【第二十五章】 断片
「な~おい、いつまで歩きゃいいんだよロン毛隊長~」
水の都アプサラスを出発して二時間程が経っただろうか。
豊かな自然に囲まれた風景を見渡しながら歩く僕達一行にあって、誰もが薄々どころかその事実に半ば気分が重くなりつつある中で敢えて言葉にしなかった感想を何気なく口にしたのはリズだった。
進行方向左には緑に溢れる草原が広がっていて、反対側には広大な湖がどこまでも続いている。
一見すると穏やかな気候も相俟って綺麗な景色に挟まれた長閑な旅路にも思えるだろう。
しかし、その右側にある大きな湖が問題なのだ。
当初の予定では街を出て真っ直ぐに例の洞窟へと向かうはずだったのだが、その半ばにあるこの恐ろしいまでに大きな湖を回り込むことを余儀なくされてしまったのである。
地図を見ると確かにその位置には大きな楕円が記されてはいるが、これが何かという表記が無いせいで僕達はそのまま縦断出来るものだとばかり思っていたためこの時間的、体力的なロスを後から知るというのは精神的にも大きな落胆を生んだ。
特に険しい道のりでもなければ何かが待ち受けていたり襲ってきたりということもなく、本当にただ歩く距離が増えたというぐらいで済んでいるのが不幸中の幸いといったところか。
「こればっかりは仕方ないよ。敵が襲って来るよりは余程面倒が少ないわけだし、歩くだけで辿り着けるなら願ってもないさ」
地図を手にナビゲート係を担うアルバートさんもまあまあと宥める様な口調で優しい笑みを浮かべる。
言いたくはないけど、一人だけ口を開けば文句ばかりのリズに対しても優しく対応するアルバートさんは本当に大人だなぁという感じだ。
ユメールさんはドストレートに『愚痴が多いガキですっ』と煩わしそうにするだけだし、ハイクさんに至っては相手をするのも面倒なのか基本的に雑な返答をするだけなので尚更である。
穿った見方をすればそうやって甘やかすからそんな調子のままなのではなかろうかと思わなくもないけど、僕だって注意したり諫めたりするだけで強く言ったりは出来ないので呆れる権利もないんだろうな。
「だからっていつまで散歩気分なんだっつの。観光に来てんじゃねえんだよこっちはよぉ」
「まあまあ、アルバートさんの言うように例の洞窟に着いたら嫌でも危険だらけなんだから、少しでも安全な道ならそこを行くべきだよ」
だからといって我関せずでいるわけにもいかないので疲れるとか時間のロスがどうとかよりも恐らくは同じ景色が延々と続くことに飽きてきただけだと思われるリズを諫めつつ、今一度周囲を見渡した。
本当に自然以外に何もなく、人影も建物も一切見えない。
少なくともこれならばどこから敵が現れても早い段階で察知することが出来るだろう。
唯一の不安は湖その物なのだが、出発前の話では件の洞窟の付近まではウィンディーネの領地内なのでそういう心配はほとんどしなくてもいいだろうのことだ。
状況が状況で、こちらの立場が立場なだけに断定は出来ないとは言っていたけど、何であれ問答無用で敵対という結論にならない勢力がいるだけで正直もの凄くありがたい要素である。
というか湖の中には鯨ぐらいのサイズの何かが複数泳いでいるのが見えているのでそうでなければ困ると言ってもいいぐらいだ。
ほとんど影しか見えていないので具体的にどういう生物なのかは分からないけど、まず間違いなく襲ってこられたらやばい何かだということだけはわかるだけに見つけた当初は本当に末恐ろしかった。
絶対に普通の魚じゃないよあれ、完全に人とか食べちゃうタイプのやつだよあれ。
「ちっ、ダーリンが言うなら文句は言わねえけどよ~、昨日から歩きっぱなしで嫌になるぜまったく」
確かに、そう思っても無理はないぐらいに湖は広い。
直径で言えば縦横どちらも数キロでは足りないぐらいはある。
差し掛かってから外周を歩き始めてもう一時間近くが経過しているのに一度も向こう側の岸が見えたタイミングはなかったのがその証拠だ。
いくら限られた面積だからといってこれだけ何もない大地があるならもっと有効に活用をしようとか考えないのだろうか。
バーレさんが言っていたけど、アイテムを使わなくても歩いて二、三日で端から端まで渡れるぐらいの、そう広くはない天界で暮らしていて隣の町一つ超えたことが無いというのが凄い話だ。
そもそも【天界】というのが国の名称ではなく形態や在り方としてそれぞれの町村が一国家として独立した統治と発展を持っているがゆえのことなのだろう。
元の世界でも僕の基準で言う無人島みたいなサイズの小島ぐらいしかない国もいくつかあったし、こればかりはそういうものなのだと納得するしかない。
とまあそんなことを考えながら引き続き湖の傍を歩いていく。
ようやく水辺の終わりに辿り着いたのはそれから三十分程が経ってからのことだった。
一転して自然の少ない砂地が前方に広がる大地に切り替わるその景色が第一の目的地である洞窟とやらが近いことを示唆しているのかとさえ思わされるだけの凄まじい規模の物が数百メートル先に見えている。
まさに断崖絶壁と言うのか、高さ数十メートルにもなろうという岩の壁が左右どちらをとってもどこまで続いているのかが分からないぐらいに広がっているのだ。
まるでここから先は通れませんと、暗に伝えてきている様な異様な光景とただならぬ威圧感が余計に不穏さを醸し出していた。
「またどえらいもんがお出ましになったなおい」
「あれを登れって話だったら洒落にならんぞです。ね、お姉様♪」
あまりの存在感にハイクさんやユメールさんもうんざりした風だ。
いや……後者は若干怪しいが。
「これが地図にあるこの横線の部分ということみたいですね」
「ああ。どこかに洞窟に繋がる道があるはずだが、見えるかアルバート」
クロンヴァールさん、アルバートさんの言葉に釣られ、改めて地図に目を落としてみる。
確かに大陸の端から端までほぼ真横に真っ直ぐな線が引かれてはいるが、その一部に奥側に繋がる道らしきものがはっきりと記されていた。
ではそれがどこにあるのかと壮大な岩壁を見回してみると、何ともまあこれが自然の産物だろうかと疑いたくなってくるぐらいの圧迫感ある物質が横にも縦にも果てしなく続いているだけで分かりゃしない。
湖を時計回りに迂回しているということは、その抜け道はずっと右の方にあることになるのだけど……こうも一面同じ色合いと景色では離れた位置から肉眼で見つけるのはやや困難か。
となればどのみち直接行って探すしかない。
という結論に行き着くのに時間はそう必要なく、絶壁に沿う形で捜索を始めると幸いにも今度は数時間歩かされることなくほんの十分程が経った頃には目的の抜け道らしき箇所が見えてきていた。
高さ数十メートルにもなる岩壁の一部がパックリと割れ、峡谷の様な道が奥へと続いている。
この道を進めば件の洞窟に辿り着けるということらしいが、その入り口から洞窟らしき物なんて見えやしない。
つまりはそれだけの深さ奥行があるということで、加えて幅は五メートル程とそう広くはなく、何か問題が起きた時には中々に不自由な空間だと言えた。
それを考えた時に真っ先に思い浮かび、危惧するべき可能性の一つをすかさずアルバートさんが指摘する。
「これでは奥の方が見えませんね。深さもそれなりにありそうですし、伏兵を置くには最適な地形というわけですか。姫様、一人二人先行して様子を見てきましょう」
「そういう造りにしたのか元からこうなのかは知らんが、ここら一帯はウィンディーネと現在その座を降りた元神の領地。そしてここを抜けた先は抗争には参加しないというクロノスとやらの領地だ。その線引きが侵されることはそうそうあり得んという話である以上どこぞの誰かが兵を送り込む可能性は低いと思うが……それでもゼロというわけでもない、一応の警戒をしつつ進むしかなかろう。いずれにせよ神本人が出てこない限りは大した戦力でもあるまい、全員で行く方がいくらか対応力も上だろう」
「あの女神の話じゃこの先にあるフォウルカスとかいう土地の神殿で暮らしているのはクロノスって神が一人きり、部下も民もいないってんだろ? 刺客を差し向けてくる可能性があんのは天帝本人かそいつの命令を受けたノームとやらぐらいってことになるのか姉御よ」
「そういうことになるな。他所様の領地に兵を送り込むという無法はそう簡単に起こり得ず、一様に相手がそのクロノスとやらであるなら尚更に関係の悪化は望まない。その話が事実であれば杞憂に終わると願いたいところだがな」
「もう何でもいいからサッサと行こうぜ御姫よぉ。誰が来ようが片っ端からブチ殺してやりゃノープロブレムだ、いくら田舎育ちでもこんな殺風景な所で野宿っつーのは趣味に合わねえよ」
立ち止まって話し合う、という行動がどうにも苦手……というよりは嫌いであるリズは会話を遮ってまでクロンヴァールさんの前で両腕を広げ急かす様な言葉を被せた。
考えるよりやってみた方が早いという考えはある意味卓越した感性を持つ天才肌たる所以なのかもしれないけど、悪い言い方をすれば無計画であり行き当たりばったりということにもなるので言って聞かせようにも難しいものがある。
じれったく感じるのは堪え性のないリズの性格が半分、どうにでもなるという自信とどうにかしてきた自負が半分といったところか。
「別に日が暮れるまで話し合おうってわけじゃないんだから、ちゃんと聞いてなきゃ駄目だよ?」
「コウヘイ君の言う通り、僕達は組織として動いているんだから君一人がどうにか出来たって意味がないんだ。一緒に頭を使ってくれとまでは言わないけど、せめて思うまま異議申し立てだけするのは自重してくれ」
「まあ待てよ旦那。この馬鹿に賛同するのは気が乗らねえが、ザベ公の言い分にも一理ある。心構えは当然しておくにしても敵が潜んでいたとして、それを避けるルートも無けりゃ引き返すって選択肢もねえんだ。違うかい姉御よ」
「ふむ、究極に結論だけを述べるならば相違ないだろうな」
「なら多少力業になろうが進むとしようじゃねえか。この先に洞窟があるならそこで嫌でも時間を食うんだ、その究極の結論ってもんに続きを加えるなら最も難儀な展開はここを抜けた後フォウルカスに辿り着く前に日が暮れちまう事だと思うがね」
「それを否定するつもりはないけど、罠があると明言されている事実も忘れてはいけないよダン」
「こいつはどうか知らんが、俺が忘れるわけがねえだろう。いつどこで誰が襲ってこようと俺とザベ公で対処する。そのために俺達が先頭を行く、それでどうだい旦那、姉御」
「そうだな、明確に何かを発見するまではそれでよかろう。現状伏兵の気配は特にない、天界の在り方からしてもそう外敵への備えを予め充実させてあるとも思えんしな」
「つーか誰が馬鹿だって? 大人しくしてると思って喧嘩の安売りしてんじゃねえよスカシ野郎が」
「まあまあ、いちいち反応しないで」
と、リズとハイクさんの間に割って入りつつ方針が決まったことにまず一つ気を引き締め直す。
僕はこの人達と違って気配とかは分からないけど、確かにこれまでに得てきた情報を総合するにここに伏兵を置くなんてことを誰が実行するのかという話だし、クロンヴァールさんの言う通りそもそも外から天界に入ってこられる何者かなどそう現れるはずもない。
そのために洞窟内に化け物を配置しているのだろうし、そもそもそれが可能であれば天門にバーレさん一人がやって来たりはしないだろう。
安全を確保した上で進む、というのは勿論理想ではあるが、時間に限りがあるのもまた事実なのだ。
気を付けながら進む。その可能性を常に頭に入れておく。
それ以上の備えをしようというのは贅沢というか、状況が許してくれないのだから妥協しなければ仕方がない。
しかし……アルバートさんやハイクさんが経験豊富かつ有能常識人過ぎて僕が口を出す機会がほとんどないな。
「では話も纏まった所で先に進むとしよう。アルバート、お前の言も最もだがここは少しばかり優先度を時短に振る。悪く思うな」
「承知致しました。では一本道である点を考慮し背後からの襲撃に備え僕とクリスちゃんが最後尾に回ります」
何とも男前なフォローを挟みつつ、クロンヴァールさんがアルバートさんの申し出を了承したところで改めて聳え立つ絶壁に挟まれた奥へと続く峡谷へと足を踏み入れる。
話の流れの通りに先頭にはハイクさんとリズが、その後ろに僕とクロンヴァールさんが、そして最後尾にアルバートさんとユメールさんが数メートル間隔で縦に列を組む形だ。
中に入ってみると何と圧迫感の増すことか。
そんなに幅が狭いわけではないのだけど、てっぺんが見えないぐらいの壁に挟まれている道を歩くというのは思いの外精神的な不安を呼ぶらしい。
安全を取るか、時間を取るか。
たった今行われたのはただそれだけの単純な話し合いではなく可能性の多寡と危険度を掛け合わせた上での合理的な判断が求められる議論だったわけだけど、頑なに引き返す道を拒絶するべきではないと考えるのは僕一人なのだろうか。
人類を代表して平和を勝ち取るための戦いに挑みにきたのは分かっているし、一旦撤退なんてことになったとして次に試みた時に同じ様にガバガバの防衛体制でいてくれる保障もない。
少なくとも『何かがあるかもしれないから』とか『危なそうだから』なんて曖昧な理由で何も起きていないうちから逃げ帰るぐらいなら最初から来ていないということだって百も承知だけど……だからこそ皆が前のめりになりつつあるのなら僕が冷静さを注入出来る様にしておかなければ。
そんなことを一人頭で確認しつつ、一本道であるがゆえに風が集中して通過していくのか、どこか肌寒さを感じる絶壁に挟まれた無機質な空間を進んでいく。
なるほど確かに、角度の関係もあって下からでは頂上なんて見えやしない。
つまりは仮に敵襲があるのだとすれば最も警戒すべきはどうしても背後と上空ということになる。
例えそうでなくともまともな感覚の持ち主であればこうも細長い道だとどうしたって不安は付き纏うだろう。
僕は自分がそれに当て嵌まると思っているので当然内心では不安も恐怖も常に片隅から離れずにいる。
過去に何度も数百、数千という軍隊を目にしてきたこともあってはっきりとイメージ出来てしまうだけに、万が一そんな規模の大軍が押し寄せてこようものならいくらこの面子の中にいたってどうしようもないのだからそれらの感情が沸くのも仕方ない。
バーレさん曰く兵隊に限らずそれだけの人間を抱えている都市自体天界にはほぼ無いということなので心配が過ぎるというか、思い浮かべる物自体がそもそもが間違っているのだろうけど。
とまあ、色々考えを巡らせてはいるものの予想とは裏腹に別段何が起きるでもなく進んでいく静かな谷を少しずつ過ぎていく。
僕にはまず一生分からない感覚なのだろうが敵の気配とやらが無いからか先頭の二人も特に警戒心を露わにするでもなく、リズに至っては暢気に鼻歌なんて漏らしていた。
ある意味ではそれが安心材料になっていると言えなくもないけど、分からないからこそこっちは一抹の不安を拭いきれないんだからそこまで気楽にはしないで欲しい。
とか、決して口には出来ない愚痴なんて心で漏らしながら、何故か気になってしまって今一度真上に目を向けてみる。
何度見ても相当の高さがあり、そう簡単に人が上れる様には見えない。
が、やはり音や空気で伝わってくる背後からの奇襲よりは余程要警戒度は高いだろう。
道幅に限りがあるため仮に後方から大軍で押し寄せられても同時に襲い掛かってくる人数はある程度の縛りがある。
となればこの面子ならまだギリギリどうにかなる可能性も十分に残るが、上空からではどうしたって不意打ちの様相を避けることは出来ない。
今考えた高さという難点すらも、この世界では魔法やマジックアイテム、門なんて物があるがゆえに消去法も簡単ではないのが辛いところだ。
バーレさんの牛みたく飛行能力を持つ生物を用いるとか、エルみたいな空を飛べる道具を持っているとか、はたまたコルト君の様に覚醒魔術によって元から飛べる人間がいるとか、もう考え出したらキリがない上にそんなことはあり得ないと否定する材料を見つけることも出来ないのだから心底不思議な世界だ。
その認識は今更過ぎる程に今更だけども、だからといって気にし過ぎということはない……と思いたい、のだが。
「…………」
気にすべきは本当に上……なのだろうか。
この場所で何かを仕掛けるとするなら、僕だったらそんな誰にでも思い付く部分を選ぶだろうか。
「どうした」
ぼんやりと真上を眺めなていたせいで歩調が緩んだのを不審に思ったのか、目の前を歩くクロンヴァールさんが立ち止まり振り返った。
どうしたと聞かれてもどう説明したものかというのが本音なのだけど、気になった事は何でも言えと御下命を受けているので黙っているわけにもいくまい。
「何となく、ですけど……警戒すべきは上空ではない気がして」
「ほう、ではどこであると考えている。背後か、それとも前方か?」
「どこか一つを選べと言われたなら、下? とか」
「ふむ、そう思う根拠は?」
「正直言って根拠はありません。ただの直感というか予感というか、本当にふと思い浮かんだというだけで」
「どうにもらしくない物言いだな。だがよかろう、エリザベス!」
「ああ~? んだよ御姫」
呼ばれたリズが気怠そうに振り返ると、クロンヴァールさんは無言のまま指でチョイチョイと呼び付けた。
何事かとハイクさんも立ち止まりこちらを見る中、一人でダラダラと戻って来る。
「どうしたってんだよ、また説教でもしようってのかい?」
「思い当たる節があるのか?」
「どーだかな、単に褒められる理由がどう頑張っても見当たらねーって話さ」
「私の拳骨などでよければいつでもくれてやるぞ?」
「いらねーっつの。それより要件は何なんだよ」
「それなんだが、お前の旦那が上や後ろよりも足元が気になると言うのでな。先に調べてみろ」
「はぁん、そりゃ言うとーりにするべきだわな。ウチの旦那が間違ってるわきゃねーんだからよ、なあ御姫」
「そうだといいがな」
「ま、見てなよ。ウチが証明してやる」
「いや、僕も確信を持って言ってるわけじゃないからそこまで……」
「ダーリンもちょっと下がってな」
一転、どこか上機嫌な様子で僕の肩をポンと叩いてリズは背を向けた。
素直にクロンヴァールさんの指示に従うのはいいことだけど、僕の話ももう少し聞いてくれと言いたい。
なんて声は届いておらず、リズは『よっ』と背中から抜いた杖で軽く地面を叩いた。
その地点を発生源にズババババ! みたいな激しい音を立てながら地面をなぞる様に小さな波状の衝撃波が遠ざかっていく。
次の瞬間、辺りに異変が訪れた。
原因は突如として僕達を襲った耳が痛くなる程の轟音だ。
近くで爆発でも起きたのではないかという強烈な破壊音と地鳴りが否応なく動作を停止させ、明確に身の危険を伝えてきている。
何が起きたのかも分からず、なかなか止まないガラガラドスンドスンという物騒な音によもや崖が崩壊したのではあるまいなという最悪な想像が頭を過ぎり反射的に辺りを見回していた。
「狼狽えるな、あそこだ」
何故そうあれるのか、平然と腕を組んだままその様を見ていたクロンヴァールさんは前を指差しつつバランスを崩しそうになった僕の首根っこを掴んだ。
収まりつつある激しい揺れと音に戸惑いながらも慌てて視線を正面に戻すと、そこでようやく理解する。
むしろなぜ気付かなかったのか、目の前すぐ先に大きな穴が開いているのだ。
直径は三メートルぐらいだろうか。
見るからに深そうな穴がいきなり現れていて、その部分の土がごっそり無くなっている。
音の正体が地面が崩壊したことで生まれたものだと把握するなりハイクさんが穴の近くへと駆け寄っていった。
他にも罠がある可能性が頭から抜けているのは失態としか言い様がなかったが、言い出した手前ボーっと見ているだけでいるのもどうかと思わず僕も後を追ってしまう。
「おうおう、マジでありやがるとはな。知らずにいればどうなっていたことやら」
落とし穴を覗き込むハイクさんは面倒臭そうに首を振りながら懐から取り出した煙草に指で火を着けた。
それもそのはず、見下ろす穴の底数メートル下には無数の針が剣山の如く仕掛けられているのが見えているのだ。
それはすなわち、落ちていたら死んでいたかもしれないということを意味している。
「まさか本当に下が本命だったとはね。場所や方法がどうであれある意味では分かりやすくなったとも言えますけど」
「そうだな、天界の者がこの道や洞窟を通過することがあるのならこうはならん。そうではなく、そしてそれ以外に利用しようという者は問答無用で排除する。やはりこの天界は外部の全てを敵であるとみなしているということだ」
少し遅れてやって来たクロンヴァールさんはアルバートさんの見解に苛立ち混じりの同意を示している。
裏を掻かれたことに対して、というよりはこの段階で既に明確な敵意や殺意を向けられていることを忌々しく思っている感じだ。
僕達に危害を加えるために仕掛けられたのか僕達が来る前からあったのかによって話は大きく変わってきそうではあるが……仰る通り、普段から人の行き来に利用されているのならこんな物がある方がおかしい。
先にある洞窟がそうである様に利用者が外界の者に限られ、そしてそれに該当する全てを阻むために存在する。それがこの天界の在り方と考えるのが自然だ。
「これだけあからさまなトラップが仕掛けてある以上はここから先も外敵への備えとして作られたと考えるべきですね」
「下手をすりゃダンが穴だらけになってたです。わんこが気付くのがもう少し遅かったらと思うと、危ないところだったと安堵すればいいのか面白いものが見れたのにと悔やめばいいのか複雑な気持ちです」
「何で俺限定なんだよ、そして何で穴だらけの俺を見たい願望が隠し切れねえ程度に存在してんだよ。落ちても糸でどうにかなるてめえが実験台になれってんだ」
二人の醜いやり取りはさておき、この岩壁や先にある洞窟が天界を南北で分断し簡単に進んで行けない様にするためのものなのであれば今後の危険度は想定よりも大幅増だと言えるだろう。
なぜなら自然を利用した要塞みたいな役割と大差がないからだ。
「んなことよりウチの旦那をもっと褒めろ、称えろ、そしてウチを羨め」
「いいってばリズ」
「そう謙遜するものでもないぞ? よく気が付いたとなと、私を含め誰もが思っているだろう。どんな修羅場を潜ってこればその感性が身に付くのやら」
「最初にも言いましたけど、気付いたとかでは全然ないですから。何となく嫌な予感がしたってだけのことで」
「お前がそう言うのならば、そういうことにしておいてやろう」
そう締め括られたところで殺傷能力抜群の落とし穴に関しての考察も終わり、再び洞窟を目指して先へと進んでいくことに。
今起きた出来事を踏まえてより強い警戒心を維持しながら道の幅の半分を超える大穴を避けて更に奥へと歩いていく僕達だったが、意外にもその後は何らかの罠が仕掛けられていることもなく、かといって伏兵に襲われることもなく十五分足らずで目的の位置である洞窟の入り口へと辿り着いていた。
行き止まりだと言わんばかりの岩壁が行く手を阻んでいながらも、その下部が空洞になっている見事なまでに洞窟という意外に形容する言葉が見つからない大穴は薄暗く奥の様子は外からでは窺えないせいで不気味さやホラーに満ちあふれている。
「やっと入り口か。キナ臭え匂いがプンプンしてやがる」
奥の様子を探る様に中を覗き込むハイクさんは果たして何を感じ取っているのだろうか。
雰囲気だけでいえば幽霊の一つでも出てきそうな気味悪さがあるが、よく考えてみるとドラゴンや首無しゾンビより怖いなんてことはなさそうなので大した問題じゃないなきっと。
「アルバート、エリザベス、明かりを」
クロンヴァールさんの指示によってアルバートさんが松明風の棒に、リズが杖の先端にそれぞれ光を灯して準備が整い、留まる理由はもう何もない。
そして、ここからは先頭を引き受けることになったアルバートさんの合図によって最大の難所とまで言われた謎多き洞窟へと足を踏み入れることとなった。