【第三十七章】 万端
その攻撃の瞬間、言葉では表せぬ違和感と本能や直感が告げる嫌な予感が同時に頭を過ぎったのは僕も全く同じだった。
だがクロンヴァールさんの咄嗟の制止も間に合わず、魔法の矢は既に正面で炸裂し大きな爆発を生んでいる。
数秒ののち、砂埃や煙が舞う惨状を目に遅れてリズが振り返った。
「急にどうしたってんだよ御姫?」
「どこかおかしいぞ……」
「ああ? 何をワケのわかんねえことを……」
「姫様、あれを」
徐々に煙が晴れていく。
誰もがその先に視線を向ける中で、アルバートさんがその奥を指差した。
そこには最早予測の範疇にある光景はない。
今まさに地面の土が盛り上がり、人の形を成そうとしている土人形がどういうわけか複数が三か所で寄り集まり、密集し、密着し、まるで粘土の様に混ざり合ってやがて一つの個体へと変わっていくのだ。
やがて出来上がったのはまるで土の巨人。
他の多くとは全く違う、数倍の体積を有した巨大な土人形が今まさに完全な人型となって横一列に並び立とうとしている。
その姿はただただ不気味で、高さだけでも三メートルはあり、殴れば崩れる個体だったとは思えない程に頭部、胴体、四肢の全てが太く、見るからに頑丈で強固そうな土の巨人が三体、ノームの前で立ち塞がっている状態だ。
それだけでもただならぬ事態だというのに、攻撃し相手を破壊することが必ずしも戦況を好転させるわけではないというこれまでの戦いから安易に手出しすることも出来ず、一連の動向を見守る僕達の前で土の巨人の一体がノームを飲み込んでいくではないか。
土の鎧とでも言えば分かりやすいが、実際はそんな表現すらも生温い怪物だと言えるだろう。
足下からノームを飲み込んでいった巨体は完全にノーム自身と一体化しており、上は肩口から両腕を完全に覆い、胸元から下は足まで全てが土の巨人その物へと変貌していて生身なのは首から上ぐらいだ。
「おかげでこちらの準備も整った、これこそが我が門の真髄だ!」
ノームの大きな声が響き渡る。
戦局は一気に様変わりし、三メートルもある土の巨人が二体にそれを身に纏ったノーム、そして何ら変わらず前方を埋め尽くす土人形の群れ。
それらを相手にしなければならない現実が、ただの土人形でさえ対処法が見つかっていないというのにという嘆きに似た感情に上乗せされていく。
のだが、言うまでもなく周りの人達はそんな感じでもなさそうだった。
「ま~たトンデモねぇもんが出て来たなオイ。数だけの雑魚だっつー前提はどうなんだこりゃ」
ある意味ではこの状況を生み出した張本人とも言えるリズは、悪びれるどころかやれやれと首を振りながら『ここまでくると笑えてくるぜ』とか言っている始末。
これもまた言うまでもなく、他の三人は動揺する素振りこそなくともここまで楽観的な振る舞いをしたりはしない。
「覆ったと見ていいんだろうが……おかげでってのはどういう意味だ?」
「先程までに比べて土人形の数が減っている。見たまま複数体を合体させたと見るべきだろう。そしてこちらのおかげだと口にするからには不用意に倒してしまったことが関係しているというわけだ」
「単なる復活ではなく合わせて巨大化させた上でそうした、と?」
「所詮は当て推量だが、それ以外に考えようがあるまい。土人形の数はどうなっている」
「八十五です」
視線を右往左往クロンヴァールさんとハイクさんの会話に横から口を挟んだ。
戦うこと以外が僕の仕事。
取り乱せる空気でもなければそういうキャラでもないのなら、僕がやるべきはそれを全うすることだけだ。
「数えていたのか」
「総数が減っていることにはすぐに気づきましたので。数としては十五体減っていて、巨大化したのがノームを含めて三体。単純計算で巨体一つに五体ずつだと考えられます。ですが、こちらの攻撃が条件であるにせよ明らかにそれ以上の土人形を倒しているはず。となると上限が三体ということなのでは」
「なるほど、納得のいく話ではある。だが結局はそれも……」
「はい、ただの憶測にすぎません。ですがそれを言い出してしまえば百体という前提すらも事実であると確認する術がありません」
「どうあれひとまずはその体でやるしかねえってことか。だがあのサイズと重量感じゃ今までみたく簡単にぶっ壊すのは難しそうだ。まるでゴーレムだぜ」
「大昔に存在した遠隔魔導兵器、か。確かあれは岩で出来てるという話だったけど……」
「んなどーでもいい話は後でやれボケ共。いよいよ数だの戦力に優劣なんざなくなったわけだが、どうするよ御姫。こなりゃ戦略もクソもねえぜ?」
「そうらしいな。ノーム本体を倒さねばどんどん状況は悪くなる、ダンとアルバートを加えて四人で仕留めに掛かるぞ」
「了解だ」
「同じく」
「奴は準備は整ったと言った。つまりは……」
「こっからは野郎も攻勢に出るってことだな。面白くなってきやがった」
「……何がどう面白いんだ?」
馬鹿じゃねえのか?
ぐらいのニュアンスでハイクさんがジト目を向けるもリズが気にするはずもなく。
全員が攻撃に出るべく横並びになる中でも一人だけ一歩前に出てノームに向かって中指を立てていた。
それに反応してというわけではないだろうが、そこでようやくノームが言葉を発する。
「方針は決まったかね? ならば雌雄を決するとしよう。後ろの子供二人は動かぬことだ、戦いに加わるつもりがないのであれば殺しはせん」
「はぁぁ!? やいオッサン! クリスを子供扱いとはふてえ野郎めですっ。こう見えてもクリスは……」
「おい、やめとけユメ公。話が進まねえから大人しくしてろ、分かったか子供」
「誰が子供かー!!」
「うるせえぞガキ。おめぇはちゃんとダーリンの身代わりやってろ。うちの旦那に何かあったら髪の毛燃してツルッパゲにすっからな」
「お前の方が年下だろがー!! です!!」
敢えてふざけて見せているのか普段通りなのか、ハイクさんとリズに続けて額を突かれ憤慨するユメールさんはもう緊張感がどうとかという問題ではない気がしてならない。
同じ感想なのかは不明だが、今ばかりはクロンヴァールさんやアルバートさんも割って入ったり宥めたりはしなかった。
ただ一歩二歩と前に出て、味方への指示に続けて一貫してこちらの作戦会議中には手を出してこないノームに真意を問う。
「お前達は出来ることを全力でやれ、代わりに私達が奴を仕留める。さて大地の神よ、律儀も結構だが度が過ぎると侮られている様に感じるぞ」
「侮っているわけではない。ただこれより先は命の奪い合いとなると理解しているだけだ」
「ならば我々の覚悟も理解しているということだろう。今更どちらが善だの悪だのという話をするつもりはない。必要なのは貴様を討ち、先へ進むという結果のみだ。正義感などという着飾った言葉ではなく二度と負けぬと決めた我が信念のため大いに糧となり、ついでに道を開けてもらおう」
「全身全霊で受けて立とう。使命感などという与えられた意義ではなく、この地を守ると決めた己の誓いに懸けて!」
大きな声を最後に、戦いの口火が切って落とされた。
まるでそれが合図であったかの様に目の前を埋める土人形達が一斉にこちらに向かって動き始めている。
真っ先に反応したのはリズだ。
素早く杖を構えたかと思うと、土人形の頭上を通す軌道で薄白い魔法の矢をノームに向かって発射する。
土の巨人と一体化していることで胸部の辺りに位置する高さで迫る矢を難なく片腕で払い除ける様を見るにやはり強度や硬度が格段に上がっていて、ノーム自身もそれを強みとしている自覚があるからこそ当初の様に土の壁や盾を用いずに防いで見せたのだろう。
だがリズとて離れた位置から攻撃を仕掛けていながら防がれることを予測していないはずもなく、薙ぎ払われた魔法の矢はいとも簡単に原型を失い、次の瞬間には一帯を白い煙で埋め尽くそうとしていた。
つまりは元より攻撃の一手ではなく、煙幕を張るための先制だったのだ。
なるほど、あの土人形達がノームの意思で動いているのならば視界を遮断することで不具合が生じるはず。それが狙いか。
「行くぞ!」
ノームの上半身が煙に覆われると同時に、すかさずクロンヴァールさんの号令が飛ぶ。
我先にとクロンヴァールさんが中央へと突撃し、そのすぐ後ろをリズが、少し間をおいてアルバートさんとハイクさんがその背中を追った。
先頭のクロンヴァールさんは土人形の合間を縫って右側の巨体へと向かっている。
ノーム本体を除けば最も厄介なあれを先にどうにかしてしまおうという算段なのだろうか。
未だノームは煙の中で動く気配を見せていない。
しかし、土の巨人は的確に目の前へ迫るクロンヴァールさんへと右拳を繰り出していた。
すかさず剣を盾代わりにガードしたものの、必然動きは止まる。
それでいてあの重量感に溢れる太い腕による殴打を受けて弾き飛ばされずに耐えているのだから凄まじい身体能力だ。
剣が薄く光を放ったあたり、やはりあれも対物理障壁とやらを用いているのだろう。
とはいえ防いで事なきを得たと言える状況ではないことも確かな現実で、あの巨体がそうである様にノームの視界を塞ごうとも『敵を攻撃せよ』程度の指令が働くことは既に明白。
その証拠に素早い動きではないながらも通常サイズの土人形もぞろぞろと四人の元に集まろうとしている。
「離れろ御姫っ! 二連星!!」
拳を防御するなりカウンター気味に胴体を切りつけているクロンヴァールさんだったが、やはりこれまでとは密度だとか圧縮度みたいな概念に大きな差があるらしく一筋の浅い傷が刻まれただけで成果はほとんど得られていない。
その様を見てすぐさまリズが魔法による援護射撃に出ている。
呼び掛けてから放つまでの時間があまりに短くはないかと若干ヒヤリとしたもののクロンヴァールさんは俊敏な動きで数メートルの距離を置き、手足の届く位置から離れた標的を追おうと体の向きを変えたところで二本の魔法の矢が土の巨人の顔面へと炸裂した。
時間差で到達した魔法はツインと名付けられていることからも分かる通り二重の効果によって大きな爆発が巻き起こし巨体の半分以上を炎で覆っていく。
最初の矢が接触と同時に土の巨人の顔面を隠しきる程の炎へと姿を変え、一瞬遅れて到達した二つ目の矢がその炎に反応するかの様に大きな爆発を生み出したのだ。
今まで見た物と目の前の現象から推察するに、炎の魔法と爆発の魔法を時間差を付けて打ち出すことで誘爆に似た原理によって爆発その物の威力を増長させたといったところか。
大きな爆炎が周囲を赤く染めると、比例して強い爆風が起こりすぐに白い煙が晴れていく。
見た目通りに魔法の威力は絶大で、中心にいた土の巨人は頭部が丸々消し飛んでいた。
あれだけの威力がある魔法をぶつければ巨体の方にも通用する。
その点に関しては光明にも思えたものの、しかしながら頭部を失った状態でも土の巨人はクロンヴァールさんの方へと迫ろうとしていた。
「ちっ、生物じゃねえから顔面吹っ飛ばしても意味がねえ!」
だからこそ魔法の矢による攻撃を選んだ側面もあるのだろうが、土人形に包囲されているせいで少し離れた位置にいるリズの怒り混じりの声が全てだった。
まさにその言葉の通り。元から生命体ではないがゆえに、脳も心臓も存在しない。
だからこそ頭であろうと胴体であろうと一部を破壊、欠損させたところで動きは止まらないのだ。
他の土人形と同じく完全なる破壊か、せめて脚部を破壊しなければ指令に従い続け、その上それが出来たところで時間を与えてしまえば蘇る、まさしく無敵の兵隊。
それをノームの目を眩ましている短い時間で打破しなければならなず、なおかつノームに対する有効な攻撃を繰り出さなければならない。
どれだけの難解な勝負を強いられているのかという話である。
ではどこに突破口を見出すか。
今の僕が出来るのは、やらなければいけないのは、どんな小さな糸口でもそれを見つけ出すことだ。
そのためには少々共に過ごした時間や相互理解のために交わした会話が足りていない気がしてならないのだけど……。
「姉御!!」
視線を右往左往させながら考えること数秒。
今度は反対側の巨体とやり合おうとしていたハイクさんの大きな声が響き渡った。
直前に両手で五本のブーメランを放ったところまでは目で負えていたのだけど、リズの魔法に意識を奪われてその結果や効果までは把握出来ていない。
一瞬ハイクさんの視線を移し、今一度全体図を見渡したところで全てを理解した。
上空数メートル、ハイクさんの五つのブーメランが通った軌道であると思しき位置に同じく五つの赤く光る点が浮いているのだ。
「よくやった、五芒錠縛!!」
すぐさまクロンヴァールさんが両手で握った剣の先を真上に向け、胸の辺りまで持ち上げると発動の詠唱を大きな声で叫んだ。
その刹那、地面がほんの一瞬だけ光を放ち、同時に上空に赤い線で描かれた五芒星が浮かび上がる。
かと思うと突如として土人形の群れがぎこちない機械の如くカクカクとした動きに変わっていった。
「あれは……確か天鳳の時に使っていた」
全く同じ光景を見た記憶が蘇る。
不死鳥と戦ったあの時に二人が使っていた魔法だ。
確か動きを封じる効果がある、とかと言っていたっけか。
「ふふん、五芒錠縛というダンとお姉様のコンビ魔法です。あれを使うためにダンのブーメランには魔石が埋め込まれているです」
隣で何故かユメールさんが鼻高々とばかりのドヤ顔を浮かべている。
それ自体は前にも見たから理解はしているけれど、聞きなれない単語が一つ。
「魔石? というのは?」
「魔源石を凝縮した感じの……よく理屈は分からんですが、魔法の武具を作る時に使う感じのやつです」
……説明のクオリティーが酷いな。
「いまいちピンとこないですけど……とにかく動きを抑制、制限するみたいな効果ってことですね」
「それだけ分かっていれば十分ってもんです」
「でも、皆さんが中にいるのに発動してしまって大丈夫なんですか?」
「対魔王軍用の奥の手みたいな術で最初から人間には効果がない魔法だから心配は要らんです。といっても相手も相手で生物じゃないだけに完全ではないだろうがな、です」
「なるほど……」
それでも動きが鈍くなっているのであれば十分か。
問題はノームに対してどうかだけど、それ以前からほとんど自分が動いて攻撃をする機会が無いので外から見ている分には効果の程が全く把握出来ない。
それを承知の上で何らかの確証があってのことか、絡繰りみたいな動きになりながらも近くにいる人間に迫ろうとする土人形の間をすり抜ける様にノームに突っ込んで行った。
更に言えばその脇ではハイクさんが戻って来たブーメランをキャッチするなり大きな方のブーメランを巨体に叩き付け、続けてアルバートさんも何か技名らしきを叫びながら足に斬り付けることで右腕部と左脚部を破壊するに至っている。
視線が別にあるため曖昧にしか聞き取れていないが、何とかリョウザン? みたいな言葉が聞こえただろうか。
その視線を一瞬戻してみるともう一体の巨体は片足片腕を粉砕されており、前のめりに体勢を崩していた。
そしてクロンヴァールさんは難なくノームに近付いて行くと、突きの構えを取りながら高く飛び上がる。
例え生命体でなくとも操られて動くのならば身に纏っていても影響無しとはいかないのか、ノームはどこか重々しい鈍い動きでありながらも左手を差し向けた。
土の装甲を纏った大きな土製の拳と斬撃波が衝突する。
打ち出した構えや体勢からするにオーガ戦……だけではなく他にも目にした機会はあったのだがとにかく、所謂強化版斬撃波であるという穿撃という技だったのだろう。
そのぶつかり合いにどれだけの勝算があったのかは定かではないけど、流石は強さも美しさも世界一と呼ばれるだけの剣技。
斬撃波を打ち消すのみならず打ち手のクロンヴァールさんに対する盾をも兼ねる大きな拳は肘に当たる部分までを爆砕してしまった。
それはつまり動きを制限し、クロンヴァールさんに限らず威力の大きい技や方法で攻撃すれば巨体が相手であっても太刀打ち出来るということの証明でもあるということだ。
今この時、確実にこちらが押している。
そんな薄っすらとした希望の光は、しかしながら即座に覆される。
相手の対抗手段を奪ったクロンヴァールさんは再び加速し、ノームの目と鼻の先まで迫っていた。
だが、その体が不自然に動きを止め、宙に浮く。
「このノームを侮るでないわ!!」
伝わって来る情報はそんな大きな声だけだった。
見て分かるのは肘から先が無くなった土の腕を向けたままだということぐらいだろうか。
いや、それにしてはクロンヴァールさんの体勢がおかしい。
両腕を腰にピタリとくっつけ、まるで何かに縛られているかの様に見える。
「あれは……」
目を凝らしてみて、ようやく理解に至った。
無くなった腕の先からクロンヴァールさんの体まで薄っすらと何かが伸びている。
これまでの状況や見聞きした物を踏まえて考えるに……あれは砂?
粉砕された土の塊が砂へと変わり、それを操って人を持ち上げているのか?
そんなことが可能ならもう滅茶苦茶だぞ……。
「姉御!」
「姫様!」
僅かに遅れて気付いたアルバートさん達が目の前の敵を無力化するのを諦めすぐに援護、救出に走る。
が、魔法を使わない以上は物理的な攻撃や斬撃波といった類いの方法でノームの意識を自分達に向けさせようとしたのだと思われる二人の特攻は数メートルにまで迫ったところで阻止されてしまった。
今度は破損などない右の腕が、同じ様に形を失いただ薄っすらと浮かぶ砂の群れによって、掴まれている状態なのか縛られているという表現が近いのか揃って驚きと微かに苦しげな声を上げ宙に持ち上げられている。
「あんの役立たず共めっです!」
「ちょ、ユメールさん!」
慌てて声を掛けるも届くはずもなく。
ユメールさんは制止を無視して無防備にも土人形の群衆に向かって走り出していた。