたいのは山々ですが、もしかすると貴方は人を見る目があるのかもしれませんね」

「……何が言いたい」

「貴方の言う通り、これはただの自己満足なのです。元々シスターでもなんでもない私がこの国とこの国の未来のために何かをしている気になりたかった、ただそれだけの意味しかない。たった一人で何が出来るだろうと国を渡り歩いた結果、この場所に行き着いたというわけです。子供達の面倒を見ているのも、毎日欠かさずに祈りを捧げていることも、人から見れば大した意味の無い行為なのかもしれません。それでも、いつか意味を持つことを信じて続けている。続けようと決めた。それだけのことなんですよ」

「……治癒能力を持っているのであれば国にでも仕えればいいだろう。お前の言う傷付き倒れる者を救うことが出来るはずだ。この腐った国のためだと言うならば、こんなところでガキを育てることよりも余程役に立つと分からぬはずがない」

「歌うこと、祈ること、そして少しの傷を癒すということしか出来ない今の私がこの大きな国に必要だとは思えませんから。傷は癒せても、病んだ心を癒すにはあまりに力不足。ここで子供達を守り、ごく稀に尋ねてくる人と共に祈りを捧げることでいっぱいいっぱいというものです」

「そんな理由で敵である俺の傷を癒すというのか。今ここで俺に殺されることはないと高を括っているのか? ならばそれは間違いだと言っておく」

「高を括っているわけではありません。ですが、貴方は今に限ればそういうつもりもないでしょう。顔を隠していても分かります。貴方はきっと、本当は心優しい人間。無理をしていることが、心を殺して武器を振るっていることが、微かながらも感じられる」

「この俺に……知った風な口を効くな!」

 そんな怒声が響いた瞬間、マーシャの金色の髪がパラパラと辺りに舞った。

 ユリウスは瞬時に剣を抜き、目の前に立つマーシャの顔面付近に鋭い突きを放っていた。

 その一撃は辛うじて体に触れることはなかったが、肩口を通過した切っ先がマーシャの髪を掠めたのだ。

 しかしそれでも、マーシャは恐怖することも、悲鳴を上げることもなく、落ち着いた表情で真っ直ぐにユリウスの目を見たままだった。

「俺は何百ものガナドルを殺した……俺が騎士団に居るのはこの国の人間を一人でも多く殺し、この国を地獄に変えるためだ。俺はそのために生きてきた。貴様がどれだけ悠長な振りをしていようとも、そうなるまでにそう時間は残っていないぞ……それでも、同じことが言えるか」

「言えますとも。戦争という愚かな行為を嘆く気持ちは常にこの心にある。私には戦争を止める力などない。だからこそ、せめて平和と安寧を祈り、目の前で助けが必要な者にぐらいは手を差し伸べてあげたいのです。今は神のご加護をお借りしている立場であれど、その気持ちに嘘偽りはありませんから」

「…………」

 ユリウスは返す言葉を模索したが、どうにも頭に浮かぶ数々の批判と軽蔑を適切に表現する言葉が見つからない。

 己の怒りや憎しみをぶつけても、声を荒げ脅したとしても、この女は変わらず同じ様な事を冷静に述べるのだろう。

 ならば当初の予定通り殺してしまえばいい。それで全て終わりだ。

 一瞬脳裏に浮かんだそんな結論を体現しようとしたユリウスだったが、剣を持つ腕に力を込めたところでその腕はそれを実行するべく動きはしなかった。

 今この女を殺したところでこのもやもやと心に残る一方的な敗北感が増長するだけに終わることを悟ってしまったからだ。

 ここで殺せば生涯この不可解な負け犬気分を記憶の片隅に残して生きていく羽目になる。

 それどころか殺すことでその度合いはより強くなるだろう。

 それはまるで、負けたくないからという理由で勝負を途中放棄しようとすることと同じではないのかと思えてならなった。

 同じ騎士団の人間を除き、殺した者の勝ちという概念が当て嵌まらない誰かと向き合った経験など過去に無く、その選択が勝負から逃げようとしているだけではないのかと思ってしまってはその右腕が狂気を向ける先を取り戻すことはない。

「フン……精々好きなだけ無意味な祈りを続けていろ。それを証明するために、俺は修羅の道を進む。存分にこの国が滅びゆく様を見届けるがいい」

 ユリウスは剣を収め、吐き捨てる様に言って背を向ける。

 敵を、気に入らない者を、無関係な全ての者を、生かす理由も殺さない理由もないという主義の下に斬り続けてきたユリウスにとって、殺すべきかそうでないのかを迷ったのは無意味に喧嘩を売ってくることを覚えたばかりの頃のレイヴァースを除けば初めてのことだった。

 殺すことが正解か、殺せば負け犬に成り下がるのは己となるのか。

 その答えを見つけることが出来ず、結局はその場を去ることで答えを出すことを放棄するほかなかった。

「それは是非考え直していただきたいですね。奪い、奪われることを繰り返すばかりでは何も変わらない。貴方がそれに気付いてくれる日が来ますようにと、日々のお祈りの中に加えておきましょう。また傷を負った時や神のご加護が必要となった時には尋ねておいでなさい」

 その背に投げ掛けられるそんな言葉に返事をすることもなく、ユリウスは去っていく。

 力に屈さず、不可解な思考回路を持った見知らぬ女に対する苛立ちと屈辱感を確かに心に残して。



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