【第三十二章】 総力戦
胴体からすっぱりと分断された臀部に生えている蛇の片割れが舞い落ちると、コカトリスはもう一度甲高い耳を劈く悲鳴の様な鳴き声を残して上空へと飛び去っていく。
体当たり攻撃や苦し紛れの蛇による襲撃に対し、どうにか事なきを得たとはいえあの巨体と相対するには至近距離過ぎて窮地を脱したとは言えない状況だっただけにあちら側から遠ざかって行ってくれたのは心底ありがたい。
「姫様!」
何がそうさせたのかは僕達の目の前を通り過ぎて行ったそれを見るに明らかではあったが、直後には確証を決定付ける大きな声が入り口の扉の方から聞こえていた。
反射的に視線を向けると声の主であるアルバートさんに加えハイクさんとリズがこちらに駆け寄ってきている。
助けてくれたことへの感謝も勿論のこと、向こうも無事にパズズとかいう化け物を倒して誰一人欠けずに合流出来たのだという認識にまず安堵の息が漏れた。
すぐに近くまで走って来ると、すかさずアルバートさんが肩を抱く様にしてクロンヴァールさんを立ち上がらせる。
この人達の忠誠心や女王を中心とした結束力の強さは誰もが知るところだ。
やはり例外なく主君を案じる気持ちが何よりも上に来ているんだなぁと場違いなことを考えていた僕だったが、一人だけ違う人がいた。
「ダールィィィィィン!!」
とかと叫びながら僕の方に突っ込んでくるリズである。
制止を呼び掛ける暇もなく、ある意味こっちもこっちで体当たりさながらに飛び付いてくるその体をどうにか転倒しない様に受け止めるも、本人はテンションが上がり過ぎて無茶をしていることに一切気付いていない。
「無事だったかー! ったく、心配させやがってこんにゃろ」
素直に、本心から僕を心配してくれていて無事を喜んでくれているのは表情や声から伝わってくるし、それに関しては僕だって素直に嬉しく思う。
そして同じぐらいこのグループのリーダーであり一国の王であり主君でもあるクロンヴァールさんを一瞥もしないことに若干先行きが不安になりつつも、キスしようと口を近付けて来るのを必死に押し返すというよく分からない状況だった。
「リズも、無事でよかったよ」
とは言ったものの、額の辺りには血が滴った跡がある。
よく見るとハイクさんも頬に血が流れているし、あちらもあちらで相当な激戦を終えて来たのだろう。
「つくづく珍しいもんが見れる日だな今日は。まさか姉御が膝を突くとはよ」
アルバートさんの力を借りてクロンヴァールさんが立ち上がると、戻って来たブーメランをいとも簡単に片手でキャッチしたハイクさんが特に嫌味っぽさを感じさせない台詞を挨拶代わりに肩を竦め、やれやれと首を振った。
普段からこんな関係性ということもあってクロンヴァールさんも軽口に気を悪くしたりはしない。
「生憎と攻撃を受けてこうなったわけではないがな。何やら奇妙な魔法を使うぞ、いきなり足が石にでもなった様に動かなくなった」
「お二人がそうなる直前にコカトリスの目が光っていました、あれがきっかけだったと見るべきですよね」
上空を旋回する怪鳥を見上げながらの状況説明を横から補足しておく。
確証を得るだけの根拠があるかと言われると微妙なところではあるけど、それ以外に疑う要素が現時点ではないのも事実だ。
「ああ、直接こちらに飛ばしてきたのならやり様もあるが、光を浴びただけでこうなるというのは少々話が違って来る。どうにか片目は潰したが……」
「けっ、チンケな鳥野郎にしちゃあウザってえ能力だな。こちとら焼き鳥の押し売りにゃうんざりだってのによ」
「それはもういい」
杖を肩で弾ませながら面倒臭そうに舌打ちを漏らすリズへハイクさんが白けた目を向ける。
そこでアルバートさんがクロンヴァールさんの肩を離すと『ダン、姫様を頼む』とだけ言い残してやや離れた位置にいるユメールさんの方へと走っていった。
すぐに同じく立ち上がることが出来ずに匍匐前進をしているユメールさんを抱えて起こすと、二人でこちらに戻って来る。
「うぅぅ……クリスのことを忘れずにいるのアルジャーノンだけです」
大人しく運ばれてくるユメールさんは存在を忘れられていたとでも感じているのか露骨にげんなりしている。
やはりクロンヴァールさんと同じく足が言うことを効かないらしく支えられてなお片足を引き摺っている様な状態だ。
というか、忘れる忘れないの話でいえばあんたがアルバートさんの名前忘れっぱなしだよ。何だアルジャーノンって、花束が似合いそうだな。
「何をわけの分からんこと言ってんだ。ひとまずここは俺達でどうにかするからよ、姉御ははそこで見てろ」
「まだ先は長いですから、ここはダンの言う通りにしてください。といっても、どうにかするためには今聞いた瞳が放つ光とやらに気を付けなきゃいけないわけだけど……直接的な攻撃と違って回避も簡単じゃなさそうだ」
「片目は潰してくれてんだ、そう広範囲に射出出来るもんでもねえだろ。バラけて包囲すりゃ勝機は十二分にある、食らったら食らった時だ」
「さっきやったみたいに、ってか? 寄って集って新参者に何を期待してんだか」
「てめえはチームワークなんざクソ食らえって腹だろうが、んなもん関係ねえ。ヤれる奴がヤる、それも一つの戦略ってもんだ。どうせ言葉も理屈も通じねえ相手なんだ、数的有利を生かして何が悪い」
「誰が良し悪しの話なんざしてんだよ煙突野郎。性に合うかどうかの問題だ」
「辛抱と忍耐ってもんを身に着ける良い機会だ悪ガキ。嫌でも我慢しろ」
「この出来の悪い頭からうっかり抜け落ちないことを祈ってるんだな」
「ったく、聞き分けのねえ」
「とにかく、擦り合わせをしている時間も無さそうだ。方針は臨機応変ってことで、行くよ」
「けっ、そいつは俗にいう行き当たりばったりってやつだな」
ハイクさん、リズ、アルバートさんが三者三様に息が合っているのかいないのかという会話を交わし、その言葉を最後に示し合わせたみたいなタイミングで一斉に散開していく。
リズは向かって右に走り、ハイクさんは左に向かって、そしてアルバートさんは前進し、どの方角から攻めてこられても誰かがフォローやカバーすることが出来る三方向から包囲する様な布陣だ。
果たしてそれを認識する知能があるのかどうか、上空ではコカトリスがまた高度を下げ始めている。
片目を潰されてなおこちらを攻撃しようとする意志を維持しているのは命令に従うだけの生物だからなのだろうかとも思ったけど、最初に会ったギルマンが会話まで成立するだけの知能や人格の様な物を持っていたあたり個体差というか、もっと言えば誰の配下であるかによるのかもしれない。
単純に片目を失ったことでより怒りや憎しみを増長させただけの可能性も大いにあるだろうけど……そればかりはやるかやられるかの世界にいるのでお互い様という他ない。
「来るよ!」
徐々に高度を下げて来ていたコカトリスが先程の様に急激な加速を見せ、位置関係でいう正面に立つアルバートさんへと照準を定めた。
その声を合図に三人が共に臨戦態勢へと移行すると、声の主であるアルバートさんはクロンヴァールさんがやったのと同じ様に正面から突き型の斬撃波を放つことで先手を打つ。
だがクロンヴァールさんの試みが相手の出方や力量を窺うためのものだとするならば、アルバートさんのそれは意味が違っている風に見えたというのが外から見た印象だった。
恐らくではあるが、あれは自分に意識を向けさせるための陽動。
それはそれで危険な役回りではあるものの、狙い通りコカトリスは真っすぐにアルバートさん一人へと突っ込んで行く。
そして最初とは打って変わって細かな横の動きで斬撃波を躱すと、再び大きく口を開いて巨大な球体の火炎を吐き出した。
最初にクロンヴァールさんが切り裂いた炎の倍はあろうという規模だ。
さすがにあんな物を斬撃波一つでどうにか出来るとは思えないが……と、少し離れた位置でまともに動けないクロンヴァールさんやユメールさんと共に今は見守るしかない僕の前で、炎の塊は放った側と放たれた側の中心付近で激しい音を立てて急激に膨張した。
かと思うと、まるで爆発した残骸とばかりに体積を辺りを赤く染めた炎は空気に舞い、そのまま消失していく。
何がそうさせたのかは明白。
横から飛んできた赤く光る魔法の矢、すなわちリズの魔法だ。
「馬鹿が、そんなケチな炎が通用するとでも思ってんのか焼き鳥予備軍がよ!」
いつも通りに乱暴な言葉遣いで立てた中指を上空へ向けるリズであったが、魔法によるフォローは素晴らしいにしてもあんな風に挑発してしまってはせっかくアルバートさんが注意を引いてくれているのにそれを台無しにしかねないのではなかろうか。
そんな心配や落胆が他の二人にもあったのかどうかは分からないけど、すかさず反対側から飛んできた二本のブーメランがあらゆる杞憂を拭い去った。
最初から狙っていたのか、あの人のことだからリズの暴走ぐらいは計算に入れていたのか、いずれにしても空中を移動している相手を二本同時に投げてもドンピシャで狙えるのだからいい加減この達人集団っぷりに驚愕させられるばかりの僕も大変だ。
それでも消えゆく炎の残骸を突破しアルバートさんに迫ろうとするコカトリスは胴体や翼を狙ったその攻撃を巨体に似つかわしくない素早く細かな軌道修正によって躱している。
更には僅かに進行方向と体の向きを変え、ハイクさんへと向かって当初に見せた赤い羽根の雨を降らせた。
しかし片目を失った影響なのか、単に消耗の結果なのか最初の時みたく一帯を埋め尽くす程の量や範囲ではない。
いずれであっても今この時に限ればそれが大いに幸いしたことは間違いなく、ハイクさんは慌てて駆け出すと飛び込み前転の要領でぎりぎり蜂の巣にされる範囲から脱している。
右から、左から、正面から、誰かが狙われれば他の誰かがその隙を突いて攻撃し、フォローし、サポートする。
本人の言葉を借りれば新参者であるリズがいる以上は常々こういう戦い方の訓練をしていたとは思えないけど、それでも付け焼刃とは思えないぐらいに見事過ぎる連携だ。
いける、と。過ぎる想いに思わず握る拳に力が入る。
そうさせたのはハイクさんが一回転して立ち上がろうとする間にも武器を構えているアルバートさんとリズの姿だ。
しかし、戦っている側、見ている側がそう思えたということは意味を同じくして相手にとって不味いと思わせるシチュエーションであるということ。
それを証明するが如く、ここでコカトリスは奥の手を抜いた。
ギロリと二人に向けられた鋭い顔から眩い光が放たれる。
右目にはナイフが刺さったままの状態なのに、残された左目だけで一度目よりも明らかに強い光だ。
目に映る者全てに浴びせてやろうという意思をはっきりと感じさせる、まさに怒りに身を任せた全力投球といったところだろうか。
目の前ではアルバートさんに加え、少し離れた位置にいるリズまでもが膝から崩れ落ち、直立を保つのが困難な状況に追いやられている。
それどころか背後にいる二人までもが、苦し気な声を上げていた。
「ぐ……忌々しい能力め」
「クロンヴァールさんっ」
転倒しそうになるクロンヴァールさんを慌てて支えたものの、体一つで二人を受け止めることは出来ず。
踏ん張る様にしながらどうにか震える足で立っていたユメールさんが膝を突くのを阻止することは叶わない。
「大丈夫ですか二人共」
「ぐぬぬ……手足が重苦しくてまともに動かんです」
「痛みがあるわけではない。が、やはり石になった様な感覚が……」
地面が芝生みたいになっているおかげで転倒ぐらいでは怪我をしないのが不幸中の幸いだ。
だけど二人はやっぱり体が不自由な状態に陥っているらしく、光という実態も防ぐ術も無い性質だからこそ前方にいるアルバートさん達に留まらず広範囲に効力が及ぶ、ということなのだろう。
と、そこで。
不自然に言葉を途切れさせたクロンヴァールさんの視線が肩を抱く僕に固定されていることに気が付いた。
どこか訝し気な表情に少なからず不安を覚える。
「ど、どうしました?」
「コウヘイ……何故お前は何事もなくいられる」
「…………え?」
あれ? ほんとだ。
どうして今の今まで気付かなかったんだ?
一度目の時も、今この時も、皆が言う様な手足が重いだとか石になったみたいだとか、僕にそんな感覚は微塵もない。
「効果耐性……」
「何?」
頭に浮かんだワードが無意識に声になって漏れる。
思い付く可能性など、それ以外には何もなかった。
そうだ、それならば確かに説明は付く……はず。
かつては門の作用すら無効化した、随分と前に妃龍さんに与えられた身を守る力だ。
シロの瞳も然り、ミルキアさんの指輪然り、人に影響を与える魔法やそれに類する物の効果を軽減する体質みたいなものであり、僕に付与されたのはその最上位みたいなほとんど無効化に近い耐性だといえる。
といっても無効化された場合にそれを自覚することもなく、また人と比べたりも出来ないのでいつまで経っても自分でも度合いが分からないままなのが難しい問題ではあるけど、少なくとも今の状況を見るに妃龍さんの説明にあった通り大抵の魔法は防いでしまえるらしい。
この力があるから大丈夫だろうとタカを括って相手の魔法を素で受け止めるには勇気もいるし、どこまであてにして身を委ねていいのかはより難しい問題だが、そんなのは検証しようがないから今は考えるな。そこは信じるしかない。
この力を使ってどうにか貢献したい、守られるだけではなく助けになりたい。
その意志が思わぬ角度から湧き上がった新たな覚悟と合わさり、自然と一度止まった足を前へと押しやった。
「旦那!」
ハイクさんの大きな声で思考の渦から我に返る。
彼は角度的に影響を受けなかったのか、もしかすると無理をして抗っているだけなのかもしれないがとにかく、僕を除けば唯一自分の足で立ったままだ。
だが羽根による攻撃のせいで一番離れていた距離が更に遠ざかっており、目の前にいるアルバートさんに迫っているコカトリスの攻撃を阻止出来る状況にはない。
だったら、僕が行くしかないだろう。
「すいません、一旦下ろしますよ!」
答えを待たずにクロンヴァールさんの腕を肩から外し、全力でアルバートさんのいる方へと突っ走る。
ハイクさんを狙って微妙に方向を変えていたこともあって迂回する形になり、コカトリスは向かって左側から真っすぐに迫っているため向こうから見てほぼ直線状にリズがいる配置になってしまっているせいで三方向に分かれた利点が失われている上にそもそも立つことも出来ない様子のアルバートさんは対処できる状態ではない。
だからこそ僕が行かなければならないんだ。
「コ、コウヘ……とっ!?」
直前で僕の存在に気付いたアルバートさんは、それでいて為す術なく僕のタックルをまともに食らってくれた。
魔法の盾を上手く使えたならもう少し安全に助けられた可能性もあったのだけど、タイミング的に間に合うかどうかが微妙だった上に真横からの攻撃を防ぐとなると割り込めたところで確実に二人が無事のままやり過ごすには技術的な自信がなかったので無茶を承知で強硬手段に出たというわけだ。
だからこそ躊躇わずに全力で突っ込んだんだけど、その甲斐あってか片膝立ち状態のアルバートさんの腰にタックルをブチかました僕はアルバートさんごと奥にすっ飛び、一秒と待たずにその上をコカトリスが通過していった。
その際に翼が頭を掠めていった辺り本当にギリギリだったし、正直に言って走ったこととは無関係に心臓のバクバクが止まらないぐらいに紙一重だった。
「コウヘイ君? どうして君は……」
目の前で唖然とした顔を向けるアルバートさんの声によって間一髪過ぎて同じく呆然としてしまっていた意識が戻って来る。
そうだ、安堵している暇なんてない。まだリズが危ないままだ。
「すいません、話は後でっ!」
一寸上を通過していったコカトリスは既にリズの目前まで迫っている。
やはりそう来たかという感想がこれでもかと脳裏を埋めていくが、こうなっては走って追い付ける速度差ではない。
それでも助けに向かうべきか、その後の展開に対して臨機応変に動ける様に備えておくべきかと一瞬悩んだ末、やっぱり黙って見ている方を選ぶことが出来ずにまた駆け出していた。
余程強力な効果をもたらす力なのか、魔法使いであるリズもお尻をついている状態で辛うじて杖を構え、苦し気な表情のまま三本の白い魔法の矢で迎え撃とうとしている。
白色ということはすなわちフェイクでなければ屋根や壁に穴を開けてしまう様な物理攻撃用の魔法だ。
だがやはり正面からの攻撃は大きな嘴が邪魔になって弾かれるだけに終わってしまい、窮地を脱するには至らない。
だけどそれでも、不幸中の幸いと言っていいものかどうか意識的に嘴を防御に使うという動きを誘発出来たおかげで頭部が上向きになり、結果として繰り返し見せている頭突きみたいな突撃や噛み付くといった攻撃を阻止することには成功していた。
言うまでもなくそれだけで事なきを得たかといえば当然そうはいかず、ならばと太く大きな足で鷲掴みにされてしまい抗う力を発揮できないリズの体が宙に浮く。
「こんにゃろ……ナメんな!」
握力を維持することすら出来ないのか、その際に手放した杖が地面に弾んだものの腰を掴まれたままどうにか抵抗しようと手足をバタつかせながら放たれた魔法が真上に位置するコカトリスの顔面に炸裂した。
見た目から察するに爆発の類だったのか頭部は炎と煙に覆われ、それによってリズは落下して地面を転がる。
見た目に明確な傷やダメージを与えた様子はないが、片目を奪われた状態での更なる顔面への攻撃を嫌った反射的な反応という感じだ。
体は下向きのまま、腹や腕から着地したリズはやはり足腰どころか全身に重度の影響が及んでいるらしく、上半身すら完全には起こしきれておらず這いながら離れた位置にある杖へと震える手を伸ばしている。
「…………」
これなら間に合うかもしれない。
そう思わされたことによって残っていた僅かな迷いが消える。
攻撃を食うにせよ防ぐにせよその場から移動してしまっては追い掛ける意味がなくなるし、そうなった時にまた別の誰かをフォローしようと思っても配置的に中心に近いアルバートさんの元を離れてもいいものか。
だけどリズがピンチになるならそんなことよりも彼女への救援を優先すべきではないのか。
そんな葛藤の下、やや中途半端な感は否めないながらも全力疾走はしない程度にリズの方へ移動するという状態だった僕は改めてリズの居る方向へと急いだ。
目の前では炎を振り払う様に空中でばたついていたコカトリスが再び態勢を立て直している。
必然、最も距離が近いのはリズだ。
引き続きそこに狙いを定められては不味い、急がないと。
そんな意思の下で緊張で息が上がるのも早いし、今にも心臓が爆発しそうな限界ぎりぎりの肉体で気力を振り絞るその最中。
背後から飛んできたブーメランが左右に弧を描きながら僕を追い越し、コカトリスに向かっていくのが視界の片隅に見えた。
目を向ける余裕など今も今までも無いためハイクさんがどういう状態なのかは分からないが、これだけ遠距離にまでブーメランを投げられるのであれば少なくとも全身が不自由とまではいっていない様だ。
熟練の技術であるがゆえか狙いに狂いはなく、回転しながら飛んでいく二つの刃の内の一つが大きな翼の根本付近を捉える。
「いつまでもチョロチョロと飛び回ってんじゃねえ!!」
予想になかった援護射撃への驚きも消えぬ間に、大きな声が背後で響いた。
直前まで居た位置からではこんな聞こえ方はしない。
振り返る余裕が無い以上は推測の域を出るものではないけど、ハイクさんも少なからずこちらに向かってきてくれてはいたらしい。
そして、その声がどういった行動に付随するものなのかが分からない僕はすぐに諸々を理解する。
Uターンしていく二本のブーメランと入れ替わる様に、いつも背中に背負っている巨大な方のブーメランがゆっくりとした回転でブンブンと重い音を立てながら飛んでいくのだ。
翼を傷付けられてバランスを崩しているコカトリスに察知された様子は一切無く、先程の物に比べれば遥かに劣る速度であるはずのそれはもろに脳天へと直撃する。
元来接近戦で使うための打撃用の武器とあって普通のブーメランみたく手元に戻る様な動きはしないし、刃がついている武器ではないため致命傷を与えるには至っていないものの重量が重量とあって大きなダメージを与え、ゾッとして鳥肌が立つ様な鈍く嫌な衝突音を響かせるとコカトリスは飛行状態を維持できずに落下し地面に降り立った。
「ユメ公!!」
「とっくに準備出来てるっつーの!! ですっ!!」
離れた位置から交わされる大きな声での会話。
やっぱり僕にはどういう意味なのかは分からないままだったけど、それもやっぱり次の瞬間には理解させられていた。
着地したコカトリスがその瞬間にまた宙に浮く。
それも自ら翼を使って飛んでいるのではなく、足が上に頭が下にという宙吊り状態でだ。
宙吊り、その言葉と目の前の現象を見て初めて理解が追い付き全てを把握する。
コカトリスの足から上空に、そして僕また別の方向へと伸びているのはきらりと光る一筋の線。
それすなわち、ユメールさんの糸だ。
所謂スネアトラップみたいな原理なのだろう。
地面に仕込んでいた罠が静かにその時を待ち、一発逆転の機を狙っていた。
どういう仕様なのかまでは分からないけど、流石にあの場所一点に絞っていたということはないはず。
ユメールさんはこの瞬間に備えてまともに動けない中でも淡々と備えを済ませており、それを知っていたのかそう動くという信頼や確信があってのことなのか、ハイクさんはそれを生かすべく力尽くででもコカトリスを地面に落とそうと画策していたというわけだ。
今にして思えば、執拗に翼を狙っていたのもそのためだったのか。
「いや……」
感動しそうにすらなる技術と連携、信頼と絆が生んだ光景。
だが、そう楽観的になっていられる問題ではないことに遅れて気が付いた。
そうさせたのは宙吊りにされた状態で暴れるコカトリスの姿。何度も鳴き声を上げながら力任せに全身を上下左右に振り回すその動きが徐々に激しくなっているのだ。
百キロでは済まないぐらいの体重を持つ生物が相手とあっては糸一本じゃいつまでも捕縛していられないぞと、そんな不安が脳裏を過ぎる。
そして、だからこそ足を止めなくてよかったとも。
どうするかなんてわからない。
だけどあのリズならどうにかしてくれるはずだと、ようやく手の届く距離まで辿り着いた僕は無心で芝生をスライディング状態で滑り杖を片手でキャッチしてそのまま勢い余って匍匐前進中のリズへと抱き付く様な格好になりつつも傍に寄った。
「ダーリン!」
「リズなら杖さえあればどうにか出来るでしょ!?」
「おうよ、さすがウチが愛した男だぜ!」
心強い返答に、あとは託すだけだと後ろから体を支えて上半身を起こし、その手に杖を握らせる。
するとリズはその杖を勢いよく地面へと叩き付けた。
「見せ場譲ってやっから最後ぐらい仕事してこいロン毛隊長!!」
自分自身への苛立ちからか。はたまた純粋なコカトリスに対してムカついているのか。
感情のまま怒声を発するリズの声が響くのと同時に前方で異変が起きた。
いきなり地面が膨れ上がったかと思うと、その一角は芝生ごと土が盛り上がり二、三メートルにも及ぶ柱を生み出したのだ。
その中心に居るのは、動けないながらも何らかの役目を果たそうと剣を杖代わりに少しずつこちらに歩いてきていたアルバートさんだった。
「よくやった二人共!!」
勢いよく地面に押し上げられ、土の柱が発射台の役割を果たしたことによりアルバートさんは逆バンジーさながらに空中へ放り出されると宙を舞いながらコカトリスに向かって落下していく。
そして僕達への賞賛を口にしながら、ぎこちない動きで剣を両手に持ち替えると徐々に片足で吊るされている状態から体勢を戻しつつある大きな体のてっぺんへと突き立てた。
僅か数メートル先で必死に暴れていたコカトリスは頭部を串刺しにされ、断末魔の叫びを残して抵抗の力を失っていく。
その落下による急激な負荷がとうとう限界を迎えさせたのかそこで足に絡みついていた糸は切れ、巨体はそのまま地面へと突っ伏して一切の動きがなくなった。
「はぁ……はぁ……終わった、の?」
「ああ、確実にな」
リズの返答に、ようやく緊張の糸まで切れて強張っていた全身の力と張り詰めていた気が抜けていく。
色々とぎりぎりだったし、本当に総力戦みたいになってしまったけど……これだけの人物達がチームワークを発揮しちゃったのだからそりゃ強いはずだ。
そんな不思議な納得感を胸に、この迷宮最後の戦いを終えるのだった。